現在浜松城を作っているが、戦国時代の城造りの流れをここで少し解説していこうと思う。
まず土地を決める地選と呼ばれる作業から始まる。
築城の最初の段階で、何処に築くかと用途の確認を行う。
今回作っている浜松城は政治的な意味合いもあるが、三河と駿河の連絡路を守る街道沿いの城である。
近くに山は無い為平城とする。
次に地取……地選によって決めた土地にどの範囲にどの程度の規模の城を築くか具体的に決める。
今回の浜松城は設計図は俺も手心を加えたが、参考にした城は肥前名護屋城。
この城は史実豊臣秀吉が朝鮮出兵の為に建造した城で8ヶ月の短期間で築城が完了するという戦国時代の築城技術がフル動員された防御も政務も両方が高水準に整った城であった。
せっかく建てるなら、防御力の高い城を建てるべきである。
まぁこれは後ほど詳しく紹介しよう。
次に縄張。
曲輪や堀を何処に配置するか決める工程で、実際に小型の模型を作って設計したりもする。
今回の浜松城築城で模型を参考に、それを絵図にして設計していた。
縄張が決まれば次は普請。
実際に人夫が集められて作業をする工程で、今回の浜松城築城では早く築城をするために、普請の代金を少し割高に設定しており、各地で人夫を募集したため、2万人ほど人夫が集まった。
それを最初は朝比奈が担当していたが、朝廷や幕府との外交交渉が本格化したため、岡部正綱が引き継いで作業に当たっていた。
今回参考にしたのは肥前名護屋城と言ったが、堀や曲輪に関しては更に先の時代の江戸時代前期に作られた城を参考にしていた。
まず城全体に水堀を堀り、水は近くの馬込川から引いてくる。
鉄砲が届かないのと簡単に城壁に敵兵が取りつかれることのないように水堀の幅は40メートルほど間隔を取り、大きめの虎口を設置。
城の出入り口となる虎口は近世城郭ではお馴染みの枡形を採用。
枡形にすることにより虎口に侵入した敵兵に対し、四方から攻撃が出来る利点があり、更に虎口に侵入するためには細い道を通らなければならず、そこに水堀に突出している形の櫓を設置すれば、虎口に入ろうとする敵兵を側面から攻撃することができるのである。
更に水堀と曲輪の形を四角形にすることにより、角を意図的に作り、鉄砲による射線を増やす効果を狙っての築城も行った。
あと東西に巨大な馬出しを設置し、大きさ的に出郭と呼ばれる物で、かの有名な大坂城の真田丸も馬出しを巨大化させ出郭と呼ばれていた。
周囲を本堀より幅の狭い水堀で囲い、上から見るとコの字に城壁を建てている事が特徴で、城の中でも一番防御力が薄くなる場所であり、反撃の起点となる場所でもある。
馬出しが小さいと敵の突撃の勢いを多少削ぐくらいしか効果は無いが、大型化すると一種の要塞となり馬出し単独でも高い防御力を発揮するのである。
山城だとこの馬出しを大型化することができない為、平城の防御力を上げるなら大型の馬出しと虎口の形を工夫することで大幅に防御力を上げることができる。
そして堀を掘る前にやる作業として城壁作りが行われた。
城壁は曲輪ごとに作られ、防御力を上げるために石垣が組まれる事がある。
近世城郭の殆ど……というより平城の場合防御力を上げなければならないので石垣が多用されるようになるが、その分予算もかかる。
その予算を下げつつ早期に石垣を組むために使ったのが……コンクリートブロックというわけだ。
三河から原材料となる石灰石、山から砂利を運んできて、築城現場でコンクリートにし、それをブロックに加工していく。
出来上がったコンクリートブロックを表面に、砂利、土壁で挟み込む様にし、土壁にもコンクリートを塗れば戦国時代版要塞の壁の出来上がり。
今川義元時代に作ったコンクリート城壁の発展版で、コンクリートの壁だけでなく、砂利や土壁を間に置くことで大砲でも崩すことのできない戦国時代では破壊不可な壁が出来上がる。
しかも水堀が張ってあるので木槌で叩いて壊すこともできない。
これを城壁として各曲輪に作っていく。
そして馬出しと虎口を突破してようやく入れるのが三の丸……もしくは北の丸、西丸である。
城の外周部に位置する曲輪で、ここで敵兵を食い止める曲輪となる。
曲輪には鉄砲櫓等の外からの攻撃を守る櫓が設置され、ここのスペースは基本建物をおかないスペースになっている。
まぁ俺はそのスペースが勿体ないから畑にして持久戦に備えて芋やカボチャを作る気満々であるが……。
あとは武器庫や年貢の倉なんかの一部も外周部の曲輪に置かれる。
ちなみに櫓は最新式の二層櫓。
文字通り2階建ての櫓でここから鉄砲や弓を馬出しから虎口に侵入しようとすると敵兵に攻撃を加えることができる。
本当は3階建て以上の大きい櫓を作りたかったが、技術不足で断念。
続いて城の実質上の最終防衛ラインの二の丸。
ここには政務処や城勤めの人達が寝るための寝室、兵舎なんかもここにある。
ここになってくると城の内側なので本丸へと繋がる場所には水堀も無く、ここで敵兵を食い止められなかったら終わりとなるため、城壁には銃眼と呼ばれる穴を開けて、三の丸から侵入する敵兵をどこからでも銃撃できる作りになっていた。
で、城主や奥方が暮らす本丸。
ここには籠城の為の必要物資の倉だったり軍資金等の盗まれたらまずい物、奥の院と呼ばれる奥方や子供達が暮らす場所、そして俺の私生活スペースや客人が来た時に持て成す客間、あと上方で流行り始めた茶道を取り入れた茶道部屋なんかを建てた。
天守閣は無く、館作りと呼ばれる城である。
正直巨大な城なので天守閣が無くても十分立派であることと、天守閣を作る技術がまだ無かったのである。
いや、無理すればできなくも無いと思うが、城の大きさに比べて技術相応のこじんまりした天守閣を作ったところで武威を示す象徴になるか? と聞かれた首を横に振らなければならない。
この工事が夏頃に完了し、堀に水が入れられた。
そしたら第二工事の城下町の整備が始まった。
俺は浜松を総構えの城にするつもりだったので町割りを作り出していく。
総構えとは町を囲む城壁を持った城のことで、有名な小田原城、大坂城、そして江戸城が総構えで有名な城である。
総構えになると囲むのに数万単位の兵力が必要となりよほどの事がない限り力攻めで落とすことは不可能になる。
武田との戦いがいつ起こるか分からないので、浜松城を北側として、東西に約6キロ、南は海までの約3キロを水堀と城壁で囲い、浜松の港と接続。
港が機能する限り兵糧攻めも不可能となるため、理論上落ちない城の完成である。
城壁に囲まれたエリアは武家屋敷や商人の屋敷が建ち並び、港付近には蔵入地と呼ばれる商業用の蔵が建ち並ぶ。
それが終われば北側に城壁を伸ばす第三工事が始まる予定である。
約2年がかりの大工事になるが、完成の暁には浜松城は10万の人が数年籠城できる作りとなる。
今は第一工事の城本体が完成しただけであるが、それでも防御力はなかなかのものがあるため、俺は今川館から引っ越しをし、浜松城に拠点を移すのであった。