ガチャ狂い徳川家康   作:星野林(旧ゆっくり霊沙)

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大規模土木工事

「松平は卑しいな」

 

「商人になった方が良いのではないか?」

 

 蕎麦屋を経営するようになって、利益が出始めるとや案の定というか嫌味を言う人が出てきた。

 

 まぁ屋敷に畑を作るような人物である俺は田舎侍と馬鹿にされていたが……。

 

「竹千代様、三河武士の恐ろしさを奴らに知らしめてきます!」

 

「落ち着け(平岩)親吉。何でも武力で解決するのはいかん」

 

「し、しかし……」

 

「別に言いたい奴には言わせておけば良い。それだけ俺達に嫉妬しているってことだ」

 

「……出過ぎた真似を致しました」

 

「うむ」

 

 親吉も納得してくれた。

 

 まぁ将来経済の事を分からなくて苦労するのは彼らだ。

 

 プライドだけで飯は食えんよ。

 

「しかし、これだけでは銭侍であるのも事実か……義元様に言って役立つ事を証明しなければな」

 

 そこで俺は駿府近くを流れる安倍川に洪水対策の為の堤防建設を進言した。

 

 俺の灌漑整備の特性でどうすれば川が氾濫しないかは頭の中で理解できていたので、鷹狩りと称して安倍川の確認を行い、絵図を描いて義元様に提出したのである。

 

 義元様も俺の絵図を見て有用性を理解し、雪斎と相談した上で、提案者の俺の技量を測るのも兼ねて、川の工事の現場を任された。

 

 まずは資金調達。

 

 蕎麦の販路で築いた商人のネットワークを利用し、自分達の店を洪水から守る為と説得して商人達から工事資金を寄付してもらった。

 

 まぁそれだけでは足りないので義元様にこれこれ、こういう理由でこれだけ予算が足りないので融資してくれませんかと懇願書を提出し、受理された後に、流民を雇って工事に着手した。

 

 こういう工事は税の一種と見なされて、賃金は発生しないのが普通な時代なのであるが、俺は慣習を打ち破って、少額ながら賃金を出すこと、朝と夕方に食事を用意することを約束すると現場の士気は多いに上がる。

 

 やることは川横を掘って川幅を広げ、山から土や岩を削って、土手を作っていく作業をしていく。

 

 俺は現場で鼓舞をしながら時に同じ様に泥まみれになりながら作業をし、土木工事の効率を上げるために色々な道具も並行して開発していく。

 

 まず作ったのがスコップであり、柄の部分は木製、先端部分は金属製となるべく鉄の使用量を抑えた作りになっていたが、作業効率は大きく上がった。

 

 あとは土の運搬を楽にするために、木製の猫車を作ってみたが、桶に土を入れて肩に担いで運ぶより効率が良いと好評だった。

 

 そして作業内容を簡略化するために各班を編成し、それぞれ単一工程をやらせることで作業効率を高めた。

 

 山から土や石を掘る班、それを現地まで運搬する班、その土を盛る班みたいに分けた。

 

 やることを明確にしたことで作業は比較的スムーズに進んでいった。

 

 2500人以上が工事に従事し、1年で基礎工事が完了。

 

 更に土手をしっかり踏み固める為に桜を植えていった。

 

 江戸時代、川沿いに桜の木を植えるように指示され、現代でも土手に桜並木が立ち並んでいるが、それは桜見に多くの人を訪れさせて踏み固めてもらおうと言う政策であり、俺はそれをあやかった。

 

 正直コンクリート等が有ればそれを補強材として周囲に設置して固めるのであるが、コンクリートの材料となる石灰石が駿河ではあまり採れないのである。

 

 俺の記憶が確かなら三河の海沿いに石灰石を採掘できる場所があった筈だが、距離があるのと、今川の統治がまだ不安定なので量を採掘できないと思い断念。

 

 まぁ土手の工事期間に商人経由で材料を集め、少量のコンクリート製造実験には成功していたし、駿河には富士山があるので掘れば火山灰の地層が出てくる為、石灰石さえ手に入ればコンクリートを量産することができる。

 

 三河を俺が統治するようになったらコンクリートで道を舗装したり、建材として利用し、城の防備を強化したり色々使えるだろう。

 

 工事に1年かかったのですっかり天文20年……1551年となっていた。

 

 大きな動きとして尾張と三河の国境に領地を持ち、俺の母親の実家である水野家が今まで織田側に従属していたが、今川に攻められ降伏。

 

 そして織田家の当主だった織田信秀が病気を患ったらしく、求心力が著しく低下、国境付近を任されていた山口親子が今川に離反を許したりと織田家中でゴタゴタが始まっていた。

 

 義元様は今攻め込めば、織田家が一致団結する可能性もあるので静観を選択。

 

 で、土手の工事直後に大きな台風が到来し、東海全域で大きな被害が発生したのだが、俺が作った土手がちゃんと機能し、駿府付近では洪水になることなくしっかり耐えきった。

 

 その為、現場指揮した俺の名声と今川の命令で行っていたという体裁だったので、今川家の民の人気が上がっていった。

 

 で、大規模工事に成功し、台風被害を抑えた俺を元服していない状態にしておくのはまずいという判断になり、急遽俺は元服することに……。

 

「これより松平竹千代改め、松平元信と名乗るように」

 

「ははぁ……」

 

 烏帽子親は義元様がやってくれて、義元様の元の字を頂いて元信と名乗ることに……。

 

 まぁそのうち理由をつけて家康に近い元康に名前を改名しようと思うが……。

 

 史実の徳川家康の元服が確か1555年、数え年で14歳の時だったから、4年前倒ししたことになるか……。

 

「同時に我が娘を妻にすることを認める」

 

「は、ははぁ……」

 

 義元様から、実の娘をお前の妻にやると言われていた。

 

 あれ? 家康の奥さんって義元様の姪だった筈だが……歴史が動いたか? 

 

 で、俺の妻となった娘は数え年でまだ6歳。

 

 実年齢5歳で、とてもでは無いが妻としての役目を全うできるとは思えないが……。

 

 あ、婚姻ではなく婚約ね。

 

 焦った……この年で婚姻させられるのかと思ったわ……。

 

 ただ龍王丸様は俺の事を弟って呼ぶようになったが……。

 

 そんで、三河では俺が元服したことで岡崎城代を俺にしてくれという運動が巻き起こり、岡崎城代をしている者も三河武士の不満が激しく、爆発すれば大規模な一揆が発生する可能性が高いと言われ、義元様は三河の安定化の為に俺を投入することを決定した。

 

 勿論目付役として今川重臣の朝比奈泰朝を付けさせた。

 

 まぁ、城代とは名目上でまだ駿府に滞在することになるが……。

 

 でも岡崎城代として動けるので三河との連絡は格段に取りやすくなった。

 

 直ぐに鞍馬に命令して多月に来年から米や各種作物の農法及び種、苗、種芋を岡崎城代の管轄の領地に広める様に命令し、民が俺を支持する土壌を作り上げるのだった。

 

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