第七十話
とりあえず。この状況になってから月、火、水、木、風、土、氷、光の八日が過ぎているのだから、一週間が経った、はずである。いや、経っているのは確かなのだが、そこら辺まで微妙になっているのは一つの理由があるわけで。
「どうしてそんな意地悪を……っ!」
「意地悪? 貴族としての礼儀を教えているだけではなくて?」
眼の前で涙目になっている一人の少女に、扇で口元を隠しながらもう一人の少女がそんなことを述べる。そしてそれを見守る俺。
「悪役令嬢とヒロインって感じしますね」
ついでに野次馬のスロウ。なあ、お前はこの場にいると色々シナリオおかしくなるから止めとけって言ったよな? なんでいるんだよ。
「え? 別にいーじゃないですか。こうやって野次馬に紛れればわたしのことなんか気にしませんよ」
「野次馬の塊の中に混じれないんだよお前は。もう少し美少女の自覚を持て」
「ふっふー。まあわたしの擬態は完璧ですからね」
「だからそれが仇になってんだよ。いいからこっち来い、アリアの邪魔になる」
そう言ってスロウを引っ張って騒動から移動させた。ある程度距離を取って向こうの声も聞こえなくなってきたところで、俺はようやくスロウの手を離す。はぁ、と溜息を吐いて、それでもう一度目の前の芋虫を見た。
「魔道具のメガネで一応正体分からないようになってるけどな、元の可愛さはそのままなんだから、目立つんだよお前は」
「さっきも今も、珍しく素直に褒めますね、エミル」
「客観的事実に基づいてるからな。俺の感想とはまた違う」
「えー。じゃあエミルの言葉で言ってくださいよ、可愛いって」
それはそれとして。さっきも言ったがこれはれっきとした依頼なんだから、変に向こうの邪魔をして失敗したらマズいんだからな。そこんところ分かっているのか。そんなことをスロウに述べると、話題逸らした、とぶうたれた。だって別にその辺は今どうでもいいことだろ。だから俺が日和ったわけじゃない。
「まーいいです。それにしても、変装までする必要あったんですかね」
「今更だな」
「この一週間あれよあれよと話が進みましたからね。ノリノリなのは発案者のアリアちゃんくらいで、残りの面々は多分頭にはてなマーク浮かべたまま行動してますよ」
「まあな。俺も正直何やってんだろって思いながら行動してる」
スロウの言う通り、俺達がここ、王立学院に再びやってきているのは依頼のためだ。アリアとスロウがとある貴族の生徒に、俺とシトリーとコイナがその侍従に変装をして学院で生活をしているわけなのだが。
経緯は置いておいて、スロウが生徒役はやっぱり無理があったのでは?
「何でですか。わたし天才聖女ですよ?」
「そこ以外なんだよなぁ……」
ステータス的な意味ではスロウは間違いなくここの生徒と遜色ないことが出来るだろう。だが肝心の、貴族の生徒という中身部分は非常に不安であった。実際この一週間でハラハラする場面が何個か。
まあ市井で育ったとある貴族の落胤、みたいな設定で何とか誤魔化せたが。ちなみに義姉がアリアである。
何だこの設定、と思わず言いたくなるそれは、まあ娯楽小説のヒロインと悪役令嬢みたいな立ち位置となっているわけで。そう年齢が違わないように見えるってことは、つまり、みたいな噂も立つやつだが、アリアが悪役令嬢にノリノリなのでそこら辺はもう気にしないことにした。
問題はヒロイン役の方である。スロウ、ではない。この学院には既に悪役令嬢に苛められるヒロインがいたのだ。ちなみにさっきの涙目になっていた方である。そしてそれに何か言ってたのはアリアだ。悪役令嬢をやっているあいつは実に輝いていた。
「どーしたんですか、変な顔して」
「いや、ここんとこのあれそれを思い出してただけだ」
「ああ、そーゆーやつですか。あれそれって言うと、アンゼリカさんの頼みから思い出してた感じです?」
「そこまで最初からじゃないけど、まあそんなところだ」
傀儡人形が言っていた、アンゼリカ嬢のお願いを聞いて欲しいという話は、案外早くやってきた。セフィに誘われ、ベルンシュタイン公爵家でのお茶会に招待された時のことだ。
実は、少し困ったことがありまして。そう切り出した彼女が述べたそれに、セフィもああ成程それのことだったのかと頷いていた。
「どういうことだ?」
「学院では私とアンゼリカ様は共に行動することが多いのですが」
セフィ曰く。とある男爵令嬢が男子生徒によく声を掛けているのを目撃、それだけならばまあよかったが、婚約者のいる人にも近い距離で接しているのを見て流石にそれはと注意をしたのだとか。
「あの方を師としているからでしょう。どうやら加減を間違ったようで」
「私としてはそこまでとは思いませんでしたが」
泣かせてしまった、と語るアンゼリカ嬢の横でセフィがそうフォローするが、いかんせんお嬢様の皮を被ったバーサーカーである彼女の言葉を完全に信じていいものか。まあとりあえず今の所は置いておこう。
問題はそこからだ。なんとその婚約者がいたという男子生徒も、その男爵令嬢の味方をし始めたというのだ。あっという間に噂は駆け巡り、アンゼリカ嬢は巷の娯楽小説に出てくる悪役令嬢に早変わりというわけである。
「それって、セフィには何もなかったのか?」
「直接的なものはアンゼリカ様だけですわね。精々が悪役令嬢の仲間、とか揶揄されるくらいでしょうか」
「それはそれで問題では?」
アリアがセフィにそう述べる。その横ではシトリーがうんうんうんと頷いていた。
ともあれ。まあつまりアンゼリカ嬢の少し困ったことというのは、学院で悪役令嬢になっていること、でいいんだよな。それ少しで済むことなのか?
