ZOIDS夢想戦記譚 ~Star Tracer~ 作:木霊@ZAC2125
【ZAC2099年 8月下旬/北エウロペ大陸 メルクリウス湖東部 エフケ村】
――星々に彩られていた夜空が、立ち昇る煙によって、真っ黒に染め上げられていく。
その夜、フィル・アルハゼン少年は、燃え盛る炎と瓦礫の山の中で、悲痛な叫びを上げていた。
「父さん、父さんっ……!!」
今、彼のすぐ目の前には、腰から下を瓦礫に挟まれ、身動きが取れなくなっている、父親の姿があった。
苦悶の表情を浮かべる父を、必死になって助け出そうとするが、折り重なった瓦礫は、少年一人だけでは、とても取り除けそうにない。
「フィル…!!もういい、俺に構うな!!逃げなさい、早く…!!」
「嫌だ!!母さんや兄さん達ともはぐれて……一人ぼっちなんて嫌だ!!」
「フィル、駄目だ!行きなさい!!言うことを聞きなさい!!」
「嫌だよ……!!誰か!!誰かいませんか!?手を貸してください!!父さんが!!」
村に火の手が上がりはじめてから、既に一時間近くが経過している。
避難途中にはぐれた家族を探し、火の海と化した村の中を駆けずり回っていた二人は、完全に逃げ遅れていた。
難を逃れた村人達は、既に避難した後のようで、周囲に人影はない。炎と瓦礫ばかりが、どこまでも広がっている。
それがわかっていながら、必死で助けを求めるフィル。その声すら、絶え間なく響く、砲声と爆発音に掻き消されてしまう。
「フィル!!もういい……っ!!」
見兼ねた父が、フィルの腕を掴んで制止する。
延焼し炭になりかけた木製の柱は、既に高熱を帯びていた。それを必死に持ち上げようとしていたフィルの掌は、火傷で爛れ始めている。
父はその手を見て、一瞬沈痛な表情を見せた後、優しく、それでいて少し悪戯っぽく笑って見せる。
「……なに、父さんは平気さ、フィル。実はな、この真下には、秘密の地下トンネルがある。俺は穴を掘って、そこから脱出する、だから大丈夫だ。」
――嘘だ。そんな都合の良い話、あるわけがない。
だがしかし、例えばこれが日常の、“普段のフィル”であったならば、ここは『そんなワケないでしょ』と、笑い飛ばすところだ。
そう、それは“普段の父”が、日常のふとした時に口走る、軽妙でくだらないジョーク。
大らかで、優しくて、冗談が好きな、余裕と自信に満ちた、“普段の父”。
取り乱した息子を安心させるために、痛みにも熱さにも耐えて、普段通りの冗談を言ってみせたのだ。
その事に気付いて、フィルもほんの少しだけ、冷静さを取り戻す。
「父さん……。」
「……だから、フィルも早く逃げなさい。東の丘だ。森を越えて、あそこまで走れ。そこに行けば、きっと助けが来るはずだ。」
「助け……?」
「そうだ。フィルも知っているだろう、父さんは顔が広い。こんな時のために、頼りになる友達と約束をしていた。必ず、助けに来てくれるはずだ。」
変わらず笑って見せてはいるが、その声色からはもう、おどけた様子は感じられない。いつになく真剣な眼差しで、フィルをじっと見つめている。
「でも……父さん……!!」
「フィル。母さん達は、きっと無事だ。だが村がこうなった今、母さんにはお前達の助けが必要だ。だから……頼む。俺の、一生のお願いだ。」
そう言って父は、握ったフィルの手に祈るように、自らの額に当てる。まるで、フィルに願いを託すように。
――ああ。これは、父さんの“覚悟”なんだ。だから僕も“覚悟”しなくちゃいけないんだ。
炎は、父の体を覆う瓦礫にまで燃え移ってきている。彼の額が持つ熱は、瓦礫の下の熱量をも、物語っていた。
もう、どうにもならない。今、ここが、父との今生の別れなのだ。
フィルも、“覚悟”を決めた。そうせざるを得なかった。
「…………わかった。僕、行くよ。」
「あぁ……そうだ、フィル。息子よ。どうか、強くあってくれ。何があっても……。」
「……うん。」
父は最後に、フィルの頭を優しく撫でる。
三秒にも満たない短い時間だが、フィルは父の掌から、幼い頃にそうしてもらった時と同じ、優しい温もりを感じた。
