「いやはや、今川殿も大変ですなぁ……幕府に振り回されて」
「……急な来訪は心臓に悪いのでやめていただきたいものです……近衛(前久)様……いえ、関白様……」
何故か今川家に対して上杉謙信公の関東遠征の決め手となった人物である近衛前久様が浜松城にふらりとやってきたのである。
近衛前久……弱冠20歳(数え年)で朝廷の官位で生前で上り詰めることができる最高位である従一位(正一位は生前で与えられた者が現代まで含めて7人しか居ない官位)かつ、関白と左大臣を兼任、更に藤原家の棟梁である藤原長者にも就任し、朝廷権力の最高位に居る人物である。
ただこの近衛様はフットワークが超軽く、関白の役職を持っているのに上杉謙信公の居る越後に赴いて、関東遠征に着いていったり、北条の反撃があってなお関東に留まって関東諸侯と上杉の関係を取り持つなど精力的に働いていたのである。
この世界では、京に1ヶ月滞在することができた信長様は近衛様との親睦を深めることに成功しており、手紙をやり取りする仲であるとは聞いていたが、俺に関わってくるとは思いもよらなかった。
「治部少輔(俺の官位の名前)、お主の所領を信濃から観させてもらったぞ」
「お恥ずかしい所を見せてしまいましたな」
「いやいや、民は生き生きしており、広い道には宿や商家が各所に立ち並び、人の往来も激しい。それに浜松城下を観させてもらったが、珍しい品物が市に沢山売られており、中には磁器まであるではないか。朝廷に磁器を贈られていたのは知っていたが、民に買える値で磁器を売り出しているとは思わなかったぞ」
ホホホと恐らく浜松城下で買ったのであろう扇子を広げて口元を隠しながら笑う。
扇子自体は市で売られているような品なので凝ったデザインでは無く、至ってシンプルな安物であるが、使う人が使うと様になって見える。
駿河で貴族は何人も見てきてはいたが、貴族の中でも最高位となる人物は立ち振る舞いだけでも気品を感じる。
これで趣味が鷹狩りや乗馬といった武闘派なのも上杉謙信公や信長様と波長が合う理由だろう。
「4国を実質支配し、朝廷献金も怠らない元康殿が治部少輔の官位は低すぎると思いましてな……今川義元殿が名乗られていた従四位下治部大輔になるべきかと思われるが……」
「関白様、それをすると幕府からの目が更に厳しくなるのですが……」
「ふん、あの様な者に遠慮する必要は無いではないか。弾正少弼(上杉謙信のこと)にも聞いておるぞ……幕府……いや参議(足利義輝のこと)から嫌がらせを色々受けていると……正直に申せ、幕府に遠慮して朝廷への献金少なくしてはいないか?」
「……まぁはい。幕府、朝廷の両方に面目が立つようにしておりますが……」
「参議(足利義輝)など気にするな。治部少輔(俺)の気持ちを朝廷に付け届ければ良い」
近衛様も色々言っているが、要は朝廷に献金してくれないか、という話であろう。
正直幕府からの嫌がらせには頭来ていたので朝廷に全振りしても良いかと思い始めていた。
そうなると何を幾ら贈るかという話になってくる。
正直あと数年で足利義輝が殺されるのは彼の空気を読まない動きから間違いないと思っていたので、だったら朝廷から高い官位をもらった方が得である。
うーん……あ、そう言えば良い官位があるじゃないか!
