「ん、ぅ………」
「……あれ、僕…」
聞き慣れない、高い声。女性の声だ。柔らかい感触もする、慣れない感触だ。ここはどこだ?施設じゃない───あぁ、そうだ、アグライアさんの部屋だ
ひとしきり泣いた後眠って……待て、どんな体制で眠った?暖かい温度が前後に───待った、まずいかもしれない
「っ〜〜〜!?!?」
重い瞼を無理矢理開けば、そこにはアグライアさんの……その、胸が、僕の目の前にあって、反射的に顔を上げてしまう
前後に温度があるのだから、気をつけなければいけなかったのに
「いっ───!?」
アグライアさんの胸の位置まで頭を下げていたからか、顔を上げた結果として、僕の頭はヘレクトラさんの顎にクリーンヒットした
「ん、ん──?あぁ、起きたのか。何やら顎に強めの衝撃が来たような気がするが………気のせいか?」
「ん、ふぁ……おはようございます、アムール。よく眠れましたか───あの、何故頭を抑えて…?」
痛がってるのは俺だけだ、ヘレクトラさんにはまるで効いてない。あちこち連れ込まれた時から察してはいたが、めちゃくちゃに身体の強い人だ
「どこかにぶつけたのですか?」
「っ〜〜……だい、じょうぶです……」
「……大丈夫そうには見えないが」
ヘレクトラさんの手が頭を撫でる。髪を掻き分けて、怪我がないか見てくれているらしい。心配されて嬉しい反面、恥ずかしいやらなんやら……
「……よし、怪我は無いから安心してくれ」
「はい…その、ヘレクトラさんは大丈夫ですか?」
「大丈夫だ、痛みはない」
とんでもないな、なんて思いながら、頭を再び枕に預けた。そうだ、確か昨日はひとしきり泣いた後、二人に挟まれるようにして眠りについたのだ
絶対緊張して寝れない。今は心からそう思うけど、昨日の僕はすんなり眠ったらしい。アグライアさんの胸で
「ぁ………ぅ…」
目覚めた瞬間の光景がフラッシュバックして、顔が熱くなる。恥ずかしさと申し訳なさで顔から火が出そうだ
「ふふ……アムール、おはようございます」
「……お、おはよう、ございます…」
「よく眠れたか?ワタシはまだ眠い……このまま再び眠りに落ちようか…」
「許しません。私の目が届く限りは正しい時間に起きてもらいますからね」
「む……しかし…………アムールもまだ寝たいと…」
「言ってないです」
二度寝の理由に僕を出しやがった。とんでもないヤツめ
「アムールを引き合いに出しても無駄です。とはいえ、そうなったあなたを動かすのは骨が折れますから………アムール、セイレンスを起こしていただけますか?」
「え──あ、いや、はい!頑張ります!」
昨日から二度目の、役に立てるチャンスだ。それを見越して話を振ってきたような気もするけど、それならそれで素直に乗るだけだ
「ふふ、元気ですね。私は朝食を用意しますから、一足先に失礼します。………あぁ、その前にひとつ」
身体を起こして、ベッドの淵に座ったアグライアさんが、未だ寝転んだままの僕に顔を向けて、近づいてきて、額に柔らかな感触────うん?
「おはよう、の挨拶です。あなたに、特別ですよ」
すたすたと、アグライアさんが去っていく。ええと、さっきのは、うーんと?
「…………ワタシもした方が良いか?キミになら、吝かではないが」
「んー……?ええと…?あれ………?」
「ふむ……よし」
くるっと、身体を回転させられる。流石ヘレクトラさんだ。僕の身体を持ち上げて回すぐらいわけないと
その後顔を近づけてきて、額に、さっきと寸分違わぬ位置に、また柔らかい感触を落とすのもわけないと────んん?あれー…?
「おはようの挨拶……金のマスがあんなことをしているのは初めて見たが…ふふ、良いものだな」
「ええっと……?あー…?んんー…?」
「……動かなくなってしまった。ワタシが起こすべきか…?」
ヘレクトラさんが何か言ってる。けど、頭に入ってこない。今僕は何を見た?何をされた?アグライアさんに、ヘレクトラさんに、額に……あれ……?
