一寸法師ちゃんの受難   作:閻魔蟋蟀

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 二人で山道を下るうちに、ようやく麓が見えてきた。

 しばらく背後を気にしていたが、鬼が追ってくる気配はなかった。

 

「……ふう、ここまで来れば安心かしら」

「はい……姫さまがご無事で、本当に良かったです」

 

 姫は胸に手を当て、深く息を吐いた。

 その横顔を見つめる一寸法師は、ふと気づいたように微笑む。

 

「……どうかしたの?」

 

 姫が怪訝そうに問うと、一寸法師は小さく首を振った。

 

「いえ……こうして姫さまと並んで歩けているのが、不思議で……それが嬉しくて」

 

 その言葉に、姫の胸が微かに詰まった。

 今までは肩に乗せ、手の中に収めてきた存在。けれど今は、こうして同じ目線で歩いている。

 

「……本当に、変わったのね」

「はい。でも、心は変わりません。わたしは、姫さまの傍にいますから」

 

 真っ直ぐに告げられた言葉に、姫は思わず視線を逸らした。

 袂に隠した打ち出の小槌が、妙に重く感じられる。

 

(この子を大きくしたのは……私)

(そして、もしまた振れば……)

 

 胸の奥に、甘やかな安堵と説明のつかないざわめきが入り混じる。

 そんな姫の心を知らぬまま、照れくささを誤魔化すように一寸法師は言った。

 

「あはは、でも、皆びっくりしちゃいますねっ」

「そうね……きっと目を疑うでしょうね」

「ですよねっ。だって、さっきまで掌に乗っていたわたしが、こんなに……」

 

 一寸法師は腕を広げて、自身の体を見下ろす。

 指も手も、脚も、他の誰とも変わらない当たり前の形をしていた。

 また、女性らしい柔らかな曲線が、くっきりと浮かび上がる。

 それは、かつて夢に描いた「普通の人」の姿そのものだった。

 

「……なんだか信じられません」

「ええ、私もよ」

 

 姫は口元に微笑を浮かべた。

 だが胸のざわめきは、まだ消えなかった。

 

「いっぱいっ、いっぱいやりたいことがあるんですっ」

「やりたいこと?」

「はいっ。大きくなった今なら、できることが増えました。姫さまと並んで歩いて、外の景色を見たり……お祭りにも行ってみたいです」

 

 いつかの夜に彼女が語ったことが、今ふたたび思い出される。

 あのときは夢のように語った願い。けれど今、それはもう手の届かないものではなかった。

 

「それに、もっと色んなお仕事もしてみたいですし……その、結婚だって……」

「────」

 

 一寸法師の口は止まらない。

 長年の夢が叶ったのだ、胸の高鳴りも無理はない。

 鬼から逃れた安堵もあって、気持ちは緩み、言葉も溢れる。

 だから、姫の顔色が変わっていることなど、これっぽっちも気づかなかった。

 

 彼女は目の前で明るい未来を、心の底から嬉しそうに話している。

 これまでも折に触れて聞かされ、そのたびに微笑ましく思っていた。

 けれど今は──どうしてか、癪に障る。

 気づけば、抑えきれない言葉が口をついていた。

 

「そんなこと、する必要ないじゃない」

「え……?」

「掃除なんて、下働きに任せればいいことよ」

「で、でも……料理とか、お洗濯とか……」

「それも同じ。屋敷には人手があるのだから、あなたはしなくていいの」

「そ、そんな……でも、お仕事とか……」

「あなたの役目はひとつだけ、私の話し相手でしょう?」

「け、けど……その、結婚したときとか困りますし……」

「……しなければいいじゃない」

「────っ」

 

 一寸法師の目が大きく揺れた。

 声にならぬまま唇を震わせ、ようやく言葉を絞り出す。

 

「……どうして……どうして、そんなことを言うんですか」

 

 かすれた声は、姫の胸を抉るように真っ直ぐだった。

 その瞳には、驚きと痛みと、どうしても拭えぬ失望が宿っていた。

 

「……なに、その目」

 

 ──まるで、私が悪いみたいじゃない。

 私はこんなに苦しいのに、あなただけ楽しそうに笑って。

 私は家の言いなりなのに、あなただけ好きに夢を語れて。

 私は未来を選べないのに、あなただけ道がいくつも開かれて。

 私は縛られつづけるのに……あなただけ、どこにでもいける。

 ……ずるいのは、あなたの方なのに

 

 けれど、その想いを言葉にすることはできなかった。

 吐き出した瞬間、自分の惨めさを認めることになる気がしたから。

 姫は唇を噛みしめ、別の言葉を紡ぐ。

 

「そんなこと、どうでもいいじゃない。それより、早くいきましょう?」

「っ! どうでもよくありませんっ!」

 

