「アムール、出かけるぞ」
「はい?」
なんて事を言われたのが数時間前。冬休みに突入したが、何とアグさんもトリビー先生もサフェルさんも用事で家を出て行き、家に残ったのは僕一人
なんだかんだで誰か来るんだろうなぁ、と思いながら一応受験生らしく勉強をして待っていた。特に困ることもなかったから、本当に一応だけど
そんな中、現れたのは珍しいことにケリュドラさんだった。隣にはヘレクトラさん……は別に珍しいことじゃない。そういうことならとアグさんお手製の服に袖を通して、ふらふらと二人についていって、今は電車に揺られていた
「……行き先は聞かないのか?」
「サプライズってことで」
「そうか」
どこへ行くのかは聞かなかった。せっかく降って湧いた予定だし、道中含めて全部楽しもう。そんな思いで、特に目的地は聞かないことにした。きっと楽しい場所に連れて行ってくれるだろうし
「少し歩く。逸れないよう手を繋ごうか」
「……小学生じゃないんですから」
「はは、それもそうか」
電車を降りて、雛鳥のように二人に着いていく。先日の雪はかなり広範囲に降ったから、いつもとは違うこの街にも積もった雪は残っていて、冬らしい景色だった
「着いたぞ」
ぼーっと歩いていたのを、ヘレクトラさんの声で引き戻される。見上げてみると、大きな建物があった。全体像を捉えるのが難しいこれが、どうやら僕らの目的地らしい
「行くぞ」
「あ、はい」
導かれるままに、建物の中へ。建物の中は、何だか少し暗くて……だから、それはひどく目立って見えた
「……魚?ここって…」
「水族館だ」
すいぞくかん。……あぁ、水族館か。魚、いっぱいいるとこ。名前は知ってたけど、来たのは初めてだ
「……アムール、初めて来たのか?」
「え!?さ、流石にそんなことないですよ」
「アムール、お前は嘘が下手だな」
何とか取り繕おうとしても、二人にはあっさりバレてしまう。遊園地とか、水族館とか……そういうところ、連れて行ってもらったことなかったから
「行こうか」
ヘレクトラさんが右手を、ケリュドラさんが左手を握った。その温かさが嬉しくて……また、心を救ってくれる。僕もこの温かさに返せているだろうか
「わぁ……!」
まず入り口の、一番最初に目に入った水槽に連れられた。珊瑚礁に彩られた大きな水槽の中に、見たことのない魚がたくさん泳いでいる。青、黄色……
「セイレンス、どうだ?」
「ワタシの方が速い」
「何を張り合ってるんです?」
速いって何だよ。泳ぐのが速いの?……流石に有り得ないか。ヘレクトラさんの身体能力がやばいのは薄々わかっていたけど、流石に……
「いずれキミにも見せる時が来る。楽しみに待っているといい」
「はぁ……」
見せるって何だよ。泳ぐのを見せるの?これで本当に魚より速かったら面白いな。いよいよ超人だ
満足するまで水槽を眺めた後、二人に手を引かれて次の水槽へ。見たことのない魚ばかり、初めての経験で全てが新鮮だ
「海……こう見ると、僕にとっても新鮮だな」
「あぁ、ケリュドラさん宇宙行ってますもんね」
「それもあるが、僕もこういった場所はあまり経験がないんだ」
宇宙飛行士であるケリュドラさんにとって、海はまさしく反対側だ。僕といる時は結構物静かな人だけれど、楽しんでいる雰囲気は伝わってくる
「楽しそうでなによりだ。ふふ、任せてくれカイザー。二人の世話など、ワタシには造作もない事だ」
「………セイレンス」
「あはは…」
……確かに、ケリュドラさんは少し…結構背が低い。僕より年上だけど、見た目で判断するなら僕らの中で一番年下の…ええと、子供に見えるような見方もあることもある…かも
「……はぁ、まあいい。次に行くぞ」
そうして二人に連れられて、水槽から水槽へと渡り歩く。魚も綺麗だが、水槽そのものも綺麗だ。楽しい、本当に。二人といるから余計にそう感じるのかもしれない
「でっけー…」
「……大きいな」
「同感だ」
