アン×アンハッピーマリッジ   作:虫野律

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 今から述べることは、俺の個人的な考えや実体験に基づいた教訓などではなく、だからあくまでも一般論として聞いてほしい。

 女──特に、一度抱かれただけで彼女だと勘違いするような、あるいは道ならぬ関係の刺激的(リスキー)な──で遊ぶ場合、避けなければならない三つの〈バレ〉がある。

 第一に実家バレ。凸られたら家族に迷惑が掛かるし、逃げようにも容易ではない。これは何を措いても死守しなければならない。

 第二に職場バレ。凸られたら仕事に支障が出るし、出世にも響きかねない。やはり肝に銘じておかなければならない。

 第三に学校バレ。これは上記二つほど致命的ではないが、凸られたら悪評が立ち、いろいろとやりにくくなる。したがって、やはり細心の注意を払わなければならない。

 さて、ここで思い出してほしいのは、例のふしだら関西娘のことである。

 俺は彼女をどうこうしようとは〇・〇一ミリほども考えていなかった。加えて、ファーストコンタクトの状況──バイト帰りの制服姿──からして身元を隠し切るのは難しかったし、神埜のこともあった。

 ゆえに、第二第三の禁忌を初手で犯してしまった。つまり、バ先と学校を教えてしまった。一見して彼女がメンヘラだと推測できていたのに、だ。

 ああ、愚かなるかな。

 後悔先に立たず。覆水盆に返らず。痛恨の極み。誠に遺憾です。

 つまり何が言いたいかというと、

 

「えへへ、来ちゃった♡」

 

 十六夜にバイト終わりを出待ちされた。

 夜も深まる午後十時過ぎ、バイト先のコンビニを出たところに──すなわち俺の背後に、気配を殺して忍び寄るマスク女がいた。その怪しすぎる風采の不審者は、獲物を狩る肉食獣のごとく躊躇も容赦もなく未成年に牙を剥いた──ガバッと抱きついてきたのだ。

 

 俺は溜め息をついた。「暑いから離れてくれ」

 

 東京の六月の夜は、比較的過ごしやすいとはいえ、密着されるとやはり暑い。しかし、炎&闇属性のメンヘラには応えないようで、

 

「嫌や! 絶対放さへん!」元気に荒ぶってらっしゃる。いつもより締めつける力が強い。「どんだけ寂しかったと思うてんねん!? たまにしか()うてくれへんしぃっ、メールもおざなりやしぃっ、電話もちょこっとしかしてくれへんしぃっ!!」

 

「だって別に彼女でも何でもないし」

 

 ただの女友達に、なぜそこまでしてやらなければならないのか。

 しかし十六夜は、ガルルルッとばかりに俺のうなじの辺りに顔をぐりぐりすると、

 

「せやけど、いっぱいぎゅうしてくれたやん! あたしの体でギンギンになってほぼイキかけとったやん! あんなん、もうえっちしてもたのと一緒やろ! 一度抱いた女には優しくするもんやで?! ばっちゃに教わらんかったんか!?」

 

「知らないなぁ──そんなことより、メイクつくの怠いからぐりぐりするな」

 

「きっ、ちっ、くっ、の塩!!──対っ応っ!! こんなかわええ女に抱きつかれて鼻の下伸ばさんのおかしいやろ!! 童貞のくせに発展家(ドン・ファン)マインドか! どうなっとんねん?!」

 

「セックスと同義だってんなら童貞じゃないんじゃないか?」

 

「やかましわっ!! 女の言葉に整合性求めんなや!!」

 

 俺たちはコンビニ前の歩道にいる。コンビニから出てきたお客さんが、眉をひそめつつもけっしてこちらに目を向けようとはせずに通り過ぎていった。

 バカップルの傍迷惑な痴話喧嘩だと思っているに違いなかった。

 

「わかったわかった。逃げないから、とりあえず離れてくれ。この状態は通行人の迷惑になるし、悪目立ちしすぎる。希だってそれは不本意だろう?」

 

