「で、だ」
今日も今日とて、悪役令嬢アリアはノリノリである。件の男爵令嬢を苛めて――いや、苛めてるとはちょっと違うか。婚約者のいる貴族に近寄った時だけ口出ししてる感じだ。名目も無いのに悪役するのは多分あいつの目指すアリアンロッテに合致しないからだろう。
尚、どうやらアリアの悪役令嬢ムーブに便乗して男爵令嬢――ヒロインに嫌がらせをする連中も出てきたようで、教科書を破られたり物を隠されたりとかしている。アンゼリカ嬢の時にはここまで規模がデカくなっていなかったらしいので、流石に王国の片翼フォーマルハウト公爵家に罪を被せるほど命知らずではなかったらしい。じゃあ隣国の侯爵家ならいいのか、ということになるが、まあ比べると見劣りする、ということなのだろう。
ちなみに名前を使わせてもらってるのは以前やらかした息子をとっ捕まえた帝国の侯爵家である。妖精姫経由で許可を取り、了承してもらった。いいんだろうか、悪役令嬢の家名になるのは。
「まあ、既にやらかしてるんでいいんじゃないですか?」
「そんなもんかね」
隣のスロウが俺の疑問に答えるようにそう述べる。そんなやり取りをしながら、さて向こうはどうなっているのか、と視線を戻した。
「あ、教科書が……」
ボロボロの教科書がカバンから出てくる。この調子だと全教科全滅する勢いだな。そんなことを思いながら俺はスロウが授業の準備をしている様子を見ていたが、そんな男爵令嬢の隣に座る者がいた。アリアである。メイド姿が板についているコイナを伴いながら、静かに授業の用意をして、そしてちらりと男爵令嬢の姿を見て。
そのまま予備の教科書を取り出すと、彼女に差し出した。
「……え?」
「その状態では使えないでしょう?」
「え、その、なんで……?」
「日常の態度が悪いからと言って、授業を受ける権利もない、などということはありませんわ。……貴女が真面目に授業を受けるのならば、ですが」
「う、受けますよ。当たり前じゃないですか」
教科書を受け取り、キッとアリアを睨んでから授業に集中する男爵令嬢。そうしながら、ぼそりと一言だけ彼女は呟いた。
「……ありがとう」
「気になさらないで」
そんなやり取りを聞いていた俺は、どうやら雲行きが変わってきたぞと顎に手を当てた。同じく聞こえていたスロウも思ったより悪い人じゃなさそうですねと呟いている。
それはそれとして授業には集中しようなお嬢様。
「心配しなくても大丈夫ですよ」
そう言って教科書を捲りながら、しかしその途中で何かに気が付いてカバンを漁る。どうしたんだ、忘れ物か? そんなことを思いながらスロウの行動を見ていると。
ずる、とカバンから虫が出てきた。しかもかなりのでかさ。普通の、蝶よ花よと育てられた貴族子女なら卒倒ものである。
「これ、わたしも狙われてたりするんですかね」
「さあな。それはそれとして仕舞うか処理するかどっちかしとけ。じゃないと」
きゃあ、と悲鳴が聞こえた。どうやら大きな虫を鷲掴みしているスロウを見てしまったようで、顔を青くしている様子が見える。ありゃ、と当事者はなんてことない様子で呟くと、うねうねと動くその虫を再びカバンに突っ込んだ。悲鳴が更にあがる。
「あれ?」
「あれ、じゃねぇよ。仕舞えっつったのは見付かってなかったからで、見付かってからだと逆効果なんだよ」
一瞬にして教室が大騒ぎになる。めんどくさいですね、と言いながら再度虫を取り出したスロウは、うねうね動くそれを持ったまま窓際まで移動し、そのまま外に投げ捨てた。そうした後、あ、ともう一度カバンを漁る。
「一匹だけでしたね」
「捨てる前に確認してくれ」
はぁ、と俺が溜息を吐くのも気にせず、何事もなかったかのように席につくスロウ。それをぽかんとした表情で見ていた教室の生徒や教師は、しかしあまりにもスロウが平常運転だったので冷静になったのか授業が再開された。何もなかった、あるいは見間違いだった。そういうことになったようである。
そうなっていなかったのは、恐らく嫌がらせをしたであろう犯人らしき生徒と、アリア。そして、件の男爵令嬢だ。
「あなたも、いじめられているの?」
「はい?」
授業が終わるとその男爵令嬢は教科書をアリアに返し、お礼を述べ、そしてこちらにやってきた。そうして口にした言葉がそれである。なんのこっちゃとスロウは首を傾げているが、男爵令嬢はとぼけなくてもいいと先程の騒動のことを述べた。
