鬼討つ鬼は異界より来る 作:ふののも
西の最前線、マホロバ。腕の立つ手練れが多数所属する里は、しかしながらその内に火種を抱え込んでいた。
「さて、こいつの処置は良いだろう。話を聞かせてもらおうか」
里の中央通りに面した家屋の一つ。
そこに薄い煎餅布団敷いて患者を寝かせて、残りの三人はいろりを囲むようにして座り込んでいた。
「まずは、名乗ろう。私は、博士。このマホロバの里では医者紛いの事をやっている。こっちの小さいのは時継。私の助手だ」
「誰が小さいのだ!あと、勝手に助手にするんじゃねぇ!基本、使いっパシリばっかじゃねぇか!」
ギャンッ!と咆える時継だが、博士は涼しい顔を崩さない。
そんな二人のやり取りに、少年は苦笑いを浮かべ続くように口を開き、
「…………?」
はく、とその口からは空気が漏れるだけだった。
少年の様子に目ざとく気付いたのは、時継。
「どうした?鳩が豆鉄砲でも食ったような顔してるぜ?」
「あ、いや……その…………な、名前が分からない…………」
「はあ?記憶喪失って事か?」
「いや、住んでた場所もいつ生まれたのかも分かる…………ただ、」
「名前が分からない、と」
「ああ……」
博士の言葉に、少年の眉が下がる。
不思議な感覚だった。自分がどこで生まれ、どこで育ってきたのかの人生の足跡は思い出せるというのに肝心の名前の部分だけぽっかりと穴が開いてしまっている。
その気持ちの悪さ、薄気味悪さ。言葉が詰まるのも無理はない。
時継も、年端のいかないような少年が陥っている状況に言葉が出てこないらしい。編み笠の下にあるモノアイは無機質に光るばかりで沈黙したままだ。
「――――では、“ナナシ”で良いだろう。呼び名が無いのも面倒だからな」
淡々と、代替案を出してくるのは博士。
見た目こそ小柄で幼くも見える彼女だが、その中身は老成し達観した仙人のようなメンタルを持っていたりする。
決して心が無い冷血魔女という訳ではない。ないが、しかし合理的に進められるのならば淡々と進めるリアリストの一面もあった。
「ナナシ。お前は空の穴に吸い込まれたと言っていたな?」
「あ、ああ…………何か、知ってるのか?」
「恐らく、お前が吸い込まれたのは“鬼”の開いた鬼門だろう」
「鬼?……スーッ……それって、あの桃太郎とか一寸法師に出てくるアレか?」
「…………成程な」
「あ?何がだよ。何か分かったのか?」
「概ね、な。随分と厄介な事になったらしい」
やれやれ、と博士は首を振った。
彼女の明晰な頭脳が出した結論は、成程その言葉通り厄介なものだったから。
「ナナシ」
「……あ、俺か。何だ?」
「鬼、モノノフ、異界、ハクといった言葉に聞き覚えはあるか?」
「はあ?急に何聞いてんだよ、博士。そこらのガキでも知ってるだろ」
「そうだな。それほどまでに、私たちにとっては常識的な事だ。だが――――」
そこで言葉を切り、彼女の怜悧な目が少年を捉える。
「こいつは、恐らく違う」
「違う?そうなのか?ナナシ」
「…………多分?鬼は、さっきの通りだし。“モノノフ”ってのは武士だろ?いかい……医師会?ハクは……白い色か拍子か?」
「こういう事だ」
「…………どういうこった、こいつは」
「簡単な話だ。身なりを見て思ったが、こいつはこの時代にそぐわない格好だ。過去を遡っても、ナナシと同じような恰好をしている者は居ないだろうさ」
博士の指摘。
彼女や時継の格好も、歴史を感じさせるものではないのだがそれでも現代人からすれば何処か古風に見える。
その点、
ロボットのような時継は兎も角として、博士にしても爪先を切り取ったブーツのようなモノを履いているがその材質は革である。
二人の会話を聞いて、ナナシは嫌な予感を覚える。
「…………なあ、博士。今って、西暦何年だ?」
「西暦?それは、明治政府が倒れて
「明治政府!?」
絶句、と言う他ない。
明治政府が成立していたのは、1868年から1912年までの凡そ44年間。ナナシの生きていた時代から百年以上前の話だ。
頭を抱えて、ナナシは呻く。
「歴史が、違う……!」
「歴史か。お前は、どちらからやって来たんだ?」
「……多分、未来。だけど――――」
「歴史が違う、か。具体的には、どう違う?」
「まず、俺の時代では明治政府は、明治天皇の崩御の結果終わってる。その後は、大正って時代に変わった。何でこっちでは滅んでるんだ?」
「十年前のオオマガドキだ。巨大な鬼門が開き、大量の“鬼”がこの世界に溢れた」
「また、“鬼”か。おとぎ話じゃないのか?」
「違う。“鬼”とは、この世とは異なる世界からやってくる異形の存在だ。奴らの目的は人や生物の魂を食らう事。オオマガドキからこっち、世界は“鬼”の侵略に脅え続けている形だな」
「んで、そんな“鬼”に対抗するのが俺達モノノフって事だ」
「モノノフ…………というか、時継は何なんだ?ロボット、なのか?」
