光の章 -Into The Shine-   作:ちゃしぶ(98mm/s)

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第一節:Empty Scale②

「きみ!」

 

「アイドルに!」

 

「興味はありませんか!」

 

 彼の仕事場が近いのか、あるいは近くに住んでいるのか、ともかく偶然とは言い難いほど彼と出会ってはスカウトされ、という日々が続いた。その度に凛は「興味ないから」と断るのだが、どうも彼の不思議なのは、その場では申し訳なさそうに「またね」と言いながら、次会うときにはこりずにスカウトすることだった。

 

「あのさ、そろそろ諦めなよ」

 

 何度目かも数えなくなったあたりで、しっかりと言うべきことは言っておこうと思った。

 

「え、あー」

「一回一回は潔く諦めてるつもりなんだろうけどさ、いつ不審者だと思われても仕方がないんだし」

「まあ、そうか…… そうかも…… そうかな……?」

「アンタが職質受けたとしても、私は助けてやれないからね」

 

 自販機に五百円玉を入れて、コーラを買うことにした。最近はどうも自販機では容量が小さくなってきて、そろそろ遠回りをしてドラッグストアで買う方が良い気もしてくる。彼も似たようなことを考えていたのか、自身の財布から一万円札を取り出しながら「やっぱり最近の自販機って中身少ない割に高いよね?」なんて言うので、一万円は使えないよと教えてやった。

 

「……もしかして、学校の友達に見られて気まずいとか?」

 

 その言葉がどうして、どうしても、引っかかってしまった。ごく普通の言葉遣いというか、大した意味もない平凡な言い回しのはずなのに。

 凛だけがどこにも行けないまま、誰とも一緒になれないまま……あの日にすれ違ったのを思い出した。

 

「……別に」

 

 それが妙に悔しくなって、さっさと帰ってしまうことにした。

 

   *

 

「へえ、そんな逸材がな」

 

 助手席に座る初老の彼は半信半疑のようで、ハンドルを握る若い男は続ける。

 

「そうなんですよ。チーフにも早く会ってもらいたいけど」

「……お前を信じられないわけじゃないんだが、そう何回もスカウトしてると、そろそろ通報されるぞ」

「どうなんですかね? 本人は割と突っぱねるような感じじゃないし、不審者扱いされなければ、みたいな?」

「事務所の評価にも関わるんだ、あんまりしつこくするんじゃないぞ」

 

 今日の首都高は気持ちの良い青空だった。早いうちに挨拶回りを終えて、こうして気ままに車を走らせながら事務所に帰るのも悪くない。そうだ、気分がいいしドーナツでも買って行こうか。

 

「あー、でも、昨日はちょっとだけ機嫌が悪かったような……?」

 

   *

 

 六時限目のチャイムが鳴って、今日も一人で帰ることが決定したようだった。

 クラスは今日も賑わっている。入学して一週間もすればクラスの中にはメンバーが固定されたようなグループがいくつかできていて、いわゆる一軍女子が雑誌を読みながら話しているグループとか、オタクが角の席に集まってマンガの話をしているグループとか、部活にのめり込んだ数人で一緒に体育館に行くグループとか、いろいろなグループがあるのに、凛はそのどこにも入っていなかった。

 放課後にはひとりぼっちだと確認したはずのクラスメイトたちも、気がついたら近くの席に話し相手を作っていた。

 ため息を一つこぼして、邪魔にならないように静かに立ち上がった。

 こんなのには慣れていた。中学も別に変わらなかったし、凛が教室を出たところで、一緒に帰ろうと引き止める人はいない。乱暴にドアを閉めてみても、少しだけちらりと見られる程度だ。そんなことに意味はないととっくに分かっていたから、せめてひとりぼっちらしく、誰かの話の邪魔にならないように、さっさと帰ることにしているのだ。

 

『人生の主人公は自分』

 

