最初の武器と狩りの日々
レベル2になった翌日、俺は師範であるドウセツ老師の前に、初戦利品である『岩猪の牙』を差し出していた。長さ三十センチほどの、湾曲した無骨な牙。ただそれだけのはずなのに、俺の手にはずっしりと、鋼鉄にも似た重みが伝わってくる。
「これが、お前の能力で得たものか」
老師は牙を手に取り、指で軽く弾いた。キィン、と金属が共鳴するような澄んだ音が道場に響く。
「ふむ。ただの魔獣の牙ではないな。オーラによって構成され、その存在をこの世に固定されている。…面白い。カイ、これを削り、お前の最初の武器とするぞ」
その日から、俺の修行に「ナイフ術」が加わった。
老師は巨大な砥石を持ち出し、俺自身の手で牙を研がせた。驚いたことに、この念具の牙は、並の砥石ではほとんど削れないほどの強度を誇っていた。俺がオーラを込めて、ようやく少しずつ形を整えることができる。これも『確約された武具庫』の効果――「不壊」特性の片鱗なのだろう。
数日かけて、俺は牙を削り出し、柄の部分に革紐を巻き付け、一本のナイフを完成させた。切っ先は鋭く、湾曲した刃は獲物の肉を断つのに最適な形状をしている。何より、自分の手で作り上げた最初の武器だと思うと、言いようのない愛着が湧いた。
「形にはなったな。だが、カイ。武器はただ持っているだけでは、ただの鉄屑と変わらん。使いこなせてこそ、己が手足の延長となるのだ」
そう言うと、老師は道場の裏手にある河原へと俺を連れ出した。
河原には、人の頭ほどの大きさの石がゴロゴロと転がっている。老師はそのうちの一つを軽々と拾い上げると、俺に向かってにやりと笑った。
「今からワシが投げるこの石を、お前のその牙で斬ってみせよ」
「い、石をですか?」
「そうだ。ただの石ではないぞ」
老師はそう言うと、持った石に自らのオーラを流し込んだ。「周」。石が淡い光を放ち、その存在感が一気に増す。ただの石塊が、鉄球のような威圧感を放ち始めた。
「念で強化した石だ。生半可なオーラでは、刃こぼれするのが関の山よ。お前の武器の強度、そしてお前の『周』の練度、その両方を試させてもらう」
老師は冗談を言うような口調ではなかった。俺はゴクリと唾を飲み込み、牙のナイフを逆手に構える。
「いくぞ!」
掛け声と共に、老師の腕がしなった。放たれた石は、砲弾のような速度で俺に襲いかかる。
速い! だが、目で追えないほどじゃない。俺は眼球に「凝」を使い、オーラの流れを集中させる。石の軌道が、はっきりと見えた。
問題は、斬れるかどうかだ。
俺はナイフの刃に、自らのオーラを集中させる。これまで何度も練習してきた「周」。刃が、俺のオーラを纏って白光する。
「――オオォッ!」
気合一閃、迫り来る石のど真ん中を、真正面から斬りつけた。
パァンッ!
