五感組逆行譚〜我ら人生4周目、ワカメブッコロがし隊〜   作:幸翔雪

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嘴平伊之助、脱出飛降編

 

「かあちゃん、かあちゃん、にげるぞっ」

 

「伊之助……?」

 

 

 現在時刻早朝五時。殺気の大セール(但し対象者は童磨に限る)から一年と少し。琴葉の思う通り天才児らしく、そして転生者らしく、普通の赤子と比べちゃ失礼なほどメキメキと成長を遂げた伊之助、齢二歳。二歳ですと言っても、冗談でしょう奥さん、五歳くらいに見えるわ、と返されるのが通例なほど心身ともに早熟な伊之助は、隣ですやすやすやすや眠っている母親を揺さぶり起こした。

 

 

「かあちゃん、しんじられねぇかもだけどおれをしんじてくれ」

 

「んん? どうしたの?」

 

「まずにげるぞっ、にげながらせつめいする!」

 

「逃げるって誰から……」

 

「アイツからだよ、きょーそサマから」

 

 

 そうして伊之助は走り出した。最低限の金品を詰めた風呂敷片手に、片方は琴葉の手を引いて。

 琴葉は伊之助を信頼している。教祖様には助けていただいた恩があるが、その恩を超越する程に、伊之助を全面的に信じていた。

 

 伊之助はやはり天才児のようで、何をするにもしっかり考えてるように見えた。偶にとても二歳とは思えない、自分より年上ではないかと錯覚する程の風格を纏う瞬間も多々あり、伊之助の言うことに従ってみると大体のことが上手くいった。

 

 だから琴葉は困惑しながらも伊之助に従うことにした。恩人に対して何たる物言いだと怒られるかもしれないが、毎夜毎夜出かけては血生臭い匂いを纏っている気がしなくもない教祖様のことを、一緒に食卓を囲った“家族”が、ある日唐突に消えたそのことを尋ねれば“救ってあげたんだよ”と満足そうに笑って答える教祖様のことを、そろそろちょうど、琴葉も怪しげに思っていたところであった。

 

 

「伊之助、もう随分離れたよ。説明してくれない?」

 

「……アイツは、おにだ。ひとくいおに(・・・・・・)なんだ」

 

「……そっか」

 

 

 三十分程無言で山を進み続けて、やっとひと休憩。伊之助の言葉は、琴葉の胸にストンと落ちた。それと同時に、やはり伊之助は天才児らしいことを再確認した。伊之助は野生の勘が強いが、その母である琴葉もまた、野生の勘が強かった。それの影響か、女子(おなご)が教祖様の部屋に入っていった時など、度々ただならぬ予感がしてそちらへ歩みを進めることがあった。

 そんな時に限って、伊之助はらしくもなく“夜泣き”したり、我儘を言って琴葉の気を引いたりをしてきたのだ。きっと解っていての行動だったんだろう。

 

 もし琴葉がうかうかとその部屋を……“捕食現場”を覗いていたとしたら、学のない頭でも解る。教祖様がどんな対応をすれど、教会は間違いなく追われた、もしくは自ら去ることになっていただろう。そして最悪の場合、口止めに親子諸共殺されて喰われていたかもしれない。なんならこちらの方が可能性が高い。あの教祖様は情があるように見えてとても無慈悲な方だ。

 

 

「伊之助は、私を助けてくれてたんだねぇ。ありがとうね」

 

「ま、まあな……こんや、きょーそサマはかえってこねぇらしい。さとまでにげるぞ、かあちゃん」

 

「そうだね、そうしよう」

 

 

 安全第一に、里まで行くのに怪我をしたら元も子もない。出せるスピードの最大速度で、夜明けが近いとはいえまだまだ暗い山を降りていく。あともう十五分もすれば夜明け、里までまもなくという時、目の前に現れたのはもはや隠す気もないくらい血を纏った人喰い鬼(バケモノ)教祖様(童磨)だった。

 

 

「……一体ここでなにをしているんだい?」

 

「っ、教祖様……どうしてここに」

 

「おまえこそなんで、()をあびてんだよっ!」

 

「それは簡単さ。少し遠出して可哀想な女の子を俺直々に救って(・・・)あげてきたからだよ。予定より早く済んだから夜のうちに帰ってきてみれば、まさか二人と遭遇するなんてねぇ」

 

 

