の、しょっぱなからへたれエミル
第百二話
「エミル。おはようございます」
そんな声で目が覚める。ゆっくりと目を開くと、えへへ、と柔らかな笑みを浮かべている愛しい俺の彼女、スロウの姿が。
「おはよう、スロウ」
そう言いながらゆっくりと彼女の髪を梳く。されるがままになっていたスロウは、しかしそのまま俺に抱きついてきた。同じベッドで寝ているためにほとんど無かった距離がゼロになる。
お互いに何も着ていないその体を密着させながら、ゆっくりと口付けを交わした。くちゅ、と水音がするそんなキスをした後、そっと顔を離す。お互いの唾液で出来た糸が、つつ、と垂れた。
「あ、エミル、朝から元気ですね」
「しょうがないだろう。お前が可愛いのが悪い」
「まったく。しょうがないですね。もーいっかい、します?」
そう言って俺の足に自身の足を絡ませながら、スロウは俺の耳元でそんなことを――
「エミル? どーしたんですか?」
「うおぉぉぉ!?」
ガバリと跳ね起きた。慌てて周囲を見渡すが、別段ベッドにスロウは。
「わ、びっくりした。おはようございます、エミル」
いた。いたが、べつに裸ではない。というか芋虫だ。いや、芋虫ってことは裸なのか。じゃあなんで裸のスロウが俺のベッドにいるんだ。さっきのは夢じゃなかったのか。
「さっきからどーしたんですか? 何か変ですよ?」
そんなことがグルグルと頭を回っていたが、スロウがコテンと首を傾げているのを見て、俺はそんなスロウも可愛いなって思ったり。
ではなく。さっきまでのあれやそれが夢であるということを確認した。そうだ、そもそもまだ俺がへたれなのできちんと告白していないし、スロウとキスもしていない。だからそれ以上の関係になどなってもいない。
じゃあなんで俺のベッドにスロウがいるのかという話になるが、これは普通に俺を起こしに来ただけだろう。そうだよな、うん、なんだ。
「何かがっかりしてません? んー……変な夢でも見ました?」
「い、いや、ぜぜぜんぜん? 何も変なことはないぞ」
「変なことしかないですよ?」
むむむ、と俺の顔を覗き込んだ芋虫であったが、まあいいですと視線を外した。そこまで重要なことではない、と判断したのだろう。うん、それは正しい。だからもう夢の内容は一切合切聞かないでくれ。
しょうがないですね、ともぞもぞ動くスロウの多足の一本にキラリとリングが光っている。芋虫状態でもちゃんとあのペアリングは装備出来るようになっている辺り、流石は剛腕の鍛冶師といったところか。
「それにしても、珍しいですね。エミル、盛大に寝坊してますよ?」
「ん? あ、本当だ」
部屋に置いてある時計を見る。成程確かにいつも起きる時間よりも大幅に遅れていた。どうかしたのかとスロウに聞かれたが、別段どうもしていないので分からんと返しておく。
さっき見た夢が原因、というわけでもあるまい。もっと見ていたいとか無意識のうちに思ったからなんて、そんなくだらない理由でもない。
そもそも、やろうと思えば夢と同じことはスロウ相手ならすぐにでも。
「わっ。どーしたんですか、いきなり自分をぶん殴って」
「いや、自分が最低なこと考えてたから、その罰で」
「そーなんですか? ……何だかよく分かりませんけど、悩みがあったら聞きますよ?」
「いや、大丈夫だ」
ある意味悩みの原因ともいえる相手にそんなことを聞けるわけがないし、そもそも何をどうやって相談すればいいのやら。
そんなことを思っていると、あ、そうだ、とスロウが何かを思い出したようにこちらに向き直った。
「どうした?」
「えい」
がばり、と芋虫が俺に抱きついてくる。何だいきなり、と目を瞬かせたが、次の瞬間芋虫のぶにぶにとした感触とスロウの匂いを体に浴びせられて頭が真っ白になる。否が応でもさっきの夢が思い出されてしまい、俺は。
「えへへー、エミル分の補充を――エミル?」
このままではまずい。そう判断した俺はスロウを引き剥がすとそのまま部屋の外に追い出した。着替えるからちょっと待ってろ。そう告げて、部屋に鍵をかける。
あと一歩で、俺は夢と同じようにスロウの体に元気な姿を押し付けるところだった。
「……スロウが可愛いのが悪い」
思わず呟く。夢で言っていたその言葉を口にして、無性に恥ずかしくなった。何で夢の俺はそんなことをさらりと言えるんだ。あれが告白を成功させた俺の余裕というやつなのか。
「分からん」
「何が分からないんです?」
「うおぉぉぉ!?」
横合いから声。弾かれるように視線を向けると、擬態をしたスロウが何事もなかったかのようにそこにいた。口をパクパクさせながらなんで、と俺が述べると、スロウはドヤ顔をしながら左手を掲げる。その薬指にはこの間あげた指輪が光っていた。さっきも見たな、それ。
「これで移動しました」
「ちょっと外して捨ててくる」
「何でですか!? エミルがわたしを守ってくれるっていうのは嘘だったんですか!?」
「言ったけど。その指輪の効果ってそう使うものじゃないだろ」
「わたしはエミルがいつでもそばにいて欲しいです」
「それはそうかもしれんが。一応プライベートもあるだろ、着替えとか諸々」
「私はエミルに見られてもいーですよ?」
何なら今ここで脱ぎますけど。そんなことを言いながら服に手をかけるスロウを慌てて止めながら、いいからとりあえず一旦部屋から出ろと再度追い出した。次は許さん、とついでに言い含めておく。
「でも、エミルの様子が変だったから心配だったんですよ?」
「……変な夢見て混乱してただけだ」
「あ、やっぱりそーだったんですね。そーゆー時って夢の内容を話すといいらしいんですけど」
「絶対言わん」
「そーですよね」
ドア越しにそんな会話をした後、じゃあ先に行ってますねと声がする。トントントン、と階段を降りる音がするのを聞きながら、俺は盛大に溜息を吐いた。ふう、と息を吐き、そして、まずなにをどうすればいいのかを考える。
今まで気にしていなかった、あるいは気にしないようにしていたあれそれが、いざ告白しようと意識すると思い切り襲い掛かってきている状態だ。変な夢を見たのもその影響だろう。
どちらにせよ。こんなことだとスロウにも迷惑が掛かる。とりあえず落ち着いて、それで出来るだけいつも通りにすることにしよう。
……いつも通りって何だ?