乾いた破裂音と共に、石は真っ二つに割れ、俺の両脇を通り過ぎて後ろの川へと落下した。ナイフを握る手に、ズシリと重い衝撃が走ったが、刃こぼれ一つしていない。
「はぁ…はぁ…っ」
「ふむ。見事だ。今の『周』の精度、そしてタイミング。合格点を与えよう」
老師の言葉に、俺は安堵の息をついた。
「だが、一発で終わりではないぞ。これに耐えながら、ワシの懐に飛び込んでみせよ!」
次々と、老師は強化した石を投げつけてくる。右から、左から、時には山なりの軌道で。俺はそれを必死に両断し、弾き、そして時には紙一重で躱しながら、一歩、また一歩と老師との距離を詰めていく。
何度も何度も、石を斬り続けた。
最初は一発斬るだけで腕が痺れていたが、繰り返すうちに、最小限のオーラで、最も効率よく石を斬るための「コツ」のようなものが掴めてきた。刃筋の通し方、衝撃の逃し方。身体が、オーラが、この牙のナイフと一体化していくような感覚。
そして、数十個目の石を斬り裂いた、その瞬間。
俺の動きには、もはや一切の無駄がなかった。投げられる石を一刀両断しながら、流れるような動きで老師の懐へと踏み込むことに成功する。
「そこまで!」
老師の静止の声。俺は牙のナイフを老師の喉元寸前でピタリと止めた。
「…素晴らしい。カイ、お前はもうこのナイフを完全に己がものとしたようだな」
老師は満足げに頷き、俺の牙のナイフを手に取って、その刃をまじまじと眺めた。
「うむ、名刀にも勝る切れ味だ。これほどの強度と鋭利さを両立させた一品…もしお前が具現化系の能力者だと言っても、ワシは納得する出来だな!」
老師からの、手放しの賞賛。
「いえー、それほどでもないですよ」
俺は照れ隠しに頭を掻いた。だが、内心では老師の言葉を冷静に分析していた。
確かに、このナイフの性能は凄まじい。これも全て、俺の大誓約『還れざる者の覚悟』が、能力の基盤を支えているおかげだ。不壊・不滅・安定。レアリティNのドロップ品でさえ、これほどの性能を秘めているのだ。
「でも師範、このナイフは、すげー切れ味が良いだけで、特殊能力はないですからね。具現化系ってのは、やっぱり何か特殊な能力がないとダメですよね?」
俺がそう問いかけると、老師は深く頷いた。
「うむ、その通りだ。具現化系能力者が、ただ斬れるだけの剣を具現化しても、それはただのオーラの無駄遣い。それならば、名工が鍛えた本物の剣を使った方が遥かに効率が良い。具現化系の真価は、その具現化した物質に、いかなる『特殊能力』を付与できるかにある」
クラピカの鎖がそうだった。念能力者を強制的に絶の状態にする《束縛する中指の鎖》。念能力を吸い取る《盗む人差し指の鎖》。具現化した物質に、現実ではあり得ない法則を付与する。それこそが具現化系の神髄。
俺のドロップ品は、厳密には「具現化」とは違うのかもしれないが、オーラによって構成されているという点では同じだ。この牙のナイフは、いわば基礎スペックが高いだけのコモンアイテム。今後、もっと高レベルの敵を倒し、レアリティの高い装備を手に入れた時、そこにはきっと、何らかの特殊能力が付与されているはずだ。そう考えると、胸が躍る。
「しかし、カイ。特殊能力が重要だからといって、基礎能力を疎かにしていいという話ではないからな。どんな強力な特殊能力も、使いこなす術がなければ宝の持ち腐れ。今の修行のように、基礎を怠らず、常に己を磨き続けるのだ」
「オス!!基礎練習はしっかりしていきます!」
俺は力強く返事をした。そうだ、焦る必要はない。俺のやり方は、一歩ずつ、着実に強くなることなのだから。
その日を境に、俺の修行メニューは大きく変わった。
「しばらくは、裏山の動物狩りをするぞ」
老師は俺にそう命じた。
「様々な種類の魔獣、あるいはただの動物でも良い。とにかく、多くの命と対峙しろ。対動物の戦闘経験を積むのだ。それは、お前の念能力…装備のドロップやポイントの入手効率を上げる上で、必ず役に立つ」
俺のレベル上げが、本格的に始まったのだ。
最初に岩猪を倒してから、俺のレベルは2のまま。次のレベルアップには、あと150ポイントの経験値が必要だった。
俺は毎日、牙のナイフ一本だけを手に、裏山へと入った。
