鬼討つ鬼は異界より来る 作:ふののも
明治時代の技術水準は、現代日本とは比べるべくも無いだろう。
日本でガス灯が配備されるのが、1857年の鹿児島。薩摩藩藩主であった島津斉彬の指示で石灯籠にガス管を繋いで照明としてガスを燃焼させたことに始まるとか。
だが、彼は翌年に急逝し、藩内にガス灯を配備する構想は流れてしまう。
それからしばらくたって、1871年に西洋式のガス灯が大阪に配備。翌年には、横浜にも配備される事になった。
蠟燭の明かりよりも遥かに明るいガス灯の出現は、人々の夜を明るく照らし活動時間を伸ばす事にも繋がった。
その後、明治から大正へと移行する期間にガス灯は電灯へと置き換えられていくことになる。
しかし、この世界は違った。
“鬼”の出現により明治政府は崩壊。人々は文明開化よりも自分達の存続を掛けた闘争の坩堝に巻き込まれる事になる。
必然、技術革新は難しい。そもそも、既存の人間の知識では“鬼”に対抗する事が出来ないのだから。
対抗するモノノフも、千年を戦い続けるがその戦法は“鬼”を素材とした武器と防具を持っての肉弾戦。昨今で漸く銃という形で遠距離武器が出てきたが、ソレが大型化するのは果たして何時になる事か。
「水ってのも大変なんだな」
表面張力ギリギリまで水の入った大樽を担ぎ上げて、ナナシは帰り道を行く。
夜のマホロバの里は静かなものだ。明かりといえば、月明かりか星明り。或いはモノノフ本部や
現代の夜とは全く違う。静かなものだ。
岩屋戸への階段へと通じる道から左に逸れて暫く。崖の上に立つのは、奇妙な形をした家だった。
家屋の下部で大きな木の歯車が回っており、側面にも似たような構造が回っている。木造建築だが、同時にカラクリ装置としての役割を持たせた家屋兼研究所兼診療所。
「博士、水汲んできたぜ」
「ああ、裏手に…………その樽をいっぱいにして持ってきたのか?」
「おう。ダメだったか?」
「いや、お前の怪力は天井知らずだと思ってな……………………コレを使えば、
大樽を担いで研究所の裏手へと向かう背中を見送って、博士は顎を撫でた。
昼間の騒動の際にも確認したが、ナナシの身体能力は人間離れしている。
(如何にミフチが、“鬼”の中でも比較的弱い部類であるとしてもその真正面からの突撃を受ければ如何にモノノフだろうと撥ね飛ばされる、ないしはくず肉へと変えられかねない。にも拘らず、アイツは受け止めた。剛力もそうだが、肉体の強度も計り知れん)
思考を回しながら、彼女が視線を落としたのはナナシのカルテ。
最初にとった分と、それから昼間の戦闘後にとった分。そこに書かれているのは、やはり特筆するべき点など無い文字の羅列。
(少なくとも、体組織は人間のもの。とすれば、あの力は何処から発揮されている?)
流石に解剖などは出来ないが、少なくとも採取した血液などは人間のものだった。
だからこそ、博士は疑問を覚えた。
所詮、生物の馬力というのは筋肉から発せられるものだ。その質や密度などの差があるかもしれないが、人間の場合は肉体のエネルギーの大半が脳で処理されている関係上、どうしても身体能力は野生動物に劣る。
如何に“鬼”を打倒するモノノフといえども、素手で“鬼”は倒せない。倒せるとすれば、
「――――“鬼”だけ、か」
「何の話だ?」
「ッ!」
突然の後ろからの声に、博士の肩が跳ねた。
振り返れば、首を傾げるナナシ。
「戻ったか。良し、夕餉にするとしよう」
「夕餉……夕飯か。博士、料理できるのか?俺、竈で料理した事無いんだけど」
「なに、食べれん物は作らんさ。ただ、お前も料理は覚えろ。何のために研究所に置くと思っているんだ」
「…………あの奴隷一号は本気な訳な」
がっくりと肩を落とすナナシ。因みに、娜月は里の中央にある通りに設置された小屋がそのまま拠点となった。元々、モノノフが使っていたもので家財道具一式に加えて武具箪笥も備えてあるからだ。
それから、博士は一通りの家事をナナシに対して教示した。
ナナシが驚いたのが、このカラクリ研究所の技術水準だ。
明らかに、マホロバの里内は明治初期、もっと言うなら江戸時代以前の技術水準で止まっている。電気ガス水道などは無く、井戸や川から水を汲み、夜間は燃料の観点から見回りのモノノフ以外は床に就く。
一方で、研究所には明かりがある。
「…………電気かガスでも通ってんの?」
「いや?コレは、カラクリ石を燃料に転用したものだ」
「カラクリ石?」
「時継の体のつくりを応用している。ここにハクの高純度結晶を放り込めば、ソレを燃料に明かりや火が使えるという事だ」
「へぇ……」
ナナシは感心したように、博士の発明品を眺める。
