地下闘技場での俺たちの連勝記録は、ついに途絶えることになった。
いや、誰かに負けたわけではない。俺とガドが決勝戦で雌雄を決しようとしたそのまさに直前、主催者であるマフィアの組長から「中止だ」と一方的に告げられたのだ。賭けが成立しなくなり、これ以上続けても旨味がないというのがその理由だった。俺とガドは舌打ちしながらも、その決定に従うしかなかった。
こうして、俺たちの熱狂の日々はあっけない形で幕を閉じた。
レベルは30に到達し、スキルポイントも潤沢に溜まっている。手に入れた念具は、レアリティの高いものだけでも数種類に及んだ。実力は、この一月で飛躍的に向上した。だが、同時に俺たちはあまりにも目立ちすぎてしまった。
その日の夜、俺たちが宿に戻ると、そこには見知らぬ男たちが数人待ち構えていた。
黒い軍服に身を包み、その全員から統率の取れた、しかし一切の感情を感じさせない冷たいオーラが放たれている。ドウセツ老師とガドの表情が、一瞬で険しくなった。
「心源流ドウセツ殿、並びにカイ殿、ガド殿ですな」
代表らしき男が、抑揚のない声で言った。
「我が主が、貴殿らとの会見を望んでおられる。ご同行願いたい」
有無を言わせぬ命令だった。
俺はすぐに理解した。彼らから放たれるオーラの質。それは先日、闘技場のVIPルームで感じ取った、あの抜き身の刀のようなオーラと同質のものだ。
ついに来たのだ。
俺たちが連れてこられたのは、街で最も格式高いホテルの最上階にあるプレジデンシャルスイートだった。地下闘技場の血と汗と欲望の匂いとは無縁の、洗練された静寂な空間。
部屋の中には、同じ黒い軍服を着た兵士たちが壁際に不動の姿勢で佇んでいる。その一人一人が、闘技場で俺が戦ってきたどの相手よりも遥かに高い練度の念能力者であることが肌で感じられた。
そして、部屋の中央。
大きな窓の外に広がる街の夜景を背に、一人の青年が静かに立っていた。
歳は17。黒い軍服を寸分の隙もなく着こなし、その佇まいは若さに似合わず絶対的な王者の風格を漂わせている。
カキン帝国第一王子、ベンジャミン=ホイコーロ。
(…ベンジャミンかぁ…)
俺は目の前の青年を見ながら、内心で全く別の光景を思い浮かべていた。
前世で読んだ物語の記憶。
それは遥か未来、暗黒大陸へ向かう船の中で、壮絶な王位継承戦を繰り広げる彼の姿。そして最新話の記憶…得体の知れない「毒」を食らって死にかけていた彼の姿だ。
(今のこの自信と力に満ち溢れた姿からは、想像もつかないな…。まさか、こんな若い頃のお前に会うことになるとは…)
俺は未来を知る者としての奇妙な感傷と、そして目の前の男が持つ「危険性」を再認識し、内心で気を引き締める。顔にはそんな素振りは一切出さず、ただ無知な田舎の少年として普通に接する。それが、今の俺にできる唯一の処世術だ。
「まずは自己紹介とさせてもらおう。私がベンジャミン=ホイコーロだ」
ベンジャミンは、ゆっくりとこちらに向き直った。その瞳は、俺たち三人のオーラの質、筋肉の動き、そして心の奥底までをも見透かそうとするかのように鋭い。
「君たちの地下闘技場での戦いぶり、実に見事だった。特に君だ、カイ君」
彼の視線が、俺を射抜く。
「君の戦い方は興味深い。そして、その成長速度は異常だ。単刀直入に聞こう。君の念能力は一体何だ?」
まっすぐな問い。
俺は一瞬、どう答えるべきか迷った。
だが、すぐに腹は決まった。この男の前で、下手な嘘や誤魔化しは通用しない。そして何より、俺の能力『開示された天啓』はこういう状況でこそ真価を発揮する。
(こいつはカキンの第一王子。いずれこの国の王になる可能性が最も高い男だ。その男に、俺の能力を売る。ただで教えるんじゃない。情報料として、俺たちがこの国で安全に活動するための何らかの『立場』を貰う。それこそが最善手だ)
俺は一歩前に出た。
「ベンジャミン王子。俺の能力は、俺の命の次に大事な秘密です。それをただで教えるわけにはいかない」
