1560年と聞くと、戦国時代を少し知っている人なら桶狭間の戦いを思い浮かべると思うが、もう少し詳しい人は上杉謙信による関東遠征を思い浮かべるかもしれない。
あとは尼子衰退の直接的な原因である尼子晴久の急死や浅井長政が信長様に認められる六角との戦いに勝利したのもこの年……。
そう、上杉謙信の関東遠征……北条討伐戦が始まったのである。
史実では8月頃に北条に圧迫されて窮地に陥っていた海賊大名と呼ばれた強い水軍衆を持つ里見氏を救援するために出陣したのだが、この世界では何故か雪解けと同時に出陣してその時は8000人くらいだったのだが、軍神上杉謙信の強さは異常で上野の国人衆達は一閃されて、瞬く間に降伏。
国人衆を吸収し、軍勢はどんどん大きくなっていく。
出陣から1ヶ月で上野を攻略し、軍勢を武蔵に進める。
ここで北条から救援要請が今川に届き、上杉謙信の軍勢へ勝ち馬に乗るために北条を裏切る者が続出し、兵数は6万を超えていた。
北条は兵をかき集めたものの3万しか集まらず、今川からかき集められるだけ援軍をよこしてくれと言われ、氏真様からも懇願され、今川総軍2万5000名のうち1万5000名を抽出し、俺自身も北条に恩を売るために出陣。
今川軍の陣容は総大将が俺、副将が今川氏真、軍監に鞍馬、7備のうち井伊と朝比奈を留守役として残し、武田に次いで2回目の総動員である。
「(本多)正信」
「は!」
「お前の出番だ。関東諸侯を引っかき回せ」
「御意」
一向一揆の蜂起を手玉に取り、謀略関連で才能を見せていた本多正信にこの戦いでは調略、謀略が決着をつけると言い、存分に暴れてこいと予算無制限で解き放った。
そして最初の戦いになったのは相模湾に進出してきていた里見水軍率いる上杉謙信に組する水軍衆で、これを北条に物資を運んでいた今川水軍と北条水軍が捕捉し、戦闘となる。
相模海戦の勃発である。
両陣営の戦力はこんな感じ。
北条水軍
小早船 30隻
関船 10隻
安宅船 1隻 (旗艦)
今川水軍
関船 10隻
弁財船 5隻 (旗艦安宅丸)
里見水軍
小早船 30隻
関船 5隻
さてここからは当事者から聞いたほうが良いので安丸に話してもらうとしよう。
〜安丸サイド〜
「へぇ……里見の連中は私達今川水軍に挑むか……」
「安丸の姉御、どうします?」
「無論相手をしないとねぇ、今川水軍全隻帆をはれ! 北条の水軍と連携して包囲するよ」
「「「は!」」」
大型船が多い今川水軍は小回りが利かない為、里見水軍が見えた段階で北条水軍を囮に使い、自分達は有利な位置に船を進めた。
単縦陣という縦一列に並ぶ陣形で今川水軍は進んでいく。
「大砲があれば単縦陣から側面射撃で攻撃することもできたんだがねぇ……今あるのは大砲のなりそこないの大筒と海戦用に射程を伸ばした長鉄砲(挟間筒)それに纏わりついた敵船を破壊する焙烙玉(火縄爆弾)か……さてどれだけ戦果を稼げるかねぇ」
里見の水軍が見えてきた為、先頭を進む私の船に敵船が近づいてくる。
「砲撃開始!」
船に取り付けられていた大筒が点火して砲撃が始まる。
他にも長鉄砲を構えた水兵達が里見水軍の船員を狙撃していく。
「ふぅん、それでも近づいてくるんだねぇ……焙烙玉の準備!」
里見水軍はそれでもこちらに近づいてくるため、焙烙玉を投げていく。
里見水軍はまだ火薬や鉄砲の普及が全然できていなくて、弓で対抗してくるが、風が吹きまくる海上かつ、狙撃銃の射程距離で矢を射ってもなかなか当たらない。
そんな最中、大筒の砲弾が近づいてきていた里見水軍の関船に命中を始める。
バリバリと鉄の球体が船体を破壊しながら進み、関船の1隻が豪快に沈んでいく。
「おお、大筒が命中するとこれほどの威力が……」
「大砲が作れたらこれよりも遠くに砲弾が飛んで、より大きな船を粉砕できるんだけどねぇ……」
「大砲ってそんな強力な武器なんですね……姉御の与太話かなんかだと思っていましたわ」