 伊之助から話を聞いたあとだ。それはつまり“人”を喰ったということを琴葉はすぐに理解した。

 ひらひらと扇を振るっているコイツからは、やはり血生臭い匂いがする。正直言って吐きそうだ。つんとした酸っぱい何かが喉元まで迫っていた。それでも耐えてるのは大事な大事な息子が、自分を本当に“救おう”とここまで連れてきてくれたからである。どれだけ気分が悪くとも、息子のその意気に応えたいと思った。

 

 

「すくうって、なんだよっ!」

 

「俺と名実共にひとつになることだよ。これ以上苦しむこともなく、俺の中で安らかに眠れる。ね、立派に救えるだろう?」

 

「それはつまり、人を喰ったのですか」

 

「そんな言い方しないでくれよ。人聞きが悪いじゃないか」

 

 

 へらへらと笑う教祖様(この鬼)は隙だらけのように見えて、どこにも隙がない。勘がちょびっとばかり強いだけどただの凡人、それも女である琴葉には教祖様(この鬼)を振り解けそうになかった。

 

 嗚呼、折角伊之助がここまで連れてきてくれたというのに、このまま殺されてしまうのだろうか。散々な人生だった。勘はあっても運がない。唯一運があったことといえば、この最愛の息子、伊之助を産むことができたことだけ。あの男には、伊之助に半分遺伝子を渡してくれたことは感謝してやろう。

 

 

「俺は琴葉がお気に入りだからさ、このまま大人しく戻ってくれるなら生かしておいてあげるよ。もちろん伊之助も。だからほら、ね。さあ、帰ろう……」

 

「かあちゃんっ!!」

 

「伊之助!?」

 

 

 琴葉には一瞬、何が起こったか理解できなかった。伊之助は風呂敷に紛れ込ませていたらしい包丁を教祖様(この鬼)にぶっ刺し、素早く引き抜くと大きく勢いをつけて、目に追うのがやっとの速さで教祖様(その鬼)を穴だらけにした。

 伊之助が何を言いたいかは分かった。この隙に逃げよう、そういうことだろう。伊之助の手を取ろうとしたらブンっ、と弾かれた。とても力が強く、琴葉は色んな意味で目を見開いた。

 

 

「かあちゃん! おれはちびだからはしるのがおそい、そのまままっすぐ、まっすぐだ! いけ! はやく!」

 

「でも、伊之助はっ!」

 

「かあちゃん! おれはだいじょうぶだから! にげてくれ!」

 

「伊之助……今何をしたんだい? 俺を刺した? この俺を、赤ん坊の君が?」

 

「ああ、そうだよ、もんくあっか!?」

 

 

 そして伊之助はあの日ぶりの殺気の大セールを開催した。琴葉を逃がすため、あの時の数割増、現在貯めてる殺気の最大出力。

 教祖様(その鬼)、童磨は身震いした。この小さな赤子に遅れを取り、その赤子の殺気で自分が屈しそうになっているなど、こんなのはじめてだ。理解できない事態だ。

 

 

「伊之助っ、ごめんねっ、生きておくれ!」

 

「おう! はやくいけ、かあちゃん! またな!」

 

 

 しばらくの葛藤の末、琴葉は走り出した。いくら信じているとはいえまだ二歳の息子を置いて逃げるというのは罪悪感と不安、心配でそれこそ死んでしまいそうだったが、本人が自信満々にそう言う以上、こうするしか選択肢がなかった。

 現実問題、かなり大きくなった息子を抱えて教祖様(バケモノ)から逃げるには、さすがに無理があった。分からないが、伊之助は自分よりも鬼を理解しているようだから。それに、自分の中でいつかまた会える予感がなぜかしていた。琴葉は、自分の勘も、信じていた。だから、走り出した。

 伊之助と距離が空くだけ押し寄せてくる罪悪感を、最後に聞いた伊之助の自信満々な、伊之助もまた、再び会えると確信しているらしいその声だけが慰めてくれた。喝を入れてくれた。東の方が、少し白ばみ、明るくなってきた。きっとこの先忘れることのない、希望と絶望の光だった。

 

 

 一方童磨は、目の前で起きている非現実的な現実に理解が及ばず、その優秀な脳味噌(笑)を処理落ちさせている。全ては伊之助の突拍子のない行動が原因だ。

 

 琴葉と伊之助が二手に分かれて逃げ出したのを見て、童磨は、伊之助を理解することを諦めた。理解しようとするだけ無駄だと考えた。所詮赤子。刺されようが日輪刀でもないから問題ない。

