さてさて、武田を速攻滅亡させたのは良かったけど、その後の戦後処理で3ヶ月近く拘束されてしまい、直ぐに動くことが出来なかった。
まぁ上杉謙信公にも甲斐の状況が想像以上に悲惨なことになっていることを伝え、今年中の北条領への侵攻は難しい事を伝達。
北条からは俺が武田を攻めた事やその後の統治で苦労していることを北条の忍びである風魔衆を使って調べたらしく、労う言葉を並べ、相互不可侵をお願いする手紙を送ってきた。
どうするべきか重臣達で考えた末に、上杉との約束もあるので来年の秋までの不可侵なら受け入れると北条に連絡を行った。
どう頑張っても上杉謙信公の力をもってしても、徐々に体勢を立て直しつつある北条軍が、再度ボロ負けする確率は低く、逆に調子に乗っている里見と佐竹の上総方面から侵攻している軍が痛い思いをするのではないかと予想した。
上杉謙信公には詫びとして20万石近くの食料を援助する約束を行った為、上杉謙信公はそれを活用して上野の領主に上杉家に着くように揺さぶりをかけているらしい。
あと前回俺が暴れて兵糧部隊を攻めて兵糧切れを起こさせた作戦の対策を編み出し、兵糧運搬の部隊規模を拡大し、守備の兵も多くしたことで、襲われても対応できるようにしたらしい。
それに食料の現地調達を控える事が功を奏し、領民から襲われることも減ったとのこと。
北条は風魔衆を使って兵糧部隊を襲っているらしいが、返り討ちに遭っているらしい。
そんな状態で秋頃になると、収穫期となったので自然休戦となり、謙信公も上野を支配下に置いてとりあえず最低限の目標は達成として、一時越後に帰国。
他の関東諸侯も撤退したことで北条は急速に力を回復し、収穫期が終わった後に奪われた下総と上総で大反撃を開始。
江戸近くの(現代の千葉県松戸市)江戸川を挟んで佐竹、里見(他に上総武田氏や香取氏などの国人衆)の連合軍およそ1万8000と北条軍1万5000が激突。
第二次国府台の戦いが勃発した。
最初は数に勝る連合軍が北条軍を押していき、渡河して攻めてきていた北条軍を対岸に押し返すことに成功する。
これに気を良くした里見軍は佐竹に止められたものの宴会を開き、酒盛りを始めてしまう。
その間に北条軍は事前に上流に土塁を築いて川の水量を調整し、更に昼間の合戦時に工兵部隊が主力が戦っているうちに更に水量を絞ることで、夜間の数時間川の渡河を容易にしたのである。
闇夜に紛れて北条軍は江戸川渡河に再度成功し、油断している連合軍に夜襲を仕掛ける。
夜襲の警戒をしていなかった里見軍はこの攻撃を防ぎきれずに裏崩れを起こして壊走。
佐竹軍は里見の陣が夜襲を仕掛けられているのに気がついて、里見を生贄にすることで犠牲少なく撤退することに成功する。
しかし、里見の周りにいた国人衆達は里見の裏崩れに巻き込まれ、混乱の中散り散りになる。
ここで堰き止めていた江戸川の土塁が決壊し、逃げ惑っていた連合軍に直撃してしまい、数千人が濁流に呑み込まれて、溺死。
勝利した北条軍は組織的な撤退をする佐竹軍は見逃し、組織的な抵抗が不可能になった総州(千葉県のこと)の軍勢に追撃を行い、一気に下総、上総の支配権を奪還。
里見の本拠地である千葉南部の安房国にも北条水軍を出撃させて、海岸沿いの村々を放火及び略奪し、里見の影響力を弱めていく。
ただ上総まで進んだ所で上杉軍が上野に再度進出を開始した為、里見にトドメを刺すところまでは至らず撤退。
これで北条は今までの最大版図である伊豆、相模、武蔵、下総、上総の計5カ国を領有する巨大大名となっていった。
一方で上杉軍は上野から下野方面に侵攻して、前回の関東遠征で勝手に帰国して軍紀を大いに乱した国人衆達や大名に仕置を行っていく。
ただどうしても冬の城攻めとなってしまうので、時間がかかり、下野を征服するのは翌年の夏頃までかかってしまうのであった。
上杉軍が半年以上の長期遠征ができているのは今川による支援があってのことであるが、流石の北条の風魔衆も旧武田忍び衆(現今川衆)が結界を張る甲斐や信濃まで諜報網を広げることは出来ず(上杉へのハラスメント攻撃で精一杯)、信濃から越後への食料支援のルートは終始バレることが無かった。