 帰り際に立ち寄ったコンビニに、そんな表紙の雑誌が置いてあった。

 クラスのみんなはそうなのかもしれない。自分のやりたいことがあって、それなりに友達もできて。

 立ち寄ってみたはいいものの、特に欲しいものがあったわけじゃなかった。何か買おうと思って入ったはずだが、どれを見ても気が向かない。喉が渇いたはずなのに飲みたいものは決まらないし、小腹を満たそうと思っていたのにどれを食べようか決まらなかった。

 私って主人公なのかな。

 ふとそんな疑問がよぎった。やっぱりちょっと違う気がする。

 自動ドアをまたいでも、忙しかったみたいで「ありがとうございました」とは言われなかった。

 だけど、それでいいと思ったことはない。慣れてしまっただけで、心の奥ではずっと、寂しいままだった。そんなふうに考えてみたら、途端に泣いてしまいそうになって、でも街中だったことを思い出して、我慢して帰路につくことにした。

 

「ねえ、そこの君!」

 

 すると、横から声をかけられた。スーツを着た男性だが、例の彼ではない。

 

「……何」

「君、アイドルに興味ない?」

「別に」

「ビジュアル良いからさー、絶対売れるよ!」

「興味ない」

「まあまあ、そんなこと言わないでさ!」

「興味ないって」

「ほら、名刺! うちの事務所、結構デカいとこで──」

 

 興味ないってば!

 

 大声が出た。

 ハッとした。冷静になって周りを見てみれば、通りを歩く人たちはみんな、私の方を見ている。

 こんなことで、見てもらいたくなかった。

 叩き落とした男の名刺はアスファルトの上に目立って、彼は少し痛そうに右手をさすっている。周りの人たちは私を見ながらヒソヒソと耳打ちをしている。

 こういうことは慣れていた。慣れていたはずなのに。また悪者は私だった。そう思われている気がしてしょうがなくて、もう、逃げ出したくなった。

 

「あっ、ちょっと!」

 

 男の引き止める声も知らずに、その場を走り去ってしまった。

 どうして、こんなことに……!

 どうして、こんなことに──。

 気がついたら涙がボロボロと溢れて止まらなくて、とうとう走るのが嫌になって、その辺りの壁に寄りかかった。

 なんで、私、一人なんだろ。

 友達がいたら、こんなふうに考えずに済んだはずだ。教室に入れば「おはよう」と声をかけあって、休み時間のたびに最近のテレビやマンガの話をして、放課後になれば当たり前みたいに一緒に帰って、そこらへんの店で買ったおやつを食べながら、夕方になれば「また明日」と言い合うような、そんな友達がいたら、きっとこんなことにはなっていなかったはずだ。

 みんなにはきっと、クラスのみんなにはきっと、そんな友達がいるんだろう。ひとりぼっちなのは、私だけ。空っぽなのは、私だけ。

 そう思えば思うほど、寂しくてしょうがなくって、とりとめもない寂しさと虚しさが襲いかかる。

 

「もう、最悪」

 

 誰にも忘れ去られて見向きもされない中で、一つ、ポケットから音がした。

 

『リン』

 

 通知欄にあったのはたった一言。いや、メッセージが来た瞬間に開いたのだから、きっと少し待てば続きのメッセージが来るはずだ。

 そうだった。私にも一人だけ、友達がいるんだった。

 たまらなくなって、通話ボタンを押すことにした。応答は存外早かった。

 

「アーニャ」

『アー、リン? ヤウジヴィリェナ……アー、ビックリ、しました』

「……あはは、まあそうだよね」

 

 今はアーニャの声が、他の音よりもずっと大きく感じられた。

 

「電話したほうが早いかなって思ってさ」

「アー、アーニャのメッセージ、おそかった、ですか?」

「いや、そういうわけじゃないよ。私がアーニャと話したかったのもあるから」

「ウスパコーイルスャ、アー、安心しました」

「それで、どうしたの? 何かあった?」

「ダー…… 今週の土曜日に、リンはひま、ですか?」

「え、あー、うん。なんで?」

 

