「疲れたの、全部明日にして頂戴」
屋敷の出迎えを手で制し、姫は足早に自室へと向かった。
誰にも余計なことを悟らせぬよう、巾着を服の上からぎゅっと押さえつける。
途中、一寸法師の死を悼む声が耳に届いたが、彼女が布の中から必死に声を張り上げても、誰ひとり気づくことはなかった。
部屋に入り、戸を閉め、灯を落とすと、部屋はしんと静まり返った。
姫はゆっくりと床几に腰を下ろし、胸に抱えていた巾着を両手に取り上げる。
中からは小さなもがきと、かすれた声がかすかに響いていた。
「……っ、ひ、姫さま……!」
指先に伝わる微かな震えに、姫の胸は妙な高鳴りを覚える。
しばらく巾着を撫でるように弄んでいたが、やがて堪えきれず口元を歪めた。
「……やっと、ふたりきりね」
囁きながら、巾着の紐をほどく。
布の口が緩み、外の空気が差し込んだ瞬間──
「……っは……っ、はあっ……」
汗と涙に濡れた一寸法師が転がり出た。
小さな胸を荒く上下させ、必死に呼吸を繰り返す。
その姿は痛ましいほど弱々しかったが、姫の目にはどこか愛らしくも映っていた。
「ごめんね? 苦しかったでしょう?」
その声色はいやに柔らかかった。
心から気遣うようにも聞こえるし、どうしようもなく弱い存在に注がれる憐れみの声にも聞こえた。
「はあっ、はあっ! そんなことはどうでもいいんですッ! 姫さまッ! 何でッ──」
「……ほんと、そればっかりね」
「っん!」
姫は一寸法師のぱくぱくと開く口に、そっと指先を当てて塞いだ。
「んーっ! んんっ!」
「ふふ、そうしてれば可愛いのに」
「ッ!」
どこか嘲りを含んだ笑い。
一寸法師は悔しさに突き動かされ、かぷりと噛みついた。
細い指に小さな歯が食い込み、白い肌から鮮やかな血が滲む。
「……痛いわ」
けれど呟く声には怯みはなかった。
むしろ愉悦が混じっていた。瞳の奥に、仄かに加虐の色が宿る。
「ふざけてないで答えてくださいっ!」
「しつこいってば」
姫は指先で掬い上げるように転がし、その小さな体を人差し指で押さえつける。
「っぁ……!」
一寸法師は押さえつける指ををどかそうと、か細い手足で必死にもがく。
その健気さは姫の目にはいじらしく、たまらなく可愛く映った。
痛みも血も、むしろ愛おしさを増す飾りにしか思えなかった。
苦痛に喘ぐ無力な少女を、姫は恍惚と眺め、さらに指先に力を加える。
「いたいっ、いたいですっ」
「大袈裟ね? 少し押えただけでしょう?」
自分でも思っていない言葉を吐きながら、姫は指先を身体から離した。
今度は、それぞれの親指と人差し指で、一寸法師の両腕をつまみ上げる。
「ひっ……! や、やめて……!」
宙に吊られた小さな身体は、力なくぶら下がるしかなかった。
もがけばもがくほど細い腕がきしみ、今にも折れてしまいそうに見える。
「ふふ、あまり暴れないでよ?」
「な、ならっ……おろしてよっ」
「まあ、口の悪い子。少し甘やかしすぎたのかしら」
姫はわざとゆっくりと片方の腕を逆方向へと曲げていく。
小さな関節が軋む音が耳に届き、一寸法師の顔は恐怖と痛みに歪んだ。
「ひっ、いやぁっ! 折れちゃうっ、折れちゃいますっ!」
「大丈夫よ、そんなに簡単に折れるわけないじゃない」
朗らかに答える声は、どこまでも無責任だった。
姫はわざと力を抜いたり込めたりして、関節をきしませながら小さな悲鳴を引き出す。
その度に、一寸法師の体はぴくりと跳ね、必死に身をよじって逃れようとする。
「や、やめてくださ──」
姫はその懇願を愉快そうに聞き流し、指先にさらに力をこめた。
細い腕が軋んで痛み、皮膚の下で骨が擦れ合う。
──ぽきっ。
「ぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああっ!」
踏みつけた小枝が折れるような、どこか小気味いい音。
その一瞬で、一寸法師の腕はあり得ない角度へと曲がり、体は小さく痙攣した。
「いっ……ああっ、ぁああああっ!」
絶叫が喉を裂くように響き渡る。
その声は悲鳴のはずなのに、脳が蕩けるように痺れる心地だった。
自分でも理解できないその感覚に、口元がゆるみ、笑みがこぼれてしまう。
「あーあ、やっちゃった。本当に折るつもりはなかったんだけど……ごめんなさいね?」
「ううううぅぅぅっ! いたいッいたいッいたいッ!」
「もうっ、少し静かにして? 誰かきちゃうでしょ?」
片手で一寸法師をぎゅっと掴み込み、もう片方の手で小槌を手に取る。
手のひらの中で少女が痛みに悶えて暴れ回る感触は、ぞくぞくするほど愛おしく、くすぐったくて仕方なかった。
もっと味わっていたい──そんな思いを抱きながらも、姫は小槌を雑に振るった。
「ほら、いたくなーい、いたくなーい」
小槌からたちまち光が溢れ、一寸法師の体を無理やり包んでいった。
