カキン帝国の港湾都市ショウホウ。その地下深くに、その闘技場は存在した。
法も、秩序も、地上とは異なる理で動く場所。鉄と血と、そして金の匂いが渦巻く、巨大な円形の闘技場。俺とガドが足を踏み入れたそこは、まさに人間の欲望を煮詰めたような、熱気と殺気に満ち溢れていた。
「へっ、いいじゃねえか。血が騒ぐぜ」
ガドは、口の端を吊り上げて笑った。その目には、久しく忘れていた、獣のような獰猛な光が戻っていた。
俺は、そんなガドの隣で、静かに周囲を観察する。観客席を埋め尽くすのは、いかにもなマフィアの構成員や、目の据わった賭博師、そして、ただ純粋な暴力を楽しみに来た富裕層たち。彼らが俺たちに向ける視線は、好奇心と、そして、これから死ぬかもしれない者への、無慈悲な侮蔑の色を帯びていた。
俺とガドは、それぞれ参加登録を済ませた。
受付の男は、俺の姿を見て、一瞬、眉をひそめた。子供が来る場所ではない、と。だが、この世界では、強さこそが唯一の身分証明書だ。俺が放つ、レベル15のオーラの圧力を感じ取ると、男は何も言わずに、俺たちの名前を対戦リストに書き加えた。
こうして、俺とガドの、地下闘技場での無双劇は、幕を開けた。
最初の数戦は、まさに、赤子の手をひねるようだった。
相手は、念を知らない、ただ腕っぷしが強いだけのチンピラや、あるいは、念の基礎をかじった程度の下級能力者。
そんな連中は、もはや俺たちの敵ではなかった。
ガドの戦いぶりは、圧巻の一言に尽きた。
彼は、もはや小細工を一切使わなかった。相手が剣を振り下ろそうが、炎の弾を放とうが、お構いなし。その全てを、己が肉体と、純粋な強化系のオーラだけで受け止め、そして、ただ一撃、その剛拳を叩き込む。
相手は、骨も肉も、オーラごと粉砕され、二度と立ち上がることはなかった。
その戦いぶりは、あまりにも暴力的で、あまりにも一方的。観客は、その破壊の化身のような姿に熱狂した。ガドは、あっという間に、この闘技場の人気者となった。「壊し屋」「鬼神」など、様々な異名で呼ばれるようになった。
それは、ガドにとって、一種のカタルシスだったのかもしれない。
ドウセツ老師の下で、抑えつけられていた闘争本能。それを、このリングの上で、合法的に、思う存分、解放する。彼は、水を得た魚のように、戦いの快感にその身を委ねていた。
対する俺の戦いは、ガドとは、全く対照的だった。
俺は、決して、相手の攻撃を受けない。
レベルアップで得た、常人離れしたスピードと反射神経。そして、「凝」によって、相手のオーラの流れを完璧に読み切る洞察力。
俺は、まるで舞うように、相手の全ての攻撃を回避し、そして、ただ一撃、その急所を的確に貫くだけだった。
闘拳を嵌めた拳による、寸分の狂いもない掌底。それは、相手の顎を打ち、脳を揺らし、意識を刈り取る。
あるいは、懐に飛び込み、関節技で腕や足を、戦闘続行が不可能な角度へとへし折る。
俺の戦いは、常に、数秒で終わった。
観客は、最初、何が起きたのか理解できなかった。だが、同じ光景が繰り返されるうちに、彼らは、俺という存在に、熱狂ではなく、「恐怖」を抱くようになった。
あの、子供の姿をした何かは、一体、何なのだ、と。
俺の戦いには、ガドのような派手さはない。だが、そこには、一切の無駄がなく、一切の慈悲もない、あまりにも効率的な「狩り」の光景が、ただ広がっていた。
そして、俺の戦いは、俺だけにしか分からない、もう一つの意味を持っていた。
念能力者を倒すたびに、俺の脳内には、あの心地よいファンファーレが鳴り響く。
【念能力者を無力化しました。経験値400ポイントを獲得】
【レベルアップ! LV 15 -> LV 16】
【スキルポイントを1獲得しました】
【念能力者を無力化しました。経験値550ポイントを獲得】
【レベルアップ! LV 16 -> LV 17】
【スキルポイントを1獲得しました】
戦うたびに、俺は、リアルタイムで、強くなっていく。
オーラはより濃密に、肉体はより強靭に、思考はより明晰に。
昨日の俺より、今日の俺は強い。そして、今日の俺より、数分後の俺は、さらに強くなっている。
その、無限の成長の実感が、俺の心を、底なしの自信で満たしていった。
俺の能力の恩恵は、経験値だけではなかった。
念能力者を倒した後、控え室に戻ると、時折、俺の足元に、淡い光と共に、新たな「戦利品」が出現していた。
『運命の戦利品(ドロップ・オブ・フェイト)』。
この地下闘技場は、俺にとって、最高の狩り場であり、最高の宝物庫でもあった。
ガドと同じように、ただ殴るだけの強化系の能力者を倒した時は、【筋力増強の腕輪(アームレット・オブ・ストレングス)】(N) が。