 そして選んだのは琴葉を追うことだった。童磨にとって琴葉はお気に入りだ。今はこの糞餓鬼に触発されて逃げようとしているが、この鬼としての人間離れした回復を見せつけたあと、少し時間が経てば冷静になって戻ってきてくれるだろうと思っていた。俺は優しいからね、君の息子にこんなに滅多刺しに刺されても許してあげるよ。

 逆に、童磨は伊之助ともう二度と関わりたくなかった。だって、コイツはとてもじゃないが理解できない存在だ。叶うことなら無惨様にお願いして血を流し込み、内側から完全破壊したい程に気色が悪い。琴葉を追う前に一撃放ってきたが、明らかに二歳で辿り着けるはずのない身体能力で綺麗に避けられた。あんなの鬼の自分よりよっぽどバケモノだ。

 

 幸いなことに伊之助は里の方ではなく山中に逃げ込んで行ったから、放っておけばそのうち死ぬだろう。確かに伊之助は賢かった、バケモノじみた能力だった。だとしても、いくら能力が高かったとしても。山の中で生き延びるなんて、ありえないはずだから。というかありえないでくれ。

 

 

 まぁ、一連の童磨の推測は全部外れる羽目になるのだが。

 

 

 まず、琴葉が逃げた先の里では偶然、鬼殺隊の隊士、それも次期柱候補とまで言われている甲の隊士と鉢合わせた。この時点で夜明けまで十分を切っている。琴葉はすぐに鬼殺隊隊士の側に付いたから、琴葉を怪我させないように、氷を吸わせないように柱に近しい能力を誇る隊士をさっさと殺して山まで琴葉を連れ帰る、というのは至難の業だった。

 

 泣く泣く琴葉を諦めた。夜明けまであと少し、はっきりと陽光が差し込んできたくらいで童磨は逃げ出した。戦略的撤退だ。

 夜になったら直ぐに拠点を移そう。お気に入りだった温情で琴葉の深追いはやめることにした。あのバケモノ(伊之助)に出会う確率が上がるくらいなら、多少の虚しさはあれど諦めよう。それに、このまま鬼狩りに襲ってこられても困る。返り討ちにするのは簡単でも、そうすれば教祖としての地位を捨てる羽目になってしまう。それはこの先世を忍ぶのに、悪手としか言いようがない。幸い鬼の生は無限に近い。そのうちまた琴葉以上の“お気に入り”は手に入るだろうから。

 

 そしてそんな童磨が逃げ帰った後、琴葉は鬼殺隊隊士に事情を赤裸々に全て話した。その日伊之助を捜索してもらったが、とうとう伊之助は見つかることがなかった。

 そして隊士の紹介で、“藤の家紋の家”とやらを経営することにした。伊之助はどこから知ったか鬼に詳しいようだから、鬼に関連する職をしていれば再会できるかもしれない。そんな算段、あとは勘だ。なんとなく、こうしておけば伊之助とまた会える気がしていたから、だからそうした。

 

 

 そして一方、伊之助はというと。

 

 

「っ……いくしかねぇな……」

 

 

 琴葉が走り出してすぐ、その反対方向にあった崖から伊之助は飛び降りた。水泳選手もビックリの美しいフォームで川に飛び込んだ。

 伊之助には知識がある。これでも令和の生は勉強に熱心に励み、研究者にまでなったことがある。随分周りからは驚かれたが、気になったらとことん突き詰めるその性はどうやら研究者と上手く噛み合ったらしい。

 

 それでも、だとしても。こればかりは童磨の予想通り、とてもじゃないがこの二歳の体で自然をひとりで生き抜いていくのはまだ無理があった。大正の生、戦国の生のようにイノシシに育ててもらうしかない。令和の生でも少しイノシシに世話になったし、どうやら俺というのはイノシシと縁があるらしいから。

 

 童磨の推測が外れることになったのは、伊之助が天性の野生児、イノシシに縁とゆかりしかない生命体だというのを知らなかったことにある。まあこればかりは仕方がない。同じく転生者でもない限り掴めるわけのない情報、勝率皆無の情報戦に当たり前に負けただけにすぎない。

 

 そもそも伊之助は転生者じゃなかった大正の生ですら、今よりも小さな頃にイノシシに拾われ、そして巡り巡って八十を越える大往生をしたのだ。自然適正レベルMAX、生まれながらにしての野生児、野生児になるために生を受ける男。そんな伊之助はやはりイノシシに見つかり、しばらくの間イノシシに世話になることになったのだった。

 

 

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