「アムール」
「っ!は、はい!」
「とりあえず、起きよう」
あまりに呆然としてる僕の代わりということで、結局起こす役は逆転してしまったのだ
──────────────────
『いただきます』
ヘレクトラさんに連れられてリビングに戻った時には、既にトリビーズとサフェルさんも起きていた。ギリギリ用意を手伝わせてもらうことができたのは進歩だろうか?
ちなみにヘレクトラさんは暇そうにソファに座っていた。出来上がった料理を運ぶことすら許されていない。よっぽどつまみ食いしたんだろう
「そういえばアムっち、どうするか決めた?」
ふわふわのパンを口にしている最中に、ふと思い出したようにサフェルさんが聞いてくる。僕がここで暮らすか否かの話だ
昨日の時点で腹は決まった。僕は────
「……その、皆さんが良ければ…ここに、居させて欲しい、です」
「わ、やった!よろしくねアムっち!」
「ボクたち、ずーっと一緒だぞ!」
「ふふ、歓迎しますよアムール。これからよろしくお願いしますね」
「よ、よろしくおねがいします……!」
正直まだ実感が湧かないけれど、僕はこの人達と一緒に暮らすんだ。暮らしていきたいんだ。許されるなら、この暖かさに浸っていたい
「手続きを済ませなければいけませんね。朝食が終わったらすぐにでも向かいましょうか」
「あ、はい。お願いします」
手続き───あれ、アグライアさんと一緒に行くんだろうか。トリビーズにサフェルさん……は行く必要無いだろうし、ヘレクトラさんは…来てもおかしくはないか
どう転んでも、アグライアさんと一緒、一緒……………
「あれ、アムっち?なんで顔真っ赤なの?」
「何でもないから………」
例のおはようの挨拶が頭によぎる。よくよく考えなくてもやばいことをされた。何だあれ、何を思ってあんなことしたんだ。ヘレクトラさんはあんなの見た事ないって言ってたし、てかヘレクトラさんにもされたよな、あれ
「……アムちゃん?やっぱりなんか変よ?どうちたの?」
「何でもない…ほんとになんでもない………」
「ふふ……」
アグライアさんは訳知り顔で微笑んでいる。そういうのまでいけるのか、これだから美人は……
「ぜっっったいなんかあったでしょ!何やったのライア!」
「いえ……ふふ、ただ少し、おはようの挨拶を────」
「わー!わーーーー!!!わーーー!!!」
「おお、いい声だな」
あんなことを誰かに知られるわけにはいかない。故に必死で阻止。俺の全てを賭けてでも阻止してみせる……!
「ふふ、では私たちの秘密ということにしておきましょうか」
「是非そうしてください……」
「……?ワタシともしただろ───」
「わー!わわわわわー!わーーー!!」
「ふむ、わかった。秘密だな」
トリビーズとサフェルさんからの懐疑の目線が強まった気がするが、そんなの気にしてる場合じゃない。何としてでも隠し通してみせる……!
……というような一幕もありつつ、僕らは朝食を食べ終えた。今日は日曜日、誰も彼も用事はないようで、トリビーズにサフェルさん、ヘレクトラさんは家に残って、僕とアグライアさんの二人が施設へ向かった。そして────
「お、終わった………あまりに早い…」
全ては、終わった。アグライアさんを連れて施設に現れた僕に対して、大人は驚きと羨望の眼差しを浮かべはしたが、それまで。元々僕への関心などほとんど持ち合わせていない人たちだ
引き取りの手続きがあまりに早く済んだのは、どうやらサフェルさんの時に似たようなことをしていたかららしい。ささっと面倒そうな書類を書き上げて、あっという間に全ては終わったのだ
「………あのような場所で、過ごしていたのですか?」
「まぁ確かに掃き溜めみたいな場所ですけど」
施設に着いて、というより書類を書いている途中からだったが、アグライアさんの表情が曇っていくのは感じていた。煮えたぎるような怒りと、深い悲しみを隠した表情だ。どうしてそこまで想ってくれるのかはわからないけど、なんだか嬉しく思う
「一つの競争社会みたいな?舐められないようにしてれば、見かけほど不快でもないです」
「大人があの様子では………あなたが自分の身を守る術を持っていた事に、深い喜びを感じます。もし、そうでなかったのなら───やめましょう、考えるだけでも…はぁ」
「いやまぁ……そうですね」
車へと向かいながら、僕らの会話は続いている。一ヶ月ほどで年明けを迎えるような時期だが、ここ数年この時期に雪が降ったことはない。幸い今は雪も雨も降ってはいないが、雲の群れが空を覆っている