 一寸法師は強く言い返した。

 その声は震えていたが、決して引くものではなかった。

 

「わたしは……ずっと夢見てきたんです。小さくて、できることなんてなくて……それでも、もし大きくなれたらって。普通の人と同じように生きられたらって……!」

 

 込み上げる涙を押しとどめ、必死に言葉を繫ぐ。

 

「なのに……なのに、姫さまにそう言われたら……わたしの全部を、否定されたみたいで……っ」

「……うるさい」

「姫さまっ、わたしは……!」

「聞きたくないって言っているの!」

 

 思わず怒鳴り声になった。胸の奥に積み重なった苛立ちと焦燥が、堰を切ったように溢れ出す。

 

「あなたはずっと、私の傍にいればいいの!」

 

 姫の叫びに、一寸法師は目を見開いた。

 その瞳に宿った驚きが、かえって姫を追い詰める。

 抑えてきた感情は、もう止まらなかった。

 

「掃除も洗濯も料理も、しなくていい!」

 

 吐き出すごとに声は荒くなる。

 自分でも何を言っているのか分からない。

 けれど口は勝手に言葉を紡ぎ続ける。

 

「仕事だって、夢だって、結婚だって……全部いらない!」

 

 告げられる言葉は、どこまでも身勝手で。

 彼女が楽しそうに語った願いのすべてを、容赦なく踏みにじるようだった。

 

「あなたは何もできないまま、ずっと私の傍にいればいいの!」

 

 その一言に、一寸法師の顔から血の気が引いていく。

 二人のこれまでを台無しにする言葉であり、決して言ってはいけない本音だった。

 そして──吐き出された瞬間、すべては取り返しのつかないものとなった。

 

「……なんですか、それ……」

 

 姫の荒い息が静寂に響く中、ぽつりと呟かれた。

 

「……姫さま……そんなふうに思ってたんですか……?」

 

 か細い声。それは驚きよりも、深い痛みを孕んでいた。

 一寸法師の瞳が揺れる。必死に笑みを作ろうとするが、引きつった口元はすぐに震え、崩れてしまう。

 

「わたしは……ただ、役に立ちたかったんです。小さくても……大きくなれたら、誰かの力になれるって……ずっと……」

 

 唇を噛みしめ、声が掠れる。

 

「……姫さまに必要とされたときは嬉しかった。こんなわたしでもできることがあるんだって、そう思えたから……」

 

 涙ぐみながらも、そこには確かな芯が宿っていた。

 

「でも……姫さまにとっては……わたしは、何もできなくていい存在なんですね。ずっと小さなままで、ただ側にいるだけでいいんですね……」

 

 その言葉に、姫の胸は強く抉られた。

 否定しようとしたのに、喉が凍りついたように声が出ない。

 

 一寸法師は拳を握りしめて、涙を滲ませながら叫んだ。

 

「わたしは……お人形じゃありませんっ!」

 

 山道に澄み渡るような声が響き渡った。

 それは、か弱い少女のものではなく、一人の人間としての叫びだった。

 姫はその場に立ち尽くし、我に返って慌てて言う。

 

「……ち、違うの」

 

 思考なんて追いつかず、ただ必死に首を横に振る。

 

「今のは……そんなつもりじゃ……!」

 

 否定しようとする言葉は空回りするばかりだった。

 自分の口から放たれた残酷な言葉が脳裏で繰り返され、何を言ってもただの言い訳にしか思えない。

 

「違う……本当は……私はただ……」

 

 絞り出す声は震え、語尾が消えていく。

 一寸法師は涙を拭おうともせず、じっと姫を見つめていた。その瞳には深い痛みと、信じたい気持ちが入り混じっている。

 

「姫さま……そんなにわたしを縛りたいんですか?」

「っ……」

 

 喉が詰まった。返す言葉が見つからない。

 

「わたしは……姫さまの傍にいたい。でも、それは……私が望んでそうしたいからであって……」

「…………」

「ただ閉じ込められて、何もできない存在でいるなんて……耐えられません」

 

 一寸法師の声は涙で震えながらも、揺るぎない意思を帯びていた。

 そしてそれは、姫にはまるで訣別の言葉のように響いた。

 

(──いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ)

 

「ご、ごめんなさい……謝る、謝るから。だから、ゆるしてください。おねがい……」

 

 姫の口から零れ落ちたのは、へつらうような声だった。

 自ら地に膝をつき、額をこすりつけるように頭を下げる。

 

 そこには一寸法師が憧れていた高貴さも、優美さもそこにはなく、ただ必死に相手へ縋りつこうとする懇願だけが残さていた。

 その姿は、先ほど吐き出された醜悪な執着を肯定するかのようで、一寸法師にとっては何よりも悲しい光景だった。

 

「姫さま……頭を上げて下さい……」

「っ、ゆ、ゆるしてくれるの?」

 

