「僕もあだ名をつけてみたい」
「あだ名……ですか?」
時は平日。サフェルさんにヒアンシーさん、キャストリスさん…放課後にこうして皆が集まる事はたまにだがある
「ほら、サフェルさんはアグライアさんのこと「ライア」って呼ぶじゃないですか。僕もあんな感じで、アグライアさんのこと、あだ名で呼んでみたいなぁ……って」
「まぁ、あたしのこともずっとサフェルさんって呼んでるしね……」
「アムたんは、アグライア様ともっと仲良くなりたいんですね!」
「それは……まぁ、はい」
仲良くなりたいのは本音だが、単純にやってみたいという好奇心もある。アグライアさんだけに限らないけど、一生かけても返しきれないような恩がある中で、あだ名で呼ぶのは少し抵抗があるが……それでも呼んでみたい
「ライア、ライアちゃん………あれ、ヒアンシーさんってアグライアさんの事はライアたんって呼ばないんだね」
「!そ、そうですね……何となく、アグライア様にそう呼ぶのは違う気がして……」
「う……やっぱり皆の中でもそういうイメージなのか…これは強敵だね……」
あだ名一発目の相手としては手強い相手なのかもしれない。でも諦める事はしない。きっと何とかなるはずだ
「言ってて不安になってきた……変な呼び方したら怒るかな…?」
「ライアに限ってそんな事ないと思うけどなぁ……」
「アムール様がお考えになったものであれば、お喜びになると思いますよ」
「多分……それはそうだけど…」
まじでどうやって呼んでもニッコニコになるイメージしか湧いてこない。僕に対してのアグライアさんはそのぐらい甘々だ
「うーん………」
「……先程から気になっていたのですが、何をお作りになっているのですか?」
「ん、あぁ。これね…」
サフェルさん以外の視線が、僕の手元に注がれている。持ってるのは針に糸に、形になりかけている紫色のぬいぐるみ。ちなみにサフェルさんはずーっと僕の顔見てる。恥ずかしいからやめてほしい
「趣味を作ってみないかって言われて、それじゃあって事でアグライアさんに教えてもらいながら裁縫を始めてみたんだ。これがなかなか楽しくて」
「趣味ができるのは良い事ですね!今は何を作ってるんですか?」
「どういう訳かアナクサゴラス先生に裁縫始めたのが知られたらしくて。大地獣?っていうののぬいぐるみ作りを依頼されて……」
「樹庭の坊やめ……」
アナイクスって呼ぶと怒るから、僕はちゃんとアナクサゴラスと呼んでいる。皆はめっちゃアナイクス呼びで可哀想だ。自己紹介の時点でアナイクスと呼ぶなとか言ってくる人なのに……
「アムっち、勉強してない時は何もないとこずーっと眺めてたもんね……」
「趣味なんて持ってても、やる暇なかったですし。施設で大事なものなんて持ってたら壊されたり取られたりした時に大変………あ、ごめんなさい」
つい暗い話になってしまった。キャストリスさんは「気にしないでください」と微笑んでくれたけど、この雰囲気は良くない。切り替えていこう
「まぁ、良い練習にもなるし、ということで。アグライアさんには凄い顔されましたけど」
「アグライア様とアナイクス先生は……その、少し仲が……」
「なんかすっごい仲悪いよね!」
「わぁ、ずけずけと……」
アグライアさんとアナクサゴラス先生は仲が悪い。名前出すだけで結構アグライアさんの雰囲気がアレだ
「で、ええっと……あぁそうだ、あだ名の話だ。アグライアさんの呼び方ねぇ……」
「あたしの真似してみたら?ライアって」
「わたしと同じ感じで、ライアたん、とかどうですか?」
「私は………申し訳ありません。やはりライア、以外が思いつきません」
「うーん…どれもいいなぁ……」
あだ名をつける上で誰かの真似をする、というのはよくあることだ。楽だし違和感がない。ただそれに甘えて良いものなのか、少し悩む
「ライアたん……はヒアンシーさんしか許されない感じするなぁ……」