 これでも十六夜は絶大な人気を誇る正統派アイドル、スキャンダルは避けなければならない。所属事務所からも色恋は固く禁じられている──もっともこれは、彼女の不安定さゆえというのが大きいが。

 

「ぅぅ~~っ」十六夜は葛藤するように低く長くうなると、覚悟を決めたように語気強く言った。「ほんでも離れられへん! あたしの体が勝手にゆうくんを抱きしめるんや! 磁石と一緒や! あたしはゆうくん専用の磁石になってもうたんや!」

 

「えぇ……」

 

 あまりの厄介粘着女っぷりに俺は当惑した。が、諦めずに説得を試みる。「金蔓(ファン)に知られたら困るだろ? 応援してくれるATM(ファン)あっての今の生活なんだから、彼らの洗脳(ゆめ)を壊すようなことは控えたほうがいいんじゃないか?」

 

「ホントそう。マジでそれ」

 

 後ろから新しい女の声がして、俺の心臓はどくんっと大きく跳ねたし、十六夜もおびえるように、というかヤベッという感じにビクッと震えた。

 それでも離れない十六夜と俺は揃って振り返った──傍から見たらさぞ滑稽な姿だったろう。

 そこにいたのは、夜闇(やあん)に覆われている時間帯にもかかわらず大きなサングラスを掛けた、黒髪ショートの若い女だった。腰に手を当てて、平均ほどの身長ながらまるでモデルのように立ってこちらを見ている。

 

「ナ、ナズナちゃん」十六夜は震え声で言った。「な、何でここに」

 

 ナズナと呼ばれた女は、「たまたま通りかかっただけよ」とダウナーな口調で言う。「これはどういうこと?」

 

「こ、こここれはちゃうねん! 誤解したらあかんで! ゆうくんは友達やねん!」

 

 十六夜は不安を紛らわすようにぎゅっと腕に力を込めた。

 

「……」ナズナは、訝しんで視線で()め回すような仕草を経て、あきれ声で言った。「抱きしめて密着しながら『わたしはあなた専用の磁石になった』とか恥ずかしげもなく宣言しておいて、その言い訳は苦しいと思わない?」

 

 ぐぅの音も出ない正論である。

 ナズナは先ほどの俺と同じように溜め息をついた。

 

「とりあえず抱きつくのやめなさい。それから話ね。ちゃんと説明してもらうから」あなたも、と俺に視線をくれ、「悪いけれど、今から少し付き合ってもらうわ」

 

 ナズナとはおそらくOverdollsの小鳥居(ことりい)奈瑞菜(なずな)のことだろう。つまり、かなり面倒な事態になったということであり、俺にはうなずくよりほかはなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 ナズナはやはり、十六夜に次ぐ不動のナンバー2、ドールズの童顔担当(ロリコンホイホイ)こと小鳥居奈瑞菜(二十三)であった。簡単な自己紹介──俺と十六夜が出会った経緯の説明も含む──が終わると彼女は、

 

「希のマンションはこの近くだったわよね? そこで話しましょう」

 

 と提案した。

 十六夜に拒否権はなく、彼女のマンションに向かうこととなった。

 会話らしい会話はなく、小暗い夜道に気まずい沈黙が続く。

 だけにとどまらず、先を歩くトップアイドル二人の尻──十六夜はなかなかの安産型で小鳥居は小ぶりな中学生型(?)だ──を見ながら俺は、戦々恐々としてもいた。

 時間が遅くなるのはそれほど問題ではない。陸人に連絡して、今夜は彼の家に遊びに行っていることにしてもらったから、母さんたちは心配しないだろう。朝帰りか、そのまま学校に行くことになっても彼なら柔軟に対応してくれるはずだ。