「そうですね、関白様、正五位下で鋳銭司長官の役職を貰うことはできませんでしょうか」
「ふむ? 鋳銭司? 随分と昔の役職を持ち出してきたな」
その役職は平安時代に置かれていた銭を製造する部署の役職であり、当時の冶金技術の低さから、宋銭の銭の輸入の方が質の良い硬貨であったことから、国内で銭を作らなくなり、結果鋳銭司という役職は800年代には姿を消していたのである。
誰も使ってない役職なら俺が貰って有効活用したいという理由で近衛様におねだりしてみた。
「別に良いが、銭を造るって事か? 日ノ本の技術だと碌な銭は造れんのではないか?」
「では少々お待ちを……」
俺は小姓を呼ぶと俺の部屋に置いてあるとある物を持ってきてくれと頼んだ。
小姓は直ぐに、俺の部屋から箱を持ってくると俺に手渡した。
「それは?」
「関白様にだけ教えますが……実は既に私……職人と共に銭を作っているんですよ」
俺は箱からピカピカの永楽通宝を取り出す。
「手にとって確認してみてください」
「ふむ……実に綺麗な美銭であるな……これを治部少輔は造っていると?」
「ええ、鐚銭や古くなった古銭を集めて一度溶かし、銅を抽出してから新たに混ぜ物を加えることでこの様に綺麗な明銭を作り出すことができているのですよ」
「この質であれば受け取りを拒絶する商人も居ないだろう……もしや今まで朝廷に納めていた銭もそうなのか!?」
「申し訳ありませんが、今川は明との貿易を行っていないので、良銭を用意するとなると作り直してしまった方が早いので……」
「なるほどなぁ、治部少輔からの朝廷献金で良銭しか無い理由が分かったぞ」
「しかし銅銭というのは案外錆びやすい物で、青く変色してしまうのです。で、今川領内で使える新しい銭を造ろうと思い、試作したのがこちらになります」
俺が箱から別の硬貨を取り出した。
文字は永楽通宝と書かれているが先ほど近衛様に渡したのがやや黒っぽかったのに対して、こちらは金色に光り輝いていた。
「黄金の銭……か?」
「正確には銅に亜鉛を混ぜた黄銅でございます。古い仏像などに酢を付けて磨くと黄金色になる物があり、それを元に研究し、製法を復元して造ったのがこちらの銭になります」
現在だとよく目にする5円玉……黄銅や真鍮と呼ばれる合金で作られていた硬貨である。
銅より錆びにくく、融点が低いので青銅よりも簡単に鋳造することが可能であるが、原料となる亜鉛こと閃亜鉛鉱はパッと見黒ずんだ石にしか見えず、鎌倉時代以降の武家政権になると製法を知っている寺社が技術を秘匿してしまい、更に産地の寺領を侍達が横領することによって原料の入手が困難になり、ごく一部の寺社を除いて黄銅の製造技術が失伝してしまったのである。
「ほぉ……実に美しい銭だな」
「これでも銅の含有量は普通の銅銭より減っているんですよ」
「これでもか……しかしこの銭であれば銭不足で鐚銭が横行している悪銭を駆逐することができるかもしれぬな」
「関白様にも我々が良銭を造れることが分かっていただいたと思うので……取引をしませんか」
「取引とな?」
「朝廷は銭をとにかく欲していると思われます。銭が一番流通しているのは人口が多く、商業地である堺や金貸しで銭を大量に保有している寺が多くある畿内……そこで朝廷は鐚銭と今川領で造られた銭の交換を行ってください。そうですね、鐚銭や悪銭5枚で良銭1枚と交換……この比率であれば商人や寺の坊主達は銭をこぞって交換することでしょう。で回収した銭を堺経由で今川領に海上輸送し、今川家がその銭を良銭に鋳造し直します。鐚銭と同量の良銭を交換して朝廷に贈れば……」
「鐚銭分良銭が手に入るから凄まじい利益になるな……しかし、それに原資が必要になるのではないか?」
「なので今川家から朝廷に30万貫(現代価格約36億円)寄進します。それを原資としてください」
「な、なな!? そ、そんなに良いのか!?」
「いずれやろうと思っていましたが朝廷の事を考え、長期的に支援するとなるとこの方が良いかと思いますが……領地の寄進についてはもう少し待ってください」
「待つ! 待つとも! それだけの寄進があれば朝廷の権威を幕府から取り戻すこともできるし、困窮する貴族を救うこともできる!」
「交換事業が上手くいけば十数年単位で朝廷の財源が回復すると思うので……これが今川からできる現状の精一杯になります」
「治部少輔の気持ちは確かに受け取った! 寄進を受けた暁には従二位の役職も授ける」
「役職は別に良いのですが……」
「いや、必ず貰ってもらうぞ!」
なんか凄いことになってしまった……。
ちなみに30万貫もの資金何処から出てきたかというと、金屋子の弟子の職人達に私鋳銭作りまくっていて、このまま市場に流すとインフレが発生してしまうと思って銭の供給量を調整して溜め込んでいたのを放出することにしただけである。
今川家の蓄財を少し削ることにもなるが、銭よりも金銀で蓄財しているので30万貫程度は今川家にとってちょっと痛い程度の出費でしか無いのであった。