年が明けて1558年がスタート。
この世界での桶狭間から3年が経過し、反乱分子の粛清、能力のある奴の引き上げ、教育機関の設置、それでいて内政を回さなければならないハードワークをなんとかこなし、ようやく桶狭間の戦いで失った戦力を回復したと言えるようになってきた。
ちなみにこの世界だと第三次川中島の戦い(1557年)の仲裁に史実だと今川義元様が出張るのだが、今回は幕府が仲裁を行ったらしい。
双方睨み合いが殆どで、本格的な衝突には至らず、休戦が成立したので兵を引いたが、今年の冬は寒さが尋常では無かった。
というか春になっても気温が上がらずに寒いまま、ガチャ産の米は寒さに強い為なんとかなると思うが、従来の米を使っている地域は冷害で生育不順を起こしそうである。
そうなると襲ってくるのが武田というもので、不作が確定した夏頃には収穫時期に合わせて襲撃を企てていることが武田の動員で発覚し、侵攻ルートの調査を行った。
結果、信濃から遠江を南下するルートをとるらしいと判明し、信長様に貸していた援軍を引き戻して、領内を各軍に警戒体制に移行させた。
そして武田は秋になると案の定南下を開始し、武田の兵数は1万ほどで、遠江北部地域の小さい城は次々に陥落。
落とされた城は支城で、足止め前提の城だったため、落とされるのは想定内。
支城が稼いだ時間で二俣城に今川軍1万2500名を集めることに成功。
ただバカ正直に本隊だけというわけでなかった武田軍は駿河方面からも別働隊5000名を派遣していたが、その部隊は岡部一族がガッチリガード。
駿河侵攻を頓挫させて、甲斐国境まで押し返した。
一方で遠江の本隊はというと、二俣城近くの一言坂にて戦いが始まった。
三箇野川の川沿いかつ、周囲を山に囲まれた移動困難な地形で、大軍を展開できない為、両方細長い陣形となったが、武田軍の先鋒は今川軍に猛烈な突撃を行う。
これに対して今川軍は先鋒を務めた水野忠重の部隊と江間時行率いる旗本親衛隊が突撃してきた武田軍に対して鉄砲を射かける。
無煙火薬かつフリントロック式のマスケット銃を使っている為、普通の火縄銃より密集して射撃ができる特徴を生かし、意図せずテルシオ(別名スペイン方陣)型の陣形になり、長槍を構えた間から鉄砲で射撃する防御陣形で、今川軍としても初めての大規模な鉄砲運用となったが、攻撃側の武田軍も鉄砲を大量に運用してきた戦術は初見だったため、突撃してきた武田軍は鉄砲の火力で蜂の巣にされ、運良く当たらなくても、長槍に阻まれて次々に討ち取られていった。
武田信玄は先鋒が壊滅したことを知ると直ぐに撤退を選択し、風のように素早く退いていき、隊列がガッチリ決まっていたことで移動が困難になっていたこと、道幅が狭く、追撃を行う騎馬隊を展開できなかったことなどから追撃は不発に終わり、武田軍に500名ほどの死傷者を出しただけで終わる。
鉄砲使った部隊もこれだけ一方的に敵を倒せるとは思っていなかったらしく、今川家臣達は皆驚いていた。
「戦術が変わるぞ……」
時行がそう言うが、まさにその通り。
鉄砲や武器の技術的優位性が戦局を左右する時代の到来である。
武田を撃退したものの、信濃に侵攻して統治できる文官は揃ってないので、武田が上杉と戦って大損害を受けるまでは待機。
もしくは鉄砲の備蓄ができるまでか。
金屋子が育てた鉄砲鍛冶達も増えてきているので、年産2000丁まで規模は拡大しているし、材料となる鉄もイッポンダタラが玉川村の製鉄所にて増産をかけている。
火薬も蚕の糞を材料に数年かけて硝石を作り出す硝石培養法をやっている場所を増やしたので再来年には生産量が更に拡大する。
硫黄に付いても今川領内で採掘することができる。
鉛の弾丸も奥三河に鉛鉱山があるので、そこから採掘、加工して量産している。
つまり今川領内で鉄砲生産及び運用は完結できるため、時間が経過すればするほど有利になっていくのである。