そして父は、最後に一言、付け加える。
「……“星は天にのみ在らず”。」
「……?」
「遠い昔の、ご先祖様が残した詩だ。もしも道に迷いそうになった時は、思い出すといい。さぁ、もう行きなさい。母さんを……皆を、頼むぞ。」
「父さん……っ。」
もはや、名残を惜しんでいる時間は無かった。
力の入らない足でなんとか立ち上がり、しかしそれでも、父から目線を外せない。
ゆっくりと、何歩か後ずさりしてから、断腸の思いで、ようやく父に背を向ける。
けれど、どうしても後ろ髪を引かれてしまい、思うように走り出せない。
ふらふらと覚束ない足取りで、何歩かとぼとぼと歩いた後、つい振り返ってしまう。
「行きなさい。 ……行け。フィル、行くんだ!!早く!!」
そうして振り返るフィルを、父が怒鳴りつけるので、再び前を向いて、歩いて…また振り返って、怒鳴られて。
そんなことを、幾度となく繰り返した。
――このままじゃいけない。
意を決し、一気に駆け出そうとした、その瞬間だった。フィルの真後ろから、耳を劈くような爆発音。
ひどい耳鳴りと爆風によろめきながら、もう一度振り返ると、そこには火柱が昇っていて、父の姿は、もう、見えなくなっていた。
「父さん…………っ!!」
そこからフィルは、胸の奥をかき乱す悲しみと混乱を振り払うかのように、前を向いて、全力で走った。
もう、振り返る事はしなかった。できなかった。
背後からは未だ、砲声と爆発音が、絶え間なく響き続けていた――。
フィルは、無我夢中で走り続けた。
途中、建物が崩れてきたり、そばで何かが炸裂したりと、危険な瞬間が何度もあったが、幸運にも、大した怪我はしなかった。
そんな、一面火の海と化していた村の通りをなんとか抜け、村の東、近郊の小さな森の中へ。
炎に照らし出されて、昼間のように明るかった村の中とは打って変わり、灯りも無い、深い宵闇に包まれた木々の間を駆け抜ける。
何度も草木や石に躓いたり、足を踏み外したりして、盛大に転んだ。気が付けば、体中擦り傷だらけになっていた。
そんな過酷な状況にあっても、フィルは迷う事なく、東へ向かって走っていた。
道中で、フィルは何度も、空を見上げる。
枝葉の隙間から覗く星々を見て、方角を確かめているのだ。
フィル達の一族は、かつて「星族」とも呼ばれていた、占星術に長けた星読みの部族、その末裔だ。
他の部族の人々では目視できないほどの、彼方の星をも見通せる、慧眼を持っているのが特徴だった。
時代が移り変わり、人々が星占いに頼る事が無くなった今でも、彼らはその慧眼と星々への知見を、生活に役立ててきた。
隊商を率いていたフィルの父が、地図も不確かな辺境の地であっても、星を頼りに、迷う事なく踏破してきたように。
フィルもまた、そんな父に憧れて、十歳の頃からその旅順に同行する傍ら、地理や天文を学んできた少年だった。
だから、たとえ真っ暗闇の森の中であっても、空に星が輝いている間は、決して迷う事は無い。
――星の読み方、方位のこと……全部、父さんに教わった……もっと、教わりたいことが沢山あった……!
父を想い、視界を滲ませる涙を、止まらない汗と一緒に、ボロボロの袖で乱暴に拭う。
隊商で立派に父の手助けをしながら、いつか、まだ見ぬ大地を冒険する。それが、フィルの夢だった。
だが、“父の手助けをする”という夢は、もはや叶わぬ願いとなった。心の中ではまだ、その事実を受け入れられずにいる。
フィルは、思考が悲嘆で淀みかける度に首を横に振って、とにかく必死に走り続けた。
そうして、森の外へ抜け、小高い丘を駆け登る。
この丘を目指すよう父に言われたのもあるが、この場所は元々、村で取り決められていた、災害時の避難先の一つでもあった。
――父さんの言う通り、皆先に避難してきているはずだ。母さんや兄さん達も、きっと。
そんな期待――そうであって欲しい、という願いを胸に、丘の頂上まで一気に駆け抜けた。
だが、フィルを待っていたのは――否。そこには、誰も、誰一人として、待ってなどいなかった。
ただ、凪いだ草原が広がっているだけで、誰もいなかったのだ。