幻覚を見せてくる、厄介な変化系の能力者を倒した時は、【幻惑耐性の護符(チャーム・オブ・レジスト)】(N) が。
俺の装備は、ザクザクと、その数を増やしていった。
そして、連勝を重ね、より強い念能力者と戦うようになるにつれて、ドロップする装備の「質」も、明らかに変化していった。
ノーマル(N)ランクの装備に混じって、時折、特別な輝きを放つ、レア(R)ランクの装備が、手に入るようになったのだ。
ある日、俺は、影を自在に操る、暗殺者のような男と戦った。その素早い動きと、予測不能な攻撃に、少しだけ苦戦を強いられた。だが、俺は、新たに習得したスキル『スティールスキン』を発動。影から伸びてきた、必殺の一撃を、その鋼鉄の皮膚で受け止め、カウンターの掌底で、男の意識を刈り取った。
その戦いの後、俺の手元には、一本の、黒曜石のような針が残された。
【『影縫いの針(シャドウ・スティンガー)』(R) を獲得】
それは、相手の影に突き刺すことで、数秒間だけ、その動きを完全に封じるという、強力な特殊能力を持っていた。
またある時は、全身を硬化させ、鉄壁の防御を誇る男と戦った。俺の闘拳ですら、なかなかダメージを与えられない、タフな相手だった。俺は、長期戦を覚悟し、ひたすら相手の攻撃を回避しながら、関節を狙い続け、辛くも勝利を収めた。
その時、手に入れたのは、一対の、重厚なすね当てだった。
【『不動の具足(イモービル・グリーブ)』(R) を獲得】
それは、オーラを流して地面に固定することで、凄まじい衝撃を受けても、決して後退しなくなるという、防御に特化した能力を持っていた。
俺の装備は、戦うたびに、より強力に、より多彩になっていく。
それは、俺の戦術の幅を、無限に広げてくれる、最高の武器だった。
一月が過ぎる頃には、もはや、俺とガドの名前を知らない者は、この闘技場にはいなかった。
俺たちは、いつしか、こう呼ばれるようになっていた。
――『双頭の獣』。
あまりにも対照的な戦闘スタイルを持つ、二人の圧倒的な強者。
俺たちの連勝記録は、どこまで伸びるのか。誰が、この獣たちの進撃を止めるのか。
それが、この闘技場における、最大の関心事となっていた。
そして、俺たちの存在は、当然、この闘技場を支配する者たちの耳にも、届いていた。
薄暗い、紫煙の立ち込める、VIPルーム。
闘技場を見下ろす、その一室で、一人の男が、モニターに映し出される俺たちの戦いを、静かに見つめていた。
その男は、まだ若かった。歳は、カイよりも数歳上、17歳といったところか。
だが、その身に纏う雰囲気は、若さとは程遠い、絶対的な支配者のそれだった。
黒い軍服に、身を包み、その瞳は、まるで全てを見透かすかのように、鋭く、そして、冷徹な光を宿していた。
「…面白い」
男は、モニターに映る俺…カイの姿を、指でなぞりながら、呟いた。
「ベンジャミン様。この者たち、どうされますか? あまりに勝ちすぎるため、賭けが成立しなくなり、マフィア共も対応に苦慮しているようですが」
隣に控えていた、側近らしき男が、恭しく尋ねる。
「泳がせておけ」
ベンジャミンと呼ばれた青年…カキン帝国第一王子は、短く、そう答えた。
「あの二人…特に、あのガキ。奴は、ただの念能力者ではない。何か、我々の知らない『理』で、動いている。あれは、危険だ。だが、同時に…利用価値があるやもしれん」
ベンジャミンの視線が、俺たちの姿を、捉えて離さない。
それは、獲物を見つけた、猛禽類の目に、よく似ていた。
その頃、俺は、リングの上で、次の対戦相手を待っていた。
レベルは、既に25を超えている。
スキルポイントは21だ。
ふと、俺は、闘技場の一角にある、VIPルームへと、視線を向けた。
そこに、誰かがいる。
俺は、眼球に「凝」を使い、その気配を探る。
(…なんだ…? この、オーラは…)
それは、これまでこの闘技場で感じてきた、どの念能力者のものとも違う、異質なオーラだった。
マフィアたちの、濁ったオーラではない。
闘技場の参加者たちの、荒々しいオーラでもない。
それは、極限まで鍛え上げられ、研ぎ澄まされた、まるで、一本の、抜き身の刀のような、オーラ。
そして、その奥に、計り知れないほどの、巨大な「何か」が、眠っているような、底知れぬ気配。
俺は、まだ、そのオーラの主が誰なのか、知らない。
だが、確信していた。
俺たちの、この地下での「無双ごっこ」は、もうすぐ、終わりを告げる。
そして、この国の、もっと深く、もっと暗い場所で繰り広げられる、本物の「戦い」の幕が、上がろうとしているのだ、と。
俺は、VIPルームの暗闇を、鋭く、見据えた。
俺たちの、本当の武者修行は、まだ、始まったばかりだ。