「はあーっ、はあーっ!」
「へえ……ほんとに治るのね」
光が収まると、姫はゆっくりと手のひらを開いた。
折れていた腕は元に戻っていた。
荒い息を吐きながら、涙に濡れた瞳で一寸法師は姫を睨みつける。
そこには怒りと憎しみが宿り、真っ直ぐに突き刺さってくる。
姫はその視線を受け止めながら、にこりと笑った。
小さな体で必死に敵意を向けられても、脅しにはならない。
むしろその非力さが、健気さが、胸の奥を甘く掻き立てる。
「なあに、その目? せっかく治してあげたのに、感謝の言葉もないの?」
「っ、誰のせいだとっ!」
「ふふ、口が悪いわねえ。それで感謝の言葉、ないの?」
「ひっ……!」
姫は再び一寸法師の片腕を掴んだ。
「ないのかなあ? ないようね? なら、仕方ないわね?」
「あ、ありがとうございますっ、治してくれてありがとうございましたっ」
絞り出すように叫ぶ。
だがそれは感謝ではなく、ただ恐怖に突き動かされた言葉だった。
「うーん、気持ちがこもってないわ」
ぽきっ。
再び、乾いた音が鳴った。
今度は皮膚を突き破って白い骨が覗いた。
「っぁぁぁあああああああああああああっ!?」
じわりと溢れ出した鮮血が、姫の指を赤く濡らす。
ちろりと舐めると、背筋にぞくぞくと電流が駆け抜けた。
舌に広がる血の味は悲鳴と共に溶け合って、姫の渇きを底の底まで満たしていった。
「いたいいたいいたいっ! なおしてっなおしてよっはやくっ! はやくっ! はやくしてっ!」
「ふふ、それが人に頼む態度かしら?」
「いいからっ、はやくしてよっ!」
「あーあ……悪い子にはお仕置きしないとね?」
「え? っやだやだやだっ! やめてっあやまるからっあや──」
「だーめ」
その一言と同時に、口へ布切れが強引に押し込まれる。
くぐもった呻き声が響く中、姫はもう片方の腕をためらいなくへし折った。
「んぐぅうううっ! んうううううっっっ!」
体が歪み、四肢が痙攣する。
それを見下ろす姫の表情には怒りも迷いもなく、ただ淡い微笑が浮かんでいた。
姫の人形遊びは、夜が明けるまで続けられた。
※
「ふふ、可愛くなったわね?」
姫の視線の先には、一寸法師の姿があった。
豪奢な十二単で着飾って、幼い顔には薄く化粧が施されている。
小さな身体はどこまでも整えられ、まるで高貴な姫君のように美しく──けれど表情だけは瞬き以外ぴくりとも動かず、人形そのものだった。
「ねえ、そう思わない?」
手鏡を取り出して、差し向ける。
甘やかな声が部屋に響くが、一寸法師が座らされた文机には赤黒い染みが点々と残り、鉄の匂いがひどく鼻につく。
「ほら、こっちおいで?」
こつ、こつ、と指で机を叩く。
その小さな音にさえ怯えるように、一寸法師はびくりと身体を震わせる。
途端、無表情は崩れ去って、顔は耐え切れぬ恐怖に歪んだ。
「っいやっ、もういやっ……ぅぅぅううううううううっ」
「ああ、また泣いちゃった。ほら、こっちにおいで?」
「ぁぁぁぁぁああああ! いやっ、いやあっ!」
小さな体を震わせて泣き叫ぶ一寸法師に、姫はただ目を細める。
「はあ……また達磨みたいなる? 真っ赤になってころりころりって……ふふ。それも可愛いから、私は別にいいけどね」
一寸法師はしゃくりあげ、涙で濡れた顔を必死に上げる。
縋るような瞳は、今にも砕けそうなほど儚く揺れていた。
「ゆるして……おねがい、ゆるしてしてください」
「なにを?」
「もう……ひどいこと、しないで」
「……嫌よ」
「ッ、なんでッ!」
「だって、逃げるでしょう?」
「っ……あ?」
姫の声色は落ち着いていた。
そこには怒りも悦びもなく、ただ底知れぬ執着だけが滲んでいた。
「私のこと、もう嫌いになったでしょう? それは別にいいの。もっとうまくやれたのかもしれないけど……もういいの。諦めたわ」
「な、なにを……言ってるんですか……?」
「でも──絶対に逃がさないから」
姫の瞳が細められ、射すくめられるように視線が突き刺さる。
「に、逃げませんっ、逃げませんからっ!」
「嘘よ、逃げるわ。籠から放した小鳥が帰ってくるわけないもの」
そう言って、姫は真新しい鋏を取り出した。
前に使っていたものは血と脂で刃が錆びつき、もう役に立たなくなっていた。
だから今度は、何度でも使えるようにと新しく用意したのだ。
「いやいやいやいやいやっ! それやだっ! やだっ! やめてよっ!」
「飛べなくなるまでやるから……それまで我慢してね?」
「ああああああああああああああああああああああああっ!」
小槌の力によって、声は外に届くことなく消えていく。
狭く閉じた部屋は、それまでと全く変わらぬ姿で静かに佇んでいた。
これにて完結です。
一応続きはありますが、R18な百合乱暴ものなので、気が向けばそちらで書く予定です。
お読みいただき、ありがとうございました。