次に目覚めた時、太陽は見知らぬ部屋のベッドの上にいた。
真っ白いシーツに、真っ白い枕。そしてベッドは同じく真っ白なカーテンで囲まれており、外側の様子は窺えない。全体的に清潔感のある空間で、かすかに漂うアルコールの匂いが鼻をつく。
そこまでの状況を理解してから、太陽は自分がなぜ意識を失っていたのかを思い出して咄嗟に腹を触った。
見知らぬ女性に刺された脇腹。
そこには貫かれた傷があるはずだが、服の上から触ってみても、痛いの「い」の字も出てこない。服の裾をまくって見てみると、誰かが手当てをしてくれたのか包帯が巻いてあった。
しかしただの包帯が刺された傷を完璧に治せるはずはない。太陽は恐る恐る包帯をほどいた。
傷はなかった。
太陽は目を見開く。一体なぜ? 刺されたこと自体が夢だったのか、腹に開いた穴が塞がるくらいの長い間意識を失っていたのか。
頭の中で自問自答を繰り返すも、答えは出ない。
そういえばソロスはどこに行ったのだろう、とベッドの上から耳を澄ませると、カタカタカタとキーボードを叩くような音が聞こえた。誰かがいるのは確かだ。
「あのぉー、誰かいます?」
するとキーボードの音はぴたりと止んだ。誰かがこちらに近づいて来る。
太陽のベッドの真横に立ち、白いカーテンに手をかけてこちらを覗き込んできた。
「やあ、目が覚めて良かった」
その声も顔も覚えがあった。
少年のような身長に中性的な顔立ち。しかし落ち着いた声色で、白衣を羽織っている。子供にしては異質な出で立ちだ。それもそのはず、彼は子供ではなく、れっきとした医者である。
「レイ! あんたが助けてくれたのか? ソロスは……」
ここはレイの診療所か何かのようだ。彼とは『塔』の中で別れたばかりだったため、ここは『塔』内だと考えていいだろう。ということは、ソロスは結局ゲートを通れずにエントランスに取り残されたままなのだろうか。
「僕は君の身体を少し診させてもらっただけだよ。君のことは、騒ぎがあった時に周りにいた人達が運んできてくれたんだけど……ちょっと待って、今ソロスって言った?」
レイはその名前に対して驚きをあらわにした。
「知ってるのか?」
「一応、知り合いなんだけど……彼、来てたんだね。ここに顔を出してくれるといいんだけど」
その辺は個人的な問題なのだろう。太陽は深く追求せず、レイは少しの間考え込んだ。あんな変人と知り合いだなんてレイも大変だろう、くらいしか太陽は考えていない。
もしかするとレイがソロスの探し人なのかもしれないと考えたが、もしそうならレイがソロスを歓迎するような口ぶりをするはずがないので、恐らく違うだろう。
ソロスのことは一旦置いておくとして。レイは話題を変えた。
「それよりも太陽くん、君のことで凄いことが判明したんだよ」
レイは僅かに興奮している。というか、嬉しそうだ。
「……なに? 凄いことって」
一体何を言われるのか1ミリも想像もできず、太陽はやや身構える。レイは順序立てて説明を始めた。
「君は僕たちと別れたあと、何者かに後ろから刺された。そうだよね?」
太陽は頷く。やはりあれは夢ではない。
「運ばれて来たときの傷跡から、それは分かった。でも不可解だったのが、血は止まって傷が塞がり始めていたことなんだ」
「……ええ?」
そんな馬鹿な。
ここが『塔』の何階でどの部分に当たるのか分からないが、エントランスからどんなに時間をかけて運んだって深い刺し傷が塞がるはずはない。それどころか、正しい処置をしなければすぐに悪化るすだろうし、出血が収まることもないだろう。最悪死ぬ可能性だってある。
それが、レイの元へ運ばれた時には傷が塞がり始めていただって? 信じられない。
しかし太陽は今しがた包帯をほどいた腹部をじっと見つめる。額に冷たい汗が流れた。
「じゃ、じゃあこれは……」
わなわなと自分の腹部を指さし、レイの口からその回答を待った。
「うん。君のお腹の傷は3時間で見事に完治した」
「……う、嘘つけぇ!!」
あるはずの傷をごしごしと擦ってみたり、グーで殴ってみたりもした。普通に痛いだけ。
あの焼けるような痛みも、蛇口のごとく血を流していた傷跡も、どこにも存在しない。死すら有り得るほどの傷がたったの3時間ですっきり消えてしまうなんて有り得ない。
いや……逆に考えてみよう。それほどのことが起こったのなら、これは自分が日頃から善行を積んでいたおかげに他ならないんじゃないか。
あのラジオは『神は死んだ』と言っていたが、そんなことはないのだ。きっと神は太陽の善行を認めてくれたのだ。
しかし神の存在を認めるのは癪だった。
「君は何らかの特殊な体質なのかもれないね。若い子は知らないかもしれないけど、つい最近まで神秘っていうのは身近だったんだ」
「若い子はって、中学生みたいな見た目の奴に言われても」
というか、神秘ってなんだ? なんかの宗教の話か?
