北条と将来的な敵対がほぼ確定し、最悪の場合関東諸侯連合との大激戦の可能性もあり、対応策を考える中で、北条軍の軍制や支配体制について考えていく必要がある。
まず軍制で特筆すべきは兵農分離に近い事をいち早く行なったことである。
それこそ北条早雲時代に取り入れられた足軽を兵士として取り上げる政策で、各城に侍詰所と呼ばれる足軽や武士達が居住する区画を整備することで、農村から兵を徴集するのではなく、城下から素早く兵を集める仕組みを作り上げたのである。
これを近代化したのが城下に家臣を住まわせる直轄兵化であり、これは六角氏がいち早く行なっていた。
その六角氏の政策を真似て常備兵を作ったのが織田信長様である。
とと、北条から少し話が逸れたが、これにより軍役の人数を上層部も把握することができ、城の規模が大きくなればそれだけ兵数を出力できるという体制が整ったのである。
これが北条の本拠地である小田原城が巨大城郭へと成長した理由だ。
また職人の優遇政策を続けており、各国の拠点となる城の城下町には職人街を整備し、甲冑の製作や刀や槍、弓や矢の供給を自給できる体制を整えていた。
このため他国の大名より潤沢な武器を保有することに繋がり、籠城戦や戦での北条軍の強さ、粘りに繋がっていったのである。
また各城には位が設けられており、武将達が守る城がそのまま城主の格に直結し、明確な評価基準と出世目標が決められていたので、武将達のやる気を引き出し、鍛錬や勉学に励む土壌が作られていた。
更にこの評価基準の中に民に善政を敷いているかというのを目安箱を設置することで問いかけることも行っており、税を不正して蓄財しようとするとバレる仕組みも作り上げていた。
なので城主達は民になるべく善政を敷く様に努力し、政務を覚えるための努力も行う。
これが戦国時代で類を見ない官僚化された支配体制に繋がっていたのである。
あとは当主の家督継承がスムーズに行われていたのも北条の特徴で、歴代当主が比較的長生きだったこと、北条幻庵などの長老格が長年当主を補佐し、兄弟仲が戦国時代では異例なくらい仲が良かったことなど色々な要因で家督争いが発生しなかったことも北条の強さに繋がっていた。
結局のところ北条の強さは組織力というのが強い。
まぁ北条五色備といった各方面軍司令がはっきりし、その将達が軒並み強かったというのも北条が強い要因である。
流石史実で徳川家康が北条滅亡後に北条旧臣をかき集め、北条の統治ノウハウを継承し、江戸幕府の支配体制に組み込んだだけはある。
今川でも真似したいところは多いが、組織力の元となる官僚の育成が未熟だった為に、まずは教育機関を整備し、優秀な人材を輩出することに注力し、ここ最近ようやく回り始めた今川に比べると、組織力では完敗している。
これを覆せるのは上杉謙信公みたいな突出した個の存在であるが……俺がそれになれるか次第である。
「組織がまとまっているところを崩すのは至難の業なんだよなぁ……北条は民を切り崩そうにも税率4公6民で戦国時代だと最低税率に近いし……」
民の結束も強い為、上杉謙信公が侵攻した関東遠征で民が立ち上がって抵抗したのも北条の強さとも言える。
「関東という土地には旨味たっぷりだけど、北条を倒すのは至難の業だな……」
流石豊臣秀吉が天下統一の総仕上げで戦を挑んだ相手である。
というかゲームとかでも大抵北条がラスボスになるからな……。
まぁまだ戦に発展するほど関係は悪化していないし、貿易も続けられているので、北条の動きは今川に対しての警告及び牽制であり、北条側も大戦に発展することは望んでないだろう。
「まぁどちらにせよ、信濃再建計画が終わるまで動くことは出来ないし、防備を固めるだけだね」
「父上〜」
「父上!」
「おお、虎松、竜王丸。元気にしていたか?」
「はい! 今日は竜王丸と一緒に馬に乗って馬術の練習をしました!」
「直虎母様と一緒に!」
直虎の長男である虎松と千代の長男である竜王丸。
今川の血筋的に竜王丸が元服し、一人前になったら俺は家督をなるべく早く譲るつもりである。
そもそも今川の血が流れてないのに今川の家督を継承している今がおかしいのであって、今川の本来の流れに戻す必要があると俺は常々考えていた。
