ガドの圧倒的な勝利は、練兵場にいたカキン軍の兵士たちに、静かだが深い衝撃を与えた。
それは、カイがビンセントを打ち負かした時の驚きや感嘆とは、また質の違うものだった。
カイの勝利が、常識外れの知略と奇策による「魔法」のように見えたとすれば、ガドの勝利は、抗うことすら許されない絶対的な「暴力」の顕現。彼らは、心源流から来たというこの二人組の底知れなさに、畏怖の念を抱かずにはいられなかった。
その日の夜、俺はベンジャミン王子から直々の呼び出しを受けた。
場所は、先日と同じホテルのプレジデンシャルスイート。だが、今回は俺一人だけだった。ドウセツ老師もガドもいない。
重厚な扉を開けると、そこにはベンジャミンが一人、ソファに腰掛け、静かに俺を待っていた。昼間の軍服を纏った王子の姿ではない。上質な、しかしくつろいだ仕立てのシャツを身につけた、17歳の青年の姿だった。
だが、その瞳の奥に宿る鋭い光だけは、何一つ変わっていなかった。
「座りたまえ、カイ君」
勧められるままに、俺は彼の対面のソファへと腰を下ろす。
テーブルの上には、俺の歳には不釣り合いな高級そうな紅茶が用意されていた。
「今日の模擬戦、見事だった。君だけでなく、ガド殿もな。二人とも、俺の期待を遥かに上回る逸材だ。父上が、なぜ君たちのような存在をこれまで野に放っておいたのか…理解に苦しむよ」
ベンジャミンは、探るような目で俺を見る。
俺は、ただ黙ってその言葉を聞いていた。
しばらくの沈黙の後、ベンジャミンは本題を切り出した。
「…君の能力。ガド殿が使っていたあの『闘拳』。あれは、君が作り出したものだと、そう考えていいのだな?」
「はい。俺の能力でドロップしたものです」
「そして、君の作った念具は、他者にも何ら制約なく使用できると」
「その通りです」
俺の肯定に、ベンジャミンは満足げに頷いた。
そして彼は、俺の心の奥底を見透かすように問いかけた。
「カイ君。君は、一体何者だ? 何を望んでいる?」
来た。
この問いを、俺は待っていた。
俺はカップをソーサーに置くと、背筋を伸ばし、目の前の未来の王を真っ直ぐに見据えた。
「ベンジャミン王子。今日は、あなたに未来の話をしに来ました」
「…未来の話だと?」
ベンジャミンの眉が、わずかに動く。
「ええ。そして、一つのビジネスの提案です」
俺は、不敵に笑ってみせた。
「俺は将来、念具を販売したいなと思っています。どうです? 王子。この話、一枚噛みませんか?」
俺のあまりにも突拍子もない提案に、ベンジャミンの常に冷静だった表情が、初めてわずかに揺らいだ。
だが、彼はすぐにその表情を強い興味の色へと変えた。
「…ほほう。それは、実に興味深い話だ」
「もちろん、念能力者を相手に商売をするつもりです」
俺は、プレゼンテーションを続ける。
「俺の能力は、突き詰めれば二つの側面に集約されます。一つは、強敵と戦い、その経験値を自分のものにして俺自身が成長する能力。そしてもう一つは、その戦闘の結果として、特殊な能力を持った『念具』を生み出す能力」
俺は、一度言葉を区切った。
「この二つの能力は、単独で使うよりも、強力な『パートナー』がいることで、その真価を何倍にも、何十倍にも発揮できると俺は考えています」
「パートナー…」
ベンジャミンが、俺の言葉を反芻する。
「ええ。俺の成長には、俺をギリギリまで追い詰めてくれる強い対戦相手が常に必要です。そして、強力な念具をドロップさせるためには、おそらくその念具の元となる強力な念能力を持つ相手と戦う必要がある。俺は、そう推測しています」
俺は、これまでの戦闘データを彼に開示した。
「俺がこれまでに戦った相手は、雑魚も含めれば三十戦程度。その中で、レアリティの高い特殊能力付きの念具がドロップしたのは、ほんの数回です。そして、その更に上の『レジェンダリー』と俺が呼んでいる等級のものは、一度も出ていない」
