気付いたらハンターハンターの世界に転生していた。
いつ転生に気付いたか? それは物心ついて間もない頃、街角の掲示板に貼られた一枚の紙に描かれた、あの独特の書体を見た時だった。ミミズがのたうったような、それでいて奇妙な法則性を感じさせる、見慣れないようで、脳の奥底にこびりついていた文字。前世の記憶が、濁流のように脳内で逆再生される。漫画で、アニメで、何度も目にしたあの「ハンター文字」が、俺の今いる世界がフィクションの世界であることを、冷厳な事実として突きつけてきた。
衝撃が走った。全身の血が凍りつくような感覚と、同時に、腹の底からマグマのような興奮が湧き上がってくる感覚。ここは、あの『HUNTER×HUNTER』の世界。理不尽なまでの強者が闊歩し、命が鴻毛よりも軽く扱われることがある、危険と魅力に満ち溢れた世界だ。
俺の第二の人生が、とんでもないハードモードで始まったことを悟った。
取り敢えずどうするか。前世の知識というアドバンテージをどう活かすべきか。まだ幼い頭で必死に考えた。答えはすぐに出た。力をつける。それ以外に、この世界で生き残る術はない。幸いにして、この世界には「念能力」という、努力と才能次第で超人になれるシステムが存在する。そして、その道を志す者にとって、最も確実で安全な入口を知っていた。
心源流拳法。
俺は両親(今世の)に頭を下げ、近隣の街で唯一道場を構えていた心源流の門を叩いた。理由は単純だ。ゴンとキルアが学んだように、心源流は念能力の基礎を教える場所として、原作知識を持つ俺にとって最も信頼できる選択肢だったからだ。
それから数年。俺は、カイと名付けられたこの肉体で、一心不乱に拳法の修行に打ち込んだ。朝は誰よりも早く道場へ向かい、夜は師範が呆れるまで自主鍛錬に励む。なぜそこまでするのか。それは恐怖心からだ。幻影旅団、キメラ=アント、暗黒大陸…これからこの世界で起こるであろう、絶望的なまでの厄災の数々を知っているからこそ、俺は一瞬たりとも気を抜けなかった。
その甲斐あってか、俺の才覚は師範の目に留まった。まだ幼いながらも、そのひたむきさと、同年代とは比較にならないほどの技の練達ぶりを評価されたのだ。
そして今日、俺の人生における最初の、そして最大の転機が訪れた。
「カイ。お前には、心源流の『裏』…その真髄を教える時が来たようだ」
道場の板張りの床に正座する俺の前で、白眉の師範、ドウセツ老師は静かにそう告げた。その言葉が意味するものを、俺は痛いほど理解していた。
念。オーラ。この世界の根幹を成す力。その扉が今、俺の目の前で開かれようとしている。
時計の針は1979年を指している。原作の漫画が週刊少年ジャンプで連載を開始したのが1999年。つまり、物語が始まるちょうど20年前の世界だ。そして、この1979年という年は、原作において極めて重要な意味を持つ。
『ジン=フリークスが、史上最年少の11歳でハンター試験に合格した年』。
そう、あの規格外の天才と、今の俺は同い年なのだ。ジンさん、半端ない。11歳か12歳そこらで、あの超難関試験をパスし、既に念まで会得していたというのか。同じ時間を生きているというだけで、その存在の巨大さに眩暈がしそうだ。
だが、感慨に浸っている暇はない。俺も、ようやくスタートラインに立ったのだから。
ドウセツ老師の指導の下、俺は念の四大行――「纏・絶・練・発」の基礎を学び始めた。まずはオーラを自覚し、それを留める「纏」。俺は前世の知識と、長年の修行で培った精神統一の技術を活かし、比較的スムーズに「纏」を習得してみせた。体中を温かい水の膜のようなものが覆う感覚。これがオーラ。これが、俺がこの世界で生き抜くための、最初の武器。
「…ふむ。恐るべき速さだ。やはり、お前の内には何か特別なものがあるらしい」
老師は驚きを隠せない様子だったが、俺にとっては当然の結果だった。スタートが違う。俺は答えを知っているのだから。
そして、運命の「水見式」の日がやってきた。
葉を浮かべたグラスを前に、老師が厳かに口を開く。