ここに来て新しいタイプの勧誘を受けることにろうとは。
「真面目に聞いてないでしょ。僕は医者だけど、研究は
レイが言うには、はるか昔にこの世界には神がいたらしい。地上にも、神秘の断片のようなものがたくさん落ちていたのだという。一体いつの話をしているんだ。
その神秘というのがよく分からないのだが、この辺の話を真面目に聞く気はあまりなかった。なぜなら太陽は神というものを信じていないから。
「ともかく、君には驚異的な回復能力がある可能性がある。同じような経験をしたことは?」
太陽は首を横に振る。
刺されたことは流石に無いが、切り傷などの怪我程度なら何度かあったような気もする。だかその度に傷がどのくらいで治っているかなんて意識していない。
どんな災害に巻き込まれたとしても、それ以上の傷を負ったこともないのだ。
そんなことよりも、太陽には聞きたいこと、気になることがある。
「なあ、俺を刺した奴はどうなったんだ?」
「ああ、それは……まだ捕まっていないみたいだね。どこの誰かも分かっていない。『塔』の住人なのは確かだけど……招待状もなしに入ってこれる人は恐らくいないし」
それがいるんだよなあ。
太陽は不法侵入者の顔を思い浮かべた。腹が立つくらい美しい容姿を持った青年ソロス。『塔』へは人探しのためにやってきたと言うが、果たして彼の目的は叶うのだろうか。
「刺されたのは太陽くんだけど、犯人は君を狙ったわけじゃない。通り魔ってやつだろうね」
レイはそう言うが、太陽は引っかかっていた。
あの場には、背後から刺してきた人間ともう一つ、同じような危険な視線を太陽は感じていたのだ。人混みの中から真っ直ぐこちらを見つめる、嫌な視線。それに気を取られていたせいで、背後の気配に気が付かなかったのだ。
果たしてこの件を、ただの通り魔と片付けて良いものだろうか。とはいえ、あの犯人が誰かを狙っていたのだとしても、それは太陽が庇えるほど近くにいた人物ということになる。なぜなら自分は誰かの恨みを買うような人間ではないからだ、胸を張って言える。
もしかしてソロスか? 彼はそもそも不法侵入で『塔』にやって来たのだ。人探しをしていると言っていたが、もしかすると指名手配犯か何かなのかもしれない。この世界にまともな警察なんてものはいないが。
しかし彼はここへ来ている様子もない。少しは心配してくれよと思ったが、もし本当に指名手配犯ならば同じ場所に留まるようなことはしないだろう。
「はあ。まあいいや」
太陽はあまり人との縁を大事にしない人間だった。怪しい男が今どこで何をしているのかなど、考えるだけ無駄だ。
なぜか傷も治ったし。
この一連の出来事は夢でも見ていたということにして、早く念願の『塔』を味わってみたい、という気持ちに駆られていた。
これまで……孤児院にいた頃、追い出されて慈善活動に勤しんでいた頃。噂にしか聞かなかった『塔』は、誰もが受け入れられるというわけではない、聖域のような場所だった。
地面が瓦礫で埋まる前の地図を手がかりに歩き続けて、地平線からやっと頭を覗かせたのを見た瞬間は、鮮明に記憶に残っている。
しかし今、自分はその中にいるのだということはいまいち現実味がないというか、想像していたものとは違って聖域などという言葉で表すものではないことはハッキリしている。なぜならここにいる人たちは至って普通の人間だからだ。聖域だ楽園だなどと言うから、もっと清純で厳かで、規律の敷かれた世界なのだと思っていた。
友人がいて、欲を持っていて、生活を楽しんでいる。そういう点では、『塔』はこの終末では楽園のような場所だろう。いつどこで起こるか分からない災害に怯えることもなく、何かを失うこともない。それが17年前には当たり前のことだったというのは、少し皮肉な話だ。
特殊体質についてはまた今度考えよう。太陽は自分をそう納得させることにした。