「アーニャと、デート、してください」

 

「……デート!?」

「ふたりで遊びに行く時は、デート、と言う、と、ママに教わりました」

「それ、ちょっと違うかも」

 

   *

 

 そうして迎えた土曜日、集合場所に指定されたのは、駅から少し歩いた程度のところにある、大きな文化センターだった。

 今日はどうやら、駅の近くで大きなイベントがあるみたいだった。そちらの方に行く人ばかりで、大きな通りから離れたところにあるこの場所はなかなか人通りが少なかった。

 考えてみると、こうして誰かと待ち合わせをして遊びに行くのは初めてだったかもしれない。小さい頃から一人で遊ぶのが好きで、一人で本を読んだり花壇を眺めたりといったことばかりだったし、外に出て遊ぶのも、大体は家族で小旅行に行くものだったから、友達と呼べる人を待つのは、これが初めてだった。

 そう思えば、彼女を待つ時間が随分と長く感じられた。着いたのは待ち合わせ時間のせいぜい十分前なのに、何度もスマホで時間を確認しては、まだ時間にならないかとそわそわしてしまっていた。

 

「リーン!」

 

 もう何度スマホを見たかというときに、やっとアーニャが現れた。まだ待ち合わせの五分前だが、凛の姿が見えたアーニャは、走って駆け寄ってくる。

 

「お待たせしました、リン!」

「いや、別に。まだ時間じゃないし」

 

 心は妙にそわそわしているが、なんとか澄ました顔で返事ができた。それにしてもアーニャはやはり気持ちが素直に顔に出やすいのか、明らかに今日のお出かけを楽しみにしているようだった。

 

「それで、今日はどこに行くの?」

 

 あらかじめ行き先を伝えられていなかったから、今日は早めに出発したわけだが、これなら余裕を持って移動できるかな、と思っていたら。

 

「この建物に、プラネタリィ……プラネタリウムがあると、教えてもらいました」

 

 そういえば、プラネタリウムもあったか。小さい頃、父に連れられて二人で見たのを覚えている。

 

「星、好きなの?」

「ハイ! ズヴェスタ、好き、です。ロシアでも、北海道でも、たくさん、星を見ました」

 

 そういうアーニャの目はキラキラとして、眩しく晴れた昼間のはずなのに、星空を見ているようだった。

 

「でも、東京では、星、見えませんね? だから、久しぶりに、星が見たいです」

 

 アーニャがそう言ってはにかんだら……

 グウ。

 

「……でも、お腹、すきました」

「……じゃあ、まずご飯食べよっか。ここカフェも入ってるし」

 

 

『夜空を見上げたとき、私たちの目に映る、無数の星々──』

 

 少し早めのお昼ご飯をすましたら、この施設の目玉であるプラネタリウムにやってきた。やはり今日は駅前に人が集中しているようだ。昼前の上映時間でも凛とアーニャ以外の客はおらず、当日券でも難なく入ることができた。

 

「アーニャのパパ、アストロノーム、アー……天文学者、です」

 

 そんなところで他の客を気遣う必要もなかったから、星々が浮かぶ天井のスクリーンを見つめたまま、アーニャは語り出した。その青い瞳は、鏡のようだった。

 

「アーニャ、小さいころから、パパにたくさん、ズヴェスタ……星のこと、教えてもらいました」

「じゃあ、詳しいんだ」

「アー、詳しい、でしょうか。アーニャの知らないこと、パパは、たくさん知っています」

「まあ、学者だもんね」

「でも、星のことよりもずっと、大事なこと、教えてもらいました」

 

 

『大空に広がっている小さな点も、本当は私たちよりずっとずうっと大きな星なんだ。昔の人たちは、大きいはずの、しかし小さく見えてしまう星たちが、手を繋いでいると考えたのかもな』

 

