ベンジャミン王子との密約から、数日が過ぎた。
俺たちは、カキン軍の敷地内に用意された宿舎で、新たな日常を始めていた。日中は、王子軍の兵士たちとの過酷な模擬戦。夜は、ドウセツ老師の指導の下、その日の反省と心源流の基礎を叩き込むための修行。
そのサイクルは、俺のレベルを、そして経験を、凄まじい速度で向上させていった。
レベルは35を超え、俺の所持スキルポイントは、ついに30という大台に乗っていた。
30ポイント。
それは、今の俺が持つ最大の資産であり、そして最大の悩みでもあった。
これだけのポイントがあれば、俺は、自分という存在を全く新しい次元へと進化させることができる。
だが、一度使えば、もう後戻りはできない。
俺は、自分の今後の「在り方」を決定づける、その選択の時が来たことを悟っていた。
その日の夜、俺は自室で一人、精神を集中させ、己が能力の根幹である『スキルツリー』の全貌を脳内に展開させていた。
目の前に広がるのは、星図のように無数のスキルが線で結ばれた、半透明の画面。
それは、大きく分けていくつかのカテゴリーに分類されていた。
【基礎能力向上型】
「オーラ総量LV5」、「身体強化LV4」といった、俺のステータスを直接引き上げる最も基本的なスキル群。地道だが、確実に俺の土台を強固にしてくれる。
【特殊スキル型】
『ブリンク』や『スティールスキン』のような、特殊な能力を発動させるためのスキル群。これらは、レベルを上げることで、さらに複雑で強力な能力へと進化する可能性を秘めていた。
俺は試しに、以前取得した『ブリンク』の項目に意識を集中させてみる。
すると、その先に新たな派生スキルツリーが表示された。
【ブリンクLV2:クールタイム短縮】
【ブリンクLV3:移動距離増加】
…そしてその遥か先、LV10の地点に、一つのとんでもないスキルが輝いていた。
【ブリンクLV10:『幻影(ミラージュ)』】
【効果:ブリンク使用時、移動元にオーラで構成された遠隔操作型の分身を短時間生成する。分身は本体の思考を忠実に反映し、単純な攻撃や陽動が可能】
(…2対1の状況を、作り出せるのか…!)
俺は、その能力の戦術的な価値に、思わず息を飲んだ。
レベルを上げ続けることで、一つのスキルが、これほどまでにその性質を変貌させる。俺の能力の、底知れない可能性を改めて思い知らされた。
他にも、様々な強力なスキルが俺の選択を待っていた。
半径2メートルという超近距離に限定する代わりに、敵のオーラを急速に燃焼させ、わずか5秒で相手を戦闘不能に陥れる、攻防一体のオーラ領域(フィールド)スキル。ただし発動中は、術者である俺自身にも無視できない燃焼ダメージがあるという、ハイリスク・ハイリターンな能力。
あるいは、見えない『念の地雷』を戦場に設置するトラップ系スキル。敵が踏めば、その精孔に直接ダメージを与え、オーラの流れを致命的に阻害する。だが、設置するたびに俺のオーラの一部を「予約」としてその場に固定しなければならず、最大展開可能数には上限がある。
どれも、強力だ。
だが、これらはあくまで「戦術」レベルの力。
俺が今決めなければならないのは、俺の今後の人生を左右する、「戦略」レベルの根幹となる力。
俺は、スキルツリーのさらに深淵、これまでレベルが足りずにその詳細を見ることすらできなかった一つの領域へと、意識をアクセスさせた。
【キーストーンスキル】
その夜、俺はドウセツ老師とガドを、道場の訓練室に呼び出していた。
あまりにも重い選択を、俺一人で決めることはできなかった。
性質は違えど、俺がこの世界で最も信頼する二人の師に、意見を求めたかったのだ。
そして俺は、目の前に提示されているいくつかの選択肢を、一つずつ説明していく。
「まずは、『メリットのみ』の純粋な強化型キーストーンだ」
俺は、三つのスキルを提示した。
1.【ファイター系】:『キリングマシーン』
パッシブスキル。敵に攻撃を連続で当てるたび、自身の攻撃速度とクリティカル率がスタック(累積)していく。攻撃こそ最大の防御とする、超攻撃的なスタイルを確立する。
2.【サポーター系】:『ガーディアンソウル』
味方一人と魂をリンクさせ、その仲間が受けるダメージの一部を、自身の『スティールスキン』の耐久値で肩代わりする。将来、仲間と共に戦うことを想定した、守護者としての道を開く。
3.【スペシャリスト系】:『ウェポン・マスタリー』
ドロップした念具にオーラを注ぎ込むことで、その武器に秘められた潜在能力を一時的に「覚醒」させ、強力なアクティブスキルとして使用できる。念具の専門家としての道を、極める。
俺の説明を聞き終えたガドは、即答した。
「決まってんだろ! 『キリングマシーン』一択だ!」
ガドは、興奮したように拳を握りしめる。
「ごちゃごちゃ考える必要なんざねえ! 敵が何かしてくる前に、こっちが圧倒的な手数と火力で叩き潰す! それが一番確実で、一番強い戦い方だ! 他のなんざ、甘っちょろいぜ!」
いかにもガドらしい、単純明快な答えだった。
だが、ドウセツ老師は静かに首を横に振った。
「…いや。ワシは、『ガーディアンソウル』こそが、お前の進むべき道を示すもののように思える」
