翌日からアリアはギルドの手伝いに復帰した。蛾の姿で、だ。最初は驚いていた村の人達も、アリアの正体だと知ればまあそんなものかで流す。スロウやシトリーがモンスター姿で村を練り歩いているのだ、今更アリアが正体を見せたところでなんてことはない。
そう、それ自体はなんてことのない話である。
「……」
「どうしたのよ」
アリアを見ているのがバレたのだろう。書類の整理を終えた蛾がこちらに向き直る。俺はそんなアリアに視線を向けたまま、何でもない、と答えた。
実際別に何でもないのだ。ただアリアを見ていただけ。そこに何の意図が含まれているのかとか、そういうのは別段持ち合わせていない。
ただ、あるとすれば。
「何かお前がその姿でいるのにも慣れてきたな」
「そう? まあ、ずっとこの姿だし、当たり前か」
そんなことを言いながら小さく溜息を吐く。そのまま、それが気になっていることなの? と問い掛けてきた。
「そりゃ、そうだろ。擬態できない原因も分かってないし」
「そうね。でもまあ、それはそれよ」
「いいのか?」
「あんたこの間からそればっかりね」
やれやれ、と蛾姿でも器用に肩を竦めるようなポーズを取ったアリアは、笑みを浮かべながら言葉を返した。いいのよ、と言い放った。
「あたしはあたし。それは変わらない」
「そうだけど……」
「なによ。あんたひょっとしてあたしの擬態の姿が好みだったの?」
「いや、別にそういうわけじゃ――っていう言い方も失礼か? 確かにアリアの擬態は美少女で、好みか好みじゃないかって言われれば好みだったけど、そういう意味じゃない」
「知ってるわよ。いや、あたしの擬態姿結構気に入ってくれてたのは初耳だったけど。ふふっ、ちょっと言ってみただけなのにそんなに慌てて」
そう言ってクスクス笑うアリアを見て、俺は苦い顔を浮かべるとそっぽを向く。その視線の先には、何だか不機嫌そうな顔のスロウが鎮座していた。
「どうしたスロウ」
「アリアちゃんが一番ですか?」
「は? ああ、いや、別にそういう意味じゃなくて、俺はお前の芋虫も擬態の姿も最高だと思ってるぞ。一番の好みは勿論お前だ」
「ならいーです。エミル大好きっ」
「ああ、俺もお前が大好きだ」
「あたしダシにしていちゃつくのやめてもらえる?」
まったく、と溜息を吐いたアリアは、スロウに視線を向ける。そうしながら、わざわざ聞くこともないでしょう、と言葉を続けた。
「エミルはあんたにベタ惚れなんだから、あんたが一番に決まってる」
「それはそうですけど。それとは別にエミルはシトリーちゃんやアリアちゃんのことも大好きですしね」
「そんなに心配ならけしかけさせるのをやめなさいよ」
「そーかもしれませんけど。わたし、シトリーちゃんもアリアちゃんも大好きなんですよ。できればみんながハッピーだと嬉しいじゃないですか」
迷うこと無くそう述べたスロウを見て、アリアは再度溜息を吐く。それで自分が一番という立場が揺らいだらどうするんだ。そんなことを言いながら、アリアは笑みを浮かべた。エミルの一番が塗り替えられたらその時は、と述べた。
「エミルの一番がわたしじゃなくなる時、か」
「想像してなかったって顔ね」
「そーでもないですよ。エミルの周りってかわいい子ばっかりですしね。でも、負ける気もありませんでしたし。エミルを一番好きなのはわたしっていう自信もあります」
「……ま、そうよね。それが分かってるから、シトリーも承知で告白したんだし、ねぇ?」
「ふぇ……!?」
急に話を振られてシトリーがビクリと反応する。わたわたとしたシトリーは、しかし一応話を聞いていたらしく、それはそうだ、と頷いていた。
「ワタシもエミルくんが大好きだけど、スロウちゃんに勝てるかっていうと、自信はないかなぁ……」