 そんなことよりも、だ。

 セックス依存メンヘラアイドルこと十六夜希の恋人疑惑が晴らせなかったらどうなるのか。

 事務所に伝わり、距離を取らされたとして十六夜は暴走せずにいられるのか。

 臨界点を突破したガチメンヘラの行動は予測不可能だ。何が起きても不思議ではない。

 不安でならないし、心配でもある。

 今以上に彼女が傷つくようなことにはならなければいいが。

 

 

 

 

 

 

 大規模マンションの十階に十六夜の部屋はある。一人暮らしには十分な、広々とした2LDK──リビングダイニングキッチンに洋室二つ──だ。

 来たのは初めてではないから、部屋の散らかりっぷりにも驚きはない。

 脱ぎ捨てられた挑発的な下着が床に落ちていたり、エナジードリンクや缶チューハイの空缶が放置されていたり、リビングのサイドボードの上にロビン君(バイブ機能付き極太ディルド)がしれっと鎮座していたりしても目新しさはない。

 俺は通されたリビングのクッション座布団に胡座をかいて座った。

 小鳥居は白っぽいローテーブルを挟んで向かい側に腰を下ろした。彼女は横座りだ。サングラスはデコルテも露な胸元に掛けている。

 他方の十六夜は慌ただしく、テーブルの上のゴミや床のゴミを回収してはリビングの端のほうに押しやっている。普段からやれと言ってはいけない。メンヘラはいろいろと大変なのだ。来客があれば最低限の片付けはするだけまだマシなのである。

 と、小鳥居が話しかけてきた。

 

「希のこと好き?」

 

「好きってほどじゃないが、嫌いまではいかないぐらい」

 

「そう」

 

 小鳥居は感情の読み取れない無表情でささやくように答えた。

 

 差し当たっての片付けを終えた十六夜は、「ちょっとトイレ」と言い置いてリビングを出た。

 

 その瞬間、小鳥居の瞳がきらりと妖しく光った──ように見えた。

 何だ? と訝っていると、彼女はすっくと立ち上がった。

 見るともなく見ていると、小鳥居はそそくさとキッチンのほうへ行き、すっと冷蔵庫を開けた。

 俺は、えっ、と動揺した。人の家の冷蔵庫を勝手に開けるのはマナー違反ではないか、と。

 それほど親しい仲なのだろうか。しかしその割には二人のやり取りから親しみや気安さはあまり窺えないが……。

 戻ってきた小鳥居は、度数の高さと安さが売りの缶チューハイを複数本、両腕に抱えていた。無表情ながら、心なしかほくほく顔のようにも見える。

 嫌な予感が脳裏をよぎった。まかさこの合法ロリ、酒カスじゃないだろうな、と。

 半ば祈るような気持ちで、

 

「まさか希に無断で始め──」

 

 たりはしないよな、と言おうとした時には、すでに小鳥居はカシュッとタブを起こしていた。

 おい(↑)おい(↓)案の定かよ、と呆然とする俺など気にも留めずに小鳥居は、流れるようなこなれた仕草で安酒をその小さな口に運んだ。

 

「ごくごくごく──」

 

 流石にストロング系缶チューハイ(ロング)を一気飲みにはしないよな、と戦慄して冷や汗を流す俺にも小鳥居は無慈悲だった。

 

「──ごくごくごくごくごくっ……」

 

 嚥下のたびに色っぽくも無防備に蠕動(ぜんどう)していた小鳥居の喉が動きをやめ、時が止まったかのような刹那の空白の後、彼女は天を仰がんばかりに傾けていた缶を、タンッ! と勢い良くローテーブルに叩きつけ、

 

「くぁぁあっ!──」大衆居酒屋で仕事の疲れと家庭のストレスを癒やすお父さんたちのように満足げな息を吐き、「効っくぅぅっ!」などと雄叫びめいた。

 

 げぷっ──無論、ゲップも忘れない。

 

 もはやダウナー系合法ロリアイドルの面影はない。

 小鳥居はすかさず二缶目に手を掛けた──馬鹿なっ、(飲むペースが)速すぎるっ。明らかにアル中のそれである。

 アイドル界隈を牽引するOverdollsの総選挙不動の一位がセックス依存で、二位がアルコール依存──ドールズ終わってんな、と俺も飲みたくなってきたところで、ようやく十六夜が帰還した。