「カバンに虫だなんて、貴族のお嬢様は悲鳴を上げるものでしょ?」
「そーなんですかね」
「私は田舎で育ったからある程度は平気だけれど、貴女もそうなの?」
「そーですよ。虫と一緒に育ちました」
嘘は言ってはいない。確かにこいつは虫と一緒に育った。当事者も虫である、ということを除けば、概ね合ってはいる。
ともあれ。成程、と男爵令嬢は頷くと、す、と手を差し出してきた。そうしながら、笑みを浮かべて、彼女は言葉を紡ぐ。お友達になりましょう、と述べる。
「いきなりどーしたんです?」
「貴女も私も村育ちで、貴族にいじめられている。だから、仲良く出来ないかしら、って思って」
「んー……。別にいーですけど、わたしの姉のこと知ってますよね?」
スロウの言う『姉』とはアリアのことだ。男爵令嬢を苛めている筆頭とも言える存在だ。そんな人物(実際は人じゃないが)の妹など、普通は避けるものではないのか。そんなようなことを軽く伝えると、彼女は何だそんなこと、と一蹴した。
「あの人は確かにいちいちうるさいな、とは思うけど。他の生徒みたいに陰湿ないじめをしてくるわけでもないし、今回みたいに困っている時は助けてくれたりもするし。私、案外あの人嫌いじゃないの」
おい失敗してんじゃねぇか悪役令嬢。いや、アリアの目指す悪役令嬢はアリアンロッテだから間違ってはいないし成功はしてるのか。まあいいや、その辺は向こうに任せよう。
それはそれとして、じゃあアンゼリカ嬢はどうなんだろうか。スロウにアイコンタクトでその辺を聞くよう尋ねると、分かったと頷いたスロウが彼女に問い掛けた。
「アンゼリカ様? 前にキツく怒られたけど、それがどうかしたの?」
「いじめられてたんじゃないんですか?」
「アンゼリカ様からは別に何も? ああでも、変な噂が立ったりはしてたわね。悪役令嬢がどうとか。今のアリア様もそんな感じだけれど」
「あれ? 仲が良い男子生徒に泣き付いたりとか」
「貴女もそういう噂を鵜呑みにするタイプなの?」
「まあ実際いろんな男子生徒とベタベタしてたらそう思われても仕方ないですよ」
「う。し、仕方ないじゃない。私その辺の作法何も知らないままここに入学させられたのよ? 貴族扱いされてるけど、中身は平民の生徒と変わらないの。田舎の、平民の距離感で付き合うとついああなっちゃうのよ」
がぁ、とまくし立てた男爵令嬢は。大体そういうそっちはどうなのだと指を突き付けた。人のことを言えた義理か、と言葉を続けた。
「貴女だって相当でしょ? 男女問わず、平然と距離近めに接するから、だから同じように嫌がらせを受ける対象になったんでしょ?」
「……そーなんですか?」
「そうよ」
ちらり、とスロウがこちらを向く。いやまあ、お前大事な人以外はどうでもいいっていうスタンスだから、それが逆に平等に距離詰めてるように見えるんだよな。知らない男も女も、まあ有象無象だしどうでもいいかって接してるだろ。そう伝えると、ああ成程、と納得いったように頷いた。
「……私とは別方向に面倒な性格してるのね」
「そう言われても、しょーがないですよ。わたしはエミルが一番、仲間や友達が二番、知り合い三番、くらいで後は別に基本どーでもいいですし」
うわぁ、と男爵令嬢が引く。が、まあそういう方が貴族に向いているのかも、と何やら考え込み始めた。その結果嫌がらせ受けてるからスロウそのものを見習っても意味はないぞ。
「こほん。それで、貴女は私と友達になってくれるかしら?」
「さっきも言いましたけど、別にいーですよ。あ、でもさっき言った中だと二番にはまだ入らないですよ?」
「それは何となく分かるわ」
そう言って手を差し出す男爵令嬢。それを握り返し、スロウはそれじゃあよろしくお願いしますね、と笑みを浮かべた。
「じゃあ改めて、レアよ」
「スロウです」
これ大丈夫なやつか? そうは思ったが、まあ別にスロウがいいっていうならまあいいか。そう思うことにして、今はこいつの侍従である俺は口を挟まないことにした。
遠くで面倒なことになってやがるって顔をしているアリアは、見なかったことにした。
そうして知り合った男爵令嬢、レアだが、これが思ったよりも普通であった。確かに田舎者、と言っていいのか分からないが、距離は近い。が、これは男に限っているわけではないというのがスロウとの接し方で分かった。