老師は、穏やかな目で俺を見る。
「カイ。お前は確かに強くなった。だが、お前一人の強さには、いずれ限界が来る。真の強者とは、己一人の武勇を誇る者ではない。仲間を守るべき者を、その背で守り抜ける者だ。その道は険しく、自己犠牲を伴う。だが、その道の先にこそ、本当の『強さ』があるとワシは信じておる」
全く、正反対の意見。
俺は、頭を抱えたくなった。
だが、本当の地獄はここからだった。
「…まだあるんだ。もう一つのカテゴリーが」
俺は意を決して、二人にもう一つの選択肢を提示した。
「…『デメリット付き大メリット』キーストーン。何かを完全に、永久に失う代わりに、絶大な恩恵を得られる能力だ」
その言葉に、老師とガドの表情が、一気に険しいものへと変わった。
それはもはや、ただのスキル選択ではない。
己が魂に、歪な『制約と誓約』を自ら刻み込む行為に、他ならないからだ。
俺は、震える声で、そこに表示された禁断の果実の名を告げた。
A.【不動の精神(アダマンタイン・ウィル)】
メリット: 全ての「操作系」能力に対し、完全な耐性を得る。洗脳、呪い、憑依、感情操作など、精神に干渉するあらゆる念能力を無効化する。
デメリット: 自発的な**『絶』の使用が不可能になる**。オーラを完全に体内に封じ込めることが、できなくなる。
B.【修羅の肉体(アスラ・ボディ)】
メリット: 身体能力を向上させる全てのスキル、全てのオーラの効果が1.5倍になる。さらに、自身の体力が30%以下になると、被ダメージを半減させる強力な防御バフが自動で発動する。
デメリット: 自発的な**『円』の使用が不可能になる**。オーラを体外に広く展開することが、できなくなる。
C.【万象の簒奪者(ワン・フォー・オール)】
メリット: 念能力者を倒した際、ごく稀にその相手が持つ**『発』の能力**そのものを、一度だけ使える消耗品の『スキルオーブ』としてドロップさせることがある。
デメリット: 能力の性質が変化し、レアリティが『ノーマル』の念具が、一切ドロップしなくなる。
俺の説明が終わった後、訓練室は重い沈黙に包まれた。
ガドも老師も、その選択肢が持つあまりにも巨大なリスクとリターンに、言葉を失っていた。
「…おい、カイ」
最初に口を開いたのは、ガドだった。その声は、いつものような軽薄なものではなく、真剣な響きを帯びていた。
「…正気か? 『絶』が使えなくなるってのは、どういうことか分かってんのか? 気配を消せねえってことだぞ。どんな時も、どんな場所にいても、お前は常に他の念能力者に自分の居場所を知らせ続けることになる。それは、暗闇の中で一人だけ松明を持って歩くようなもんだ。自殺行為だぜ」
ガドの言う通りだった。
『絶』は、念能力者にとって呼吸と同じくらい重要な基礎技術だ。それを捨てる。その代償として、操作系への完全な耐性を得る。
「…『修羅の肉体』も同じだ」
今度は、老師が厳しい声で言った。
「『円』は、己が領域を広げ、敵の気配、位置、そして殺意を事前に察知するための、最高の索敵技術。それを捨てるということは、常に敵の奇襲の脅威にその身を晒し続けるということだ。いくら肉体を強化しようと、目隠しをしたまま真剣の斬り合いに臨むようなもの。あまりにも、危険すぎる」
二人の意見は、一致していた。
これらの選択肢は、あまりにもリスクが大きすぎると。
「…『万象の簒奪者』。他者の能力を奪う力か…」
老師は、天を仰いだ。
「…カイ。それは、最もお前が選んではならぬ道かもしれん。他者の力に頼る者は、いずれ己が力を見失う。そして、ノーマル装備が手に入らなくなるというのも、地味だが致命的なデメリットだ。お前はこれまで、そうしたありふれた装備を工夫して使うことで、道を切り開いてきたはず。その足元にあるべき確かな力を、捨てるというのか」
全ての選択肢が、否定された。
俺も、分かっている。
これらの選択肢は、どれもあまりにも歪だ。
だが同時に、俺の心はこれらの禁断の力に、強く惹かれていた。
(…普通のやり方じゃ、ダメなんだ…)
俺は、知っている。
この先に待つ、本当の「怪物」たちのことを。
ネフェルピトーの、絶望的なまでのオーラ。
クロロ=ルシルフルが持つ、無限の能力の引き出し。
そして、ジン=フリークスという、底が見えない本当の天才。
(あいつらに勝つためには。あいつらと同じ舞台に立つためには。俺も何かを捨てて、歪な一点突破の怪物になるしかないんじゃないのか…?)
その日の議論は、結論が出ないまま終わった。
俺は、自室のベッドの上で、一人天井を見上げていた。
目の前には、俺だけにしか見えないスキルツリーが、煌々と輝いている。
『キリングマシーン』を選べば、俺は最強の矛になれるだろう。
『ガーディアンソウル』を選べば、俺は最高の盾になれるだろう。
『ウェポン・マスタリー』を選べば、俺は最高の職人になれるだろう。
だが、あのデメリット付きの三つの選択肢。
あれは俺を、ただの人間ではない、何か別の「存在」へと変えてしまう。
俺の未来。
俺が、この世界で何を成し、何になるのか。
その全ての選択が、今、この俺の指先に委ねられていた。
俺はまだ、その答えを出すことができずにいた。