 縋るように見上げる瞳に、浅ましい期待が滲んでいた。

 その姿に胸を痛めながらも、一寸法師はもう目を合わせることができなかった。

 

「……もう日も暮れますから、早く行きましょう」

 

 姫の問いは答えず、ただそれだけを告げて前へと歩き出す。

 

 ──今度は手を差し伸べてはくれなかった。

 

「ぁ」

 

 そこで姫は、ようやく彼女の心が離れたことを自覚した。

 

 あ。

 あああ。

 あああああああああ。

 ああああああああああ。

 ああああああああああああ。

 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。

 あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。

 あああああああああああああああああああああああああああああああああ。

 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。

 あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。

 あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。

 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。

 

 あ? 

 

 ころりと、袂から何かが転がった。

 小槌だった。

 

 

 からん、からん。

 

 からん、からん。

 

「……姫さま?」

 

 妙な音が背後から聞こえた。

 一寸法師が振り返ると、そこには小槌を振るう姫の姿があった。

 

 それは木でできた小槌だった。

 古びた木目には不思議な光沢が差し、やけに細かい装飾が施されている。

 振るたびに淡い光が滲み、不思議な音が奏でられる。

 

「ちいさくなあれ、ちいさくなあれ」

「――え?」

 

 思わず耳を疑う。

 何を言ってるのか分からなかった──いや、分かりたくなかった。

 けれど、その祈りが何を意味するのかはすぐに明らかになった

 光が、一寸法師の体を包んでいく。

 

「え……な、なにこれ……? やだ……いやだ……っ!」

 

 皮膚が縮む感覚、骨が押し潰されるような圧迫。

 心臓が冷たく握り潰されるようで、息が詰まった。

 

「──やだっ。嫌っ、嫌っ! せっかく普通になれたのに……っ」

 

 必死に叫び、光から逃れようと駆け出す。

 だがその歩幅はみるみる狭まり、伸ばした手足は力なく縮んでいく。

 指先が震え、掴もうとした大地さえ遠のいていく。

 

「いやあああああっ!」

 

 やがてその体は元の一寸ほどの背丈へと戻ってしまった。

 一寸法師は地面にへたり込み、荒く息を吐く。

 

「……あ、あぁ……」

 

 小さな口から震える声が漏れる。

 希望が無理やり取り上げられたようだった。

 その表情は、涙に濡れたまま絶望に凍りついていた。

 

「ふふふ」

 

 その様子を、姫は笑った。

 山道を包む静寂の中だからこそ、その笑いは異様に響く。

 当然、それは一寸法師の耳にも痛いほど届いた。

 

 胸の奥に渦巻いていた怒り、悲しみ、絶望。

 綯い交ぜになった感情が一気に熱を帯び、喉を突き破るように溢れ出す。

 

「――なんで?! なんでこんな! ねえ、なんでっ!? ねえっ!」

「……ふふ……あはは」

「笑ってないで答えてくださいっ! なんっ、っ!」

「…………」

 

 姫は何も答えなかった。

 ただ目を細め、ゆっくりと手を伸ばす。

 ひょいと摘まみ上げた一寸法師を巾着の中へと押し込み、そのまま裾に仕舞い込んだ。

 

「やめ……っ! 姫さま……っ!」

 

 布越しに必死の微かに声が響いた。

 だが、姫が服の上から何度か叩くと、その声はすぐにか細くなり、やがて途絶えた。

 

 一人になった山の中で、姫は静かに息を吐いた。

 その表情には、安堵とも恍惚ともつかぬ影が浮かんでいた。

 

 

 山を下りると、すでに屋敷の者たちが待っていた。

 鬼に攫われた姫を救うため、慌ただしく人が差し向けられたらしい。

 

「姫さま、ご無事で……!」

 

 人々は安堵と驚きの入り混じった表情で姫を迎える。

 姫は小さく頷き、かすかに俯いて言った。

 

「ええ……私は無事だったけど、あの子は……」

 

 そう告げると、皆は深く息を呑み、それ以上は口を閉ざした。

 

「お疲れでしょう、どうかお一人でお休みを……」

「都へ戻るまで、他の者は控えておりますので」

 

 そう言って気遣うように頭を下げ、従者たちは駕籠の外へ退いた。

 

「……ふふ」

 

 揺れる駕籠の中で、姫は膝に置いた巾着をぐにぐにと指で押し潰すように弄んでいた。

 小さな動きが内側で暴れ、布越しに微かに喘ぐ声が伝わってくる。

 

「……っ……ぅ……」

 

 その声は弱々しく、ひどく甘やかで──姫の耳に心地よく響いた。

 都へ着くまでの道のりは長かったが、姫が退屈を感じることはなかった。

 




……まだ続きます
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