鬼討つ鬼は異界より来る 作:ふののも
翌朝。夜遅くまで作業していた博士の朝食をとり置いてから、ナナシは研究所を発った。
その足で向かったのは、里の大通りに面する小屋の一つ。
引き戸の前に立ち、ノックは三回。
「起きてるか?娜月」
声を掛ける。少し間を開けてから、中から衣擦れの音と共に引き戸が開かれた。
「おはようございます、ナナシさん。お早いですね」
「おはよう、娜月。そうか?…………まあ、そうか」
首を傾げたナナシだが、そもそも朝から活動する理由がそこまで無ければ起きる必要性も無い。
もっとも、この時代の人々は夜に多く活動できない関係上早寝早起きの場合が多いのだが。
娜月に促されて小屋の中へと足を踏み入れたナナシは、そのまま靴を脱がずに上り框へと腰を下ろすと腰の後ろに提げた得物を傍らに置いた。
目ざとく気付いた娜月は板間へと上がって腰を下ろすと、首を傾げる。
「あれ?ナナシさん、武器を使うようになったんですか?」
「まあ、な。カモ……ええっと、博士が言うには偽装工作だってさ」
「鴨……?偽装工作、というのは?」
「娜月も見ただろ?あんな風に“鬼”を素手でぶっ飛ばす様な奴はモノノフにも居ないってさ。だから、余計な衝突を避けるために武器を持っておけ、だと」
「成程…………え、ナナシさん。モノノフに、成るんですか?」
「おう、まあな。安穏と過ごすのは、俺自身我慢できねぇし。何が出来るか分からねぇけど、でも
その最後の言葉を呟いたナナシの顔は、背中しか見えない娜月の方からは窺い知ることはできなかった。
ただ、その言葉には確かな感情が込められていた事だけは感じ取れる。
会話が途切れた所で、カチャカチャと金属の擦れる音が近づいてきた。
「よう。起きてるか?娜月……っと、ナナシも居たのか。こいつはちょうど良い」
「おはよう、時継」
「おはようございます、時継さん」
「おう、おはようお二人さん。早速で悪いが、今日は岩屋戸に顔合わせに行く前にちょいと教えておくことがある」
そう言って、小屋へとやって来た時継は上がり框を登って板間に上がり込んでくる。
真面目な話か、とナナシも靴を脱いで板間に足を上げると胡坐をかいて時継へと向き直った。
「昨日も話したが、まずこのマホロバの里にはお頭が居ない。二年前のマホロバ戦役で戦死してそのままだ」
「おう、聞いた。それで、今は神垣ノ巫女とそれからえっと…………」
「近衞とサムライですよ、ナナシさん」
「あ、そうそう。その内近衞の隊長が取り仕切ってるんだっけ?」
「お前ら不思議に思わないか?何で、この里には二つの部隊に、二人の隊長が居ると思う?」
「え?…………そりゃあ、それだけモノノフが多いって事じゃないのか?」
「言い方が悪かったな。何で里を取り仕切る近衞がモノノフ全体の統制を取らずに、剰え近衞と横並びになるサムライって部隊があって、その隊長が近衞の隊長とぶつかるお頭候補なのか、って話さ」
時継に言われ、ナナシは目を瞬かせた。
「そりゃあ…………何でだ?」
「対立関係、じゃないでしょうか?」
「対立?」
「娜月が正解だ。
「…………どう違うんだ?」
「まず、鬼内ってのはオオマガドキ以前から“鬼”と戦ってきた奴らの事を言う。逆に外様ってのは、オオマガドキ以降に“鬼”に関わる様になった余所者を言う」
「成程な。じゃあ、俺は外様って事だ。娜月は………」
「一応、鬼内……でしょうか?」
「横浜で戦ってたんだろ?なら、そういう事で良いと思うぜ。とにかく、この二つの陣営の対立が根深い。結果生まれたのが、近衞とサムライの睨み合う関係だな」
「それは…………」
ナナシは頬を引きつらせながら、喉元迄出かけた言葉を飲み込んだ。
人類の歴史とは、対立の歴史だ。元々野生動物にもみられるが、自意識と文化。そして社会性を獲得した人々の対立は遥か昔にまで遡る。
外野からすれば、争っている場合ではない、とはっきり分かる。分かるのだが、当人たちは止まらない。
彼の記憶としてこの状況に外とするとすれば、第二次世界大戦の日本軍か。アメリカという強大な国を前にして、陸軍海軍の足並みそろわず本来味方同士である筈が足の引っ張り合いに精を出していた。
人は、面白いもので遠くの大敵よりも身近な敵をより強く意識する。その結果どうなるかなど、冷静に考えれば分かるはずなのに。
「…………っと、まあ脅しみたいになっちまったがとりあえずそれだけ覚えといてくれ。もっとも、お前らには関係ないかもな」
