ガチャ狂い徳川家康   作:星野林(旧ゆっくり霊沙)

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永代たたらと養蚕の進め、カツ丼を添えて

 玉川村で稼働したたたら製鉄であるが、イッポンダタラが江戸時代後期の知識も保有していたため、明治直前までの技術を反映させていた。

 

 まずこの時代のたたら製鉄は非常に効率が悪く、それでいて大量の燃料(木炭)を消費するので、移動しながらが前提とされていた。

 

 なので移動しやすいように製鉄設備も小さく、屋根が無いので雨天時は作業を停止するなど欠点が多かった。

 

 これをレンガで造った屋根で覆い、なるべく風が抜けるように工夫された壁、天秤鞴と呼ばれる巨大な足踏み式のふいごを活用した送風機を設置し、粘土で作った炉の中で約4日かけて鉄鉱石を溶かしていく。

 

 砂鉄の方が質の高い鉄ができるが、今はとにかく量が欲しいと俺からオーダーが入っていたので、それに従って鉄を作っていく。

 

 こうした施設を永代たたらと呼ばれる。

 

 生産量だが、戦国時代のたたら製鉄が日産0.1トンに対して、永代たたらは1カ所につき日産1トン強となっている。

 

 今回のプロジェクトの代表のイッポンダタラは永代たたらを3カ所近くに作り、弟子を育成しながら製鉄をする構えである。

 

 既存の鍛冶師達も招集し、一大プロジェクトとして製鉄事業が幕を開けた。

 

 鉄鉱石から鉄を作っているためか、鍛冶師達は鉄の品質が悪いと愚痴を言う事もあったが、たたら製鉄の最終形態とも言える永代たたらの施設や作業方法を見て、大いに刺激を受け、後々独立して自分達も永代たたら製鉄の工房を作っていくのであった。

 

 勿論今川領内でであるが……。

 

 ちなみにこの時代の鉄生産量は400トン。

 

 戦国時代で鉄の生産地と木炭の供給地が切り離されたり、人の行き来が全然できないので、技術が普及しなかったり、乱世で鍛冶師が殺されたりして室町時代に入ってから生産量はどんどん減っている。

 

 というか一番生産量があった時代が平安時代中期というのだから恐ろしい。

 

 あと、この時代のヨーロッパは既に木炭高炉の開発に成功していて、永代たたらと同等量の鉄の生産が出来ていた。

 

 まぁでも、イッポンダタラが頑張ってくれたお陰でこの年から鉄の生産量は跳ね上がり、今まで今川領内で40トンの鉄を生産していたが、鉄鉱山の発見と技術革新で一気に年産800トンまで増やすことに成功する。

 

 まぁそれでも領内の需要が満たせているかといえばそうではないが……。

 

 質の悪い鉄でも農具だったり鉄砲にするには問題ない品質は担保してあるので安心して欲しい。

 

 刀や槍は砂鉄から作る方式の方が望ましいって感じだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウカノミタマこと玉に頼んでいた養蚕が少しずつ広まりを見せていた。

 

 ガチャ産の蚕は中華やヨーロッパに居る蚕と品質で負けない糸を生み出し、繭になった時の取れる糸の量も多い。

 

 そして病気に強い為、どんどん数を増やしていたのである。

 

「勿論私の成果もお忘れなく!」

 

「偉い偉い!」

 

「えへへ」

 

 玉の頑張りもあり、三河から遠江にかけて桑農園作りと養蚕が始まっていて、それに伴い、養蚕に必要な道具を玉が目をかけている職人達に作ってもらい、それを商人達に村々に売り込みをさせることで、更にペースを加速させていた。

 

 で、出来上がった蚕の繭を商人達が買い取って、三河港予定地の近くに生糸工場を玉の人徳と稼いだお金で作り、そこで生糸を作っているとのこと。

 

 この時代、生糸は明からの輸入品だったので、自国で生産できるとなれば高値で買う必要が無くなるので、国産のに飛びつく。

 

 しかもその生糸の品質が明に劣らない物だったので、生糸を使った織物職人達は次々に三河産の生糸に飛びついた。

 

「まだ生糸の生産量も多いとは言えませんけど、三河の工場では流民の方々や未亡人でお金が家族のために必要な方々などが集まって生糸を生産しているんですよ!」

 