「いいか、カイ。グラスを両手で包み、静かに『練』を行うのだ。お前のオーラの性質…生まれ持った才能が、この水に変化をもたらす。結果がどうであれ、それを受け入れ、己が道を究める糧とするのだ」
ゴクリと唾を飲む。緊張で喉がカラカラだった。心源流の教えでは、念能力は己の魂の写し鏡。俺の系統は何になるだろうか。ゴンと同じ強化系か? キルアと同じ変化系か? あるいはクラピカと同じ具現化系か、レオリオと同じ放出系か。
いや、違う。
俺は、自分の能力を、この日のためにずっと、ずっと考え続けてきた。その能力の性質を考えるに、俺がおそらく至るであろう系統の予測はついていた。もし、その予測が正しければ、水見式の結果は極めて特異なものになるはずだ。
俺は覚悟を決め、グラスにそっと両手を添えた。
「――練」
全身の精孔から、練り上げたオーラを溢れさせる。修行の成果だ。以前よりも力強く、密度の濃いオーラが、俺の手からグラスへと注ぎ込まれていく。
その瞬間だった。
グラスの中の水が、ぐつぐつと沸騰し始めたかと思うと、一瞬で蒸発して消えた。それだけではない。水面に浮かんでいたはずの葉が、まるで数百年もの時が経過したかのように、茶色く変色し、塵となってサラサラと崩れ落ちていったのだ。
「なっ…!?」
ドウセツ老師が、長年の指導者人生で初めて見るであろう現象に、絶句している。水の量が変化すれば強化系、味が変われば変化系、不純物が現れれば具現化系、色が変われば放出系、葉が動けば操作系。そのどれにも当てはまらない、複合的で、不可思議な変化。
答えは一つしかない。
「特質系…」
俺の口から、乾いた声が漏れた。やはり、そうか。俺がこの世界において「異物」であるという事実が、魂の性質そのものを「特質」たらしめたのか。あるいは、俺がこれから成そうとしている能力が、あまりにも異質であるが故に、特質系へと導かれたのか。
どちらにせよ、好都合だ。俺の考え抜いた能力は、特質系でなければ十全に機能しないのだから。
その夜、俺は自室で一人、これから生涯を懸けて磨き上げるであろう自身の「発」――必殺技の最終構想を練り上げていた。
能力名は、既に決めてある。
名付けて、『狩人の対価(ハンターズ・リワード)』。
その能力を一言で説明するなら、「敵を倒すとポイントが貰えてレベルアップで強くなる」という、まるでゲームのような能力だ。馬鹿げているだろうか? いや、そんなことはない。この世界の念能力は、誓約と制約によって、時に奇跡のような力を発揮する。
俺が参考にしたのは、原作の知識の中でも特に強烈な印象を残した、ある王位継承戦の参加者の念能力。モレナ=プルードの『恋のエチュード(サイキンオセン)』。彼女は人を殺害することで対象者をレベルアップさせ、能力者を増やしていくという凶悪な能力を有していた。死をトリガーにしてレベルが上がる。ならば、俺が「敵を倒す」ことをトリガーに、自分自身をレベルアップさせる能力を構築できないはずがない。むしろ、対象が自分一人に限定される分、その上昇率はモレナの比ではないはずだ。
しかし、それほどの強力な恩恵を得るためには、相応の「覚悟」…すなわち、重い誓約が必要不可欠だ。
俺はノートを取り出し、この能力の根幹を成す、絶対に揺るがすことのできない「大誓約」を書き記した。
【第一階層:能力の基盤となる大誓約】
● 誓約:『還れざる者の覚悟(ノーリターン・ソウル)』
内容:二度と元の(現実)世界に帰れない。帰る方法を探すことすら、己自身に固く禁じる。
この誓約は、俺の魂の在り方そのものだ。転生者である俺が、過去を完全に捨て去り、このH×Hの世界で骨を埋めるという、決死の覚悟の表明。この「もう帰る場所はない」という事実が、俺の念能力の絶対的な基盤となる。
● 結果:『確約された武具庫(ギャランティード・アーマリー)』
内容:上記誓約の対価として、『狩人の対価』によって生み出される「念具」の存在を強力に安定させる。具体的には、ドロップする念具は「不壊(壊れない)」「不滅(消えない)」「安定(常に100%の性能を発揮)」の特性を持つ。
これが俺の能力の心臓部だ。この大誓約があるからこそ、俺のハクスラ能力は単なる思いつきではなく、H×Hの世界の法則に則った強固な力となり得る。
