鬼討つ鬼は異界より来る 作:ふののも
空に穴が開いた。少年が見た最後の光景が、ソレだった。
場所は横浜。カレーでも食べようかとスマホや財布といった必要最低限の貴重品類を肩掛けの小さなカバンに放り込んで家を出たのが一時間ほど前の事だ。
初夏にも関わらず気温が30度を超えている暑い日。
不意に、身体が揺らぐような感覚を覚えて立ち止まる。
場所は、海が見渡せる歩道。
熱中症か?と首を傾げれば、直後に襲ったのは浮遊感。
比喩などではない。本当に、少年の体は地面を離れてその場から浮かび上がっているのだ。
目を見開いて、反射的に空を見上げればそこに広がるのは青空に反した黒く歪んだ穴とも形容すべき何か。
その光景を目にして、少年は教科書やネットで見たブラックホールの映像を思い出す。
現実逃避だ。自分が全く訳の分からない状況に巻き込まれて、脳ミソがショートを起こしたようなもの。
その間にも少年の体は空へと引っ張られて穴の中へ。
引っ張られるだけの体が空へと消えて、同時に穴は誰にも見られる事無く役目を終えたとばかりに閉じてしまった。
そして――――
「が!?あああああああああああああああああああああああああああああ!?」
嵐の暗雲の中を上下左右すら分からなくなるような状況で、少年の絶叫が遠雷に紛れた。
両手足、いや全身に何かが食らいついているかのような感触と、激痛。それも、一つ二つなどではなく体の至る所を咬まれていると直感的に理解させられる感触だ。
程なくして、少年の悲鳴が途絶えた。余りの痛みに気を失ったせいだ。
そのまま先の見通せない嵐の中をただ流されていく。
不意に、流される少年に道連れが出来た。
そして、光が広がった。
風が頬を撫でる。
「…………うっ………」
小さなうめき声と共に、木立の中に倒れた少年の指先が僅かに跳ねる。
瞼が震えて、光の失せた琥珀色の瞳孔が露となった。
暫くの間、うつ伏せのまま風に揺れる草を眺めていた。だが、徐々に頭が状況に追い付いてくるとそのぼんやりとしていた目が大きく見開かれる。
同時に、その身体は勢いよく起き上がった。
「……どこだ、ここ…………ッ、夢じゃ……ないのか…………」
上体を起こして片膝をついた状態で、少年は呆然と呟く。試しに抓った頬は、ジンとした痛みを伝えてきてこれが現実だと教えてきた。
何も分からない。海の近くに居た筈が、今は正反対の森か林といったとにかく木立の中だ。
「スマホは……圏外か」
とりあえず、現代っ子。辛うじてナイロン製の負い紐がつながったカバンから取り出されたスマホは、しかし無情にも電波を受け取れない事を報せるだけ。
肩を落として、少年は一度負い紐の千切れかけている部分を敢えて千切ると。その千切れた部分を改めて片結びで結び直した。不格好だが、それでも途中で落としてしまうよりはマシ。
追い紐を結び直して、ふと少年は己の手足を見た。
出かけた時のままだ。所々解れたり破れたりしているが、それでも服の原型は確りと保っており、カーゴパンツに白いシャツ、紺色のジャケットと大きく損なった様子は無い。
「…………傷は無い、か」
だが、少年の関心は服ではなくもっと別の事。
自分に起きた事が夢じゃないと理解すれば、気になるのは自身が飲み込まれた空の穴について。
「見えない何かが居た……か?でも、傷一つ無いな」
梢の隙間から太陽に手を翳してみたり、表裏とひっくり返して確認してみたり。
カーゴパンツの裾をまくってふくらはぎなども見てみたが、やはりこちらも傷は無い。
何も分からず、ふと少年は視界の端の違和感に気が付いた。
そちらを見れば、倒れている誰か。
「だ、大丈夫か!?」
咄嗟に立ち上がって駆け寄る少年。
近付いて分かったが、倒れていたのは女性だった。
年の頃は、彼より少し上だろうか。真っ赤な長髪をポニーテールで纏め、その顔には半ば砕けた四つ目の烏と鬼を混ぜた様な仮面をつけている。
更に、その身に纏うのはボロボロになったこれまた烏を思わせる黒い羽根をあしらった鎧と服の中間のような衣装。
何より、壊れた装備の中から男子の目を集めてやまない豊かな胸の谷間が露となっている。
「ッ……!」
カッと頬が熱くなり、すぐさま少年は頭を振って煩悩を追い払うと羽織っていた藍色のジャケットを脱いで女性の胸元を隠すようにして被せる。
気まずくなって視線を動かせば、女性の傍らに丈のある草に紛れる様にして何かが転がっていた。