結局のところ、人が安定した生活を獲得するには何かしらのエネルギー源が必須だ。人類が、単体で自然界を生きる事などまず不可能であるから。
その後も色々と教示するのだが、そこで博士の予想外が起きた。
というのもこのナナシという少年、家事万能である。
調理台の使い方を教えて包丁を握らせれば、野菜を切り、魚を捌き、朝に炊いてあったご飯を温め直して和食の一膳が出来上がる。
「コレは…………」
「ちょっと火加減をミスったな。ま、食べらない事は無いと思うぜ?」
言いながら、箸をつけるナナシに倣って博士もまた料理へと口を付けた。
一口含み、咀嚼。僅かなパサつきが舌を通して感じられるが、それも不快を覚えるほどではない。
「成程……ナナシ」
「んあ?」
「お前は未来から来たんだったな。なら、言葉に気を付けておけ」
「言葉に?」
「さっきお前は、ミスった、と言ったな?私は、メリケンの言葉にある程度の知識があるからこそ通じるが、里の者には通じないだろう」
「あー……成程。うん、気を付ける」
博士の指摘に、ナナシは素直に頷いた。
世界的に見ても難解な言語の一つが、日本語だ。
ひらがな、カタカナ、漢字の三種類を用いる上に文脈の間を読み取る技術が要る上に、和製英語やニュアンスで英単語をそのままカタカナに転じて文や言葉に用いる事も日常茶飯事。
しかも、ナナシの操る言葉は二回の大戦を経て一つの日本の古い形が排された上で再構築された結果生まれたもの。日本語と英語擬きが入り混じった言葉となっている。
「それはそうと、喜べナナシ」
「あ?何だよ、急に」
「お前は今日から奴隷一号ではなく、家政夫一号に任命する」
「おお!…………お?いや、結局変わらねぇだろ?」
「語感と人聞きが違うだろう?」
「やってる事はかわらねぇじゃん…………てっきり、俺はモノノフに成れって言われるかと思った」
「それを決めるのは私じゃない。ましてや、時継や娜月でもない。お前自身で決める事だ。そもそも、モノノフは己の意思で成るかどうか決めるべき責務だ。命を懸けて挑まねばならない以上、どうしたって自己責任に帰結する」
「自己責任、か」
「そうだ。もっとも、里の中が絶対的に安全である、というのは妄言に過ぎんがな」
「そうなのか!?いや、でも…………ちゃんと“鬼”の侵攻を阻んでただろ?」
「残念ながら、神垣ノ巫女の結界は無敵でも万能でもない。中型以下の“鬼”ならば阻むのは難しくないが、大型の“鬼”相手ではずっとは結界を保てんだろう。現に、二年前に起きた動乱でこのマホロバより西に在った二つの里が滅んでいる」
「え……」
「神垣ノ巫女の結界は、彼女らの命を大きく削る。当然だ、人の身に過ぎた力を扱っているんだからな。だからこそ、彼女らは短命だ。そして、鬼に攻められ続けばその命は一気に削り切られる」
「…………」
絶句、という他ない。そして、壮絶だ。
「…………モノノフって、名乗ればモノノフなのか?」
「一応、規則はある。お前が本気で成るつもりがあるのなら、まずは明日岩屋戸に行くべきだな。そこで巫女と目付の隊長二人に顔合わせをしておけ。その後の段取りは、時継にやらせる」
「了解」
「それから、何かしらの武器を持っていけ」
「武器?…………要るか?」
「主に、お前の偽装の為だ。ハッキリさせておくが、そもそも素手で“鬼”の外皮を完全に破壊する事など出来はしない。暴れ過ぎれば、お前が討伐の対象になるぞ」
「Oh……でも、俺武器とか使った事無いぞ?博士や時継みたいに銃を使えるとは思えねぇし、娜月の……鎖鎌みたいに飛べる気しねぇ。というか、何であれは飛んでんだよ」
「アレはあくまでも滑空しているだけだ。飛んでる訳じゃないぞ?」
「それでも……武器か。俺は素手で良いし…………なるべく動きを阻害しない様なのが良いな」
「なら、大きいモノは無しだな。槍や金砕棒といったものは、動きを阻害する。銃や弓は、持ち運ぶものが多い。娜月のような鎖鎌か、或いは太刀、仕込み鞭…………ああ、そう言えばアレがあったな」
「アレ?」
「少し待ていろ」
そう言って、博士は席を立つと部屋の奥へと引っ込んだ。
程なくして戻ってきた彼女は、その手にとある物を携えていた。
「何だ、ソレ?」
「コレは、双刀。身軽な動きが特徴的で、コレを振るうモノノフは武器術もそうだが体術にも秀でている者が多い。お前の動きを阻害せず、且つ暴れても比較的言い訳の聞く代物だな」
「双刀…………」
机に置かれた武器を手に取り、ナナシはその刃を見下ろす。
包丁とは違う、明確に他者を害する代物。
その力は持ち主の性質によって形を変えるのだ。