数年前までは岡部や朝比奈もその考えに同調していたのであるが、武田を倒した辺りから俺が今川家の家督を長く保持していても問題無いのではみたいな空気が家中に漂うようになっていたが、それは良くない兆候であると、その空気を消すために動いていた。
虎松には井伊家を継承してもらい、竜王丸を支えてもらうことを願っている。
幸い2人の仲も悪くないし、支え合ってくれそうではあるが……。
現在虎松が数え年で7歳、竜王丸が数え年で6歳であるが、早生まれか遅生まれの違いでしかなく、ほぼ小学1年生と同じくらいであった。
教育係は今川方で教養に優れる家臣や快元や菅原道真公に鍛えられた文官、鞍馬に鍛えられた武官、それに今川家で保護した貴族の方にも教育を行ってもらい、英才教育を施していた。
まぁ10歳過ぎたら菅原道真公の学校で数年学ばせて治世者としての能力を育てていくつもりである。
……子供達に俺が学習系のスキルをモリモリ付けた為に、能力がどんどん上がっているのは御愛嬌。
「虎松、竜王丸せっかくだ。菓子でも食べていくか? お腹空いているだろう」
「え! 父上良いの?」
「お肉食べたい!」
「お肉か……菓子じゃなくていいのか?」
「甘い物も良いけど、いっぱい動いたからお肉食べたい!」
「僕も!」
わんぱく坊主の虎松と竜王丸は肉を所望か……。
「よし、俺がお腹いっぱいになる料理を作ってやろう!」
「「やったー!」」
子供が喜ぶ肉料理でパット思いつくのはハンバーグであるが、2人ともまだ大量に食べられる年齢では無いので、お子様プレートみたいなのを作るのが良いだろう。
メニューとしてはハンバーグにチキンライス、ポテトサラダ、卵焼きといった感じか。
城の台所に行き、食材を用意してもらうと、俺が料理を作り始める。
ハンバーグには豚肉を使用し、包丁でミンチにしてから、繋ぎとしてとろろ芋を使用する。
とろろ芋を半分はすり潰し、半分はサイコロ状にすることで食感を残しつつふっくらとした味わいに仕上がるのである。
まず鉄鍋で刻んだ玉ねぎを炒め、それを先ほどミンチにした豚肉ととろろ芋を混ぜてタネを作る。
それを鉄鍋で焼いていき、片手間で片栗粉と醤油、みりんを混ぜたとろみのついたタレを作る。
焼き上がったらタレをかけてハンバーグは完成。
チキンライスは保存食として保管されていたソーセージも使い、多月の土地で作られたトマトやバジルを使ったトマトソースを炊いた米に混ぜ、バターを敷いた鉄鍋ににんじんや玉ねぎ、鶏肉、ソーセージを順に投入して火を通していく。
そこにトマトソースを混ぜだ米を投入してパサパサにしていき、塩コショウで味を調えたらチキンライスの完成である。
ポテトサラダはマヨネーズを作るところから始まる。
卵黄、塩、酢を入れてよく混ぜ、徐々に油を入れることで白っぽくとろみのついた状態になれば自家製マヨネーズの完成である。
ただこの状態だとサルモネラ菌が怖いので酢の分量を多めにすることで、酢の殺菌作用で菌を活性化を抑える。
あと保存は効かない為、作ったら直ぐに使用することを心がける。
今回は作ったマヨネーズは直ぐにポテトサラダに使用し、茹でたじゃがいもを潰し、マヨネーズ、塩コショウ、きゅうり、茹でたにんじんを投入してよく混ぜる。
これでポテトサラダは完成である。
あとは卵焼き。
これは卵をよく溶いて、醤油、砂糖を混ぜ、油を敷いた四角い卵焼きや魚を焼く用の片手鉄鍋(フライパン)に卵をまず3分の1投入して土台を作る。
火が通ったら端に寄せて残りの溶き卵を投入し、火を通して巻いていく。
この時の溶き卵にはマヨネーズを作った際の卵白が勿体ないので混ぜいれる。
そのため普通の卵焼きより色が薄くなる。
これを包丁で切り分ければ卵焼きの完成である。
最後に木製の平べったい器に並べればお子様プレートの完成だ。
「「おお!」」
「さあお食べ」
「「いただきます!」」
木製のフォークとスプーンを用意し、子供達に使わせる。
流石にパラパラのチキンライスを箸で食べるのは困難だからね。
2人は無言で食べ進め、時々ほっぺたを抑えて美味しそうに笑顔になる。
あっという間に全て食べ終えて、手を合わせ
「「ご馳走様でした」」
と元気よく俺に向かって言う。
「お粗末様でした」
俺は息子達が笑顔で食べてくれたのを見て、また時間が出来たら何か作ってやろうと思うのだった。