「そういうわけよ」
「いや言い出したのお前だろ」
「あら失礼」
そう言って笑ったアリアは俺を見た。なんだよ、俺にこれ以上何か言えってことか? とはいっても別に何もないし。
「そう? じゃあ、あんた、あたしのこと大好きなんだ」
「は?」
「さっきスロウが言ってたでしょ? エミルはスロウだけでなくシトリーやあたしのことも大好きだって」
「言ってたな」
「ということは、でしょ?」
「いやまあ……別に間違っちゃいないし」
スロウが大好きなのは言わずもがな。シトリーだって今は大事な彼女だ。そして当然、アリアは俺にとって大事な仲間で、友達で。
「あら、告白?」
「なんでそうなる。そもそも俺はこれ以上彼女増やしたらまずいだろ」
「彼女が複数いる時点でもう今更よ。今はまだ機会を伺ってるだけの娘も何体かいるだろうし、諦めなさいな」
「アリアちゃんもその中に入ってます?」
スロウの言葉にアリアがピクリと反応する。ふぅ、と息を吐いたアリアは、もしそうだったらどうする、とスロウに向き直った。
「何の問題もないですよ」
「だったら、今のエミルの告白に頷いて彼女になるわね」
「そーですか。じゃあアリアちゃんもエミルの彼女ですね」
「いや待て待て待て。スロウも簡単に頷きすぎだろ。後俺は告白してない」
「あら残念」
「そういうのはもう少し残念そうな顔をして言ってくれ」
蛾の表情をそこまで理解しているのか、と言われるとまあ相手がアリアだからとしか言いようがないが。まあそれはともかく、俺は何だかよく分からないうちに彼女が増えるような事態を回避して盛大に溜息を吐いた。
いや、まあもうハーレム野郎の罵倒は受ける覚悟をしてるけど。でも、こんな流れでアリアを彼女にするのはなんか違うと言うか。
「流れが違えばあたしを彼女にするのもやぶさかではない、と」
「そういう揚げ足取りみたいなのやめてくれ」
「別に素直にアリアちゃんも彼女にしちゃえばいーじゃないですか」
「だから何でお前が乗り気なんだよ」
再び溜息を吐く。そうしながら、話がとんでもない方向に飛んでいる、とアリアに告げた。そうかしら、と惚けたように虫の顎に節足を添えたアリアは、そこまで変な方向でもないだろうと言葉を続ける。
「そんなことないだろ。俺はお前の擬態能力が戻らないのを心配してるっていう話を」
「あら、そんな話だったの?」
「そんな話だったよ」
「ふぅん。やっぱりあんた、あたしの擬態姿が気に入ってたってこと?」
「そうじゃなくて。……なあアリア、お前なんか無理してないか?」
「どういうことよ」
笑みを潜めたアリアが俺を見る。蛾の複眼がじっとこちらを眺めている中、俺はだってそうだろう、と言葉を紡いだ。
「お前にとってあの擬態って、アリアンロッテを目指す姿だろ。悪役令嬢アリアンロッテを目指すためにここまで来たんだし、それが出来ないってのはやっぱり」
「そうね。アリアンロッテを目指せない今のあたしは、これまでの生き方を否定しているも同然」
「じゃあ」
「でも、あたしはあたし。アリアンロッテを目指さなくなったって死ぬわけじゃない。虫のモンスター、トリックモスのアリアはずっと続いていくのよ」
「それは」
本当にいいんだろうか。それこそ、アリアンロッテを目指せなくなったら死ぬくらいのがいつものアリアじゃなかったのか。なのに、まるでアリアンロッテを目指さなくてもいいだなんて発言が出てくるのは、どう考えてもおかしい。
「何そんな悲痛そうな顔をしてるのよ。ものの例えよ。まあ、でも、そうね」
そう言って節足の前足をクルクルと回した。本当に目指さなくなったとしたら。そんなことをあっけらかんと述べ、そして俺を見てクスリとアリアは笑う。