 

「あーっ!!」彼女は人差し指を向けて咎めるような声を上げた。「奈瑞菜ちゃん、あかんて!」

 

 たたたと小鳥居に駆け寄った十六夜は、

 

「奈瑞菜ちゃん、酒飲んだら訳わからんくなるやろ!」

 

 盗人から缶チューハイを取り上げようとする。

 が、言われて素直に渡していたらアル中が廃る、とばかりに小鳥居は、ローテーブルの上に並べた缶チューハイを掻き寄せて抱き隠した。

 

「嫌っ! やめてっ! もう我慢の限界なのよ! 社長もマネも医者もみんな断酒しろ断酒しろって、できるわけない! あれも我慢しろこれも我慢しろ──そんなの無理! でもアイドルは辞めるな──じゃあどうすればいいのよ?! お酒くらい許してよ! わたしにはこれしかないんだから! それとも、希、あなた、わたしに死ねっていうの? どうしてそんなひどいこと言うの? 昔あなたがヘラってキモくなってた時に一肌脱いであげたでしょ?! その恩を忘れたの?! 今こそその借りを返す時でしょ!? 絶対に飲むから!! 飲むったら飲む!!」

 

 子供を守ろうとする親のような必死さが(ほとばし)っているが、やり口は子供の駄々と大差ない。しまいには、おいおいと泣き出してしまった。

 さてはこやつ、泣き上戸じゃな?

 

 と思っていたら十六夜が、「油断したらあかんで」とたしなめてきた。「奈瑞菜ちゃんの酒癖は七変化や。あと数回は豹変を残しとる」

 

「ラスボスみたいでカッコいいと思わせて、実際はただのクソ迷惑」

 

 それはそれとして、どうすんのこれ? と十六夜に顔を向けると、彼女は、「しゃーないな」と諦念をにじませて俺のすぐ隣に腰を落ち着けた。

 

「奈瑞菜ちゃん」十六夜は幾分か優しい声で呼びかけた。「わかったから、飲んでええから、もうちょいゆっくり飲んでや」

 

 するとどうしたことか、小鳥居は涙をすんと引っ込めたではないか。

 そして、何事もなかったかのような澄まし顔で、

 

「では、あなたたちのふしだらな関係について聞かせてちょうだい」

 

 と宣いやがった。

 すなわち、迫真の嘘泣きっ……!

 流石はアイドルといったところか。そこらの女とはウザさのレベルが違う。

 のみならず、

 

「あ、その前におつまみをお願い。できれば鮪のお刺身がいいけれど、ないならキムチかポテチでもいいわ。あと、一味と黒胡椒もね」

 

 面の皮の厚さもマントル並み!

 

「「ちっ」」

 

 俺と十六夜の舌打ちがきれいに重なったのは、あるいは必然か。

 

 

 

 

 

 

 ローテーブルに黒胡椒味のポテチとチーズ味のスナック菓子、俺用のコーラが用意されると小鳥居は、何の断りもなく一味と黒胡椒をポテチに振り掛けた。円柱形の容器を小さな手にしっかりと握ってそれぞれ二十回ずつくらい勢いよく上下にピストンさせていた。

 元々ピリ辛だったポテチは、香り豊かな粉末をぶっかけられ、ピリピリピリピリ辛くらいになってしまった。

 サイレント唐揚げレモンとかそういう生易しいレベルじゃねぇなぁ、とあきれつつ俺はポテチを諦めてチーズスナックに手を伸ばしたが、小鳥居はもちろん、十六夜まで平気な顔でポテチ、もといポテチだったものを()んでいる。

 ポテチだったものを安酒で流し込むと小鳥居は、ようやく本題に入った。

 

「さっきは友達と言っていたけれど、それは本当? とてもそうは見えないのだけれど」

 