次に、日々の運用に関わる、より具体的なルールを定めていく。ただ強くなるだけでは芸がない。そこには、常に緊張感と葛藤がなければならない。それが、この世界の戦いだ。
【第二階層:日々の戦闘に関わる運用ルール】
● 誓約:『敗者の烙印(スティグマ・オブ・ルーザー)』
内容:戦闘から「逃走」を選択する、あるいは戦闘不能に陥った場合、ペナルティとして、その時点での現在のレベルの経験値が半分に減少する。
これは、俺自身を追い込むための鎖だ。この世界では、格上の相手との遭遇は日常茶飯事。「逃げる」という選択肢を捨てることは、死と隣り合わせになることを意味する。だが、それでいい。常に背水の陣で戦うことでしか、得られない強さがあるはずだ。ジンなら、きっとそうする。
● 制約:『開示された天啓(アカシック・レコード)』
内容:これまで能力を説明したことのない相手に、自身の能力の詳細を説明すると、その後24時間、獲得ポイントとドロップ率にボーナスが付与される。
これは、俺の孤独な戦いに、他者との関わりという変数を加えるためのルールだ。念能力の開示は、手の内を晒す自殺行為に等しい。だが、そのリスクを冒してでも信頼できる仲間を見つけた時、このルールは俺と仲間との絆を試す試金石となるだろう。あるいは、敵を欺くためのブラフとしても使えるかもしれない。常にジレンマを抱えさせる、絶妙なスパイスだ。
そして最後に、能力の本体であるハクスラシステムの詳細を詰めていく。
【第三階層:能力本体のシステム】
● ポイント獲得:『狩人の対価(ハンターズ・リワード)』
敵と認識した生命体を戦闘によって打ち負かすことで、ポイント(経験値)を獲得。相手の強さに応じてポイントは変動する。
● 報酬獲得:『運命の戦利品(ドロップ・オブ・フェイト)』
敵を倒した際、一定確率で発動。敵の特性を元にした念具(武器・防具)がドロップする。『確約された武具庫』の効果により、これらは不壊・不滅・安定の特性を持つ。
● 自己強化:『成長の道標(スキルツリー)』
レベルアップ時に得られるスキルポイントを割り振り、自身の「身体能力」「オーラ総量」「各種攻撃スキル」などを強化していく。
ノートに書き連ねた文字を眺めながら、俺は自分の心臓が激しく高鳴るのを感じていた。
完成した。これが俺の「発」。俺だけの能力。
転生者というアドバンテージを最大限に活かし、この過酷な世界を生き抜くために、俺が作り上げた最強の矛であり、最強の盾。
もちろん、まだこれは設計図に過ぎない。これから四大行の修行を積み、オーラの精度を高め、この能力を現実の力として発現させなければならない。それは、途方もなく長く、険しい道のりだろう。
だが、俺の目には、既に未来のビジョンが見えていた。
まずは、この心源流で基礎を完璧に叩き込む。そして、数年後にはハンター試験に挑戦する。そこで、物語の重要人物たちと接触し、来るべき災厄に備えるのだ。
俺はゴン=フリークスじゃない。特別な血統も、底なしの才能もない。
俺はキルア=ゾルディックじゃない。暗殺一家の英才教育も、電光石火のスピードもない。
俺はクラピカじゃない。クルタ族の生き残りでもなければ、緋の眼のような特異体質もない。
俺はレオリオじゃない。仲間を想う熱い心は、まだ、ないのかもしれない。
俺は、何者でもない転生者だ。
持っているのは、中途半端な原作知識と、死にたくないという切実な恐怖心だけ。
だからこそ、俺はこの能力を創った。
一歩ずつ、着実に。雑魚を狩り、レベルを上げ、装備を整える。
泥臭く、しかし、誰よりも確実に強くなる。
ジン=フリークスが天才なら、俺は努力と戦略の凡人だ。
天才がたった一年で駆け抜けた道を、俺はじっくりと時間をかけて、自分の足で踏みしめてやる。
窓の外では、月が煌々と輝いていた。
1979年。物語はまだ、始まってもいない。
俺の、俺だけの狩りが、今、静かに幕を開けた。
ノートを閉じ、俺は固く拳を握りしめた。その目には、未来への不安と、それを上回るだけの決意の光が宿っていた。