森を彷徨うアシュヴァッターマンに誰かの手が差し伸べられる事はない。
人に会う事があるとすれば、何かしらがあって行き倒れたであろう死体だけだ。
今日また一つ、死体と出会った。身なりからして世捨て人のようでもあった。
その死体を鳥や獣が食べているのを見て、エラッタを思い出して吐き気がした。もっとも、空っぽの胃から出てくるものは何もなかったが。
……父や友に出来なかった事を埋め合わせるかのような気持ちでその遺体を弔ってやった。
いくらかの時が過ぎたが、未だにガンガンと頭の中が割れるような後悔と疑問が頭の中に浮かんでは割れて消える。
エラッタはどうして大好きだと言った旦那の死体を食ってしまった?
親子仲が良くて羨ましいだなんて言ってた口で我が父を食らった?
怒り。
夜襲の時はその感情に満たされ、あるいは支配され、もしくは原動力とし殺戮を行った。
しかし今となっては怒りすら湧かない。
彷徨う内の最初こそはエラッタに対する怒りもあったが、次第にそれは天に昇れなかったであろう父やドゥリーヨダナの事を考えると深い悔恨に変わる。
そして、疑問も生まれる。
どうして?
羅刹の性が抑えられなかったのか?
元々食べるつもりで一緒に居たのか?
今となっては答えられない。
答えてくれる人などいない、神も人も決してアシュヴァッターマンには手を差し伸べない。
声をかけない。
傷は痛み膿んでも、死ぬことすらできない。
身体的な痛み苦しみ等、戦場に立つこともあったアシュヴァッターマンからしたらまだ耐えられた。
もっと苦しかったのは答えの決して出せぬ疑問と、取り返しのつかない間違いへの恐怖と悔い。
……アシュヴァッターマンが知らない、知る事のできないというだけで最終的にはパーンダヴァがどうにかしたおかげでエラッタは焼かれそれで食らった者達の魂は昇天できた、その後焼け残った骨から小鳥に化けて逃げてしまった。
だがそんな事人間社会から隔離されてる以上知る由もないアシュヴァッターマンからすれば、”とりかえしのつかない悪夢”だ。
目を瞑れば悪夢が、目を開けば孤独が。
そんな日々が、ある朝変わった。
眠らなくても呪いのせいで死にはしないにしてもこの贖罪の放浪をする前からの習慣のせいか夜は一応眠る。眠ったとて悪夢だが。
ある朝目を覚ますと傍に薬草の束らしきものが置いてあった。
ぎょっとし、周りを見渡す。
人の気配はやはり無い。アシュヴァッターマンの呪いはまだきれていないので当然だ。
では、誰が?何者が?
……本当のところ、傷が治らず身体が病んでしまうのは呪いのせいなので薬草があったところでどうにかなる話ではない。
だけど、誰かが己の事を気遣い薬草を置いていったのであろうという事実にアシュヴァッターマンは何とも言えない気持ちになった。
こんなにも罪を重ねてしまった、父も友も弔えなかった、天に昇らせてやれなかった自分に……そんな施しをした者が居る。
呪いの影響もあるので人間ではないのであろう、だがそれでも一滴の温かさがそこにはあった。
そんなことが何回かあった、夜眠っている隙に誰かが何かしらを置いて施してくれるというようなことが。
そんなことが何度もあれば当然アシュヴァッターマンは一体誰がこんな慈悲をかけているのかと気になりだす。
どうしても気になったアシュヴァッターマンはある夜、眠るフリをして目を瞑っていた。
そうしていると、傍からがさがさと物音が聞こえたので夜の闇の中目を凝らしてそれを確認する。
「……鳥?」
そこに居たのは何があったのかは知らないが、雷にでも討たれたかのように尾羽は焼け焦げ、誰かに狩られそうにでもなったのか片目の潰れた小鳥だった。
小鳥が嘴で薬草を咥え、そこに置いていた。
アシュヴァッターマンが見ていることに気づいた小鳥は、驚いてその場をよたよたと歩き回り逃げようとする挙動を見せた。
「どこの神の使いか、あるいは森に住まう神獣か、いずこにおられる方かは存じ上げませんが慈悲に感謝します」
