※作品の都合上、一寸と表記していますが、流石に一寸(三センチ)は小さ過ぎるので、お読みの際はお好みのサイズをご想像してお読みください。
「本当に行くのかい?」
「一人では危なくないか?」
老齢の男女はそれぞれ問いかけた。
二人とも心配するような、それでいてどこか肩の荷が下りたような、そんな顔をしていた。
「大丈夫ですっ、見分を広げるためにも一度都に行ってみたいんですっ」
明るく朗らかな声でそう答えたのは、とても、とても小さな少女だった。
それこそ道端から生えた野草くらいの背丈で、布きれの端で織ったような着物を纏っている。
少女は耳も遠くなってきた老夫婦にも聞こえるよう、その足元からか細い声を張り上げた。
「それではっ、そろそろ行こうと思いますっ」
「そうかい、なら体には気を付けて行っておいで」
「いつ戻ってきても良いからね」
「はいっ、ありがとうございますっ。父さま母さまも、どうぞお達者で!」
そうして少女は両親に別れの挨拶を告げ、一寸にも満たない旅の一歩を踏み出した。
※
「これで良かった、ですよね?」
手を振って見送ってくれた両親の姿が見えなくなった頃、少女──一寸法師は一人呟いた。
鳥の囀りほどに小さく吐き出された声は寂しさと諦めに満ちていて、都への期待もなければ、旅への昂揚すら感じさせなかった。
少女は老夫婦の間にできた子供で、生まれたときには一寸ほどの大きさしかなかったことから、一寸法師と名付けられた。
普通ならこの時点で鬼子や忌子として捨てられてもおかしくない。しかし、長らく子供に恵まれなかった二人にとっては、まさしく宝のような存在だった。
少しくらい体が小さくても、いずれは大きくなるだろう。そう考えた老夫婦にとても大切に育てられ、その愛情を受けた一寸法師もすくすくと成長していった。──あくまで心だけは、だが。
老夫婦の思いとは裏腹に少女の体躯はいつまで経っても一寸のままだった。それは五年が過ぎて、十年が経ち、とうとう一寸法師が二十になっても変わることはなかった。
いつか大きくなると楽観していた老夫婦もこれには不安や困惑を抱き、あちこちの寺社に祈祷をしたものの、結果はどれも空振りに終わった。
一寸法師が唯一恵まれていたことといえば、身体がとても小さいため、寝床や食い扶持を用意するのに困らなかったことくらいか。
だが、お椀ひとつに身体が収まるほどの一寸法師では、老夫婦に代わり家事も担えなければ、村の仕事をこなすこともできなかった。ましてや、その矮躯な姿に嫁ぎ先が見つかるはずもない。そうした意味で、一寸法師は「いらない子」だった。
老夫婦もそのことは理解し、けれど、長年育ててきた娘の前では、弱音ひとつ見せず気丈に振る舞っていた。
それは、二人が親として一寸法師を愛していたからで、たとえ何もできなくとも、ずっと家に居続けてくれてよいと本気で思っていた。
だから、一寸法師がその言葉を聞いてしまったのは、運が悪かったというよりほかなかった。
『ああ、どうしてあんな子が生まれたんでしょう』
──当然と言えば当然だった。
鼠ほどの背丈しかない人間など、一寸法師は自分以外に見たことがなく、自分が異常なのはとっくに分かりきっていた。
普通の人である母や父が、自分を気味が悪いと思うことは仕方のないことで。むしろ、それでも育ててくれたこと、今まで優しく接してくれたことに感謝するべきで。
なのに。なのに、恨み言ばかりが心に募っていく。
(わたしだってこうなりたかったわけじゃない)
(こんな風にわたしを産んだのは母様たちの方なのに)
(勝手に産んで、勝手に育てて、勝手に蔑んで)
(何で、何で、何で、何で)
それは一度湧き出すと、どこまでも際限がなかった。
何をしても、何をしてもらっても、心の奥から噴き出してくる。
泥のように思考に絡みつき、何もかもをぐちゃぐちゃにしていく。
笑顔で告げられる感謝の声さえ、本心からのものだなんて信じられなかった。
だから、もうここにはいられないと、一寸法師は思ったのだ。
※
「ええと、川を下っていけばいいんでしたっけ?」
都に行きたいと言ったのは方便ではあったものの、なんだかんだで都に興味があったのは事実であった。それは多くの人や物が集まる都であれば、自身を大きくする方法があるかもしれないと考えたからだ。
もし大きくなれば、自分を受け入れてくれる人もいるはずで。そうすれば父や母だってきっと自分のことを愛してくれる。
一寸法師は縋るよう切望を胸に抱き、草を結って作った舟を何度も転覆させながら川を下り、あとは道なりに歩き続けた。
