アン×アンハッピーマリッジ   作:虫野律

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プロローグ

 全面窓から一望できる東京の街は、星の見えない都会の夜をきらびやかなネオンで彩っている。

 俺、相良(さがら)裕也(ゆうや)はホテル上層階のレストランにいる。向かい側の席には、付き合って二年になる恋人の織笠(おりかさ)愛理(えり)が座っている。

 低い位置でシニヨンにまとめた濡羽色の髪は、雪をも欺く純白の肌と好対照をなし、仄かに潤んだ大きな瞳がまばたくたびに長いまつ毛が照明を受けてしとやかに輝く──愛理は恐ろしく美しい女だった。

 一つ隣──といってもそれなりの距離がある──のテーブルにも男女のアベック、おそらくは夫婦が着いているが、あちらさんは俺たちよりもだいぶん年配に見える。還暦ぐらいだろうか。柔和な笑みを浮かべ、小さく切り分けた魚料理(ポワソン)を口に運んでいる。スズキのポワレだろう。今は十月の上旬だから東京湾のものだと少し旬を過ぎている。愛知のものだろうか、と当て推量をする。 

 視線を正面に戻すと、愛理が緩やかな微笑を口元にたたえた。

 

「これもおいしいですね」

 

 大和撫子然とした控えめなその声音は、冬夜にしんしんと降り積もる雪のようで、耳に優しく、心地よい。

 俺たちのコースはデセールの段に入っていた。

 愛理の皿にあったタルト・オ・シトロン、要はレモンのタルトは、いつの間にやら消えている。

 

「気に入ってもらえてよかったよ」

 

 と答えつつ、鼓動の高まりを感じていた。柄にもなく緊張しているらしかった。

 とはいえ、しっかり食べないと死にかねない仕事をしているからか、食事が喉を通らないなどということはない。俺のタルトもすっかり胃の中の住人である。

 壁際で品良く控える男性給仕(ギャルソン)──蝶ネクタイにオールバック、浅黒い肌の中年の──にアイコンタクトを送る。

 と、すぐさま食後の飲み物と小菓子(ミニャルディーズ)が配膳された。こちらのペースを観察して準備していたのだろう。

 

「かわいいです」

 

 細長い皿にぽつぽつと乗せられた謎の焼き菓子を見て愛理は、小さくはしゃいだ。

 これがかわいいのか? と内心で首をひねりつつ俺は、コーヒーカップに口をつけた。

 ほろ苦い。

 

 

 

 

 

 

 ディナーが終わると、今夜泊まる部屋、最上階のスイートルームへ移動する。

 そのドアの前に立つと、一度小さく深呼吸した。

 

「?」目敏く察知した愛理が、怪訝の色を瞳に浮かべた。「どうされました?」

 

「何でもないよ」

 

 と秒でバレる嘘をついて俺は、ドアを開けた。

 

「え……」と愛理から小さく声が洩れた。

 

 部屋の電灯は消え、しかし足元には無数のLEDキャンドルが並べられて淡い光の道が奥へと続いている。

 暗がりの奥と俺を交互に見る愛理の白い頬が、ほんのりと色づいてゆく。

 

「さ、入って」

 

 と促すと、

 

「はい……」

 

 いつにも増してしおらしく答えて愛理は、緊張の面持ちでゆっくりと歩を進める。

 道の先、ベッドの上には深紅の花びらがハートの輪郭を描き、その中央にバラの花束が置かれている。

 

「サプライズプレゼント。よかったら受け取ってほしい」

 

「は、はいっ」

 

 愛理は上擦ったような声で応じる。身を屈めて花束を手に取ると、その下から某ハイブランドの箱が出てきた。映画好きの彼女のお気に入りのブランドだ。

 思わずというように口元に手を当てた愛理に、

 

「それもプレゼント」

 

 と言うと、彼女はこくこくとうなずき、花束を抱きかかえたまま手を伸ばした。

 

「開けてみて」俺は更に誘導する。

 

「……」

 

 もはや何も言わずに愛理は、箱をパカッと開けた──愛理の息を呑む気配がした。

 中にはダイヤモンドの指輪。

 彼女の好みに合わせてあまり派手なものは選ばなかったが、けれどその分、質にはこだわった。

 

「愛理」と呼びかける。

 

 彼女はゆっくりとこちらを振り返る。その瞳にはすでに涙が浮かんでいた。

 

「俺と結婚してください」

 

 ややあって、

 

「……はい」涙まじりの声で愛理は答えた。「よろし、くお願い、します」

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