「今は試作段階だけどねぇ……」
里見水軍と戦っていると、北条水軍も合流し、囲い込むように里見水軍を包囲していく。
「敵方から火矢を放たれますが、当たりませんね」
「長鉄砲の射程距離だから、まず当たらんよ。近づいてくれば焙烙玉で吹き飛ばしているし」
海戦は2刻(4時間)ほど続いたが、里見水軍の半数の船が沈み、這々の体で彼らは退いていった。
今川水軍はまだ小田原への物資補給の任務があるので一旦駿河へと戻り、北条水軍は里見水軍を追って房総半島南部の安房の里見の港まで進出し、港を焼き払ったらしい。
「失った船はなかったけど、それは里見の水軍と火力の差で優位に立っていただけだからねぇ……金屋子に言って大砲の開発を急いでもらわないとねぇ……」
これが公式記録に残る今川水軍の最初の海戦であり、この後も大型の弁財船を用いて大量の兵糧や武器を小田原に搬入し、北条と今川の陸上部隊を支援するのであった。
〜元康サイド〜
5月頃……田植えの時期であるが、上杉軍は一時的に武蔵の城にて関東諸侯が集まるのを待っている為行軍が停止していた。
その間に北条と援軍に来た今川軍は小田原城の防備を増強する工事に着手し、まだ総構えと言えなかった小田原城が総構えになる原型を作り上げたのである。
コンクリートは使ってないが防御力を上げ、小田原城内では決戦派と籠城派が大激論をしていて決着がつかないで時間だけを消費していく。
まぁ決戦するなら相模国境辺りで大軍を展開しての戦でも俺は別に良いが……。
「鞍馬、上杉との決戦となればどの様にして勝つ?」
「そうですねぇ……私ならば大軍で油断している関東諸侯の軍勢を猛攻しますが」
「だよな……弱いところから削るのが戦の習わしだけど……そうなると義経の部隊を伏せてた方が良いか?」
「いや、義経はこの様に動いてもらったほうが」
地図を広げて、駒を動かしながら軍議を進めていく。
それで達した結論は上杉軍の補給線の脆弱性であった。
今川の様に街道を整備して物資運搬をスムーズに行えるようにしているわけでも、北条の様に海上経由で物資補給をしているわけでもない上杉軍の補給線は凄まじくか細い。
民に低率の年貢としたり、凶作の時には食料を配ったりして民からの人徳に優れる北条であるなら、民を使ったゲリラ戦……補給線の遮断ができるのではないかという結論に至り、俺は北条の方々に進言した。
民が危険に晒されることに当主である北条氏康様は難色を示したが、このままでは北条の領地は上杉軍と関東諸侯によって荒らし回されるだけでは済まないのと、家の危機故になりふり構っている場合ではないと説得。
なんなら今川軍も敵の兵糧を略奪するために動くというと、氏康様は納得し、敵軍に対しての略奪を行うことを是とした。
こういう時に生き生きと活躍できそうな義経、木葉、そして時行の3将に兵1000名を預けて暴れまわってこいと命令すると、義経達は山道や獣道を通り、上野や下野に浸透し、上杉方の兵糧を運ぶ小荷駄隊を襲撃しまくり、そこで得た兵糧を農民達に配って、農民から人気を勝ち取り、更に一揆を扇動して後方を不安定にしていった。
関東の諸侯は領国が動揺していることを知ると、兵を差し向けて、鎮圧に動くが、凶作でひもじい思いをしていた中、配られた食料を再び奪おうとする関東諸侯の武士達に農民は大反発。
この一揆は関東全土に飛び火し、中には城を陥落させる勢力も現れる始末。
上杉謙信は北条攻めの最中に一揆鎮圧に失敗した諸侯を怒り、諸侯と上杉の間で亀裂が入る。
上杉軍の侵攻はゆっくりになってしまい、何分数だけは多く集めてしまったので小荷駄隊の兵糧供給量が遮断すると現地調達をするしか無くなるが、北条領土だった農民達はここでも反抗し、見せしめでとある村を潰したことで武蔵や相模の農民達も立ち上がりゲリラ戦が始まってしまう。
上杉不利と見た国人の一部は離脱する動きも見せ、上杉軍と関東諸侯軍は大混乱に陥るのだった。