高い天井、だだっ広いエントランス。
ソファで談笑する人もいれば、大きな荷物をカートに乗せて運搬する人もいる。
それぞれの違いは『余裕』だ。彼らはおそらく『塔』の居住者と労働者。どれだけ『塔』が楽園のような場所であろうと、それを運営する側の人間がいるのも必然。
現に、エントランス中央の左右には半円形の受付カウンターのようなものがあり、それぞれに人が立っている。彼らも労働者側であることは明らかだ。
豪華絢爛な飾りがあちこちにあるが、照明は暗くシックな雰囲気がある。中央には二つ、縦に伸びる柱があり、半透明に透けている中の構造を見る限りエレベーターだ。人を乗せてゴウンゴウン、と休むことなく動いているが、その大きな音はこのエントランスの賑やかさにかき消されている。
左右のカウンターの後ろには巨大なスクリーンがあり、階層案内やイベントなどの情報が目まぐるしく表示される。奥には金属のゲートが設置され、人々はそれを通って奥へと消えていく。
太陽はこの光景に、声を上げることすらできなかった。
あの天を見上げるほどの『塔』の外観を見てから、内部の様子を頭の中で想像してはみたものの、実物はその想像に収まりきらないほど雄大で、優雅で、壮麗であった。
SFやファンタジーで登場する、文明の極地、もしくは神話の象徴。垂直都市に関する知識はそんなものだ。どこで仕入れたのかというと、もちろん孤児院で埃を被っていた古い映画たちである。
「すげえ………………なんだこれ、なんだこれ!」
語彙力も限界を逆突破して、馬鹿みたいに声を出すことしかできない。目に映る何もかもが輝いていた。
「はしゃぎすぎだっつーの……」
「奈須さんも最初はこんな感じだったよ」
「う……うるせー!」
奈須は太陽を見て呆れた様子だったが、レイが彼女の痛いところを突いたらしく、奈須は顔を赤くした。
「よし……と。じゃあ、僕たちの案内はここまでだよ。あとは君だけの時間をゆっくりと楽しんでくれ。弁償する荷物は後で君宛に送るから、滞在する場所が決まったらここに連絡をしてね」
そう言ってレイは懐から名刺のようなものを取り出し、太陽に手渡した。レイの名前と、彼の診療所の名前が書いてある。やはり、彼は本当に医者のようだ。
それよりも、案内がここまでと言われても、ここからどこに行って何をすればよいのかさっぱりだ。
「ちょ。ちょっと待て、俺、まだ来たばっかりでどうすれば良いのか何も……」
「大きいモニターが二つ見えるだろう? 君は左側のモニターの下に行けば、誰かが案内してくれるはずさ。招待状を忘れずにね」
それじゃ、と言って、レイはさっそく背を向けて去ろうとする。奈須はレイに着いて行くものの、別れが名残惜しいように太陽の方をちらちらと振り返りながら、二人は右側のゲートの方へと向かって行った。
「………………………………」
一人、ポツンと残される太陽。
がやがやと騒がしいエントランスホールの真ん中で、状況が理解できないまま立ち尽くすのを誰も気には留めなかったが、我に返った瞬間に自分は今とてもみじめなのでは、と錯覚するほど寂しさが残った。
なぜって周りにはこれでもかと密着する男女、スーツをぴしりと着こなした上流階級の談話、手を繋ぎながら歩く親子の姿。無作為に選ばれた者しか立ち入れないこの『塔』で、どうやったらそこまでの人間関係を築くことができるのか。太陽は不思議でならなかった。
「ええと……とりあえずあのデカいモニターの下に行けばいいんだったな?」
ぶつぶつと呟きながら、ホールの中央に向かう。近づくにつれ、光沢を放つ壁面に施された繊細なアートがはっきりと見えてくる。今までの人生で見たこともない装飾だ。売ったら一体いくらになるんだ………………? と邪な考えを巡らせてから、ぶんぶんと首を横に振る。
「そこの少年!」
突然誰かの声が、太陽の背中にかかった。
初めは自分に向けられたものだと気付かなかった。しかしよく考えてみると、周りの人々とは違い、他人との交友関係がない太陽だけが名前で呼ばれることはないのだろうと分かった。
振り向くとそこには、黒ずくめの男がいた。
頭を布で覆っていて顔が見えないが、男だと分かった理由はその背格好と体格である。どう見ても女性よりは高い身長と広い肩幅。布の隙間から覗く瞳がこちらをぎらりと見つめている。
当然だが太陽に『塔』に関わりのある知り合いなどいない。そもそも施設から出てきたばかりの太陽に、知人などいるわけがないのだ。
「はあ……俺に何か? てか、あんた誰?」
男はさっと布を深く被った。
「私は旅の者だ。無遠慮なのは重々承知の上なのだが、私の頼みを聞いてはくれないか? なに、簡単なことなんだ」
「……………………いや、」
怪しい。
初対面の人間に、素顔も明かさずに頼み事をしてくるような男だ。そう簡単に返事をするわけにはいかない。