そうしてたどり着いた、ここで一番大きな水槽。そこにいたのは、あまりに大きな魚──ジンベイザメがいた。大勢の人たちの間に立って、その巨体を見上げる……いや、本当に大きいな
「どうだ?」
「ワタシの方が強い」
「だから何を張り合ってるんです?」
速いの次は強いと来たか。もう何でもいい、二人が楽しそうで僕も嬉しいよ……
「……ほんとに大っきいですね」
「あぁ、大きいな」
……とは言いつつも、ヘレクトラさんはずっと僕の方を見てる。いや、これは毎回だった。最初からずーっと、水槽よりも僕を見ている
「……僕じゃなくて水槽を見ましょうよ」
「安心しろ、水槽も見ている」
「本当かなぁ……」
ここまで信用できない言葉も久しぶりに聞いた気がする。現に水槽に目を移しても、ヘレクトラさんからの視線は外れてくれない。何だか気恥ずかしくなって、ケリュドラさんの方を見てみれば
「……僕じゃなくて水槽を見ましょうよ」
「安心しろ、水槽も見ている」
「仲良しですね」
何だかすごくデジャヴ。両側に同じ人が立ってるみたいだ。二人してじーっと僕のことを見つめて、それが嬉しいやら恥ずかしいやら
「…………あの魚はちっちゃいですね」
「あぁ、小さいな」
「同感だ」
「ここの水槽に小さい魚なんていません!」
やっぱり水槽見てないじゃん!
「カイザー」
「助かる」
「ありがとうございます」
一通り水槽を見終わって、僕らは休憩スペースに座っていた。ケリュドラさんが一言言えば、ヘレクトラさんが動いて飲み物を買いに行ってくれた。こうして見ると二人は主従というか、そんな感じの雰囲気を感じなくもない。カイザー、なんで呼び方もそうだ
カイザー。確か皇帝とか、そんな感じの意味だったような……あだ名か何かだろうか。それにしてはかなり仰々しいけど………ふむ
「……カイザー、コーヒーってどんな味で───」
「ぶっ!?げほっ!げほっ!」
呼んだ瞬間、ケリュドラさんが思いっきりむせた。缶コーヒーが服につくことはなかったけれど……かなり苦しそうに咳き込んでいて、軽い気持ちで呼んだことを後悔した
「な、なん、急に、何故……」
「あ、その……ヘレクトラさんがそう呼んでたのが気になって、つい……ごめんなさい」
「いや、げほっ。いい、謝る必要はない」
乱れた呼吸を整えて、ケリュドラさんは僕を真っ直ぐ見据える。綺麗な空色の瞳が揺れて、ケリュドラさんは口を開いた
「カイザー……お前の口からその言葉が聞けるとは思わなかった。今では何の意味もない、ただのあだ名だ。呼びたければ呼ぶがいい」
「はぁ……」
今では何の意味もない。なら以前は何か意味があったのか。だとするなら、ヘレクトラさんが僕を見つけた理由の、僕の知らない僕もそれに関わっているのだろうか………だめだ、これのことを考えるとドツボにハマる。今は捨て置いていい
「本当に、ただ驚いただけだ。少しむせたが、気に病むことは何もない」
「や、でも…」
「なら、放心状態のセイレンスを起こしてやれ」
「え?」
そう言われて、ヘレクトラさんの方を見る。ケリュドラさんのと同じ缶コーヒーを握って、目を丸くしてじーっと僕を見つめて……何これ面白いな。いや、それどころじゃなくて
「おーい、ヘレクトラさーん?」
「…………………」
「ヘレクトラさーん!?」
目の前で手を振ってみても反応がない。マジの放心状態だ。どうしよう、本当に何やっても戻ってこない。ずっとケリュドラさんと話してたけど先にこっちをどうにかすべきだったのかも
「……セイレンス!」
「………………」
「ふむ、手強いな」
「が、頑張りましょうね…」
あの手この手。打てる手は全て打ってみて、数分後にようやくヘレクトラさんは戻ってきた
休憩を終えて、僕らはアシカショーなるものを見に行っていた。アシカのショー。何やるんだろうと思っていたけど、鼻先で器用にボールを突いて飛ばしたり、ジャンプして輪っかを潜り抜けたり、アシカってすごい
「おぉ……すごいですね」
「ワタシの方が上手い」