「こいつは、カラクリだ。人の魂を定着させてある」
「こんな成りだが、俺は人間のつもりだぜ?そこんところ、ヨロシクな」
「え、あ……分かった」
最早何でもありだ。ナナシは遠い目をする。
それからも、この世界についての常識を彼は習った。同時に、話を聞けば聞くほどにこの先どうやって生きていけばいいか、と途方に暮れる事にもなる。
(人間は滅びの瀬戸際で、日本はほぼ壊滅。残ってるのは、中つ国と呼ばれる霊山を中心としたこの里みたいな連合体だけ。地獄か)
暗い天井を見上げて、ナナシは遠い目をする。
先行きの暗さに打ちのめされる少年。そんな彼の耳が不意に、衣擦れの音を拾った。
「…………っ…………こ、こは?」
見れば、布団に寝かされていた女性がぼんやりとその目を開けていた。
印象的なのは、真っ赤な緋色のその髪と対照的な翡翠を思わせる緑色の瞳。
「気が付いたか。こいつに感謝しておけよ。倒れたお前を守ってたんだ」
「いや、語弊がある!偶々近い場所で倒れてただけで、それに直ぐに博士と時継に助けてもらったから!」
「おいおい照れるなって。実際、俺らと会った時にも庇おうとはしてただろ?お前も十分に勇者の素質があるぜ、ナナシ」
「勇者って……」
困った様に頬を掻く少年へと、女性の目が向く。
そして徐に、上体を起こした。
「ありがとう、ございます。助けていただいて……それで、その…………ここは、いったい?」
「ここは、マホロバの里だ。中つ国の西端にある要所の一つだな」
「マホロバ………あの、横浜では……?」
「横浜?……どうやら、こっちも厄介事らしいな」
博士は露骨にため息を一つ。
「ふぅ……横浜は既に放棄されている。十年前のオオマガドキによってな」
「じゅ、十年前……?ちょ、ちょっと待ってください!私、そこで戦っていたんです!部隊は!皆は……!」
「…………少なくとも、横浜の生存者は居ないとされてる。強いてあげても、軍師が一人だな。鬼に食い破られた横浜のあと、どうにかモノノフの対応が間に合って、今の中つ国がある」
「軍師……そ、それは軍師・九葉、でしょうか?」
「流石に知ってるか。もっとも、今でも別の意味で有名だがな。“血濡れの鬼”ってよ」
「ッ……」
時継の言葉に、女性は布団を強く握った。
気まずい沈黙。
その状況に耐えきれなかったのか、ナナシが口を開いた。
「あー、えっと…………俺もタイムスリップ……というか時間超えて横浜からここまで来たんだ。といっても貴女と違って多分百年以上未来からだろうけど」
「ッ、未来……から?」
「そうだな。こいつ、ナナシは自分の名前が分からねぇってんで、そこに居る博士がナナシって名付けたんだ」
「名付けられたのに、
「ちげぇねぇや」
「「HAHAHA!!」」
冗談めかして笑い合う時継とナナシ。
あくまでも、現状の空気を緩和しようという行動だった。悪意などは無い。
だが、
「――――ほう?私の名づけに、不服があるか?」
肩を跳ねさせる二人。
ギリギリと油の切れたブリキの人形のように振り返れば、顔は笑っているのに蟀谷に青筋が浮かんだ鬼女が居た。
「
「今からか!?というか、一人で!?」
「後で、と言っただろう?それから、
「あれ?俺の扱い、もっと悪くね?」
「お前は、後でうちの掃除をしてもらう。埃の一欠けらも許さんから、そのつもりでいろ」
「マジか……」
絶望する野郎二人。肩を落とすその姿は、先程までの雰囲気を奈落の底へとぶん投げた様な暴落ぶりだ。
もっとも、自業自得だが。
だが、高価はあった。
「ふふふ……」
ころころと鈴の転がるような軽やかな笑い声。
見れば、先程まで押し潰されそうな追い詰められた表情をしていた女性が微笑んでいるのだから。
犠牲になった二人も、浮かばれるというもの。
「おい!まだ死んでねぇぞ!」
「掃除で死んでたまるか!」
喚く二人を放置して、博士は微笑む女性へと顔を向けた。
「とりあえず、名乗ったらどうだ?それとも、そこのナナシと同じようにお前も名前が無いか?」
「あ……いえ、そんな事はありません。私は、
「博士で構わん。とりあえず、目が覚めたのならそこの助手一号に里を案内してもらえ。私は少し、やる事があるんでな」
一方的にそう言うと、博士は家を出て行ってしまった。
その背を見送って、時継は頭を振る。
「やれやれ、相変わらずの自分勝手さだぜ。ま、案内は要るだろうしな」
そう言って、彼は改めて娜月と名乗った女性に向き直る。
「俺は時継。こんな成りだが、人間だぜ。んで、こっちが――――」
「ナナシ。名前だけがどうにも思い出せなくて、さっき博士に付けられたんだ。反応しなかったら、反応するまで呼んでくれると助かる」
「はい。よろしくお願いします、時継さん、ナナシさん」
頷く娜月。
この日、マホロバの里へとやって来た時を超えた迷い人たち。
彼らの存在は、吉と出るか凶と出るか。それはまだ、分からない。