「あっきれた。それでそんな状態なのね」
ギルドのカウンターで作業をしていたアリアがやれやれと溜息を吐く。煩いな、俺だってこんな風になるとは思って見なかったんだ。そんなことを思いながらアリアを睨んだが、へたれ、と一言でぶった切られ撃沈する。
ちなみに今回はスロウは俺の横にいない。多分シトリーと別の場所にいるはずだ。朝食を食べてすぐ、逃げるようにギルドに来たので詳しいことは分からない。
「あんた、そもそもいつも通りにしようと思った矢先にそれって、やる気あるの?」
「いや、そうかもしれんが。しょうがないだろ」
「しょうがなくないわよ。大体その理由が? スロウとそういうことをした夢を見たから? 子供か!」
まだ子供だよ。そんなことを言いたかったが、アリアのそれはまあそういう意味ではないだろうと分かっているので口を噤む。
「というか、あたしに言うならもうスロウに直接言いなさいよ」
「言えるか! お前だから言えたんだよ」
「何であたしになら言えるのよ! あたしだってそういう経験ないんだけど!?」
言ってからハッと気付いたアリアが顔を赤くしてバカ、と呟く。まあアリアンロッテの出てくる小説にはそういうシーンはなかったしな、と割と見当違いなことを考えつつ、それはそれとして一番相談出来る相手だったから、と素直に述べた。そこはギルドのお姉さんじゃないのか、というツッコミも貰ったが、前回お姉さんに相談した結果があれだったので、と告げる。
「それは私のせいじゃなくない?」
尚、アリアに相談していて向こうに全く聞こえないなんてことはないので、当然お姉さんにも筒抜けだ。私も入れてよ、とアリアの横に立ったお姉さんが、まあでも、と考え込むように顎に手を当てた。
「もう後は告白するだけなのよね」
「そうですね。こいつがへたれなだけです」
「ぐふっ」
両者がこちらをジトりと見詰める。いやそうなんだけど。確かにその通りだけれども。
そんなことを思っていると、アリアもお姉さんも揃って溜息を吐いていた。何だよ、俺が悪いっていうのかよ。俺が悪いな。
「もう今すぐ行って告白してきなさいよ」
「それが出来れば苦労しないんだよ」
「なんで?」
お姉さんのその一言に動きが止まる。いや、何でって言われれば、それは、その、あれですあれ。
『へたれ』
そんな俺を見て、同時にそんな言葉を紡がれた。あ、はい、すいません。
改めて言われるとその通りだ。これならまだ捻くれ者であった頃の方がマシなくらいで、しかし戻れるかと言うとそれも無理で。
はぁ、とお姉さんが再度溜息を吐いていた。そうしながら、そんな重症のエミル君には荒療治が必要だ、と一枚の書類を取り出す。
「これ、参加してみる?」
「なんだこれ? 舞踏会?」
「そう。王国でちょっとした夜会が行われるんだけど、これに第四王子殿下が参加するという話があって」
上級者以上の冒険者で護衛も兼ねて夜会に参加して欲しい。そういう依頼が出ているのだとか。上級者以上とは銘打たれているが、こういう場に慣れている冒険者のための依頼である。それこそ勇者級なんかはそういう場に呼ばれることもあるだろうから丁度いいというわけだ。
問題は俺達は勇者級とは言えそういうのに全く慣れていないことだが。
「でもこれ多分だけど、実質エミル君への指名依頼だと思うよ。だってほら、第四王子殿下が夜会に出るってことは、当然パートナーは婚約者様だし」
「それがどうしたんだよ」
「エミル、第四王子殿下の婚約者様はフォーマルハウト公爵令嬢よ。つまり」
「アンゼリカ嬢か」
成程、それなら確かに顔見知りだし、友人だ。気心もある程度知れているし、俺達が慣れていないことも承知の上。むしろ、これからの事を考えて夜会に慣れさせる意味を込めて依頼をしたのかもしれない。
それはいいとして。まあ参加する上での障害が低いというのは分かったけれど。
「何が荒療治なんだよ」
「夜会でスロウちゃんとダンスでも踊ってくれば、告白のムードが高まるでしょ?」
「こちとら村住みの田舎者だぞ。ダンスなんか踊れないっつの」
「だとしても、ムードは確かにあるわね」
お姉さんの言葉にアリアが乗り気だ。ついでに、もしその気ならばダンスくらいは教えられる、と笑みを浮かべていた。そりゃ悪役令嬢アリアンロッテをやるくらいだから出来るよな。
