そんな悠長に構えていたのが悪かったのか。
その発端は冒険者の仕事を終えたメアリーが何の気なしに言った一言だった。
「あら? アリアは用事で出掛けているの?」
「へ?」
その言葉に面食らったのはマイア姉さんだ。てっきり体調不良だから今日も家で休んでいるものだと思っていたお姉さんは、メアリーの言葉に表情を変えた。
一方のメアリーも、どうやら普通にギルドの手伝いに行ったものだと思っていたらしく、別段気にしていなかったが、流石に戻ってきてもいないことが気になって問い掛けたらしい。
そんなやり取りで、アリアがいなくなっていることにようやく気が付いた。
「今日もお見舞い行くべきでした」
「でも、何だかそっとしておいて欲しそうだったからぁ……」
「そうなんだよな」
今日ギルドに来てないのもしょうがない、と見守る方向に持っていったのが災いした。今日も休み、の時点で家に向かっていればもう少し早く自体が発覚したのに。そんなことを思っていてももう遅い。とりあえず探さないと、と俺達はギルドを飛び出した。
が、手掛かりにも何も無いのに、そしてそろそろ夕方なのに見付かるはずもなく。すごすごとギルドに戻ってきた俺達は、明日は本腰を入れて探そうと頷きあった。今の姿でその辺をウロウロしているはずもない。だから、探せば見付かるはずだ。そう信じて。
翌日、ギルドでお姉さんに情報共有をしてから再度向かおうと思った矢先。
「ねえ、エミル君」
「どうしたんだ?」
「エミル君宛てに依頼来てるの」
「いや、今はそれどこじゃ」
「依頼内容は、『魔王級トリックモスの討伐』」
は、と俺は思わずお姉さんの方を見た。依頼者は匿名、場所は隣町の廃屋敷、メアリーの屋敷だ。そこに、魔王級のトリックモスが出現したので、対処して欲しい。そういう依頼だ。
お姉さんの説明を聞いて、その依頼書を見て。俺は思わずそれを握りしめた。これ、他の誰かが受けることは、とお姉さんに聞いたが、ありえないよと返される。
「さっきも言ったでしょ? それ、エミル君宛ての依頼なの。エミルくんのパーティー、ですらない、一人を名指ししてる」
俺だけ? 俺だけを指名した依頼? それってつまり、依頼者は。
「どーします? 行きますか?」
「行くよ。行かない理由がない」
「そうだよねぇ……」
俺の言葉にスロウもシトリーも頷く。その依頼を受ける、とお姉さんに告げ、依頼承認の印をつけた書類を受け取った俺は、スロウに《テレポート》を出して貰うよう頼んだ。
勿論ですと《テレポート》を唱えたスロウは、じゃあ行ってらっしゃい、と俺を見送る体勢に入る。
「ついてこないのか?」
「エミル一人で、っていう条件ですしね。……依頼者も、きっとそれを望んでます」
「エミルくん……お願いだよぉ……」
何をお願いしているのか。そんなものは尋ねるまでもない。ああ、と頷いた俺は、スロウの唱えた魔法陣へと足を踏み出した。
そうして移動した先は隣町の、メアリーのいたあの廃屋敷のすぐ近く。何でこんな場所に、と思わないでもなかったが、しかしまあそうか、と思い直す。
あいつと初めて出会ったのがここだったからな。
屋敷の扉を開ける。メアリーの、幽霊騒動の時にも立ち入ったので、それほど扉がきしんでいない。あるいは、直前に屋敷に入った奴がいたからかもしれない。
朽ちたエントランスホールもこの間見たままだ。あの時の騒動で少し焦げているのも変わらない。二階に続く階段も変わらずボロボロ。あれを下りてこられるのは、幽霊みたいに実態のないやつか、あるいは。
「……あら、お客様かしら」
そう言って下りてきた蛾のモンスターのように浮遊しているやつか。
鈴を鳴らすような声で呟いた眼の前の蛾は、そのままクスクスと笑う。表情を変えずに見ていた俺を確認すると、別に取って食べるようなことはしないのだけれども、などと言いながらゆっくりと階段を下りてきた。
「生憎、ミミックロウラーは今日はいないぞ」
「ええ、そうね」