どこに住まうどういう存在なのか、それは分からない。
ただこの小鳥の存在によりアシュヴァッターマンは少なからず救われた。
ならば、礼をするのは当然の事だった。
アシュヴァッターマンの反応を見て何を思ったのかは分からないが、ただ見つかってしまった以上もうどうしようもないと思ったのかその小鳥はアシュヴァッターマンに寄り添った。
こうして、奇妙な相方とアシュヴァッターマンは過ごすこととなる。
小鳥は時折どこぞへと飛んでは何かを持ってくる。アシュヴァッターマンが悪夢に魘されれば嘴で突いて起こしてもくれる。
明らかに親愛のにじみ出る行為で、この終わらない旅路……いや、迷路の中を歩かされるような時間の中で、小鳥だけは温かかった。
「お前、どうして俺に構うんだ?」
ちぃちぃと小さく鳴き声を上げるが、当然アシュヴァッターマンは小鳥の言葉等分からないので理解できない。だが、一生懸命話そうとするそれがなんだか愛らしくて久方ぶりにアシュヴァッターマンの顔に笑顔が浮かんだ。
普通の鳥ならばせいぜい十年もすれば死ぬはずだが、小鳥はそれほどの時間が経っても死ななかったのでやはり普通の森の獣という訳でもないのだろう。
だけど、小鳥がどのような出自でどういう存在なのかアシュヴァッターマンは探る事もできないがそうしたいとも思わない。
ただそこにあるだけで、小さな鳴き声を聞き柔らかい羽毛が肌に触れるだけで良かった。
三千年は長かった、それこそ人一人の精神が摩耗しきり完全に狂うには十分な時間のはずだ。
だが、小鳥という他者と接する機会のあったせいか最後の一線として自分の事を忘れずに贖罪の放浪をやり通した。
呪いは解けた。
人の社会に出られるようになっても、結局は今となっては根無し草なので小鳥と共に流離う旅路を歩む。
三千年も過ぎれば何もかもが変わってしまい最早自分たちの時代と同じところを探す方が難しい浦島太郎どころではない変化した世界を歩いていたが、そんな折に一つの物語を知る機会があった。
『マハーバーラタ』
あの時の出来事は聖仙ヴィヤーサが”マハーバーラタ”という一つの叙事詩にまとめられた。
あれ程の時間が経った今でも鮮明に後悔も怒りも思い出せる。
……一つの区切り、あるいはケジメと言うべきだろうか。
アシュヴァッターマンはその物語を手に取り、読みだした。
小鳥は時折アシュヴァッターマンから離れ、どこかに行くことがありちょうど居ないタイミングだった。
小鳥が己の事をどこまで知ってるのかは分からないが、褒められた事ではない事をしたのをあまり知られたくなかったからかもしれない。
ああそんな事もあった。
今思えばお互い、必死だった。
過去の戦争とそこに至るまでの記憶が蘇る。
物語の中の自分が夜襲を行う、そして追放される……。
そこまではアシュヴァッターマンも知ってる通りであるが、その先は知らない。
その先はエラッタによる死体喰いによる大事件、そして討伐……。
そして知る事になる、エラッタはパーンダヴァに討たれ食われた者達も昇天していると。
それを知り、父や友がちゃんと死後の安寧を得られていたのだという事を知りアシュヴァッターマンは涙を流した。
ああ、よかった……彼らは天に昇ったのだ。それだけがこの数千年の間ずっと気がかりで、後悔し続けていた。
エラッタが討伐されていたというのは、逆に複雑な心境にさせた。
それはどうやっても問い詰めたかったし、あるいは……自分の手でケリは付けたかったのかもしれない。
あのか弱い羅刹が、どうして、どのようにして、こうなってしまったのか。知りたかったし問い詰めたかったし怒りたかったし殺したかった。
……その、続きに。
『エラッタは焼かれたが、焼け落ちた骨から小鳥に化けた。その目はアルジュナに射抜かれたまま、片目は潰れている。
しかも、逃げ出した際に天の神々もこの騒ぎを嘆いたのか雷を尾羽に落とされた』
片目が潰れ、尾羽が焼け焦げた小鳥……?