 女二人の味覚に内心でドン引きしている俺と、横座りで俺に寄り添いながらちびちびと(さかずき)を傾けている十六夜を交互に見やって観察しながらの問いかけだった。

 

「ほんまやで」十六夜は甘めの缶チューハイを口元に持ったまま答えると、上目遣いを横に流すようにして俺の顔を見た。「あたしら、友達やもんな?」

 

「まぁそうだな」俺は曖昧に首肯した。

 

「肉体関係もないと? その感じで?」非常に胡乱そうな目つきの小鳥居は、等分に聞いてくる。

 

「ないよ」「ないで」俺たちは揃って肯定を口にした。

 

 悩ましげに眉をひそめた小鳥居は、ぐびっとアルコールを補充すると、真剣な面持ちになり、今度は十六夜に聞く。

 

「織笠君にはどこまで話したの?」

 

 過去のことやセクシャルなことについて言っているのだろう。

 

「全部話したで」

 

 十六夜は何でもないことのように軽く言い、あれもこれも、と、この前の身の上話の時に話した事柄を具体的に説明した。

 

 そう、信用しているのね、とささやくように答えて小鳥居は、ふぅ、と見た目にそぐわぬ艶っぽい吐息を洩らした。

 

「困ったわね。白とも黒とも判断しかねるわ」

 

「何でや?!」十六夜は、その反応こそが信じられないと言わんばかりに激しく突っ込んだ。「えっちしてへんのやで?! どっからどう見ても清く正しい健全な友情やろ!?」

 

 小鳥居はあきれた目になった。「たしかに友達であることを否定する決定的な証拠はない。けど、今のあなたたちを見た人は、例外なく、恋人同士だと言うでしょうね」

 

 んなアホな、と意外そうに零した十六夜に、阿呆なのはあなたよ、と小鳥居は冷徹に切り返した。

 

「普通の女は、彼氏でもない男にそんなふうにしなだれかからないし、お菓子を口に運んであげたりもしないし、小悪魔微笑で『あ~ん』圧を掛けて口を開けさせたりもしないし、口元についた欠片を取ってあげて食べたりもしないわ」

 

 な、何だってーー?!

 というように驚きの色を浮かべた十六夜は、そうなん? と俺に目で問う。

 ので、うなずいてやる。と、

 

「マジか……友達おらんからわかれへんかった」十六夜は呆然とつぶやくように言い、「男はみんな色恋目当てやったから、ちゃんとした男友達はゆうくんが初めてで」と言い訳めいた。

 

「で、普通の距離感を知った希は、ベタベタするのをやめられるの?」

 

 肯定を期待しているふうでもなく聞いて小鳥居は、チューハイを(あお)った。これで三缶目である。

 

「無理に決まっとるやろ」十六夜は俺に抱きつき、そのまま答える。「ゆうくんがおれへんくなったら、あたしはどうやって生きてけばええんや? こうやって定期的にぎゅうせんと死んでまうんや。奈瑞菜ちゃんにとっての酒と一緒や」

 

「それを言われると弱いけど」そして四缶目に口をつけると、「仮に友達だったとして、でも織笠君は高二なのよね?──うん、そうよね。それだと、希の距離感で来られると、そんな気がなくてもつい手を出してしまうこともあるんじゃないの。そうなってしまっても、あなたたちは友達のままでいられるの?」

 

「それは心配せんでええ」十六夜は自信満々に断言した。「ゆうくんには義妹ちゃんしか見えとらん。その子一筋なんや。多少ムラムラすることはあっても実行に移すことはあらへん」

 

「イモウト?」

 

 小鳥居は説明を求めるように俺に目を向けた。

 

「義理の妹だよ。昔、いろいろあったんだ」とだけ答えた。

 

 小鳥居は考えるように一度眉間にしわを寄せると、「そう」と言った。「未練たらたらなのね」

 