「誰か!!誰か、いませんか!?母さん!!兄さん、姉さん!!みんな!!誰か…………!!」
声を張り上げて叫ぶ。
炎と煙が充満していた村から、全力で走って来た。
もはや息も絶え絶えで、喉も乾ききっているが、それでも残った力を振り絞って、精一杯叫んだ。
声が枯れ果てそうなほどに、叫び続けた。
だが、そうまでしても、返事は無かった。
呆然と立ち尽くす中、フィルはふと、砲声と爆発音が、未だ絶えず響いている事に気が付く。
村の中で嫌と言うほど浴びたのと同じ、焼け焦げた臭いを帯びた熱風が、どこかからともなく吹いてきているような気もした。
――村からは、もう随分、離れたはずなのに。
そもそも、何故村が炎に包まれていたのかを、フィルは今になって、ようやく考える。
深夜、突然響いた轟音に叩き起こされ、家族と共に家を飛び出すと、その時にはもう、村のあちこちから火の手が上がっていたのだ。
それから今の今まで、冷静に状況を分析するだけの余裕が無かった。
だが、フィルには一つ、思い当たる節があった。
――『戦火がすぐそこに迫っている』。
村で囁かれていた、まことしやかな噂話を思い出す。同時に、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
途轍もなく、嫌な予感がする。
フィルは、恐る恐る、振り返る。
ここは眺めの良い丘だ。
故郷の村だけでなく、近隣の集落や、メルクリウス湖、そしてその向こうに佇む、雄大なオリンポス山。そんな絶景を一望できるはずだった。
いつだったか、家族とピクニックに来た時に見た美しい眺めを、脳裏に思い描きながら、今現在の景色を直視して――そしてフィルは、絶句した。
燃え盛る故郷の村が見える。だが、燃えていたのは、自分達の村だけではない。
近隣の他の集落も、畑も、湖岸の波止場も、至るところから、炎と黒煙が上がっていた。
メルクリウスの湖上にさえ、炎が揺らめいているのが見える。
そうしている間にも視界のどこかで、眩い光が幾度となく閃いて、その度に、新たに炎が生まれて、燃え広がっていく。
いつか見た美しい景色は、地獄のような光景へと、変わり果てていたのだった――。
今宵、フィルとその家族を襲った、巨大な戦火。
それは、後に『西方大陸戦争』として惑星史に刻まれる、二大列強の激突による物であった。
極北の暗黒大陸ニクスから襲来したガイロス帝国と、東方の中央大陸デルポイを本土とするヘリック共和国。
40年以上前からの因縁を決着すべく開かれた戦端は、しかし一方で、無関係なエウロペ大陸の先住民達を巻き込んだ。
巨大な統一国家を持たなかった彼らは、碌な抵抗も出来ぬまま、戦乱が齎す時代のうねりに、ただ翻弄されていく事となる。
時に、ZAC2099年8月下旬。
メルクリウス湖と、その中央に聳える大陸最高峰・オリンポス山を巡り、共和国軍の一大反抗作戦が決行されていた。
その後の戦局をも左右する、重要な1ページ。
だが、そのページに、フィル・アルハゼン少年やその家族はおろか、この地に暮らしていた、多くの無辜の民に関する記述は無い。
何故ならば、無数の悲劇が集積する戦争という事象に於いて、それは、ごく小さな断片に過ぎなかったのだから――。
フィルは、もはや立っているだけの気力も失い、その場にへたり込む。
見れば、先程駆け抜けてきた森にまで、火の手が広がってきているではないか。
これでは、もう誰も丘の上まで登ってなど来られない。はぐれた家族も、他の村人も。
父が言っていた『助け』も、一帯がこの有様では、頼りにならない。そう思った。
「……一人ぼっちは嫌だって、言ったじゃないか……父さんの、嘘つき……。」
ここまで堪えていた感情が、涙が、決壊したかのようにぽろぽろと零れだす。
もはや、孤立した十四歳の少年には耐え難い、絶望的な状況。
せめて誰かひとりでも、傍にいたなら――。
「母さん、みんな……誰か……誰かぁぁぁっ――――!!」
乾ききった声で叫んだ、その次の瞬間だった。