「ライアの後はあたしだからね!ちゃ〜んと考えといてよ?」
「サフェルが既にあだ名みたいなものなのでは…?」
サフェルさんと呼んでいるけれど、彼女の本名はセファリアだ。アグライアさんとかはそう呼んでいる。由来についてはよく知らないが、それで言うならヒアンシーさんだって本名はヒアシンシアだ
まぁでも、それはそれだ。ライアたんって呼ぶのは僕には難易度が高すぎる……
「なら、わたしももうあだ名ですね!」
「であれば、私は……」
「キャストリスさんだと……うーん、キャスさんとかかな?ヒアンシーさんと若干被っちゃうけど」
「キャスさん……ふふ、良いですね」
あれよあれよとキャストリスさんのあだ名が先に決まってしまいそうになっている。しかし、僕が考えていたよりもあだ名を付けられるのが嬉しいのか、キャスさんと呼ばれた彼女は嬉しそうだ
「そんなにいいかなぁ…」
「アムール様が付けてくださったお名前ですから、私は嬉しいです」
「そういうものかなぁ……」
僕が考えたから嬉しいって……まぁ、多少なりとも親しみは湧くかもしれないが。あまりに嬉しいオーラが出すぎていてちょっとビビる
「多分ライアもこんな感じで喜んでくれるよ」
「なるほどなるほど……」
……とは言いつつも、考えれば考えるほどハマっていくもので。結局お開きになるまでに決める事はできなかった
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元々手先は器用な方だったし、あのアグライアさんに裁縫を教わっている。とは言え、初心者にぬいぐるみ作りはなかなか難しいものがあるのも事実。目立ったミスはないが、どうあれ制作には時間が掛かる
「んー…ええっと……よし…」
ひと段落すればすぐに眠れるように、作業部屋は寝室だ。僕の……というよりもアグライアさんの部屋だけど、結局この家に引き取られてからここ以外で眠った事は一度もない
「アムール?それは………あぁ、アナクサゴラスの…」
「アグライアさん」
寝室の扉を開いて、アグライアさんが姿を見せた。時間的には眠りにきたぐらいだと思う。それと、やっぱりアナクサゴラス先生の話になると露骨に声のトーンが下がっちゃう
「……熱心ですね、目立ったほつれも無い…努力の賜物ですね。針で手を刺したりはしていませんか?」
「はい。ゆっくり作ってますから、ちょっと時間が掛かりますけど……」
「何事も地道な努力の積み重ねですよ」
アグライアさんは褒め上手だ。軽く頭を撫でてくれただけでも嬉しくなってしまう
「よければ見ていてもいいですか?」
「あ……はい、どうぞ」
僕が来てから、取り敢えずと床に置かれた小さな机。一人で座るには少し大きなクッションは、僕とアグライアさんによって少し狭いぐらいになってしまった
「教えた事を、よく理解できていますね。あなたなら、私と同じ道に進んでもやっていけるでしょう」
「あはは、褒めすぎですってば……」
アグライアさんからの褒め言葉が嬉しくて、ついつい照れてしまう。でも、こうして頑張ってきて良かったと思える瞬間だ。純粋な褒め言葉ほど嬉しいものはそうそう無い
じっと、黙って僕の手元を見つめている。親が子供を見守るような優しい視線、いつもの視線とは少し違う
「……その、見てて面白いですか?」
「えぇ、いつまでも見ていられます。本当に……あなたの事をいつまでも見ていられたら、なんと素晴らしい事でしょうか」
「そ、そうですか……」
嬉しそうに言うアグライアさんは嘘を言ってるとは思えない。発言がいちいち人間性に溢れている。それがこの人の魅力でもあるけれど
「……私に見られているとやりにくかったですか?」
「えっ?いや、そんな事はないです!」
「良いのですよ、正直に言って」
優しい口調で僕の返答が嘘だと見抜いてしまった。すごいけどやっぱりこういうところは少し怖い