太陽が呆れているのを悟ったのか、男は何か強硬手段に出るのかと思いきや。
「頼むっ、他に頼れる人がいないのだ! あまり目立ちたくはないが仕方がない、この通りだ! この国ではこれが最大限の礼を示す行為だと聞いた!」
そう言って男は地べたにそのまま土下座をし始めた。周りの人々が、何か騒ぎが起きているのではないかとざわめき始める。
「うおっ、やめろ、やめてくれ! そこまでされるほどじゃない! 早く立て!」
目の前で、しかも自分に向けて土下座をされた経験などない太陽はどう対応したら良いかと慌てふためき、とりあえず周りからの視線をこれ以上集めないために男を立ち上がらせようとする。
「とりあえず、あっちで話を聞くから。目立ちたくないんならうるさくするなよ」
「おお、助かる……!」
太陽は男を連れて、エントランスの隅の方にある休憩スペースへと足を運んだ。
正直、あまり乗り気ではない。謎が多い『塔』に来たと思ったら、そこは未知でも神秘でもなかった。ならば何も気にすることはなく思うままに余生をここで過ごせば良い、と思い至ったのも束の間、妙な男に妙な話を持ち掛けられようとしている。一日の中で起こって良い量の出来事ではないと思う。
「ふう。感謝する、我が友よ」
「……俺、あんたの友じゃないけど」
「ふははは! こうして言葉を交わしただけで、私たちはもう友人と呼べる仲ではないか」
「意味が分からないから。あと、静かにしてくれ」
うるさくするなと言ったのに、座って少し口を開いただけでこのやかましさ。やはりこの男は只者ではない。
男は頭に被った布を取った。
絹のような銀色の髪、ダイヤモンドのような瞳、整った顔。今まで見たどんな人間よりも美しい、そんな男だった。思わず息をするのも忘れて、その美貌に見入ってしまう。
「おや、私に見惚れてしまったのかな?」
………………なんとも自意識過剰、自信過剰な男だが、つい見惚れてしまったのは事実……だと認めるしかない。
「……それで? 一応話は聞くけど」
これ程の容姿を持つ者ならば、人生で困るようなことなど少ないように思う(偏見)。善行を積まんとする太陽にとっては悪い話ではないが、彼の頼みというのがどんな内容なのかにもよるだろう。
「私はソロス。人探しの途中でな。この『塔』に探し人がいるかもしれない。ついては何とかここへ入る方法を模索していたのだが……どうしても、あのゲートが突破できないのだ」
ソロスと名乗った男は、エントランス中心の左右にある大きなモニターの下を指さした。左右に分かれて伸びている通路は、金属のゲートによってここと繋がれている。
しかし、ここは『塔』の中だ。レイも言っていたように、『塔』に入れるのは招待状をもらった人間だけ。あれが通れないということは、もしかすると…………
「あんた、招待状は持ってないのか?」
ソロスはきょとんと首を傾げた。
「持っていないが。そういえば門番にも聞かれたな」
さも当たり前かのように、招待状を持っていないと言う。
つまり、
「不法侵入だろそれ」
こういう場合、どうすれば良いんだ? 警察に突き出すか? いや、『塔』に警察がいるか分からないし、この謎の地で適用されるのは法律か、独自のルールなのかも分からない。
というか、この男は一体どうやって『塔』の内部に潜入したのか? 『塔』の外側は頑丈な壁で覆われており、入るには正面の門を通るしかない。そこでは招待状を持っていなければ門前払いされてしまう。
「……悪いけど、あんたに付き合うことはでき──────」
太陽の善行の条件として、「他人の悪事」には関わらないこと、がある。
ソロスがやろうとしている行為は、悪とは言えなくとも善とも言えない。太陽にできることは、誰かに知られることなくこのまま『塔』を去るよう言うことだ。もしかしたら、彼にも太陽のように招待状が届くこともあるかもしれない。
「頼む。私は必ず、旧友を見つけ出さねばならないのだ。勝手な願いだということは分かっているが、どうか……」
「そんな深々と頭を下げなくても良い……俺じゃなくて他の人に頼めばいいだろ。その辺の暇そう奴でも捕まえてさ」
「君が一番聞いてくれそうではないか。困っている人にはすぐに手を差し伸べたくなるクチだろう?」
単に自分のことしか考えていない善行ではあるが。
それと、もしかしてチョロいと思われてる? 不本意だ。
「報酬ははずむさ! 頼む、我が友よ!」
報酬、という言葉に、ぴくりと耳が反応する。
決して金銭目的で善行を積んでいるわけではないが。貰った報酬は施設に寄付している。それも含めて善行だ。
善行のため。
そう考えると、太陽の心の天秤は揺れ始める。目の前の男の必死の頼み込みも、手を差し伸べなくてはならない気がしてきた。
「……わかった。あんたがゲートを通るのを手伝うよ」
その言葉を待っていた! と言わんばかりの眼差しに、さてどうしよう、と思わずにはいられない太陽だった。