森の方角から、まるで雷でも落ちたような、一際大きな轟音が響いたかと思うと、丘の麓から巨大な爆炎が立ち昇ったのだ。
「何が……!?うわ、っ……!!」
突然の出来事に驚く暇も無く、今度はフィルも飛ばされそうな程の突風が、丘の上に吹く。
細目で周囲を見渡していると、不意に、丘の上空を黒い影が覆った。
直後、ズシンという重々しい足音と共に、目の前に黒い影――突風を齎した者が降り立つ。
「あっ――――。」
身の丈およそ8mはあろうかという、巨大な黒鉄色の竜の背中。それが、フィルの目の前にあった。
頭から尾の先までスラリと整ったフォルムの体躯に、無骨で不似合いな銃火器を纏った、鋼鉄の竜。
赤熱した背中の開口部は、突風の発生源にして、フィルが懸命に駆け上ってきたこの丘の上に、竜をたった一飛びで到達させた推進器だ。
跳ね上がっていた装甲板が、そこに蓋をするように下りてくる。
表面には――ガイロス帝国の国章たる、飛竜十字の紋章が刻まれていた。
「――――帝国の……”戦闘ゾイド”……!?」
その存在も、フィルは噂話で聞いていた。
帝国、共和国の両勢力が用いている、極めて強力な兵器の数々。
エウロペに現存するどの勢力よりも、遥かに進んだ軍事技術によって生み出された、“戦闘機械獣”。
だが、その脅威を間近に見るのは、これが初めての事であった。
一方、竜の方も、この時になってようやく、フィルの存在に気が付いたようだ。
太く逞しい脚が持ち上がる。サーボモーターの駆動音を伴って、爪先がフィルの方を向く。
眼も牙も無く、ただ薄緑に輝く一文字のみを表情とする無機質な貌が、覗き込むようにフィルを見下ろす。
その時、フィルは思った。
『こいつは、地獄の使者だ。きっと、世界で一番恐ろしいものに違いない』、と。
それは、ガイロス帝国軍イグアノドン型戦闘機械獣 EZ-017イグアンであった。
フィルは、ようやく理解した。
ずっと続いている砲声も爆発も、全てこの“ゾイド”達が齎している物だと。
外の大陸の軍隊が持ち込んできた“戦闘ゾイド”達は、この地域一帯を火の海に変えられる程に、凄まじい破壊力を持っているのだと。
ただ静かに慄いているフィルに対し、イグアンが、不意に左腕を向けた。
そこに在るのは、指先などではない。四連もの砲塔が、その口を開いているのだ。
半ば思考停止していたフィルだったが、生命の危機を感じ取った直感と本能に心臓を強く叩かれ、跳ねるような鼓動を共に、体を突き動かす。
「ひっ……!?」
咄嗟にその場から飛び退いた。そして次の瞬間には、砲声と、破砕音、そして凄まじい衝撃。
たった今までフィルが座り込んでいた大地を、イグアンの四連装インパクトカノンが、粉々に砕いたのだ。
華奢な少年の体は、着弾の衝撃波に吹き飛ばされ、石ころのように丘の上に転がる。
岩や泥の塊もそこら中に飛び散る中で、フィルが大きな怪我に見舞われなかったのは、奇跡的な幸運と言えた。
だがそれは、ほんのささやかな、不幸中の幸いに過ぎない。
なんとか体を起こしてイグアンの方を見ると、土煙の向こうにいる虚ろな貌と再び目が合う。
まだ、フィルの姿を追っていた。
「……なんで、こんなっ……違う、僕は……共和国軍じゃないのにっ……!!」
“常識的に”考えるならば、無抵抗な一般人を軍用機が攻撃するなど、あってはならない事である。
しかし、戦争という状況その物が“常識”とは程遠く、容易に逸脱し得るのだ。
フィルにはイグアンをじっくりと観察する余裕が無く気付いていないが、その機体は傷つき、動きにもどこか落ち着きがない。
例えば実戦状況下において、新兵が恐慌状態に陥り、視界に入る者全てを攻撃するような事態があったとしても、それは決して不可思議な事では無いのだ。
だがいずれにせよ、襲われている当人にとっては、理不尽以外の何物でもない。
――これはあくまで、帝国と共和国の戦争のはずだ。
ただ巻き込まれるだけでも理不尽な話なのに、何故村を焼かれ、命さえ脅かされなければならないのか?
何故、家族と離れ離れにならなければならないのか?
何故、父が犠牲にならなければいけなかったのか……?