最初の数日は、苦戦の連続だった。岩猪のような、図体が大きく、動きが直線的な相手はまだやりやすい。だが、山にはもっと厄介な獣がいくらでもいた。
木々の間を、目にも留まらぬ速さで駆け抜ける「刃鼠(やいばねずみ)」。カミソリのような前歯で、こちらの動脈を的確に狙ってくる厄介な敵だ。最初は全くその動きに対応できず、何度も腕や足を斬りつけられた。だが、戦いを繰り返すうちに、「凝」で動きを先読みし、カウンターで仕留める術を身につけた。
【刃鼠を討伐しました。経験値15ポイントを獲得】
【『運命の戦利品』が発動しました…『刃鼠のヒゲ』(N) を獲得】
ヒゲは針のように鋭く、裁縫や、場合によっては簡易的な暗器としても使えそうだ。
またある時は、木の色に完全に同化し、気配を消して獲物を待つ「擬態蜥蜴(ぎたいとかげ)」に不意を討たれた。粘着質の長い舌でナイフを奪われ、絶体絶命のピンチに陥った。その時、俺は咄嗟に「絶」を使い、完全に気配を消してその場から離脱。敵が油断した一瞬の隙を突き、背後から心臓を貫くことで、辛くも勝利を収めた。
【擬態蜥蜴を討伐しました。経験値25ポイントを獲得】
【『運命の戦利品』が発動しました…『擬態蜥蜴の皮』(N) を獲得】
この皮は、体に巻き付けると、僅かに気配を隠す効果があるようだ。これも、なかなか使えるドロップ品だ。
刃鼠を8匹、擬態蜥蜴を2匹。その他、ただの猪や鹿なども含め、俺は来る日も来る日も、山で狩りを続けた。
そうして、二週間が経過した頃。
その日、俺はこれまでで最も手強い相手と遭遇していた。翼を持つ、巨大な蛇「飛翼蛇(ひよくじゃ)」だ。
空を滑空し、上空から毒液を吐きかけてくる。地上戦しか想定していなかった俺にとって、最悪の相性だった。
だが、今の俺はレベル2のカイではない。
この二週間の狩りで、俺の経験値は、次のレベルアップまであと僅かに迫っていた。
【カイ:LV 2】
【EXP: 195 / 200】
あと一匹。こいつを倒せば、俺はレベル3になれる。
俺は吐きかけられる毒液を紙一重で躱しながら、思考を巡らせる。空を飛ばれては、ナイフは届かない。投擲武器…『刃鼠のヒゲ』では、威力不足だ。
ならば、地上に引きずり下ろすしかない。
俺は飛翼蛇の滑空ルートを予測し、その進路上にある大木へと駆け上った。
俺の姿を認めた飛翼蛇が、嘲笑うかのように、こちらへ向かってくる。
好都合だ。
俺は木の枝から、飛翼蛇の背中めがけて飛び降りた。
空中で、ナイフを握りしめ、全体重を乗せて突き立てる。
ザシュッ!
牙のナイフは、硬い鱗を貫通し、飛翼蛇の背中に深々と突き刺さった。
ギャアアァァッ!という絶叫を上げ、飛翼蛇はバランスを崩して、俺を背中に乗せたまま、地面へと墜落していく。
凄まじい衝撃。だが、俺は「練」でオーラを張り、ダメージを最小限に抑えた。
地面でのたうつ飛翼蛇の首筋に、俺はもう一度、今度は両手で柄を握りしめたナイフを、容赦なく突き立てた。
【飛翼蛇を討伐しました。経験値30ポイントを獲得】
【レベルアップ! LV 2 -> LV 3】
【スキルポイントを1獲得しました】
脳内に響く、歓喜のファンファーレ。
体中に、レベル2の時とは比較にならないほどの力がみなぎってくる。
傷ついた体が癒え、消耗したオーラが全快し、さらにその器が大きく拡張される。
「…レベル3」
俺は、自分の拳を握りしめた。
わずか二週間。しかし、死線を潜り抜けてきたこの二週間で、俺は確かに強くなった。
道場に戻った俺の姿を見て、老師は何も言わずに、ただ一度だけ、深く頷いた。
その目には、「よくやった」という言葉が浮かんでいた。
「カイ。戦闘には慣れたようだな。その目、もはやただの子供の目ではない」
老師は、俺の成長を認めてくれた。
「対動物の経験は、もう十分だろう。お前の次の修行は…」
老師はゆっくりと立ち上がり、俺に向かって、こう言った。
「このワシとの、組み手だ」
ついに来た。
念能力者との、初めての実戦。
俺のレベル3の力が、心源流の師範に、どこまで通用するのか。
俺の心は、恐怖と、そしてそれを上回る武者震いに、打ち震えていた。