「生糸は将来国の主要貿易品になり得る存在だからな。ガンガン生産して、質を高めていってくれ」

 

「はい!」

 

 駿府でも三河産の生糸の話題が職人達の間で話されるようになり、元々山口に居たが、戦乱でここまで逃げてきた織物職人が中心になって今川織という織物を完成させるに至っていた。

 

 勿論、生糸を使う絹織物だけでなく、三河を中心に広まりを見せている綿製品も生産量が拡大傾向にあり、交易が活性化した尾張に流れてそれが各地に輸出されていた。

 

 需要が尽きないので作れば作るだけ売れる状態であり、農民達も金になるからと木綿栽培の面積を増やしたり色々工夫が行われて行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ある日俺は三河に行く用事があり、岡崎城に来ていた。

 

 まぁ用事と言っても三河武士達がちゃんと仕事をしているかの確認であり、書類仕事も1日で終わって、数日暇な時間ができた。

 

「せっかくだから狩りにでも行くか」

 

 俺は鳥居元忠と平岩親吉の2人と付添人を5名ほどつけて狩りをすることにしたのである。

 

 その日の狩りでは俺が放った矢が猪に当たり、なかなか大きな猪を確保。

 

 狩りをしていた近くが多月の村だったので、多月の村に立ち寄った。

 

「あらまぁ、立派な猪やね。食材はこちらで出しますねぇ」

 

「悪いな多月、いきなり押しかけてしまって」

 

「いやいや、元康はんも政務の偶にの息抜きくらいは自由にしたいでしょう。で、何を作りはるん?」

 

「うーん……そうだな。卵はあるか?」

 

「ええ、ありんすよ。養鶏も私の村で少しずつ広めているんですが、なかなか広まらんのよね」

 

「俺も卵毎日食べたいんだがな……」

 

 今回作る料理の材料は猪肉、小麦粉、油、卵、玉ねぎ、醤油、みりん、清酒である。

 

 猪肉以外はどの食材や調味料も多月の村で作られていた。

 

 まず猪肉のブロックを厚めにスライスして溶き卵に付ける。

 

 続いて小麦粉に付けて油で揚げていく。

 

 今川に元々いた付き人達は俺が料理することに戸惑っていたが、長い付き合いになる鳥居元忠と平岩親吉の2人は慣れたもので、邪魔しないようにと付き人達に忠告していた。

 

 油で揚げたカツにスライスして炒めた玉ねぎ、それに溶き卵を鉄鍋に入れて火を通す。

 

 この時に調味料も入れて味付けして、ご飯を入れた器に盛り付ければ……カツ丼の完成である。

 

「おお……」

 

「見栄え美しい料理ですな……」

 

 付き人達も料理の出来栄えに驚いている。

 

「しかし鶏の卵を使っているように思えますが」

 

「神聖な鳥を使うのはいかがかと」

 

 勿論こういう意見も出てくるが、俺は

 

「そもそも食べてはいけない肉はその肉が美味いから寺や貴族が流通量を調整する意味で禁止にしただけだぞ。中華や天竺では鶏は普通に肉として食べられる食材だ。卵を使ってはならないなんて仏教の教えにはないのだ」

 

 俺はいただきますと言うとそのまま箸で食べ始めた。

 

 鳥居元忠と平岩親吉の2人も普通に食べ始め、多月などの村の者も食べ始める。

 

 付き人達も意を決して食べると

 

「な、なんだこれは!」

 

「う、美味い! こんな美味いものがあったとは!」

 

 驚愕といった感じで箸を持って固まってしまった。

 

「肉を食べることは体の血肉を作るのに重要な役割を果たすのだ。特に卵は身体に必要な要素を多く含んでいる。火を通せば当たる事も無く、そして美味い。これを食べて卵を食べるべきではないとは言えないだろ」

 

「た、確かにこれは……」

 

「なるほど、寺の坊主達が食べるのを禁じる気持ちがわかります」

 

「浜松に居城を移したら、近くに新鮮な鶏と卵が食べられるように養鶏場を作ろうと思う。勿論お前達も賛成してくれるよな?」

 

「「「御意」」」

 

 俺は久しぶりにカツ丼が食べられて満足するのだった。

 

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