先ほどまでの絶望感も、父を失った悲しみも、沸々と湧き上がってきた怒りに飲み込まれていく。
だが、その怒りをぶつける手段さえ、今この少年は持ち合わせていなかった。『とにかく今は逃げろ』と、生存本能が警鐘を鳴らし続けている。
しかし、先の砲撃での直接的なダメージは無かったとはいえ、吹き飛ばされ、地面に打ち付けられた衝撃は相当な物だった。
体を動かそうとすると、全身に鈍い痛みが走る。
そうしている間にも、イグアンは重い足音を響かせながら、ゆっくり近寄ってきていた。
這ってでも逃れようとするフィルの必死の抵抗も空しく、もうすぐそこまで迫っている。
「っ…………!!」
フィルは、いよいよ死を覚悟して、目をぎゅっと瞑った。
その時だった。
突如、空を穿つかのような獣の咆哮が、高らかに轟いた。
恐らく、イグアンのそれではない。もっと、別の”何か”。
薄目を開けて様子を伺う。見ればイグアンの方も、聞き覚えのない獣の声に戸惑い、辺りを見回している……フィルの目には、そう映った。
対峙したまま戸惑うフィルとイグアンの間を、一瞬、逆巻く一陣の風が吹き抜けた。イグアンが現れた時よりも、遥かに強い風。
“疾風”とでも、呼ぶべきだろうか。
そして、刹那――巨大な“疾風”がフィルの視界を稲妻のように横切り、“黒鉄色の竜”を、たちまち攫っていってしまった。
我が目を疑う暇すらなく、今度は地響きが丘の上を揺らし、同時に、金属がひしゃげる甲高い音が鳴り響いた。
少し遅れて、音がした方を振り向く。
気付けば、東の稜線が薄明に染まり、程なく夜が明ける事を知らせている。
そしてその薄明の中に、“疾風”は佇んでいた。
イグアン以上に巨大で無骨な躰に、長く鋭い牙と、猛々しい爪を備えた、鋼鉄の獣。
それでいて、清流の如く優雅な流線を描くタテガミと、宵闇のように深い蒼を装甲に纏ったその獣は、言うなれば、蒼い――否、紺碧の獅子であった。
まるで、獅子を模った夜空が、疾風を纏い、夜明け前の大地に降り立ったかのようであった。
そんな装甲の表面には、稲妻の紋章が刻まれているのも見える。
「…共和国軍…。」
獅子は、呆然と呟くフィルを他所に、事切れたように動かなくなったイグアンを力強く踏みつけ、吠える。
咆哮は、絶えず鳴り響く砲声を切り裂き、空高く響き渡った。
そのゾイドは、戦場でこう呼ばれていた。“蒼き疾風”、と。
ヘリック共和国軍 ライオン型戦闘機械獣 RZ-007 シールドライガーである。
《銀河の遥か彼方に位置する、惑星Zi。》
《そこには、優れた戦闘能力と、重金属の身体を持つ、巨大な生命体――ZOIDS(ゾイド)が、生息していた。》
《人々は、いつ終わるともない戦乱の中、ZOIDSを改造し、戦場へと投入する。》
《それは、武装する本能にして、息吹を持つ機甲。》
《即ち、生きた機械。》
《戦闘機械獣――ZOIDSである。》
《斯くして人々は、最強兵器として惑星史に君臨するZOIDSと共に、果てしなき戦いを繰り広げる。》
《唯一、勝利こそが、永遠の平和を勝ち取るための方法であると信じて――。》
――よろよろと立ち上がったフィルは、全身の痛みも忘れ、紺碧の獅子に目を奪われていた。
このエウロペで暮らしていて、全長21mにも及ぶ、大型の戦闘ゾイドを目にする機会が、これまで無かった…というのもある。
万事休すの状況が、ほんの10秒足らずで一転したから…もちろん、それもある。
だがそれよりも、何よりも、フィルはただ、圧倒されていた。
野生のゾイドに対し、その肉体を人工の機械に置き換えて兵器化したのが、戦闘ゾイドだ。
フィルがそれまで戦闘ゾイドに抱いていたのは、それこそイグアンのような、無機質な兵器というイメージであった。
だが、今、彼の目の前にいるこのシールドライガーの咆哮は、なんと力強く、生命力に溢れている事か。
生命と機械、それぞれの魅力が同居する、不思議な美しさが、そこにはあった。
やがて、勝鬨を終えたシールドライガーは、フィルの方にゆっくりと近付いてくる。
今しがたイグアンに襲われたばかりということもあって、フィルは最初、ほんの一瞬身構えた。
だが不思議と、今のシールドライガーからは、危険な気配は一切感じない。
そして、フィルに顔を寄せるような恰好で頭を下げた。
長い牙を携えた横顔が、フィルのすぐそばに来るが、その間ライガーは、ゴロゴロといった唸り声を上げている。
その仕草は、獅子というよりも、どこか巨大な猫に似ていた。
少しばかり愛嬌を感じると同時に、これほどの巨体でも、やはり生き物なのかと、変に感心してしまう。