「レジェンダリー…?」
「はい。俺の仮説ですが、念具のレアリティには大きく分けて三段階あります。『ノーマル』は能力なし。地下闘技場で手に入れた革鎧などがこれにあたります。『レア』は、何らかの特殊能力付き。俺がビンセントさんとの戦いで使った『影縫いの針』や、ガドに貸した『闘拳』がそうです。そして、その最上位に、おそらく存在するであろう『レジェンダリー』。それは、一つで戦局を覆すほどの強力な能力。あるいは、複数の能力を併せ持つ複雑な能力。そんな、規格外の念具です」
俺は、ベンジャミンの目をじっと見つめて言った。
「俺の推測では、このレジェンダリー級の念具をドロップさせるには、それこそ王子、あなたやあなたの側近であるビンセントさんのような一流の念能力者と、命のやり取りをするレベルの戦いを経験する必要があるんだと思います」
「…なるほどな」
ベンジャミンは、完全に俺の話に引き込まれていた。
「だから、王子。俺の念具収集に協力して欲しいんですよね」
俺は、ついに本題を切り出した。
「俺に、最高の『砥石』…最高の対戦相手を用意してほしい。それは、王子軍の精鋭兵でもいい。あるいは、王子が将来敵対するであろうマフィアの幹部や、他国の刺客でもいい。俺は、あなたというパートナーのために戦い、成長し、そして最強の念具を生み出す。そして、生み出した念具を、俺はあなたに『売る』。あなたは、その念具で自らの軍を、世界最強の部隊へと作り変えることができる」
それは、悪魔の契約にも似た提案だった。
俺は彼の敵を喰らい、成長する。そして、その死体から生まれた武器を彼に渡す。
彼は、その武器でさらなる敵を屠り、己が覇道を進む。
WIN-WIN。まさに、共存共栄の関係。
ベンジャミンの目が、ギラリと光を放った。
だが俺は、そこで最後の、そして最大の切り札を切った。
「…ですが、王子。この話は、今すぐ答えを出す必要はありません」
俺は、わざとゆっくりと間を置いて言った。
「今のあなたに、俺と本格的なパートナーシップを結ぶだけの権限も、戦力もまだないでしょう。俺は待ちますよ。王子が、この国の軍事関連で完全な実権を握れるようになるまで。それまで、何年でも待ちます」
その言葉は、ベンジャミンの心を激しく揺さぶった。
目の前のこの12歳の少年は、今の自分のことだけではない。数年先、十年先の未来を見据えてこの話をしている。
彼は、自分に「投資」をしているのだ。
いずれ自分がこの国の頂点に立つことを見越して、その未来の権力者に対し先行投資をしている。
それは、もはやただの子供の思考ではない。
王の、あるいは王を創る者の思考だ。
ベンジャミンは、それまで保っていた冷静な仮面を脱ぎ捨てた。
その口元に、獰猛な、そして心の底からの歓喜に満ちた笑みが浮かび上がる。
「――分かった」
彼は、ニヤリと笑った。
「面白い。面白いぞ、カイ君! 君という存在は、俺の人生で出会った誰よりも、何よりも面白い!」
彼はソファから立ち上がり、俺の前に手を差し出した。
「ぜひ、協力させてくれ。いや、させてほしい。君という最高のパートナーと共に、この国の未来を創り上げていこうじゃないか」
俺は、その手を強く握り返した。
12歳の転生者と、17歳の未来の王。
俺たちの奇妙で危険な共犯関係が、成立した瞬間だった。
部屋を出た後、俺はまだドキドキと高鳴る心臓を必死に押さえていた。
成功した。
俺は、この世界で最強の、そして最も危険な後ろ盾を手に入れた。
これで、俺のレベルアップは、これまでの比ではない速度で加速していくだろう。
だが同時に、俺はもう後戻りのできない王国の血塗られた権力闘争の渦の中へと、自らその身を投じたのだ。
(これが、生き残るための道なのか。それとも、破滅への一里塚なのか…)
俺は、まだその答えを知らない。
だが、俺の物語の歯車が、今、大きく、そして急速に回転を始めたことだけは確かだった。