「そこでも張り合うんですね?」
速い、強いときて今度は上手いと来た。ヘレクトラさんも鼻先でボール飛ばしたりできるのだろうか、それとも飛んで輪っか潜れるの?何をもって上手いと言ったのだろうか
「ケリュドラさん…」
「…………」
色々疑問を持ってケリュドラさんのことを見つめてみれば、言葉は無くただ頷かれた。どういうことだよ
そんなこともありつつ、アシカが自らの運動能力を存分に発揮して何事もなくショーは終了した
「イルカのショーもあるんですね」
「シャチのショーもどこかにあるらしい」
何とイルカのショーもあるようで、僕ら3人は最前列の席に座っていた。程なくしてショーが始まり、円形の大きな水槽の中をイルカが泳ぎ回る
「わぁ……」
「ワタシの方が───」
「もういいですからそれ。今度は何です?」
「跳べる」
「あんな感じだ」
ケリュドラさんまで乗り出して、"あんな感じ"のイルカを見てみれば、姿勢を縦にして水面から飛んだ。跳んでる、すごく跳んでる……!水面に落ちた時に水しぶきがでるぐらいに───ん?
「これ水飛んできません?」
「飛んでくるぞ」
「え?」
ばしゃ、と前方から音が聞こえて、水槽を飛び越えた水しぶきが、僕に向かって飛んできて────当たる直前に、傘がそれを防いだ
「大丈夫か?」
「僕は大丈夫ですけど……」
「随分と濡れたな」
ヘレクトラさんは傘を持ってきていたようで、それを使って僕とケリュドラさんを水しぶきから守ってくれた。けれど、僕らに使った分ヘレクトラさん自身を水しぶきから守ることはできなかったようで
「構わない。キミに水がかからなければそれで」
「僕が構うんです!」
見事にずぶ濡れのヘレクトラさんに、一応持ってきておいたタオルを手渡そうとして────
「あ」
また、水しぶきがヘレクトラさんを濡らす。結構な勢いを浴びてるのに、全く体幹がブレてない。自称ジンベイザメより強いのは伊達じゃなかったみたい
「………………少し、寒いな」
「ほんとにありがとうございます!」
──────────────────
「次からは2本持って行こう」
「何とか……はなってないですね」
イルカショーが終わった後、一応と持ってきていたタオルを使ってヘレクトラさんの身体をできる限り拭いた。とは言っても拭けたのは髪や顔ぐらい
土産を見つつ、暖かい屋内を歩き回ったりしているうちに多少はマシになるかもしれない。そうして少し時間が経った今でも、服は湿ったままだ
「……その、今日は本当にありがとうございました」
水族館を出て、3人並んで歩く中、僕は2人にそう告げる。初めてこういう場所に連れて行ってもらって……本当に、感謝以外の言葉が見当たらない
「そうか。…なら、また来よう。水族館ではなくても…そうだな、遊園地もいいだろう」
「遊園地か、乗れるものがあると良いが」
「え」
また来る。あぁ、うん。言われてみればその通りだ。何もこれっきりじゃない、機会はいくらでもある。当たり前の言葉が、何でか胸に染みた
「…?遊園地は嫌だったか?」
「あ、いや、そうじゃなくて。……そう、ですね。また行きましょう。皆いれば、きっと楽しいですから」
「あぁ、その通りだ」
どこに行くかよりも、誰と行くかが大事なんだと思う。大好きな人たちに手を引かれて歩けば、そこはきっと、世界のどこよりも特別な場所になる
「ところで、今どこに向かってるんです?駅じゃないですよね」
「帰るにはまだ早いからな、これから映画を見に行く」
「映画!何見るんですか?」
「サプライズにしておけ、アムール」
…………映画を見た後の感想だけど、前言撤回。やっぱ行く場所も大事
ホラーは、苦手だ
主人公の名前いる?
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いる
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いらん