「まあ、そうですわね。わたくしの
そりゃあのタコ女ならもうちょっと相手をどん底に落とすような工作とかしてきそうだからな。
そこまで考えて、でも、と思い返した。アンゼリカ嬢を助けて欲しいと言ってきたのはあの傀儡人形だったぞ。
「助けるじゃなくて、頼みを聞いて欲しいですよエミル」
「どっちも一緒だろ」
そうスロウにツッコミを入れたが、いや確かに違うか、と思い直す。見る限り、アンゼリカ嬢は助けを求めているようには見えないし、痩せ我慢をしているようにも見えない。
「実際、解決しようと思えばすぐに解決出来る事柄です。件の男爵令嬢を穏便に退場させればいいだけですもの」
「穏便に、ね」
どこから退場させるかは聞かないでおく。傀儡人形に師事しているだけあって、まあ考え方が中々にアレだ。いや、王国の片翼、フォーマルハウト公爵家ともあればそれくらいは当たり前なのかもしれないけど。
ちらりとセフィを見る。彼女だったらどうしただろうか。……物理的に沈めそうだな、とかつい思ってしまったので慌てて頭を振った。
「エミルさん」
「はい?」
「今私の顔を見て何を想像されたのかしら?」
「いいえなにも」
「多分セフィちゃん先輩なら物理で解決しそう、とか思ってましたね、今の顔」
こういう時に俺の中身を見通すことの出来る幼馴染がいるのは非常に問題である。でたらめだ、と言ったところで通じるはずもなし。申し訳ありませんでしたと謝る以外に方法など無かった。
ともあれ。話を戻すと現状助けは必要ない、ということになる。ならばあのタコ女は一体全体何を頼んだというのだろうか。
そこまで考えたタイミングで、本題に入りましょう、とアンゼリカ嬢が切り出した。お願いはきちんとあります、と言葉を続けた。
「実は、件のわたくしを悪役令嬢に仕立て上げた一因である貴族令息達の中に、そこそこの地位の方もいらっしゃって。オーウィンさま――婚約者である第四王子様にあの女は相応しくないなどと吹き込んでいるのです」
「断定なんですね」
「ええ、本人から聞きましたもの」
そう言って微笑むアンゼリカ嬢。これ、第四王子がそれを取り合ってたら今より酷い事が起きてたんだろうというのは想像に難くない。
「勿論、オーウィンさまは何を言っているのかと跳ね除けてくださいましたが、流石にこれ以上ご迷惑をかけるわけにはいきませんので」
「退場させるんですか?」
スロウがさらりとそう述べる。止めてやれ、退場とか言うの。まあでも確かにちょっとやりすぎた感はあるな。ただ、本人の意図したところなのか、それとも貴族令息が行き過ぎただけなのかはある程度考慮した方がいいかもしれん。
そう俺が述べると、それは勿論、とアンゼリカ嬢は頷いた。
「ですので、少しお願いをしてもよろしいですか?」
「内容にもよるけど、何をすればいいんだ?」
「彼女が全てを計算して行ったのか、それとも向こうの暴走だったのか。それの調査を依頼したいのです」
「それによって、相手の処分を決める、と」
アリアの言葉にアンゼリカ嬢は微笑む。まあでもそんなことは俺達に頼まなくても公爵家の力を使えば簡単に出来るんじゃないのか。そう思ったので聞いてみると、確かに出来ないことはないでしょうと返された。
「ですが、エミルさん達に依頼をした方が信頼の置ける結果になる、とわたくしは判断したのです」
「買い被りすぎだろ。俺達はただの中級冒険者だぞ」
「御冗談を。属性頂点全ての署名を集められる中級冒険者など、ただの、の範疇に収まりませんわ」
「別に属性頂点全部じゃなかったけどな」
そこを訂正したところで、ほぼ全てと顔見知りなのは変わりない。そこを突かれるとまあ確かに疑問を持たれるのは間違ってないわけで。いやコネがあるだけで俺自身はそう大した冒険者じゃないと思っているのは変わりないが。