普通の人なら一週間でつく道のりを、一か月も掛けて。ようやく一寸法師は都にたどり着いた。
「わあ、人がいっぱい」
一寸法師は行き交う人の多さに目を回しながら、踏み潰されないよう道の端をひっそりと歩く。
兎にも角にも、まずは仕事を探すべきだろう。大きくなる方法が分かったとしても先立つものがなければどうにもならない。村では一寸法師ができる仕事なんて全くなかったが、これだけ人がいるところなら、いろんな仕事があるはずだ。
そう考えた一寸法師はあちこちの店に声を掛けていった。しかし、一寸ばかり身体でできることなんてたかが知れており、どこもかしこも門前払い。やがて日が暮れてきて、仕事終えて帰宅の途につく町人たちの賑わいを眺めながら、一寸法師は路地裏で一人黄昏ていた。
「はぁ、どうしましょう」
身体が小さいので物も運べず、だからといって学もないので文字の読み書きも算術もできない。一寸法師は改めて自分の無能さを思い知った。
母に教わった縫い物にしたって、できるというだけで普通の人に比べてずっと遅くて、雇ってもらうなんて到底できやしない。勝っていることなんて精々針に糸を通すことくらいのものだ。
狭いところや細かいところの掃除なら自信があるものの、そんなところを掃除するためだけに人を雇うなんてしないだろう。それこそ裕福な家なら別かもしれないが、そんなところに働ける伝手なんてあるわけもない。
そうして一寸法師が途方に暮れているときだった。
「みゃー」
甲高い鳴き声が聞こえた。
「っ」
びくりと身体が震える。
一寸法師が振り向くと視線の先に、ソレはいた。
白い毛並みに覆われた細長い体。頭の上には鋭く尖った耳。
地を踏む足からは刃のような爪が覗き、ふるりと揺れる尾はひとつの生き物のように見える。
――猫だった。
普通の人にとっては可愛いらしい存在なのかもしれない。けれど、一寸法師にとっては身の丈の何倍もある獰猛な獣であり、獅子や虎と大差なかった。
近所の猫にも獲物のように噛みつかれ、転がされてきたのだから、その恐怖はなおさら深かった。
「こ、こないでっ!」
「みゃー、みゃー」
「っ、あっち行って……っ!」
暗がりの中、琥珀色の瞳はぎらりと光り、一寸法師を確かに捉えていた。
ゆっくりと近づいてくる獣に、一寸法師は慌てて後ずさろうとしたが、足が縺れ、そのまま地面に倒れ込む。
「ぁ……」
顔を上げたときには、すぐ目の前で縦長の瞳孔が自分を見下ろしていた。
「はあっ、はあっ」
ばくばくと心臓が鳴って、身体が震える。自然と呼吸は荒くなり、目には涙が浮かぶ。
せめて頭は守ろうと両腕で庇うように顔の前に持ってきたところで。ぐいっ。
「うぅっ」
猫は一寸法師をぱくりと咥えた。
幸いというべきか、牙は帯に器用に引っ掛かっており、柔らかな肌に穴が開くことはなかった。
「やだっ、は、離してっ!」
だがそんなことは一寸法師には関係ない。血に飢えた獣に喰われる、その寸前だとしか思えなかった。恐怖と混乱から手足を振り回して必死に抵抗するも、猫はそれを一顧だにしない。
とことこ路地裏を進み、置かれた木箱にひらりと飛び乗る。そして、そして家の壁を蹴って駆け上がると、次の瞬間には屋根の上にいた。
「──――」
猫の口元で、一寸法師は体はふらふらと揺られている。
視界の端に映る地面は遥か遠くにあって、小さな顔からはぞっと血の気が引いていく。
がくがくと震える身体を両腕で抱きしめて、少しでも落ちないよう帯を必死に握りしめた。そんな一寸法師の胸中など知る由もなく、猫は屋根を駆けていく。
(しんじゃうしんじゃうしんじゃう)
風が頬を通り過ぎて、矢継ぎ早に景色が変わっていく。
体感したことのない速さに加え、不安定な状態であることも相まって、恐怖はどこまでも膨れ上がる。
激しく揺れる視界に一寸法師は何度も意識を手放して、その度に振り回される身体に目を覚ました。
それからしばらくして猫は大きな屋敷の前へとやってきた。
猫は慣れたように門からは離れた塀をさっとよじ登り、建物の裏手へとするりと降りる。
幾度となく突きつけられた死の恐怖に、一寸法師はとっくに感情を手放していた。近づいたり遠ざかったりする地面をぼうっと見つめながら、この時間が過ぎ去るのをまつばかりだった。
庭へと降り立った猫は隠れることなく堂々と建物の傍まで近づき、縁側が見えたところでにゃーと鳴き声を上げた。すると、それに応えるように声が返ってきた。
「たま?」
鈴の鳴るような響きで、その声は猫を呼びかける。