「……見られてると恥ずかしいっていうか……そわそわしちゃうというか…」
「あら……ふふふっ、可愛らしいですね」
「う……」
恥ずかしいとは言っても、頑張らなきゃとも思うから、何も悪いことばかりじゃない。ただ、見られてるとやっぱり落ち着かないんだ
そう、それと───やっぱり、名前のことを考える。結局決まらず、未だにアグライアさん呼びからは抜け出せていない
二人だし、呼ぶなら今、何だろうけど。名前、良い名前。呼びやすくて、親しみやすくて、それでいて僕が、アグライアさんが満足するような名前……あ、糸が少なくなってきた。それと名前。ライア、ライアさん、ライアたん………
「アグさん、糸ってまだありまし…………」
……ちょっと、待った
今、僕は、何を───アグライアさんはぽかーんと、口を開けて固まっている
「アグ、さん…?」
「あ、えっと!その!ちょっと、違くてっ」
思わず机の上に針とぬいぐるみを落として必死に弁明しようとするも、その暇もなく、その両目が細められて────
「っ〜〜〜〜〜〜!!」
「わ、ちょっ」
心の底から嬉しそうな、声にならない悲鳴をあげて、僕を強く抱き寄せた。反射的に目を瞑った僕は、その腕の力強さと暖かさをただ受け止めることしかできない
「アグさん、アグさん───ふ、ふふふっ、もう一度、もう一度呼んでいただけますか?」
「あぐ……アグ、さん」
「もう、一度。あぁ、本当に幸せです……!」
「……アグさん」
呼べば呼ぶだけ、僕を抱き締める力は強まる。身動ぎ一つできないまま僕はぬいぐるみみたいにされるがままになる
「その……僕もトリビー先生やサフェルさんみたいに、あだ名で呼んでみたいなって思って、色々考えてたんですけど、さっきぽろっと出ちゃって……」
「そうだったのですね…ふふっ」
満面の微笑みだ。普段は浮かべないような表情が、僕一人へと向けられて、意図しない形ではあったけど、想定以上の結果が今ここに現れている
「アグさん、アグさん……今後は、私のことをそう呼んでください。ふふ、また一つ仲良くなれましたね」
ただただ嬉しそうに、上機嫌に僕を褒めている。そして上機嫌な……上機嫌じゃなくてもアグライアさんはとにかく距離が近い。めちゃくちゃ近い上にすごい良い匂いがするしで頭がおかしくなる
「あぐ、さ……アグ、さん……」
「はい……あぁ、本当に…」
アグライアさん……アグさんは、僕から少し離れて、僕の両肩に手を置いた。そして、真っ直ぐに僕を見つめる。その目はやっぱり優しい
「私は幸せ者です」
「……僕も、です」
「ふふ……この気持ち、どうすれば伝わるでしょうか。私の全てを使ってもまだ足りないというのに…」
「じ、充分伝わってますよ…!」
「いいえ、まだまだです」
アグさんは少し落ち着いたかと思えば、またすぐに距離を詰めて、僕の手を取った。そのまま優しく握り込まれる
「愛しています。愛していますよ、私のアムール。いくら言葉で表そうとも、足りないほどに」
「へ、変な呼び方しただけですよ…?」
「変?あなたが私と仲良くなりたいと思い、考えた名です。これほど尊いものも、世界にはそうありません」
「そこまで深く考えてないですって……」
確かに仲良くはなりたいが、呼び方だけでここまで言われるのも恥ずかしい。でも……悪い気はしない。むしろ、嬉しい
「わっ、も、もう…」
離れたと思ったら、また強く抱き締められる。やっぱり少し痛い
「アムール、アムール……ふふっ、ふふふっ…」
ちょっと様子がおかしいぐらいのアグさんが僕を離してくれたのは、今から大体一時間ぐらい後のことだった
主人公の名前いる?
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いる
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いらん