1565年……永禄8年が始まった。
北条と上杉の関東での小競り合いは今川が上杉に食料の輸出制限をしていなかったこと(格安で売っていたのでほぼ援助)で上杉有利で1564年は動いていたのだが、朝倉家が上杉謙信公に加賀の一向一揆が勢力を拡大していて東から圧力をかけてほしいと願い出たことで、関東遠征を中断し、越中方面に進出。
越中の一向宗やそれに同調していた国人衆を叩き出し、田植え前には越中を掌握。
ただし謙信公が居なくなった時に北条は反転攻勢に出て武蔵の大半を奪還。
上杉支配圏になっていた上野や下野にも圧力をかけていく。
上杉軍の弱点……2方面作戦ができないというのがもろに出ていた。
謙信公個人の裁量によって強力な上杉軍を運用しているため、多方面作戦に滅茶苦茶弱いのである。
勿論上杉軍にも有力な武将は何人もいるのであるが、それぞれ派閥や国人衆の集まりであり、利害関係も複雑。
上杉謙信公のカリスマによって成り立っているため、謙信公が居ない場所では連携が取れていないのである。
しかも上野、下野の統治も組織化された統治能力のある北条に比べるとお粗末で、民の支持も中々得られてない状態であった。
そして北条軍の主力部隊は安房国で抵抗を続けていた里見氏を滅ぼすことに成功し、これで北条は南関東……現在の神奈川、東京、千葉、埼玉の一部……伊豆、相模、武蔵、下総、上総、安房6カ国を有することになる。
石高だと約175万石……今川領内から種籾や農法の一部が自然と伝播したことで現在は200万石の石高を有する大大名に成長していた。
ここで農業生産だけを見た今川、上杉、北条、織田の石高を見ると……今川280万石、上杉165万石、北条200万石、織田145万石という具合である。
今川は信濃四カ年計画を完了したことで信濃の石高が倍になったことが大きく、信濃は離農してしまっている人が多かったので当初の4倍にはならなかったが、人を再び集めて再開発していけば更に5年後には倍で当初の予定の信濃100万石を目指せると思われる。
米の生産がほぼできない甲斐は米以外の農作物で計算されている為、実際よりも数値が低くなっていた。
まぁ上杉は越後平野の開発が進めば、何年後かは分からないが、追加で200万石近くは増えるし、農業の指導員を送っているので効果が出ている越後以外にも波及すれば直ぐに200万石は超えてくるだろう。
効果が出るまで上野と下野を領有できているかは分からないが……。
この中だと一番数字が小さい織田であるが、織田は貿易や工業系が順調。
製鉄所が稼働したことにより鉱山での採掘で探鉱町が増えているし、馬車鉄道を使った物流の強化、それに商業地を幾つも持っているので経済力を加味した国力だと北条や上杉を超えて2位になる。
「忍びを使って各地のおおよその国力を集計したがこうなるとどこの国でも頑張れば5万から10万の兵を動員することが可能になってくるな……」
そろそろ今川も備を増やして兵の増員をしても良いかもしれない。
兵を指揮する武将や下士官達もじゃんじゃん鞍馬の学校から輩出されて増えてきたし。
「よし、信濃の国力もある程度回復したし、信濃の国力も加味した兵を追加で集めるか。既存の備も兵員を増員させて規模を拡張させなければ!」
勿論新しく作る備は旗本本隊と同様に近代陸軍式である。
旗本奉行(部隊長)には水野忠重を抜擢しよう。
水野家再興の為に活動していたし、能力的にも他で備の大将をしている酒井忠次や石川数正にも劣らない……一部は秀でているしな。
「他の備でも軍事改革は行っていかなければならないけど……だいぶ削ったとは言え国人衆や地侍の力があるからな」
本当は全部隊で旗本隊の様な軍律にしたいのであるが、反発もあり、全部は変えることができていなかった。
