ガチャ狂い徳川家康   作:星野林(旧ゆっくり霊沙)

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1562年スタート 双六大会

 1561年も終わり、1562年もスタート。

 

 永禄5年……この年と言えば石山本願寺周辺で大火災が発生。

 

 門前町の家屋が1000軒以上焼ける戦国時代でも指折りの大火災が発生していた。

 

 今川としては三河の一向一揆を殲滅した為、石山本願寺とはやや敵対関係が続いていたが、石山も貿易相手であり、食料や建材の支援物資を送っておいた。

 

 その為石山本願寺側から感謝の手紙が届き、これを機に本願寺と和解しませんかという話も舞い込んできたが、貿易の規模を増やしていきましょうという程度で対応した。

 

「(本多)正信、石山への対応はこれで良いよな?」

 

「は、元康様。宗教関連は距離を置くのが良いでしょう」

 

 謀略担当の正信に確認し、宗教とは距離を置くことを取り決めた。

 

「本当、宗教は困る。しかも力を持っているのが厄介だ。三河の一向一揆は上手く処理することが出来たが、再び力をつけられても困るからな」

 

「そのようですな。一揆に力を持たれると国を揺るがし、加賀の様になっても困りますからな」

 

 加賀……現在の石川県に当たる場所では百姓の国と呼ばれ、一向一揆が領主を追い出して権力を握っていた。

 

 しかし、この一向衆が石山本願寺の制御下に置かれていれば良かったものの、独自の動きをしており、更に周辺諸国に一向衆の教えを広めて、一揆を起こすため、越後の上杉や越前の朝倉はこの勢力に長年手を焼いていたのである。

 

 ちなみに史実ではこの一向一揆は信長配下の柴田勝家率いる北陸方面軍により十数万単位のジェノサイドが行われながら殲滅され、約100年の加賀支配に幕を下ろすのであるが、現在は生き生きとして朝倉や上杉とバチバチにやり合っていた。

 

 三河もそんな風になりかけたので、俺も凄まじく警戒していたのである。

 

「一向衆と言えば伊勢長島にも一向衆が拠点を持っていましたが、織田家はどうするおつもりなのでしょうねぇ」

 

「まぁそのうち潰すんじゃないか? もっとも今は敵対しているわけでも無いから優先順位は低いと思うが」

 

「謀略で潰さなければ相当な犠牲が出そうですが、元康様だとどの様に潰しますか?」

 

「そうだな……まずは経済封鎖して、内部分裂を狙い、海上封鎖をして兵糧攻めをし、首脳陣の根切りで解決を狙うな」

 

 長島は海に囲まれた土地の為、海上封鎖をしないと決着をつけることはできないだろう。

 

 信長様も俺に触発されてか、水軍の整備を進めているが、時間がかかるだろう。

 

 史実では知多半島の水軍が初期の織田水軍の中核で、中盤以降は志摩の九鬼水軍が織田水軍の中核となっていく流れである。

 

 一応志摩国を追い出された九鬼一族を織田家が保護したとの話は聞いているが、勢力を失っているため、北伊勢に所領を与えられた織田家家臣の滝川一益が水軍創設のために頑張っているらしい。

 

「まぁ現時点での織田単独だと長島攻略は相当な出血覚悟でないとできないな」

 

「でしょうな。いやはや、嫌らしい質問をしてしまい申し訳ない」

 

「良いよ正信、頭の体操になった。さてと仕事を終わらせて嫁達と遊ばないと」

 

「そうですな。私も頑張るとしますかねぇ」

 

 粛々と書類仕事を進めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いえーい! 俺の勝ち!」

 

「畜生……負けたぁ!」

 

 ある冬の寒い日、政務が早く終わったので、俺は午後から奥に籠もって、嫁達と双六をして遊んでいた。

 

 この時代の双六は盤双六と絵双六という2種類のルールがあり、盤双六は平安時代から貴族の間で遊ばれていた2人でやる遊びであり、15の駒を相手より早くゴールさせた方が勝ちというルールで、絵双六が現代でも遊ばれている双六のルールである。

 

 ただ絵双六は最近入ってきた遊びかつ、寺の坊主たちがしていた遊びなのでまだメジャーな遊びとは言えなかったのであるが、俺が人生ゲームの様に綺麗な絵のついた双六盤を考案し、マスにランダムな効果(1回休みや3マス進む、次に振るサイコロの個数を2つにする)などの現代の双六に近い遊び方を嫁達に広めたところ、奥に仕える侍女達にも広まり、そこから侍女達の家経由で商人達にも広まっていき、駿府では絵双六を作る専門店まで出現していた。