そんな事を考えていると、顔を覆うキャノピーが開いて、中からパイロットが姿を現した。
フィルは、思わず目を丸くした。
出てきたのは、軍人にしては華奢な、若い女性パイロットだった。
フィルにも姉が一人いたが、大差ない程度の年頃にも見える。軍服とヘルメットを身に着けていなければ、とても軍人には見えなかったかもしれない。
彼女は最初、村の方角を見ていたが、すぐにフィルの方に向き直る。
ヘルメットと一体化しているバイザーの奥に光る、金色の瞳と目が合った。
「……少年。怪我は無い?」
凛とした声で問う彼女に対し、フィルは呆然と頷く。
「エフケ村の子?」
淡々と聞いてくる。フィルはまた、黙って頷く。
「名前は?」
「え……フィル。フィル・アルハゼン……。」
「アルハゼン?もしかして――……いや、後で聞く。今は乗って。」
「へ?うわっ!?」
彼女が身を乗り出してきたかと思うと、フィルはそのまま、シールドライガーのコクピットに引きずり込まれた。
あれよと言う間に彼女の膝の上に乗せられる。そのままキャノピーが閉じて、シールドライガーが身を起こした。
一気に視界が9m近い高さまで持ち上げられ、フィルはただただ戸惑うばかり。
その直後、機内の警報機がけたたましく鳴り響いた。見渡すと、イグアンが新たに三体、シールドライガーの周囲を取り囲んでいる。
「囲まれてる…!?」
「大丈夫。」
ふわり。フィルの身体が、感じたことの無い浮遊感に見舞われる。
シールドライガーが跳躍したのだ。
高い。かつて父の隊商に同行した際、切り立った崖を通った時の事を思い出して、フィルの背筋が一気に凍り付く。
次の瞬間、下方に閃光が迸った。3体のイグアンが同時に射撃を行ったようだ。
だがシールドライガーが――否、シールドライガーを操る彼女が、イグアンの攻撃を予測し、数瞬早く、機体を跳躍させたのだ。
「口を閉じていて、舌を噛む。」
「え?っ…うわあぁぁぁぁぁぁ!?」
そのままシールドライガーは、うち1体のイグアンに対して、そのまま突っ込んでいった。
イグアンの方も慌てて火器を向けてくるが、こちらの方が遥かに速い。
シールドライガーの爪先が紫電を纏って閃いたかと思うと、そのまま着地と同時に、イグアンを大地に捩じ伏せた。
電磁爪・ストライククローが、敵の喉元を掻き切ったのだ。
正しく疾風迅雷の一撃を以って、イグアンは全く動かなくなった。
「……ごめん、少年。今は、君しか助けられない。」
「ど、どういうこと……うわ、うわぁぁぁぁぁぁ!?」
着地の衝撃に目を回しているフィルが、彼女の言葉を理解する間もなく、今度は急加速と共にシールドライガーが駆け出す。
その直後、背後から砲弾やらレーザーやらが、嵐のように飛んできた。
いや、背後からだけではない。正面にも新たに複数のイグアンが出現して、射撃で進行を阻止しようとしている。
だがしかし、シールドライガーは止まらない。
左右のステップを織り交ぜ、時にはまたも跳躍し、射撃の嵐を躱していく。
その敏捷性に全く追随できていない進路上のイグアン部隊に、今度はシールドライガーの方から襲い掛かる。
まず真正面に躍り出てきたイグアンに、加速度を乗せたストライククローをぶつける。
その質量だけで、イグアンの上半身は粉々に弾け飛んだ。
続けて、今度は対角線上にいる別のイグアンに飛び掛かった。
それに対し、イグアンは真向から立ち向かってくる。それは、果敢にして無謀であった。
フレキシブルスラスターで加速度をつけて、シールドライガーを蹴りつけようと右脚を振りかぶる。
しかしイグアンのキックが繰り出されるよりも速く、その右脚に、シールドライガーの牙・レーザーサーベルが食い込んだ。
着地したシールドライガーは、喰らい付いたイグアンをそのまま何度も振り回して、最後は遠心力に任せて放り捨てる。
ボロきれ同然に投げ出されたイグアンは、錐揉みして宙を舞い、空中分解しながら地面に叩きつけられた。
大破したイグアンを一瞥すると、シールドライガーはまた走り出し、次の標的に狙いを定める。
銃火器を中心に応戦する帝国軍部隊に対し、爪や牙を用いて彼らを捻じ伏せるシールドライガーの戦いは、鮮やかながら、荒々しさに満ち溢れている。
コクピット内のフィルは、衝撃と振動に目を回し続けながらも、その戦いぶりに、感動に近い高揚を感じていた。
斯くしてこれが、フィル・アルハゼンが、生まれて初めて経験したゾイド戦となった。