「それで、どうするの?」
どうするもこうするも。アンゼリカ嬢の依頼ということならば、友人からの依頼ならば受けない理由がない。それはいいのだが。
問題は依頼の内容ではなく、そこに付随するアリアとお姉さんがした提案の方だ。
「やっぱりへたれるの?」
「いや、そういうわけじゃない、けど」
けど、何だ。自信がない、で逃げるつもりか。自慢じゃないがスロウに告白すれば間違いなくオーケーを貰える。というか常にあいつが俺を大好きだって言っているのだから考えるまでもない。
じゃあ場所が悪い、も通用しない。そのために、わざわざ夜会の依頼を利用してムードを盛り上げようと今話している最中だ。
「……いや、依頼を受ける」
「決めたんだね」
「多分」
「はっきりしないわね。別に絶対失敗しないんだから、もっと胸を張って構えればいいのよ」
そう言ってアリアが俺に指を突き付ける。それに少し圧されつつ、俺は分かったと頷いた。夜会で、俺はスロウに告白する。そう決めた。
そうと決まれば準備が必要だ。流石に普段の服装で夜会なんか出れるわけがないので、そういう用の服が必要になる。アリアも普段着がドレスだが、夜会のために新しく仕立てる必要があるだろうし。
「そうね。スロウとシトリーは自前で服が作れるだろうからいいけれど、あたしはそうじゃないし」
そう言うと作業の手を止める。きりの良いところまでは終わっているらしく、それをお姉さんに渡すと、じゃあ行きましょうかとこちらにやってきた。頑張れ少年、という茶化しなのか応援なのかよく分からないお姉さんの言葉を受けつつ、俺はアリアを連れて家に戻る。
が、そこにいたのはシトリーのみ。スロウはどこか別の場所に行ったらしい。
「どこに行ったかは」
「分からないんだよぉ……」
ふむ、そうなると、と自身の左手を見やる。あいつ自身もいつでも傍にいて構わないと言っていたし丁度いいか。
そんなことを思いながら、俺は薬指の指輪の効果を使用した。《テレポート》に似た感覚が体に生まれ、景色が瞬時に切り替わる。
「わ、エミル、どーしたんですか」
「お前に会いに来たんだよ」
どうやら適当に村をぶらついていたらしい、というかギルドのすぐそばだ。俺達と丁度入れ違いになっていたみたいだな。そんなことを思いながら、お前は何でここに、と尋ねた。
「エミルの様子が変だったから、またギルドに何か話に行っているのかなーって」
「いやまあ、うん、確かに相談には行ったな。ついでに依頼も受けてきた」
「へー。何か変わった依頼なんですか?」
「ちょっとな。依頼書見るか」
これ、とさっきの夜会の依頼書を取り出す。ふむふむ、と見ていたスロウは、アンゼリカ嬢が関係していることを確認して成程、と頷いた。
「そーゆーことなら問題ないです。それで、服装どーするんですか? セフィちゃん先輩に聞いてみます?」
「いや、俺達も勇者級になったことだし、普通に城下町の店で仕立ててもらおうかな、と」
「なるほど」
セフィに聞いて、公爵家お抱えの最高級、みたいなのを用意されてもそれはそれで困る。第四王子が参加するとはいっても、そこまでの規模ではない夜会だ。変に高級品だと逆に目立つ。多分第四王子もアンゼリカ嬢もそのへんは承知で、お忍びの格好で行くはずだ。
それならそれでそういう用をセフィに聞けばいいのだろうが、そこまでおんぶに抱っこは申し訳ない。何より、今回は俺がスロウに告白するためだ。そのための服装くらいは自前で仕立てたい。
「そういうわけで、アリアとシトリーに合流したら城下町の仕立て屋にでも行こう。お前は服装をドレスに変化させるんだろうけど、見本はいるだろ?」
「わかりました。んー、でも」
エミルがプレゼントしてくれたドレスなら、喜んで着ますよ。そう言って微笑んだスロウを見て、俺は思わず視線を逸らした。そうしながら、えっと、じゃあ、と言葉を続ける。
「……いるか? ドレス」
「はいっ!」
がばりと抱きついてきたスロウを受け止めながら、とりあえず奴らと合流しようとちょっとだけギクシャクしつつ踵を返した。なんとか朝よりは落ち着けている。そんなことを思いながら。