 かつて星座に疑問を抱いた幼きアーニャにそう教えたのは、天文学者の父だった。今思えば、自分の研究している分野なのだし、本当はもっと専門用語を使って話したかったのだろう、しかし娘に教えるのだからと簡単な言葉で説明する父はうずうずしているようだった。

 

『じゃあ、手を繋いだら、私も星座になれる?』

 

 幼くて突飛な質問に、また優しく微笑んで、彼は答えるのだった。

 

 

「『そのうち、星座になれたら、と思える人と出会える』…… パパは、そう言っていました。アーニャには、まだ、わかりません」

 

 目があった。

 虚像の星々を眺める瞳の奥に寂しさが眠っていることに、凛は気がついてしまった。

 ああ、アーニャはきっと、私と一緒なんだ。

 ひとりぼっちで、空っぽで、寂しくて。誰かと一緒になりたくて、なれなくて。自分がどこにいるのかもわからなくなって、誰かが隣に座ってくれるのを待っている。

 そして、私が今、アーニャの隣にいた。私の隣に、アーニャがいた。

 

 

 星を間近で見たはずだが、プラネタリウムの公演を終えて外に出てみると、まだずっと明るかった(冷静に考えれば大したことでもないが)。お昼ご飯はもう食べたし、アーニャが行きたいところもここだけだったようだが、家が花屋だと話してみたら、アーニャが花を見てみたいと言うので、凛の帰り道にアーニャもついてくることになった。

 

「リンは、ツヴィトーゥク……花のこと、好き、ですか?」

「あー、まあ、好きっていうか、ずっと店の手伝いしてるし」

「じゃあ、詳しい、ですね?」

「どうだろ。ちょっとした案内くらいならできるけど、まだお父さんに教わってばっかだし」

 

 渋谷の街には、街路樹こそ植えられているものの、いきなり花が生えていることなんてない。それだからか、家の一部のはずなのに、あんなに色とりどりの花が飾られているのがなぜか非日常的に感じられて、小さい頃から、何かと花を見に二階の自室から降りて手伝いをしたものだ。

 

「アー……東京では、星も見えませんけど、花も、あまりありませんね?」

「まあね、花屋に行かないとなかなか見れないかも」

「じゃあ、リンの家、スピツィアーリヌイ……特別、ですね?」

「まあ……うん、だからかな、花のこと、好きだよ」

「ダー! アーニャも、パパに教えてもらった、星のこと、好きです」

 

 ふと、幼い頃の自分を思い出していた。よくよく考えると不思議なものだが、アスファルトにまみれたこの街で、凛が育った思い出というのはどれも、家族と一緒に、色とりどりの花に囲まれたものだった。

 

「それに、アーニャ、星を見るために、ロシアや、北海道の、グランマの家に行ってました。アーニャが住んでいたところも、星はあまり見えませんでしたから」

 

 思い出すようにそう語るアーニャは少し、寂しそうだった。

 

「だから、今日、プラネタリウムを見ているとき……パパやママ、グランマたちのこと、思い出してました」

 

 手元に持った小さな紙袋には、いくつかのストラップが入っている。あとで北海道の家族に贈るのだと言って、お土産コーナーで買ったものだった。

 

「ところでさ、なんでアーニャはこっちに来たの?」

 

 ずっと気になっていたことだった。色々事情があるのだろうが、話せば話すほど、家族のことが好きなのであろう彼女が、一人で東京に来る理由が分からなかった。

 その質問を聞いたアーニャは、なんだかミステリアスな雰囲気があって、今までとはまるで違う目つきで、店先に飾られた花々を見つめていた。

 

「アーニャは、アイドルになるために、東京に来ました。アイドルになれば……何もないアーニャも、変われる、って、思いました」

 

 そのうちの一つを優しく持ち上げて、彼女は続ける。やがて、横目で凛と目を合わせて。

 

「リンは……リンは、変わりたい、って、思いますか?」

 

 きっと、リンも、探している。アーニャと同じように。

 

 鏡を見ていたのは、凛だけではなかったようだ。

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