「あんたの彼女にでも、なろうかしら」
その言葉は、いつものアリアと比べても。格段に優しい声色に感じて。
何故か、無性に寂しそうであった。
アリアが蛾の姿のままであろうと日常は回る。既に違和感を持たれなくなってきたアリアのそれだが、しかし村の外だとどうか、ということになるわけで。
「別にあたしは留守番でもいいわよ」
「それはそれで戦力ダウンだしな」
ちょくちょくと勇者級用の依頼が現れるのだが、アリアがこの姿なので俺達はそれを受けないでいた。まあ俺がいなくてもバクス、クロード、アイラさんと勇者級のラインナップは豊富なのでなにか問題が起きることはないようだが。
そういえばあの時会った教国の新人勇者級のクロードの後輩もいたっけか。それなら余計に俺が出なくても回るだろう。
「あんた達が暇じゃないの?」
「別に暇なら暇でいーですよ?」
「のんびりでも、問題ないよぉ……」
アリアの言葉にスロウもシトリーもそう述べる。仲間がそんな反応なので、アリアもそれならいいけれどと引き下がった。まあ留守番をしようとしているやつが乗り気でも何もならんしな。
「そう思うならそのままでも依頼に行く覚悟を決めるか、擬態能力を戻すかどっちかだな」
俺がそう言うとアリアは不満げにそっぽを向いた。だから別にそれならいいけどって言ってるじゃない、などと俺に文句をぶつくさ言っている。
「でも、本当に戻りませんね、擬態能力」
「戻らないっていうのは語弊があるけどね。隠れ潜む百花様の言う限りじゃ、能力自体は残っていて、人型にだけなれないっていう話だし」
「そういえば、他の擬態って、出来るのぉ……?」
「まあトリックモスの擬態でいうなら」
ば、と羽を広げたアリアの姿が背景に溶け込むように掻き消える。というかギルドの物体の一部になったというべきだろうか。おお、と拍手をするスロウを見て笑いながら姿を戻したアリアは、後は、とゴキゴキ音を立てて芋虫の姿になった。
「あ、わたしです」
「魔王級の能力も併用すればこんなことも出来るわね。どう? エミル。興奮する?」
「芋虫のスロウに常に興奮しているような物言いはやめろ。誤解を招く」
「エミル、やっぱりそーなんですか? えっちのとき芋虫のほうが興奮します?」
「だから違うって言ってるだろ」
「わ、ワタシもアリジゴクの方がよかったり、するのぉ……」
「だーかーら!」
ゼーハーと肩で息をしながら誤解を解き、この野郎と芋虫スロウに変身しているアリアを睨んだ。きゃあ怖い、とわざとらしく声を上げたアリアは、そのままゴキゴキと音を立てて蛾の姿に戻っていく。
「そこまで出来て人型にだけなれないのか」
「正確には、あの姿になれない、が正しいわね」
多分別の人型にならばなれる気がする。そんなことをアリアは続けた。別の人型っていうと、スロウやシトリーの擬態の姿とか、マイア姉さんの姿とかってことか。あるいは、完全に別の人型に、とか。
じゃあ何で。そんなことが頭をもたげ、ふと、スロウの再修行の時のことを思い出した。
「……目標が、見付からない?」
ピクリとアリアが反応する。もしそうだとすれば、アリアの姿の道標となるものがあれば、再び擬態が出来るはずだ。
が、隠れ潜む百花は理由を、面倒なやつ、と称していた。いやまああいつにとっては万物全部が面倒なのかもしれないけど、そういうのとは違う、ちゃんと面倒なやつのはずだ。
なら何が面倒なのか。そこまでを考えて、あ、と俺は声を上げた。そもそもスロウの時も丁度よく似た顔のスノウがいたからすんなりいったのであって、彼女がいなかったらもっと時間がかかっていたのは間違いない。
「……いや、むしろ逆か?」