 

 今日は千代、直虎、市、瑠璃、そして俺の5人で遊んでいる。

 

 直虎が1位をかっさらった為、残り4人で2位決定戦をしていた。

 

 ちなみに勝利報酬は蝦夷で作られた砂糖を使った羊羹であり、俺が試作品として作ったのの食べる量を決めていたのである。

 

 1位の直虎は羊羹5切れ、2位は4切れ……ビリは1切れと言う感じだ。

 

「んん~甘くて美味いな。甘い羊羹って滅茶苦茶美味いんだな」

 

 そりゃ現代に続く甘い羊羹の作り方で作ったからな。

 

 この時代だと甘い羊羹ではなく、塩で味付けされたしょっぱい羊羹や砂糖を抜いた小豆そのものの味を楽しむ菓子というより酒のつまみの様な物が一部で食べられていたのみであり、砂糖を使うという発想が無かったのである。

 

 そもそもこの頃の砂糖は国産化されておらず、輸入する薬扱いで、史実でも織田信長に砂糖を1貫贈ったところ、大変喜び、所領を安堵された……なんて逸話があったりするくらい貴重な物である。

 

 砂糖が庶民でも食べられるようになるのは江戸時代中期で、砂糖の国産化が成功してからである。

 

 まぁ蝦夷に現代種の砂糖が比較的多く抽出できる甜菜を育ててもらい、交易品として輸出してもらったことで、今川領内に砂糖が入ってきていたため、活用方法を広めようと俺が色々な菓子を作っていたのである。

 

 そのうちの1つが羊羹であり、試作品は嫁達から高評価を頂いていたし、レシピを商人に譲って作らせる気満々であった。

 

「甘味というのがあまり無かったですからね。栗や果実、最近だと薩摩芋と言った甘い物が増えましたが、砂糖の様なガツンと来る甘い調味料はありませんでしたからね」

 

「そうですね。これに匹敵するのは蜂蜜とかでしょうか……ただ蜂蜜は超が付く貴重な品ですからね」

 

 千代と市が言うように甘い物と言えば果実が殆ど、最近ようやく薩摩芋の甘さが広まりを見せ、芋餡が考案され、甘味として広まりを見せていたが、強烈な甘みは蜂蜜が頂点とされていた。

 

 その蜂蜜は超貴重品で、1国で1升の蜂蜜が採取されれば良いなど、養蜂技術が未発達かつ、ニホンミツバチが養蜂に向いていなかった為、蜂蜜の採取量も少なく、輸入品の砂糖と同じくらいの値が付いていた。

 

 市場で買うと1壺50貫から100貫もするのである。

 

 ちなみに砂糖も元はそれくらいの値段であったが、蝦夷で量産されるようになったことで1壺5貫くらいには安くなり、庶民の日給くらいで羊羹1本くらいは買える値段に落ち着きそうである。

 

 まぁそれでも十分高いは高いが……。

 

「よぉし! 私の勝ち!」

 

 瑠璃が2位で上がり、3位に千代が入る。

 

 残った俺と市は少しでも多くの羊羹を食べるためにデットヒートするが……俺の止まったマス目には

 

「さ、最初のマスに戻る……だと!?」

 

 まさかの最初に戻るマスを踏んでしまう。

 

 結局市にも上がられ、俺は1切れの羊羹を作り手なのに食べるに留まり、嫁達にいじられるのであった。

 

「羊羹美味かったな。これもっと普及させることはできないのか?」

 

 直虎の質問に、俺は

 

「やっぱり砂糖の値段が価格を押し上げているな。作っている甜菜という砂糖大根が寒ければ寒いほど糖蜜を溜め込む性質があってな。今川領だと効率が悪いんだ。信濃の山なら寒さは担保できるが、量を作れる土地の広さが足りないからな。蝦夷での生産量を上げてもらったほうが値段は下がるが……まぁ今でも相当無理して作っているらしいがな」

 

「ふーん、他に砂糖を作る方法は無いのか?」

 

「逆に凄く暑ければサトウキビという竹のお化けみたいな作物を絞ることで砂糖を作ることができるんだが……生憎南国の大名との友好関係はまだ築けてなくてな。まぁそのうち九州の大名と交渉して作ってもらって、砂糖の値段を安くさせるよ」

 

「そしたら毎日砂糖を使った菓子が食べれるか?」

 

「そうなるかもな。あと甘い物は虫歯を作る原因にもなるから歯磨きはちゃんとしておけよ。虫歯が拗れて病気になるなんてやだからな」

 

「「「「はーい!」」」」

 

 そんな感じで双六大会も終わるのだった。

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