しばらくそうして揺られ続けていたが、やがてステップも跳躍も止んで、機体が真っ直ぐ走り始めた事に気が付く。
砲声や爆発音も、レーザーの光条も、コクピットの警報機も、いつの間にか全てが止んで、ライガーの軽快な足音だけが響いていた。
どうやら、帝国軍の攻撃から逃れ、安全圏へ向かっているらしい。
ほっと安心し息をついたフィルは、いつもの癖で、空を見上げて居場所を確かめようとする。
キャノピー越しに見えたのは、夜明けが迫り、暁に染まる空…。
否――まるでシールドライガーの方が、宵闇も、星も、雲も、全て置き去りにして、朝焼けに迫っているかのようだった。
それほどまでに、シールドライガーは凄まじいスピードで、東へ疾走している。
――空に、こんな見え方があるなんて。
フィルはしばしの間、その未知の光景に心を奪われていた。
その一方で、標となる星明りが見えなくなった事に、微かな不安を覚える。
それでふと、父が最後に遺した言葉が、脳裏を過った。
『……“星は天にのみ在らず”。』
――あれは、どういう意味なのだろう。夜空以外で、星が見える事なんて――。
「少年。」
突然、空が遮られた。代わりに、バイザー越しの金色の瞳と目が合う。パイロットが、フィルの顔を覗き込んでいた。
その時ようやくフィルは、自分が彼女の身体に、文字通り背中を預けていることに気が付く。
「え?あっ……!!ご、ごめんなさい!!」
思わず猫背になって俯く。彼女の吐息や、背中越しの柔らかな感触を意識してしまい、顔が一気に熱くなった。
「何が?それより、少年…フィル・アルハゼン…くん。君はもしかして、バスラ・アルハゼン氏のご子息?」
少年の純情を気にも留めず話を続けるパイロットに、フィルは驚いて振り返る。彼女が述べたのは、正しく父の名前だった。
「父さんを知っているの!?」
「私は会ったことは無い。けれど上官からは、彼の保護を命じられていた。“友人を助けてほしい”……とも。」
「……!!」
“友人”。父も同じような事を言っていた。
つまり、父の言っていた“助け”というのは、このシールドライガーの事だったのだろう。
――父さんは、本当に助けを呼んでいたんだ。嘘つきだなんて、言ってごめん。
心の中で謝るフィルを他所に、彼女は続ける。
「……お父上は?」
彼女の問いに対し、フィルは沈痛な面持ちで、黙って首を横に振る。
「……他のご家族は?」
「途中ではぐれて……今は、どこにいるのか……。」
「……ごめんなさい。もっと早く到着して、村の人達を避難させたかったのだけれど、あれ以上は……。」
「あ……いえ……わかります。あのままだと、帝国に囲まれて、脱出できなくなっていた。さっき、“今は君しか助けられない”って…そういう事ですよね?」
ややトーンが落ちた声色から、パイロットの申し訳なさそうな心情を察したフィルは、咄嗟に、彼女の判断と行動を肯定する。
確かに、母親やきょうだい達の安否も確認できないまま、村を離れてしまったのは心残りだ。
もしも叶うことならば、今すぐ村に引き返して、家族を探しに戻りたい。
父にも、母のことを託されたのだ。本当は、母を、家族を、傍で支えなくてはならない。
だが、もはや引き返せる状況では無いのだろう。
共和国軍は現在、帝国に対して劣勢だと、フィルも聞いていた。
これだけ強いゾイドを持っていながら、敵部隊に背を向けて逃げたという事は、全体での戦況は、きっと芳しくないのだ。
おそらく、このままメルクリウス湖は、帝国軍の手に落ちる。軍事には詳しくないフィルでも、なんとなくそんな予想がついた。
もしも、シールドライガーが丘の上に駆けつけるのが、あと少しでも遅かったら、今頃フィルは、イグアンの砲撃に吹き飛ばされていたに違いない。
そして、あの後何体もイグアンを繰り出してきた帝国軍に対し、シールドライガーはたった一体であの丘の上に現れ、今に至る。
つまり、単独行動を強いられているのだ。その状況で、ここまでにパイロットの彼女が取った行動は、この上なく的確に思えた。
それを思えば、どうして彼女を責められようか。
それでも彼女は、もう一段声のトーンを落として。
「…………ごめんなさい。」
「……気にしないでください。それよりも、ありがとう。助けてくれて。」
今度は、彼女を気遣っての言葉ではない。
振り返って目を見ながら、心から、感謝の言葉を述べた。
ついでに父を真似して、強がって笑ってみる。上手に笑えていたか、あまり自信は無かった。
「……。」
そのまま、パイロットは押し黙ってしまった。
――気まずくさせてしまったのだろうか?