すると猫は犬のように尻尾を振って声の主、縁側へと腰掛ける少女の元へと駆け寄っていく。
足に頭を擦り付けてくる猫に、少女はするすると白く柔らかい毛並み撫でる。
「ふふ、また何か持ってきてくれたの?」
少女は楽しげに笑って猫の口元へと手を持っていく。
「んんっ? お人形じゃ、ない? 。もしかして……人?」
手の上にぽとりと落とされたモノを見て、少女は呟いた。
ほとんど動きはないものの、呼吸をするように僅かに胸は上下し、口元も動いてるようにも見える。
片手に乗せたままおそるおそる、小さな頬にそっと指をあてる。
すると、仄かに温かく、同時に湿ったような感触が指先から伝わった。
「……泣いてるの?」
よくよく見れば一寸ほどの体躯は小刻みに震えていた。
そこで少女は、このとても小さな女の子がどうやって連れてこられたかを思い出した。
「にゃー」
「…………」
足元には褒めて褒めてといわんばかりに頭を差し出す毛むくじゃらの姿。
少女はそれをさらりと無視して、手のひらの上で静かに涙を流す女の子に声を掛ける。
「もう大丈夫だから。怖かったわね」
「っ」
少女は指先をその背に当てて優しく撫でる。
小さな肩がびくりと震えるが、その優しい手つきにすぐに身体を委ねた。
「っううぅっ」
「うん、大丈夫、大丈夫」
しばらくそうしていると、やがて緊張が解けたのが小さな娘は嗚咽を漏らし始めた。少女は泣きじゃくる彼女のいる手を胸元で抱きとめて、泣き止むまでずっとその背をさすり続けた。
※
「なら、私の家来になればいいわ」
「へ?」
「仕事を探しているんでしょう?」
「そ、それはそうですけど……」
姫がそう話を切り出したのは、わんわんと泣いていた一寸法師がひとまず落ち着いて、ここに来るまでの経緯を語り終えた後のことだった。
少女は公家方の姫君であり、つまりはとてつもなく格式のある家柄の子女であったらしい。
その事実を知って気後れする一寸法師に、姫は有無を言わせない勢いで言葉を続けた。
「別に私が良いって言ってるのだから問題ないわ。それで、嫌なの?」
「ええと、置いてもらえるなら確かにありがたいお話ですが……」
「なら、少し待ってて、お父様に話してくるから」
「え、あ」
善は急げとばかりに部屋を飛び出した姫は、すぐさま父である大臣の許可を取り付けてきた。こうしてわずか数分で、一寸法師は姫のお付きの家来となることが決まったのだった。
それから一寸法師の忙しくも楽しい毎日を送った。
あまり外に出られない姫の話相手になったり、硯に墨を刷ったり、髪を梳くときに櫛を運んだり、絵を描くときに筆を洗ったり。
やがて姫の望みで寝所も共にするようになり、一日のほとんどを一緒に過ごすようになった。
それは入浴も同じで──。
「あ、あの、姫さま……?」
「なあに?」
「そ、その……あんまり見られると恥ずかしいです」
「あら、ごめんなさい。でもね、あなたが可愛いのがいけないわ」
「ひゃうっ……そ、そんなこと言わないでくださいっ」
「ふふ、顔が真っ赤になってるわ。湯に当てられたのかしら?」
「ち、違います! そ、それよりも……近すぎますってばっ」
「近くで見たいんだもの。ほら、逃げないで?」
「ぅあ……や、やめてください……」
「ふふ、可愛い」
「~~っ! 姫さまのいじわる!」
また、一緒の布団にくるまって、その日の出来事やこれからのことを語り合ったりもした。
「ねえ、大きくなったら、何がしたい?」
「お仕事ですっ! 掃除とか、洗濯とか……あと料理もしてみたいです」
「真面目ねえ、他にはないの?」
「あとは、その……け、結婚とか?」
「……あまりいいものでもないと思うけどね。ほら、もっと他にあるでしょう?」
「え、ええと、あ、その……お出かけしてみたいです。姫様と一緒に……」
「そんなの、とっくにしてるじゃない」
「で、でも……ちゃんと二人で並んで、手とかつないで歩いたりしてみたくて」
「……ていっ」
「にゃ、にゃにしゅるんですか!」
「……なんでもないわ。ほらっ」
「きゃっ、くらいです……!」
「はい、もう寝るの!」
「え、ええっ? ちょっと待ってください姫さま!」
「だめ。おしまい。早く目を閉じて」
やがて、一寸法師が都に来てから二年が経った。
当初の目的でもあった大きくなる方法は見つからず、街の人々や屋敷の者に尋ねても、その手掛かりすら得られなかった。
けれども不思議と落胆はなかった。姫と共に過ごす毎日があまりに満ち足りていたからだ。
受け入れてもらえることがただ嬉しく、まるで夢のような日々だった。
──鬼が現れるまでは。