焼玉エンジンが開発されて最初に活用されたのは海水の汲み取りであった。
領内の人口が増えてきたことで、塩の需要も増え、塩の製造にも力を入れていた。
真珠養殖で活躍している豊玉姫は真珠の女神であると同時に海の女神でもあるので、塩の作り方も熟知していた。
あとはマイナーな人物であるが塩の薬師という人物を英雄としてガチャから排出していた。
名前も無いような英雄であったが、調薬の技術に長けているのと、塩作りの逸話を持っていた為、信濃四カ年計画が始動したあたりで召喚し、海岸沿いで塩の増産を行ってもらっていた。
江戸時代で主流であった入浜式塩田製塩法と呼ばれる方法を確立させることに成功していた。
戦国時代で主流の揚浜式塩田製塩法は海水を人力で汲み上げ、塩田に海水を撒き、天日干しにして、砂に付いた塩を濾過槽へ入れ、海水で更に濃い塩水を作り、それを煮込むことで塩を作るという方法であるが、入浜式は潮の満ち引きを利用して塩田に水を入れる方法で、人力で海水を汲まなくて良い分、作業が幾分か楽なのである。
ただそれでも塩を濃縮するため塩田から塩の付いた砂を集めたり、海水で濃度を高めたりする作業は相変わらずだったので、生産性は増加したが、製造される塩の量はそれほど変わっていなかった。
しかし焼玉エンジンを活用した汲み取りポンプが稼働を開始すると、更に塩の生産量を高めつつ、自動化を進められる方法が活用されるようになる。
それが塩田製塩の最終形態である流下式枝条架併用塩田製塩法である。
これはまず海水をポンプで汲み取り、それを流下盤と呼ばれる緩やかな傾斜をつけた塩田に海水を流し、日光の力で水分を蒸発させていく。
下層に流れる頃には濃度が高くなった塩水が集まり、循環槽と呼ばれる海水を貯める場所に流しそこからポンプで再び汲み上げて竹を組んだ枝条架と呼ばれる傘を何個も重ねた様な見た目の設備に上から塩水を流し、日光と浜風によって更に水分を飛ばしていく。
これを2回繰り返すと高濃度の塩水となり、これを煮詰めることで高品質かつ大量の塩を生産することができるのである。
労力は入浜式の10分の1、塩の生産量は数倍といかに優れているかわかる。
焼玉エンジンの燃料が必要になるので、油田近くの浜辺でしか行えてないが、それでも数カ所で稼働した塩田だけで1日数百キロの塩を生産していた。
それは今川領内の塩を賄うのには十分な量であり、価格調整をして余剰分は今川家が買い取って他国に流している。
塩を欲しがる家や場所は多い。
人口が多い畿内なんかは戦乱によって塩を作る職人や施設が離散及び破壊されてしまっていて、まともに製塩しているのは越前の朝倉ぐらいである。
現状畿内は朝倉がほぼ塩の利益を独占していたと言って良いが、生産された塩は今川水軍が堺に運び、各地で販売されていく。
朝倉よりも安い値段で……。
「朝倉は後々の事を考えると信長様に倒してもらった方が良い勢力だ。そんな朝倉の足を引っ張れるならやる価値はある」
しかも朝倉はガラスの製造ができるくらい文化力が高い。
明との密貿易も盛んであり、畿内周辺勢力では三好の次に豊かな領地を有している。
朝倉宗滴というチート爺さんが亡くなった今でも朝倉は一定の勢力を有していたのは、この資金力が由来である。
「まぁうちも金で国力を増やしているから人のことは言えないけどな……」
ともかく製塩にも力を入れているのであった。
「ひっひっふーひっひっふー」
ズルリ
夏真っ只中になる頃にはまん丸に膨らんでいた光のお腹から元気な女の子が産まれてきた。
「やりました元康様……」
「でかした光!」
光だけでなく、元光の侍女で、現俺の妾の少女達も次々に出産し、5人も新しい子供が増えていた。
ただ今年はこれだけでは終わらず、冬になると今まで以上に膨らんだお腹の市や直虎、瑠璃が居た。
千代も前よりは小さいが、それでもお腹が大きく膨らんでいる……。
まさかと思ったが、そのまさかであった。
ズルンズルン……ズルルン
千代、瑠璃は男の子の双子、直虎は女の子の双子、市は女の子の三つ子を出産。
「ど、どうしましょう……元康様……」
「そりゃ勿論家では忌み子扱いせずに育てるぞ」
というか千代だけが三つ子産んだ状態の時も心無い家臣達は畜生腹だと陰口を言っていたのを聞いたので、他の嫁達も双子や三つ子が産まれてくるとなれば原因は俺の方に向く。
「と、殿の種は随分と畑を豊作にするようで……」
「子沢山ですなぁ……」
家臣達も苦笑い。
だって現時点で子供の人数が25人だからな。
史実家康の子供の数が16人……史実を今年で超えた。
ちなみに史実の信長様の子供の人数が29人なので、上には上がいる。
まぁ俺の子供達は全員健康の特性を付けているので早世する要素は全く無い為、元気に元服まで育って欲しい。
それで今川家を支えてくれれば幸いである。
というか、殆どの子供は松平姓に直すことになるだろうな。
直虎の子供は井伊を継承するかもしれないが。
そんな超子宝に恵まれた1564年であった。