更にガチャ産の大砲とかを量産できるように技術解析も進めている。
あとは武田を殲滅後に統治する人材の育成が済めばいよいよ武田領に侵攻する時。
それまで武田は経済的搾取で弱ってもらおう。
直虎と千代、そして市がほぼ同時に懐妊したり、今年は冷夏だった影響で全国的に凶作となり、例年通り収穫できた今川家は食料輸出で大儲け。
金、銀の備蓄が一気に増えたことを喜び、銭が大量に流入したので、鋳造し直し、私鋳銭にして価値を高める。
その資金を使って天竜川の治水工事を行ったり、伝馬制(駅伝制)の規模を拡大し、東海道各所に宿場町の整備と情報伝達速度の向上を行わせた。
天竜川の治水工事によって洪水を防ぎ、周囲に支流を作ることで水車を使った木材や製品の加工工場が次々に建てられた。
これにより、今川3国の経済力は実高350万石まで引き上がり、商業、工業も50万石の大台を突破。
貿易で今年は50万石近く稼いでいた事も影響した。
で、幕府からようやく三河、遠江、駿河三国の守護職を、朝廷が従五位下、治部少輔の役職を与えてくださった。
治部少輔というと石田三成をイメージするが、今回は今川義元が従四位下、治部大輔だった事があり、その1つ下の役職を拝命した事を意味する。
ちなみに氏真様にも従五位下の官位をおねだりして与えてもらった。
二重権力状態になりそうな気もするが、氏真様は今川家の象徴としたい俺にとってこれは必要なことであった。
「朝廷や幕府に献金して2年もかかるって……幕府今川の事を舐め腐ってねぇか? 朝比奈はお疲れ様」
「時間がかかってしまい申し訳ない」
「実際どうなってるんだ……幕府の事情……朝廷から官位を貰ったりするの幕府を噛ませないといけないのは知っているんだが……」
「それが……」
足利幕府は現在京ではなく近江の朽木という土地で政務を行なっているのだが、京は三好長慶が支配しており朝廷も三好長慶に協力していた。
そのため幕政と朝廷が切り離されていて全く連携が取れていなかったのである。
なので年号が弘治から永禄に三好主導で改元が行われたのだが、幕府は半年近く改元を認めず、弘治と永禄が手紙で行き来するというカオス状態。
しかも三国守護を認める代わりに三好と戦えと言われてそれはできないと問答を続けた結果、当初の予定の倍の金額を幕府に支払って三国守護が認められたのである。
逆に朝廷とのやりとりはスムーズだったらしいのだが、武家官位の授与は幕府が申請したりしないといけないしきたりだったので、朝廷と仲良くしていた今川家に嫌がらせとして書類を遅らせたり、仮病を使って担当と面会できなかったりの結果、2年も役職と官位授与にかかってしまったのである。
「噂では公方様(将軍)は近々挙兵を企てているとも聞きます」
「挙兵したところで三好に勝てるわけないだろ……三好は8カ国を所領としてる大国なのに……」
「どうやら公方様は尼子を引っ張り出す為に毛利や大友を巻き込んだ和議を行おうとしたらしいのですが、数年前に毛利の守護就任を幕府は認めないという失態をやらかした為、それが尾を引いているらしく……」
「そりゃ毛利怒るわな」
そのため毛利は幕府を信用せずに幕府に従うふりをしながら尼子をハメて一揆を扇動した密命の書類を奪取し、それを幕府に届けた為、幕府も尼子との停戦命令を言えなくなってしまったのである。
西国がそんな感じで尼子が頼りないから幕府は上杉謙信と武田信玄の和議の仲裁に入ったという流れである。
その両名、幕府を助けるための上洛をせずに武田は今川を、上杉は北条を襲ったので、正直幕府は今川の足しか引っ張ってない。
「やはり幕府とは距離を取るべきだな。中央の政争に巻き込まれたらたまらん」
「その方が良いかと」
外交交渉に長けた朝比奈でも参っているため、俺は幕府と距離を置く事を決めるのだった。