俺の言葉に、周囲の兵士たちのオーラが一瞬、殺気立ったものに変わる。だが、ベンジャミンはそれを手で制した。
「…ほう。面白い。では、君は何を望む?」
その目は、俺の度胸を試しているかのようだった。
「情報料として、俺たち三人のこのカキン帝国における身の安全の保証と、自由な活動の許可を。王子、あなたの『お墨付き』が欲しい」
俺の言葉に、ベンジャミンは初めてその口元にわずかな笑みを浮かべた。
「…いいだろう。その情報にそれだけの価値があると私が判断すればの話だがな。話してみろ」
俺は自分の能力の根幹を、簡潔に、しかし嘘偽りなく説明した。
敵を倒して経験値を得て、レベルアップで成長すること。
そして、倒した相手から念具をドロップする可能性があること。
俺の話を聞き終えたベンジャミンは、しばらくの間黙って何かを深く考えていた。
やがて、彼は一つの結論に達したように呟いた。
「…なるほどな。特質系か」
「……」
「どうやら、図星のようだな」
俺の沈黙を、肯定と受け取ったのだろう。
俺は小さくため息をついた。
「…ええ。みんな一発で分かるんですね。いいですけど」
ガドに続き、二人目だ。俺の能力は、経験豊富な念能力者にとっては、それほどまでに分かりやすく「特質系」らしいものなのか。
「特質系にしては、あまりにも直接的な戦闘に特化しているな」
ベンジャミンは、感心したように分析を続ける。
「敵を倒すことで、使用者本人が半永久的に際限なく成長していく能力…。実にシンプルで、実に凶悪だ。純粋な戦闘能力という点において、これほど効率的な能力はそうそうあるまい。…強い念能力だ。羨ましい限りだよ」
その言葉に、嘘はなかった。
彼は、俺の能力の危険性と、そしてその利用価値を瞬時に理解したのだ。
「…約束通り、君たちの身分は私が保証しよう。私の私設部隊の『特別協力者』という形で、滞在許可を発行させる」
「ありがとうございます」
俺が頭を下げると、ベンジャミンは本題を切り出した。
「そして、こちらからも一つ、君たちに頼みがある」
彼の目が、再び鋭い光を宿す。
「うちの軍人たちと、模擬戦闘をして欲しい」
「模擬戦闘、ですか?」
「そうだ。カキン軍にも念能力者は存在する。だが、その数はまだまだ少ない。そして何より、実戦経験…特に、様々なタイプの念能力者と戦った経験を持つ者があまりにも少なすぎる。君たちのような紐付きではない、予測不能な動きをする能力者は、我が軍の兵士たちにとってこれ以上ない『砥石』となる」
なるほど。
俺たちを、兵士たちの実戦経験を向上させるためのスパーリングパートナーとして雇いたいというわけか。
それは、俺たちにとっても悪い話ではなかった。
軍の正規兵と戦えば、地下闘技場のチンピラたちとは比較にならないほどの「経験値」が得られるだろう。
俺が返事をする前に、これまで黙っていたドウセツ老師が口を開いた。
「…よろしいでしょう。王子殿下の頼みとあらば、我ら心源流、喜んでお力添えいたします」
老師は、これも修行の一環だと、そう判断したのだ。
こうして、俺たちの立場は一夜にして、ただの旅の武芸者から、カキン帝国第一王子の「お墨付き」を得た軍の特別協力者へと変わった。
俺たちは、軍の敷地内にある宿舎の一室を与えられた。
部屋に入り、ようやく一息ついた俺の脳裏に、先ほどのベンジャミンの姿が蘇る。
(…これが、スタートラインか)
俺のこの世界での物語が、ついに原作の重要人物と深く交わってしまった。
俺の能力は、彼の軍事力と結びつくことで、凄まじい速度で成長していくだろう。
だが、同時に、俺はカキンという国の巨大な権力闘争の渦の中へと足を踏み入れてしまったのだ。
(これが生き残るための道なのか。それとも、破滅への一里塚なのか…)
俺はまだ、その答えを知らない。
ただ、俺たちの奇妙な武者修行が、全く新しい予測不能なステージへと突入したことだけは確かだった。