それじゃあ、数千年傍に居たあの小鳥は。
そうして考えているうちに、またしても自分はエラッタに知らず知らずのうちに心を許して居たのだと悟る。
姿が変わっていても、結局自分は同じ道をあの時も、そして今も歩んでしまっていた。
本性を見抜けず、好きになっていた。
気にかけてしまっていた。
そのことに気づいた瞬間激しい動悸と過呼吸がアシュヴァッターマンを襲う。
胸を抑え苦しんでいると、ちぃちぃという聞きなれた鳴き声が耳に流れ込む。
小鳥が戻ってきたのだ。片目がつぶれ、尾羽が焼け焦げたあの小鳥が。
どうしてお前はあんなことをした?
どうしてお前は俺に優しくした?
父と友を食らいつくしたその口で。
問いたかったのにひゅうひゅうと喉から空気が抜けて上手くしゃべれない。
小鳥は心配そうに寄り添う、その温かさはやはりアシュヴァッターマンを安心させるもので、それが逆に恐ろしかった。
……ああ、そうか。
ようやく理解した。
あの時ドゥリーヨダナに流した涙も、あの放浪の時にアシュヴァッターマンに寄り添ったのも、きっと何も嘘なんてない。
エラッタは確かにいい奴なのだろう、友の死に涙し、友が呪いを受け彷徨うのなら影ながら施したりあるいは三千年という長い期間を寄り添う事だってできる。
だがきっと、それと羅刹としての人を食う性はそれとは別にあり、別々に存在するそれが縫い目なく切り替わるのだろう……。
なんて生物だ。本当にどうしようもない。
本当に大事な友だったから、信じていた友だったから、数千年寄り添ってくれた愛すべき友だったから。
だから、許せない。
だから、もう罪を重ねさせたくない。
天に昇っても、地獄に落ちても、輪廻を巡っても、きっとエラッタの性が変わらないというのなら。
小さな小鳥は……エラッタは今となってはアシュヴァッターマンの掌に載るくらい小さな存在だったから、簡単に握りつぶせた。
形容しがたい小さな悲鳴を上げて小鳥は動かなくなり、アシュヴァッターマンはそれを口に含み食らった。
エラッタが食らった者達が遺体を食われたが故に昇れず、楔になり取り込まれたように、ならば己もそれと同じことをすればいい。
食べてしまう事で、魂はもはやアシュヴァッターマンと共にある。
「こうしときゃあ、もうあんなことできねえよなあ」
死んでも生まれ変わっても。
菜食主義というバラモンの禁を破り更なる罪を重ね、それでもエラッタの魂を留める為に食らった。
血にまみれた舌と、悲しみなのか怒りなのかも判別つかない目元の涙は、口元の引きつった笑いとはアンバランスで見る人が見れば悍ましいと思われるだろう。
実際、心はもう既に一線を越え恐ろしい造形になっているのだからその見方も正しい。
もし、また……出会う事があるのならば……。
「あれ?アシュヴァッターマン!?」
「……あ?誰だテメェ」
「僕だよ僕!エラッタだよ!そっちもカルデアに来てたんだ」
「……はぁー!?テメェエラッタかよ!?いやなんで女になってんだよお前ぇ!」
「さあ……?でも本当に久しぶりだね」
「おいエラッタ、お前生前の事どこまで覚えてるんだ?っつーか知ってるんだ?」
「え?んー……焼かれた後小鳥になって、アシュヴァッターマンと居たあたりまでは」
「最期は?」
「え?僕が死んだ時?ごめん、わかんないかも」
「……そうか」
「カルデアでも、よろしくアシュヴァッターマン」
「ああ、そうだな」
「お前が今度また何かしたら、今度もどうにかしてやるよ」