「ふふ。でしたら、この依頼を新たな経験値にするのはいかがでしょうか」
「それはそれで問題だろ」
「いいえ。そう心配なさらなくとも、この結果如何でわたくしの今後が変わる、というほどでもありませんもの」
なので、気楽に受けてくれて構わない。そう続けるアンゼリカ嬢だが、それでいいのかという思いはそうそう減ることはない。
「ま、いーんじゃないですか、受けても」
スロウがまさしくお気楽にそんなことを述べた。おい、と思わずそちらを見たが、別に心配するようなことじゃないってアンゼリカさんも言ってますし、とあっけらかんと続ける。
「……まあ、失敗しても気にしないっていうなら」
「勿論」
絞り出すように言ったそれに、アンゼリカ嬢は笑顔で返す。ならもうそれでいいや、と開き直って受けることにした俺は、それで一体何をすればいいのかと彼女に問う。
そのタイミングで、お任せくださいと勢いよく言い放った奴がいた。
「あたしが、アンゼリカ様の代わりに立派な悪役令嬢を務めてみせます!」
アリアである。何言ってんだこいつ、と思わずそっちを見たが、その表情に一点の迷いもない。別に迷いがないのはそれでいいが、何をするかをちゃんと説明してから暴走してくれ。いや、何となく分かるよ? 悪役令嬢をやるらしいのは分かったよ?
悪役令嬢をやるってなんだよ。
「あたしは悪役令嬢アリアンロッテを目指しているわ」
「知ってる」
「最近その辺りが上手く出来てないと感じてたのよ」
あ、自覚あったんだな。ここんとこ割と素のアリアばっかでアリアンロッテモードになることほとんど無かったもんな。せっかく悪役令嬢の扇を手に入れたのに。
そんなことを言うと、そうなのよ、とずずいと俺に詰め寄る。
「あたしが目指すアリアンロッテに最近遠ざかっているの」
「アリアちゃんは普段通りで可愛いですよ?」
「ありがと。でもそうじゃないの」
スロウの言葉にゆっくり首を振る。そうしながら、アリアは拳をぐっと握ると何かを決意したように前を見た。
「これはチャンスよ。あたしの悪役令嬢としてのレベルを上げるための。実際の現場で悪役令嬢になることによって、あたしのアリアンロッテの解像度を一段階上げるの」
「アリアちゃんが、燃えてるよぉ……」
「言ってることはさっぱり分かんないですけど」
「奇遇だな、俺もだ」
まあ少なくともノリノリで悪役令嬢になろうとしていることだけは分かる。分かるが、それ以外がよく分からない。
とりあえず、アリアが悪役令嬢になることでアンゼリカ嬢の噂を払拭しようってことで合ってるのか?
「そうね。あと、相手の出方も同時に調べるわ。アンゼリカ様を狙っているわけじゃないのなら、誰が悪役令嬢になっても相手の行動は変わらないはずよ」
「それって、アンゼリカさんを狙ってた場合は、アリアちゃんの悪役令嬢は無視されるってことですか?」
「そうなるわね。まあそうなればフォーマルハウト公爵家にケンカを売ったと確定するから、後はアンゼリカ様次第ね」
さっき言っていった結果次第で処分を決める、というやつのことか。まあよく分からんが、とりあえずアリアが悪役令嬢役を担うことでその辺が分かるというのならばそれもありかもしれない。
「言ったわね。じゃあそれでいくわよ。あたしは悪役令嬢――今回はアリアンロッテじゃない悪役令嬢でいくから、アリアのままでいいかしら。それで、聖女の義妹としてスロウもいるでしょ。勿論侍従もいるわよね、エミルとシトリー、あとコイナも連れていけばいいかしら」
「何かすごい勢いで設定が固まってってますね」
「ワタシ、出来るか心配だよぉ……」
呑気にそんなことを言っている虫二体を経由し、俺は暴走するアリアで視線を止めると溜息を吐くのだった。
とりあえず、アンゼリカ嬢の依頼は受けるで間違いない。そんなような話を彼女に伝えると、よろしくおねがいしますわ、と微笑まれた。