アリアンロッテに関する資料なら小説やら何やら大量にある。アリアはそれを基にしてあの姿を作ったのだから、それと同じことをもう一度やればいいことじゃないか。
そこまで考えて、おかしい、と俺は気付いた。そんなことアリアならばすぐに分かるだろう。スロウの時の話も聞いているのだから、俺がこうして思い付くことはとっくに試していてもおかしくない。
なのに、擬態が出来ないということは。
「さっきから何一人でブツブツ言ってるのよ」
「あ、悪い。いや、ちょっとな」
さっき目標が見付からない、という俺の呟きにアリアが反応した。あれが俺と同じことに気付いたのではないのならば、アリアの見付からない目標というのは。
「なあ、アリア」
「何よさっきから。頭抱えたり忙しないわね」
「ああ、悪い。じゃあ、尋ねるけど」
「なによ」
「アリアンロッテはもう目指さないのか?」
アリアの動きが止まった。それを聞いて、アリアの反応を見て、スロウ達もえ、と目を瞬かせている。
「この間も似たような話をしたような気がするわね」
「そうかもな」
その時は、なんて言ってたっけか。ああそうだ、目指さなくても死にはしない、みたいなことを言っていて。
アリアらしくないって、思ったんだ。
「何? あんたひょっとして、あたしがアリアンロッテを目指さなくなったから、だから擬態が出来なくなったって、そう思ってるの?」
「ああ」
しっかりと頷く。そうしながら、なんでそんなことになっているんだと問い掛けた。聞かれた方は、なんでも何も、と肩を竦めるようなポーズを取る。
「この間も言わなかったかしら。あたしはあたし、アリアンロッテを目指さなくても死にはしない、そう思ったから」
「本当か?」
「疑り深いわね」
「俺の知っているアリアは、それこそアリアンロッテを目指さなくなったら死ぬようなやつだった。命を懸けてアリアンロッテになるようなやつだった」
実際そういう場面も何度かあったし。そんなことを思いながら、俺はアリアを真っ直ぐに見た。アリアはそんな俺を見返して、そしてその複眼をそっと逸らす。
「生きていれば変わることもあるわよ。ただそれだけ」
「お前の中のアリアンロッテは絶対にそんなただそれだけで終わるものじゃなかった」
「あんたに何が分かるのよ」
「少なくとも、今のお前よりはこれまでのお前を分かってるよ」
「……そうかもしれないわね。でもあんた、逆に今のあたしのことはさっぱり分からないんじゃない?」
そう言ってアリアが笑う。どこか空虚さを感じるようなその笑みを見た俺は、思わずアリアの節足を掴んでいた。手放すと、すぐにでも逃げていくような、そんな気がして。
「痛いわ」
「あ、悪い」
「それで、どうなの? あんたはこれまでのあたしを知ってて、今のあたしは知らないってことでいいの?」
「……ああ」
頷く。そんな俺を見たアリアは、そうよね、とまた笑った。そのままお姉さんに向き直ったアリアは、すいませんと頭を下げる。体調が悪いので、今日は失礼します。そう言うと、そのままギルドを出ていこうとする。
「アリアちゃん!?」
「アリアちゃん……!」
「アリア!」
「そんな叫ばなくても。大丈夫よ」
振り向いて笑う。本当にちょっと気分が悪いだけなの。そう言うと、そのまま俺達を置いていってしまった。それでも、と追いかけようと足を踏み出したが、帰り際に見せたあの顔が、どうにも俺達を拒絶しているように見えて動けない。
「……余計なこと言ったかな」
「そーですね。まあでも、必要なことだったような気もします」
「アリアちゃんの悩みの大本ってことかなぁ……」
何を悩んでいるのかはまだ分からないが、あいつにとっては最重要な事柄だってのは分かる。だから今は少し待とう。
そんなことを思いながら、俺達はアリアの去っていったドアを見詰めていた。