そうしてお互いの距離が縮み、会話をするのに十分な距離になった時点で、俺はそんな言葉を述べる。対する蛾も、アリアも、俺の言葉を聞いてクスクスと笑った。
「懐かしいわね。あんな会話をしてからもう、二年くらい経つのかしら」
「そうかもな」
そう言いながら、俺は眼の前のアリアを見やる。今回の依頼者は間違いなくアリアだ。だから、依頼内容はアリアの望みということになる。
だから、その理由が分からなくて、俺はどうにも表情がこわばってしまっていた。
「あら? 怖がらなくてもいいのですよ。わたくしは争いを好みませんの」
「――久しぶりに、聞いたな」
「……そうよね。あんたにとって、『これ』は久しぶりに聞くものよね」
クスクスと笑っていたアリアの表情がす、と曇る。ゆっくりと自身の節足の前足を眼前に掲げると、そもそも、今こんな姿なのにね、と自嘲するように言葉を紡いだ。
「ねえ、エミル。あたし、アリアンロッテをやれていたのかしら」
「は? いや、そりゃ、やれてただろ。お前はずっとアリアンロッテを目指してるんだし」
「そうね。あたしはアリアンロッテを目指していたわ」
掲げていた節足がだらりと垂れ下がる。複眼の視線も床に落とし、何かを考えるようにゆっくりと頭を振った。
目指していた、とアリアは言った。目指している、ではなく、だ。
それはつまり、もう今はアリアンロッテを目指していないということになるのだろうか。そんなことを思ったが、問い掛けることは出来ない。出来ない、というか、怖くて聞けないという方が正しいのかも知れない。
それを聞いたら、今度こそ本当に何かが壊れてしまうような、そんな気がしたのだ。
「聞かないのね」
「何のことだ?」
「とぼけなくていいわよ。あたしが、もう、アリアンロッテを目指さなくなったってことをよ」
「……なんで」
アリアにとって最優先だったはずだ。目指すべき目標で、生きる意味で。
アリアを形作る、最も大きなものだったはずだ。
「そうじゃなくなったとしたら?」
「え?」
「アリアンロッテを目指すよりも、優先するものが出来た。そうだとしたら、どうする?」
「どうする、って。それはお前の生き方だし、お前がそれでいいなら」
「エミル」
お前がいいならそれでいい。そう言おうとした俺を、アリアは遮った。でも、アリアンロッテを目指さないアリアはアリアじゃない。そんなことを言わなかったか、と。
「いやそこまで言ってないだろ。ただ、普段のお前からすればらしくないな、とは言ったかもな」
もしそれが不快だったのならば謝る。そんなことを言いながら頭を下げた俺に、べつにいいわよとアリアが返す。そうしながら、でもそうよね、と言葉を紡いだ。
「自分らしさ、か。スロウと比べると、あたしらしさってそういうところよね」
「いや、アリアンロッテを目指しているとかいないとか関係なく、面倒見がいいところとか冷静なところとか常識的なところとか、そういうアリアらしさは十分助かってるけどな」
「……あんたって、本当に」
はぁ、とアリアが溜息を吐く。そうしながら、節足を器用に使い方を竦めるようなポーズを取った。
そうしながら、複眼の視線を俺に向け直す。じゃあ改めて聞くけれど、と俺に問い掛けた。
「あたしがアリアンロッテよりも優先するものが出来たら、あんたはどうする?」
「お前が決めたことなら、俺は文句を言わないよ」
「そう……」
俺の答えを聞いて何かを決めたのか、アリアは小さく笑った。じゃあ、そうさせてもらうわね、と言葉を続けた。
「好きよ、エミル」
「は?」
「あたしはあんたが好き。ああ、勿論仲間として友達としてもそうなんだけど」
「へ?」
「愛してるわ、エミル」
はっきりとそれを口にしたアリアは、どこかスッキリした顔で俺を見ていた。あーあ、言っちゃった、と天を仰いだ。
「え、っと? いつものからかいってわけじゃ、ないのか?」
「あら、乙女の告白をからかい扱いするなんて。悲しいわね」
「いや、そういうわけじゃなくてだな」
いやだって、アリアが、俺を? いやまあ、からかい混じりにそんなような話は何回かされたことはあるけれども、本気で?