「ごめんなさいスロウ。勉強教えて」
「しょーがないですね」
そう言って隣に座るレアはスロウと隣同士でほとんどくっついている。恐らくこれが彼女にとって普通の距離感なのだろう。色々と制限されているだろう貴族の中でこんなことをやってしまえば、そりゃもう酷いことになるのは目に見えていた。うん、間違いなくアンゼリカ嬢の注意は正しい。
まあ、そんな距離感のおかしさはスロウと共にいることで少しずつ改善がされているのだが。ちなみにきっかけは実にささいなことで、これまでと同じ距離感で俺にもレアが接してきたからだ。
エミルに色目使ったら殺す。そう言わんばかりの、というかほぼ口にしたスロウのそれに、婚約者のいる相手の距離は気を付けなければいけないと学習したのだとか。
これひょっとして俺スロウの婚約者になってないか? 流石にまだ付き合ってもいないのにそれは問題があると思うぞ。
ともあれ。スロウとレアがセットになったおかげで、いじめも丁度いいとばかりにエスカレートし始めた。教科書がボロボロにされるのなど序の口で、虫やネズミをカバンにぶち込まれることも多々ある。流石にその辺は効いたのか、最近のレアは常に自身のカバンを持ち歩くようになっていた。スロウは完全にスルーである。まあこいつモンスターだし、その程度の嫌がらせ受けてもだからなにでしかないからなぁ。
が、それはそれで今度は直接害するようになるわけで。ちょっと目を話した隙に、レアは持っていた鞄ごとびしょ濡れになって教室に戻ってきた。どうやらどこかで水を掛けられたらしい。当然教科書もぐちゃぐちゃだ。
「あら、随分な格好ね」
「くっ」
そこに現れたのは悪役令嬢アリアである。扇で口元を隠しながらそんなことを述べた。レアはその言葉に歯噛みし、しかし犯人は違うから当たり散らしはしないとじっと耐える。
そんな彼女に、アリアは扇を軽く振った。温風がレアを包み込み、濡れた体をあっという間に乾かす。へ、と素っ頓狂な声を上げた彼女のカバンをひょいと取り上げ、同じように乾かした。
「とはいえ、これでは使えませんわね。仕方ない、わたくしの予備を」
「……何で? どうしてそこまで?」
「授業は真面目に受けているでしょう? 最近は態度も改まってきた。ならば、わたくしが貴女を害する理由などなくてよ」
メイドに扮したシトリーがそっと教科書を差し出す。今日はコイナがいないので若干心配だったが、この二週間ほどでシトリーもメイドの仕事に慣れたらしい。それは果たして良いのだろうか。まあいいか。
渡された教科書をしばらく眺めていたレアは、そこで我に返るとアリアを呼び止めた。まだ何か? と振り返ったアリアに対し、彼女は真っ直ぐ前を見て、そして迷うこと無く言葉を紡ぐ。
「ありがとうございます、アリア様」
「以前も言ったわ。お気になさらず」
そんなやり取りを見ていた俺の横では、虫を両手に握りしめたスロウがいる。なあお前今の場面台無しにしてるって理解してるか? そう思いつつ、それどうしたんだと問い掛けた。
「上から降ってきた植木鉢に詰まってたやつの残りです」
曰く。教室を出て中庭を散歩していたら、植木鉢が頭上に降ってきた。黙って食らうわけもないので迎撃したら、割れたそこから山程の虫が飛び出してきた。殆どは逃げてしまい、捕まえられたのがこれだけだった。
「何で捕まえた?」
「一応証拠になるかなーって。あ、植木鉢の破片も持ってきましたよ」
これ、と取り出したのは確かに植木鉢。だがしかし、嫌がらせにしてはエスカレートし過ぎてないか。レアが水浸しになったのもそうだし、スロウに至ってはこいつがモンスターじゃなかったら、聖女じゃなかったら、場合によっては命に関わる怪我になった可能性だってある。
状況は改善に向かっているはずなのに、これは一体どういうことだ。もう当人の立ち振舞とは関係ないところに来ているのか。だとしたら、何故。
そこまで考え、アンゼリカ嬢の背後にいるタコ女の存在を感じ取り。
「まさか、仕組んでないだろうな……」
「どーしたんですか?」
「いや、傀儡人形が裏で糸引いてないかと」
「んー。そーゆーんじゃない感じはしますけどね」
とりあえず虫は捨てときますか、と両手の虫を持ったまま窓際まで移動するスロウとそれを見て悲鳴を上げる生徒を見ながら、何かもう一つ秘密がある気がして。
俺はまた面倒なことになってきたな、と溜息を吐いた。