常備兵の比率は上がってはきているが、それでもまだ全体の30%ほどであり、半農半士の兵が全体の7割を占めていた。
「鉄砲の普及率が上がってもこれじゃあなぁ……」
俺は新しい問題で頭を抱えるのだった。
朝廷から許可が降りて、遂に黄銅でできた硬貨……太平通宝改め、永禄通宝が流通を開始した。
結局普通の銅で作った硬貨より黄銅硬貨の方が価値が高く見えることと、偽造防止の観点で黄銅硬貨だけを流通させた方が良いと朝廷は判断したらしい。
勿論今までの明銭や宋銭も引き続き使うことができるが、永禄通宝への交換が推奨された。
交換比率は永禄通宝1枚と明銭や宋銭の状態の良い物とは1対1で、ビタ銭や古い通貨だと1対7での交換を決めた。
信長様には前から言っていたが、上杉や北条にも朝廷より今川が代行して銭を造ると言うことを通達されたというのと、交換を順次受け付けると協定を結び、東国の大名で一般流通に先んじて銭の交換が行われた。
そして民間への交換も始まり、黄金色に輝く新通貨に商人達は色めき合い、民からもご利益がありそうだと大きな混乱も無く受け入れられた。
朝廷も俺から追加で永禄通宝10万貫の寄付を行い、朝廷が通じている商人達に通貨の交換を行わせ、大量に古い銭を集めた。
それを堺経由で今川領に船で運び込まれ、改鋳して新通貨の材料になる。
しかも銭を改鋳する時に金や銀が古い通貨には混じっているので、それを取り出すだけでも今川としては儲けることができるし、古い通貨の分だけ新通貨を朝廷に送り返すので朝廷は送り出した量の約5倍から7倍で新通貨が送られてくる。
今川に送れば送るだけ儲かるのである。
まぁ実際には堺商人達への輸送費なんかもあるので朝廷に入るのは3倍程度であるが、それでも莫大な金額が入ってくるのには変わらない。
今まで貧乏で困っていた朝廷も今川による金銭ドーピングによって一気に勢いを取り戻し、行えていなかった朝廷の儀式や御所の再建、貴族の家の再建等の仕事をバンバン下級貴族にも金が回るように行ったことで京は一気に活性化していった。
ただこれを幕府の許可無くやったことで足利義輝は激怒し、朝廷に抗議の文書を送ったり、輸送を担っている堺商人達に警告文を送りつけたりもしたが、それは時の天皇を怒らせることに繋がった。
そして勿論貴族達は足利幕府は朝廷を蔑ろにし続け、更には京を戦場にした責任論まで出てくる始末。
金を得たことで動けるようになった一部貴族達は三好と接触するようになる。
三好は三好で政権中枢だった三好長慶が病没、しかも重臣や一門の多くも変死を遂げていたことで政権自体が弱体化しており、これをどうにかしなければと考えていたところに、貴族達から足利義輝を朝廷及び天皇は快く思っていないとの報告があり、三好政権にとっても邪魔ばかりする足利義輝を排除した方が都合が良いという結論に至り、三好三人衆及び松永久秀の息子の松永久通が足利義輝排除に兵を挙げたのである。
足利義輝はこの挙兵を察知するのに遅れてしまい(貴族達や内通者による妨害)二条御所は三好軍によって取り囲まれ、足利義輝は畳に刀を突き刺して襲い来る雑兵を数十人斬り伏せたが、畳を持った兵達が足利義輝を押し潰し、その上から刀ややりを突き刺すことで第十三代将軍足利義輝は殺害され、二条御所では多くの幕臣達が詰めていた事もありこの騒動に主流派の幕臣は巻き込まれ殆どが討死。
更に三好軍は足利義輝の血縁者を捜索の上で殺害することを行い、史実では第十五代将軍になる覚慶こと足利義昭も住んでいた寺を貴族のネットワークで三好の兵に密告されており、生き残った幕臣が回収する前に殺害されてしまうのであった。
この一連の行動は永禄の変と呼ばれるのである。