「随分と無茶をしましたね元康様」
「結構頑張ったけどな……(石川)数正的には何点くらいだ?」
「そうですねぇ90点くらいにはなるんじゃないでしょうか。私だったら北条にも支援を送って上杉と北条の共倒れを狙いますが」
「それも考えたんだけど、今川にとってどっちのほうが共存できるか考えると上杉謙信公が生きている間は上杉なんだよねぇ」
茶室で、駿河で収穫された茶をしばきながら、数正と会話をする。
俺結構頻繁に家臣達と茶会をしているので、今川家臣達の間でも茶道が広まりつつあった。
まぁ俺が現代風の茶道を家臣達に広めまくった為に、上方の茶道とは少々違うが……。
それと知多で茶器色々作っているので、比較的安く茶道具を揃えられることや、遠江や駿河が茶の生産地ということもあり、教養の1つとして覚える人が増えていた。
石川数正も俺と頻繁に茶会をする面子の1人である。
「そこまで上杉謙信公を信用してよろしいのでしょうか?」
「彼の中にある義を重んじる限り、上杉は今川を襲うことはないだろうし、経済的に利もあり、越後平野の灌漑費用を出資している以上襲ってこじれるより同盟に近い関係を結んでおいた方が利口でしょ」
「それもそうですね……」
ずずっと俺は数正が入れてくれた茶を少し飲む。
「餅茶か?」
「よくわかりますね」
「そりゃ作る工程も違うし、味も大きく違うからな」
今回出された茶は餅茶……プーアル茶とも呼ぶことがあるが、プーアル茶は中国の一部地域で作られた茶しか言うことを本来許されないため、日本産プーアル茶というのはブランド的には偽物扱いである。
まぁ以後は面倒臭いので餅茶と呼ぶが、後発酵させた茶葉をプレスして餅型に固めた物を餅茶とされている。
これは普通の茶葉を運ぶ時にかさばってしまい、量を運ぶことが難しかったり、空気に触れることで風味が徐々に変わってしまい、保存性が悪くなることを解消するために生み出されたのが餅茶で、円盤状の茶葉の塊を金属製の道具でほぐしていき、あとは普通に茶を入れる手順で作っていく。
味は最初渋みが来たあとに仄かな甘さを感じることができる。
年月が経った物は甘みが強くなるとされているが、発酵が進みすぎて腐る事もあるので調整が難しい。
なので古くても味がしっかりしている餅茶は高値で取引されるのである。
「そう言えばまた奥方を全員懐妊させたと聞きましたが」
「ああ、もう既に4ヶ月から5ヶ月といったところだろうか。あと半年もしないで産まれるよ」
「相変わらずお盛んですね……そうそう、岡崎城の城主に元康様の弟の松平広信様が入られましたが、なかなか優秀なようで」
「広信もようやく城主たり得ると判断したからな。補佐に鳥居元忠も付けているから大丈夫だろう」
「そうですね。今のところ他の家臣達からも不満の声は上がっていないので……」
それを聞いて安心した。
今川家の弱点は一門の少なさである。
というか松平家もそうであるが、家のゴタゴタ、内輪揉めでどんどん内部分裂や粛清、家督争いの内紛で死んでいくから、一門が少ないこと少ないこと……。
松平広信を見つけ出して、菅原道真公と鞍馬に教育をお願いして、成長してくれて、1国を任せるに足りる器に成長してくれて良かった……。
正直信濃や甲斐といった面倒臭い土地を抱えた現状、俺はそちらに注力せざる得ず、三河統治を任せられる人材として松平広信を配置できたのは良かった。
これで一門で東海3国を抑えることができたからね。
「元康様、北条が勢いを取り戻しておりますが、不可侵が切れる頃には北条は今川の勢いを超してしまうのではありませんか?」
「かも知れないが、甲斐を安定化させるには時間が必要だし、時間が経過すればするほど今川の鉄砲普及率は上がっていくからな。それに織田での製鉄所がようやく試運転を開始した。これで大砲を作ることもできるから、更に今川の火力は上がっていく」
「古き戦いの終わりを感じますな」
「仕方がないことだ。新しい戦い方についていけなければ滅びるのは今川だからな」
「は!」