そんなことがぐるぐると回って、でも間違いなく嘘やからかいではない、としっかり飲み込んで。俺は。
「俺は、スロウが一番だ。それは変わらない」
「そうね、知ってるわ」
「……シトリーも、そんな俺を受け入れて、彼女になった」
「ええ」
「もし、お前が、それでいいのなら」
「それは本当に本心?」
「え?」
「あたしの言葉に動揺して、心にもないことを言おうとしてない? そもそも、あんたはどうなの? 言ってたじゃない、これ以上彼女を増やすのはどうなのか、って」
「それは……」
言った。確かにそう言ったし、思っている。ハーレム野郎のそしりを受ける覚悟は出来ても、じゃあ積極的にハーレム野郎になるかと言えばそんなつもりもない。
でも。アリアのその告白が本当なら、俺だって覚悟を決めるくらいのことはする。
「だとしても、よ。ねえ、あんた、あたしに欲情したり、いやらしいことを考えたりとか――は、結構してたわね」
この間のデートを思い出したのか、アリアは少しだけトーンダウンしながらそんなことを述べた。いやだがしかし、と今度は自身の、蛾の姿を節足で指す。
「今のあたしは蛾よ? この状態でもあんたはいやらしいことが出来るの?」
「いや、俺は別に蛾の姿も可愛いとは思うぞ」
「本気で言ってるからたち悪いのよね……」
はぁ、とアリアが溜息を吐く。少なくとも他のトリックモスとアリアの区別はきちんとつくし、それについては心配いらない。そんなことを続けると、もう一度アリアは溜息を吐いた。
「というか、アリアこそ、本当にいいのか?」
「何がよ」
「俺の、その、彼女になってもだよ。俺はスロウが一番とか言ってるくせにシトリーまで彼女にしたハーレム野郎だぞ?」
「そんなエミルを好きになっちゃったんだもの、仕方ないわよ」
やれやれ、と頭を振るアリアを見ながら、俺はあははと頬を掻く。ああ、これでスロウに何か言われるな。文句ではないのが幸い、なのか? いっそ文句を言ってくれたほうがいい気がする。
そんなことを考えながら頭を抱えた俺を見ながらアリアが笑う。そうしながら、じゃあ、と俺に声を掛けた。
「あたしの彼氏になってくれたエミルに、さっそくお願いがあるの」
「ん? なんだ?」
「あたしを殺して」
「……は?」
いきなりのそれに思考がついていかない。何だって? 今なんて言った? 殺せ、って、そう言ったのか?
「なん、で?」
「……もう。そもそもあんたが言ってたでしょ? あたしにとってアリアンロッテは目標で、生きる意味で、全てだったのよ」
「あ、ああ」
「それを失ったあたしはもう、ただのモンスターよ。ねえ、知ってる? あたしが食人しない理由は、アリアンロッテはそんなことしないから」
「それは」
「そう。今のあたしは人を襲うわ。モンスターの本能に従って生きる化物よ」
「別にそんな理由じゃなくたって、お前は人を襲わないだろ?」
「そうかしら? 理性で抑えていた気持ちが溢れて、本能的にあんたを求めちゃったわ。――あんたに本気の告白した時点で、あたしはもう駄目なのよ」
だから、とアリアが羽を広げた。節足をまるで抱きしめてほしいとばかりに広げ、ここに剣を突き立てて欲しい、と俺に頼んだ。
「チャンスはこの一回よ? もしやらないなら、あたしはあんたを殺して食うわ」
「俺だけを呼んだ理由は、それか?」
「愛する人に殺してもらえるなんて、素敵じゃない?」
「ざけんな」
剣は抜かない。絶対にお前の思い通りになんかしてやるものか、と叫んだ。そんな俺を見たアリアは、そうよね、とどこか楽しそうに笑う。広げていた節足を戻すと、ギチギチと蜂に似た虫の顎を鳴らした。
「それじゃあ、あたしはこれからあんたに襲い掛かるけれど」
「なんでだよ」
「さっきも言ったでしょう? あたしの本能が限界なのよ」
「嘘つけ」
あながち嘘でもないけれど、とアリアは笑う。アリアンロッテを目指しているという己自身が崩れた今、これまで抑え込んでいたモンスターの本能が表に出てきてもおかしくない。そう続け、俺に向かって鱗粉を飛ばした。
「なっ!」
「さあ、こんがり焼いて美味しく食べてあげるわ、愛しいエミル!」
「やられてたまるかよ!」
横っ飛びで爆発を躱す。羽を広げて空中に浮かび上がったアリアは、ギョロリとその複眼を眼下の俺に向けていた。
「愛してるわエミル。食べちゃいたいくらい」
ギチギチと虫の顎を鳴らしながらアリアが述べる。モンスターの本能に支配されている、というよりは、無理矢理本能を解放しているといった感じだ。
だから、結局アリアはアリアで、何も変わっていない。ただ、目指していたものを無くしたと思い込んで、自棄になっているだけだ。
仕方ない、と剣を抜き放った俺は、切れ味を無しにした悪徳の剣を構えた。