「え?何で?」
「確かに近衞とサムライ、鬼内と外様で里は二分化されてるがどっちつかずの奴らも居るって事さ。俺や博士もそうだし、今はお頭を決める大事な時期だ。不確定要素を態々自分達の身内に引き込むような事はどっちもしねぇよ」
「あー、成程…………なら、隠さずに俺達も言っといた方が良い、よな?」
「まあ、そうだな。つっても聞かれてからで、良いと思うぞ。自分から火種に突っ込む事もねぇだろ」
「他に気を付ける事はありますか?」
「そうさな……昨日も言ったが、神垣ノ巫女はまだまだ幼い。だが、幼かろうとこの里の要である巫女では変わりない訳だ。軽んじちゃならねぇぞ」
「そりゃ当然だ」
時継の刺してくる釘に、ナナシは神妙に頷いた。
既に、彼は“鬼”の襲撃を見た。中型と小型の群れという話で、最後に出てきた大型の“鬼”にしても対して強くはないとも聞いた。
何より、博士から聞かされた神垣ノ巫女の話も加味すれば幼かろうとも軽んじる事は出来ない。
「んじゃ、そういう事だ。お前ら二人で行ってきな」
「え、時継は来ねぇの?」
「俺か?俺は、こんな成りだからな。ああいう場所は、よっぽどの時じゃないと近付かねぇのよ」
「あー……ごめん」
「気にすんな。顔合わせ自体は直ぐに終わる筈だ。終わったら、二人で本部の方に来てくれ」
「おう、了解」
「分かりました。では、後で」
「おうよ」
そこで、解散。
時継はモノノフ本部へと向かい、二人は岩屋戸に繋がる階段へ。
「階段なげぇ……」
「…………それじゃあ、ナナシさんは残りますか?」
「いやいや、んな事言ってねぇじゃん?ほれ、行こ行こ」
軽快に石段を登り始めるナナシの背中。
その背を見つめてから、娜月もまた続いて石段を登り始める。
道中には、見上げるほどに大きな鳥居とそれから衛兵なのだろう揃いの赤が印象的な装束鎧をまとった男女が立っていた。
顔の上半分を赤い槍の穂先のような形状をした仮面で覆っている為、その目元はうかがえない。だが、ナナシも娜月も自分達を値踏みするような視線は感じてもいた。
流石に、そんな場所で軽口を叩く訳にもいかず、二人は粛々と階段の一番上へ。
社まで辿り着けば、その前に屈強な体格の先の階段でも見た揃いの装備に身を包んだ男性と、背の高い女性がそれぞれ狛犬の様に立っていた。
階段を登ってきた二人を確認し、男の方が口を開く。
「止まれ。ここは、神垣ノ巫女が坐す岩屋戸である。用向きを聞こうか」
高圧的だ。ピクリと娜月の肩が震えるが、彼女に代わる様に一歩踏み出したナナシが笑みを浮かべて口を開いた。
「おはようございます。自分達は、昨日からこの里のお世話になっているんですが、到着してから個人的なごたごたに巻き込まれまして。しかし、里のお世話になる以上、巫女様との顔合わせをしない事は不義理であるといわれ、こうして参上した次第です」
「成程」
ギョッとした目を娜月はナナシの背中へと叩きつけているのだが、彼は気にも留めない。
嘘も方便という言葉があるが、今回はほぼほぼ嘘は混じっていない。
実際に、里にやって来たのは昨日の昼を回った頃。その後神垣ノ巫女への顔合わせをしようとしたところで鬼の襲撃に巻き込まれ、その事後処理やら何やらで時間が潰れた。
少しの逡巡を挟んでから、男は相方の女性へと一瞬顔を向けてから、再び来訪者へと顔を向ける。
「良いだろう。だが、岩屋戸に足を踏み入れる前に所持物の検査をさせてもらう。モノノフであろうとも、得物の持ち込みは厳禁だ」
「ええ、それは勿論」
ナナシが頷き、娜月も同意するようにして両手を挙げた。
男の方は、ナナシを。女の方は、娜月を。それぞれに服の上から触る様にして不審物のチェックを行う。
その過程で見咎められたのは、二人の左手に取り付けられた装置。
「ん?これは、何だ?」
「ああ、コレですか?コレは、博士の発明品ですよ」
「………あの、魔女か」
(魔女……?)「はい。無理に取り外そうと爆発するとか、何とか。ただ、コレは人を傷つけるための道具ではなく“鬼”を討つための物です。人を傷つけるモノじゃない」
「…………」
ジッとナナシの顔を、仮面越しに男は見つめる。
一秒、二秒、三秒。肩の力を抜いたのは、男の方だった。
「…………良いだろう。こちらとしても、彼女と事を構えるような事をする気は無い」
通れ、と道が開かれた。
一言礼を挟んで、二人は神域へと足を踏み入れる。