などと考えていると、シールドライガーが急に減速した。反動でコンソールパネルに顔をぶつけそうになる。
「っ……!?な、何…!?」
「ここまで来れば、ひとまず大丈夫。この辺りは、まだ共和国の勢力圏だから。」
先程の申し訳なさそうな声色はどこへやら、パイロットは淡々と述べながら、再びシールドライガーのキャノピーを開く。
いよいよ夜が明け、地平線から太陽が顔を覗かせた。眩い朝日がコクピットに差し込む中、彼女は立ち上がり、ヘルメットを外す。
満月の日の夜空を想起させる、透き通った濃紺の長髪が、風に吹かれ、流れるように靡いた。
バイザー越しに見えていた金色の瞳は、まるで綺羅星のように輝いて、フィルを見つめている。
――綺麗だ…………。
フィルは思わず見惚れて、彼女をじっと見つめ返してしまう。
「私は、ヘリック共和国軍第403情報旅団所属、ソネット・ウィンタース少尉。……名乗っていなかったから。」
「え、あ、はい…?どうも、よろしく……?」
「よろしく。…少年、約束する。私達は必ず、この戦争を終わらせる。そして、あなたを家族のところに返す。」
「……!」
「時間はかかるかもしれない……けれど、必ず。だからそれまで……待っていてほしい。」
口調は一貫して淡々としていて、表情にも乏しいが、真っ直ぐフィルを見つめるその瞳には、確かな決意が垣間見えた。
何故、今彼女がわざわざそれを宣言したのか、フィルには知る由も無い。
『家族のところに返す』と言うが、今となっては手がかりも無い。
それを思えば、彼女がこんな風に断言できるだけの根拠は、どこにも無いはずだった。
それでも、彼女――ソネット・ウィンタースの眼差しには、強い意志が宿っていた。
これまで見たことない程に、力強い眼差しだった。
そんな彼女の目を見ているうちに、再び父の言葉が脳裏に蘇る。
『……“星は天にのみ在らず”。』
――この人が、この眼差しが、そうなのだろうか?
ついさっき出会ったばかりの、この異国の軍人がどのような人物なのか、当然ながら、少年は全く知らない。
だが、フィル・アルハゼン少年は今確かに、ソネット・ウィンタースの瞳の中に、星を見ていた。
一等星のように眩しく、確かな輝きを。
そして、その輝きの導く先には、まだ見た事もない世界が広がっている……。
そんな予感に、フィルは、胸が高鳴るのを感じていた――。
《これは、未だあの彼方の星を仰ぎ、なぞり続ける我等が抱く、夢想の切れ端。》
《戦闘機械獣ZOIDS、そしてZOIDSと共に駆けた戦士達を想い、描かれ、そして時に消え失せた、数多ある詩編のひと欠片。》
《年表や歴史書には刻まれる事のない、不確かで曖昧で、それ故に、虚構か真実かさえ、誰一人として知り得ない。そんな物語。》
《故に、妄想と呼ぶにさえ値しない、この物語の表題は――。》
ZOIDS夢想戦記譚~Star Tracer~
第一話:少年と獅子と綺羅星の乙女
【ヘリック共和国戦闘機械獣軍団】
― 《RZ-007 シールドライガー(第403情報旅団仕様)》 ―
■テクニカルデータ
全長:21.6m
全高:9.2m
重量:92.0t
最高速度:250km/h
■装備
レーザーサーベル×2
ストライククロー×4
対ゾイド三連衝撃砲
AMD二連装20mmビーム砲
展開式ミサイルポッド×2
対ゾイド30mm二連装ビーム
改修型エネルギーシールド発生装置
■機体説明
ヘリック共和国軍情報部が、広大な西方大陸における情報収集及び長距離連絡のために配備したとされている、シールドライガーの改修型。
紺碧の夜間迷彩塗装が施されているほか、いくつかの独自改修が施されていたとされる。
特にシールドライガーの代名詞でもあるエネルギーシールドは、電磁場を拡散放射する事で敵の電子機器を狂わせる、簡易ジャミングシステムとしての機能が追加されていた。
これにより敵地に浸透しての後方攪乱任務にも対応しているが、純粋なエネルギーシールドとしての強度は、通常型よりも若干低下しているため、運用には注意が必要だったと見られている。
また長期間の単独行動に耐えるべく、エネルギー貯蔵及び伝達系に改良が加えられている他、脚部はスピードや小回りといった実戦に即した調整ではなく、航続距離を重点に置いたチューンが施されていたようだ。
本機は、複数が共和国軍情報部の直轄部隊に配備されたと考えられてはいるものの、その任務の秘匿性からか、未だに共和国軍から公式に存在が認められた事はなく、多くが戦場での目撃談や、戦場跡で発見された機体整備記録からの推定に留まっている。
【ヘリック共和国軍パイロット名鑑】
― 《ソネット・ウィンタース》 ―
・共和国軍第403情報旅団所属
・愛機:シールドライガー(第403情報旅団仕様)
情報部少尉。開戦当初は、共和国友好派のエウロペ先住民族との接触及び連絡を主任務としていた。
ある人物の保護を命じられ、最前線近くのエフケ村へ向かったところ、その人物の息子であるフィル・アルハゼンが帝国軍に襲われているところに遭遇。彼を保護し、以後行動を共にする。