「ぅ…寒……」
であれば、寒さに震えるには充分な気温だ。かなり小声で呟いたにも関わらず、隣を歩くアグライアさんにはばっちり聞こえていたようで
「手を繋ぎましょうか。少しは寒さも紛れるでしょう」
「………身体の末端は冷たいですから、手を繋いでもあんまり意味はないですよ、多分。それにすぐ車に乗りますし───ぁ」
気づいた時には手を握られていた。この気温と冷たい風の中で、アグライアさんの手は不思議と温かさを保ったまま、僕の手を包み込んでくれている
「つ、冷たいですよ」
「あなたを温められるのなら、私は構いませんよ」
抜け出そうと手を動かせば、それに合わせて強い力で握り返される。易々と抜け出せるものじゃなさそうで、観念して僕はそのまま歩き出した
「……もう好きにしてください」
「はい、好きにします」
にこにこと、柔らかな笑みを浮かべている。書類を書いている時の能面のような表情はどこへやら。表情のよく動く人だな
「おや………ふふ、もっと遠くに停めるべきでしたね」
そうこうしているうちに、停めていた車の元まで辿り着いた。繋いだ手を離して、車に乗る。当然の動き、なのに───
「ぁ………」
無意識に、小さな声が口から漏れていた。アグライアさんは、そんな僕の様子を見て、少し驚いたような表情を浮かべてから、また柔らかな笑顔を浮かべて、顔を近づけて────!?
「わ、わーー!だめですだめ!そういうのほんと良くないですよ!ふしだら!ふしだらです!」
「あら……いつになく饒舌ですね。……嫌、でしたか?」
「嫌とかじゃなくて!そんなにポンポンするものじゃないんですよこういうのは!」
「あなた以外にした事などありませんが……?」
「僕にもするもんじゃないですよ!?距離感!距離感かなぁ!?距離感がおかしいです!」
「ふふ、必死ですね……可愛らしい」
必死の説得の甲斐あってか、アグライアさんは諦めて身体を離してくれた。ほっと一息吐いて、僕はそそくさと車に乗り込む。アグライアさんは、そんな僕を見てまた笑っていた
「おはようの挨拶じゃなかったんですか、まったく……」
「ふふ、すみません。あなたがあまりにも愛らしかったので」
「理由になってませんよ……もう」
走り出した車の中で、僕はむくれながらそう呟いた。アグライアさんは変わらず笑っている
あぁ──何だか、久しぶりの感覚だ。昨日から感じていたけど、誰かと親しく話したのは、いつぶりだろうか
「………ありがとうございます、本当に」
「はい?」
「僕に、優しくしてくれて」
最初は、正直訳がわからなかったけど。一晩をあの家で過ごして、僕は見つけたと思ったんだ
「アグライアさん達を見て、きっとあれが、正しい家族の在り方だって思ったんです。だから、その中に混ぜてもらえて、本当に嬉しくて」
幸せそうな、家族──の中に自分がいられるということに、未だに実感が湧いてこない。僕には縁のないものだと思って、憧れてすらいなかったから
「だから、ありがとうございます。僕に優しくしてくれて。僕を受け入れてくれて。人とあんな風に話したの、本当に久しぶりで」
「────アムール」
でも、これから僕はここで過ごしていくんだ。アグライアさんや、ヘレクトラさん達と一緒に過ごして、色んなことを学んでいくんだ。きっとそれは、本当に素晴らしいことだろうと思うから
だからこそ今ここで言わなくちゃいけないと感じて、僕は感謝を言葉にした。そうしなければ、僕はこの温かさにいつまでも甘えるだけの愚か者になる気がしたから
「……………………」
しかし予想に反して、アグライアさんは複雑な表情を浮かべていた。嬉しいとも悲しいともつかない、複雑な顔だった
「……あの、ごめんなさい。何か、気に障るような事を…」
「謝らないでください。……これから毎日、沢山お話をしましょう。あなたが感謝を述べた全てが、当たり前のものになるまで」
「当たり、前……」
当たり前。その言葉を何度も反芻させながら、僕は車に揺られた。新しい日常の中の、大きくて特別で、それでいて当たり前の幸せを、思いながら
主人公の名前いる?
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いる
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いらん