少年が近づいて、よくよく観察してみればそれは現代社会を生きる彼にはスマホの画面越しなどでしかお目にかかる事の内容な代物。
「鎖鎌……か?何というか、禍々しい」
既に千切れかけている鎖に、砕けた分銅。深い青の刃も亀裂が走りに振るうには、最早役目を果たせないであろう状態。
馴染みのない代物だが、少年は直感的に傍らに倒れた女性のものであろう、と当たりを付けていた。となれば、不用意に触るのは憚られる。
気持ちのいい風の吹く中、少年は途方に暮れた。
幸いなことに女性の装備の大半が壊れているが、その装備が身代わりになったのか体のそのものの損傷はほぼ無い。見た目だけだが、精々が擦り傷や切り傷が細かにある程度。
それはつまり、見捨てるという選択肢が取れない。見ず知らずの他人であろうとも、自分が見捨ててしまった、という罪悪感を背負い宅が無い為だ。
であるのなら、彼女を背負うなりして何処かに向かわねばならない。せめて人間、或いはコミュニケーションの取れる知的生命体との接触がベスト。
だが、その方向が決まらない。土地勘が無い以上、現在地が分からず。ネット環境が無い以上、スマホは光る板程度の役割しかないのだから。
「どうするか…………ん?」
八方ふさがりの状況で、少年の耳がとある音を拾い上げた。
風に揺れる草や梢の音ではない。
足音。そして、男女の会話する声。
「…………」
無意識のうちに音の聞こえた方へと顔を向けて、少年は膝立ちとなると右拳を握っていた。
立ち位置は、女性を守る様に。見ず知らずの他人であろうとも、そこがどことも知れぬ場所であろうとも他者を優先する姿勢。
果たして、現れるのは一組の男女?だった。
「人、と…………ロボット、か?」
「お前、そこで何をしている?」
問うたのは、二つ結びのおさげを前に垂らして額にゴーグルをつけた背の低い女性。
明らかな警戒の色に、焦ったのは少年だった。
慌てて拳を解いて両手を上げると、抵抗の意思が無いと手をひらひらと振ってみせた。
「ッ、この人が怪我をしてるんだ!助けてくれないか!?」
要求は手短に、且つ簡潔に。そして、自分の事は入っていない。
手を上げる少年に対して、女性は眉をひそめた。
「…………診る分には、構わん。だが、お前は少し距離を取れ」
「あ、ああ……!」
女性に言われ、少年はゆっくりと立ち上がると背を見せない様にしつつ後ずさり。
とりあえず、跳んでも届かない距離まで離れた所で女性は患者の傍へと膝をついた。
「どうだ?」
「ふむ……大した怪我はないな。触診にはなるが、折れている個所もなさそうだ。おい、お前」
「お、おう!」
「何処の里の所属だ?それとも、霊山か?」
「里……?れいざん……?」
患者の診察を終えて女性が問う。だが、生憎と少年にはその問いに関する答えは無い。
思わぬ反応だったのか、女性の眉間に皺が寄った。
代わりに口を開く、というか声を発したのは小柄なロボット?だ。
「おいおい、どういうこった。こっちの女は“モノノフ”だろ?お前の知り合いじゃねぇのか?」
「ロボットが喋った…………あ、いや、えっと……その人は、俺の知り合いじゃない。空に穴が開いて、そこに吸い込まれたかと思ったら、ここに居たんだ」
「穴だと?」
「し、信じてもらえないとは思うけど……嘘は言ってねぇ!嘘つくメリットも無いからな」
「ふむ…………」
女性が顎に手を当てて考え込む。だが、その思索を遮ったのは連れのロボット?だった。
「考えるのは、良いけどよ。とりあえず、ここを離れるのが先じゃねぇか?怪我が大した事無いとはいえ、気絶した人間をこのまま寝かしとく訳にもいかねぇだろ?」
「……それもそうだな。まあ、ちょっとした人助けだ。聞きたい話もある。おい、お前」
「お、おう……何だ?」
「こいつを背負ってやれ。
「へいへい。人使いが荒いぜ、まったく」
ぶちぶち言いながらも、時継と呼ばれたロボットは患者の側に転がる装備の残骸を拾い上げる。
未だに状況の呑み込めない少年だが、しかしこのチャンスを逃す訳にもいかない。
慎重に距離を詰めると、ジャケットを羽織り直して倒れる患者をどうにかこうにか背負い上げた。
「ッ…………ん?」
「どしたよ」
「ああ、いや……何でも無い」
時継の問いに首を振る少年。
背中に当たる感触以上に、気になる事が一つある。
(人一人背負って、こんなに軽いもんだったか?)
腕から伝わる重さがあまりにも頼りなくて、その道中で何度も背中を確認する少年の姿が見られるのだった。