「せや!」十六夜は、我が意を得たりとばかりに勢い込んでうなずいた。「ゆうくんは未練たらたらチェリーボーイなんや! 諦める思い切りも浮気する度胸もないから、あたしにくっつかれてムラついてもおっぱいの一つも揉めない情けない童貞君なんや! うちに帰ってから思い出シコシコするのが関の山! せやから間違いは起きへん! 安心せぇや!」

 

「……」俺は無言でコーラを飲んだ。

 

 一度わからせてやろうか、と思わないでもない。

 しかし、これは巧妙な罠である。一度でもこの落とし穴にハメる、もとい嵌められると十六夜の依存心と執着心は青天井にぶち上がり、生活を破綻させられるのは確定的に明らか。メンヘラの安っぽい挑発にはけっして乗ってはいけないのだ。

 本心を量るようにじっと俺を見据えていた小鳥居だったが、ふっと緊張を解いた。

 

「……たしかに童貞らしい顔つきをしている。プライドも高そうで、処女以外は受け付けなそうでもある」

 

 小鳥居奈瑞菜、お前もか。

 

「せやろ? 見てのとおり、ゆうくんは奈瑞菜ちゃん推しの人らと同類や。本物のロリをオカズにする度胸も経験豊富な年下のお姉様方に笑われる覚悟もないから、二十三歳のロリ(笑)の偶像で妥協するふにゃちん野郎どもの穴兄弟みたいなもんなんや」

 

 十六夜も十六夜でひどすぎる言い草である。

 

「わかったわ」やがて小鳥居は引き下がるように言った。「あなたたちのことを友達と認めて、事務所には黙っててあげる」

 

 俺は胸を撫で下ろしたし、十六夜も、

 

「流石奈瑞菜ちゃんや! ようわかっとる!」

 

 と膝を打って喜色を弾ませた。

 が、そう簡単にはいかないのが世の常で、

 

「ただし、条件がある」

 

 小鳥居は、酔いが回ってきたのか、赤く上気させた頬を妖しく歪めて言った。

 

「織笠君がわたしの誘惑に朝まで耐え切ること──それができたら織笠君の類い稀なるヘタレ童貞力を認めてあげるわ」

 

「な、何やてー!?」

 

 十六夜の驚愕の叫びが、初夏の夜に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

「何でそうなるんや?! おかしいやろ!!」

 

 珍しくまともなことを言う十六夜をあっけなく無視して小鳥居は、やおら立ち上がった。ホットパンツから伸びる細い脚が、しかし妙な色気を放っている。

 すたすたと俺の左横に来て腰を下ろした小鳥居は、もたれてくる。横座りで、ちょうど十六夜と対称になる格好だ。火照った華奢な体が、異様に熱く感じる。

 あわ、あわわわわわ、というように動揺している十六夜に挑発的な一瞥をくれると小鳥居は、胡坐をかいた俺の腿に手を置いた。明らかに科を作ったくねくねした手つきでゆっくりと撫でさすりながら、ふふ、と妖艶にほほえんだ。

 

「ここに来る前からわたしのお尻とか胸、こっそり見てたよね。ちゃんと気づいてるんだから」

 

 そして俺の股ぐらを熱っぽい視線でねっとりと舐め上げてから、

 

「我慢しなくていいよ。難しいことは考えなくていい。義妹さんとの本番のための練習と思ってくれても構わない。今夜だけ特別。裕也君がしたいこと、したいようにしていいよ。何でも許してあげる」

 

 中学生みたいな女の口から出たとは思えない、場末の夜職感溢れる台詞に、一周回って逆にたまんねぇなぁ(?)と俺は思ったのだが、十六夜のほうはたまらずといった様子で口を挟んできた。

 

「ええわけないやろっ!! あたしのゆうくんに何さらしてくれとんねんっ!? ベタベタすなっ!!」

 

 そう喚いて小鳥居のやらしい手首をぐいと掴んで払いのけると、玩具を取られまいとする幼稚園児のように俺にしがみついて抱きすくめた。

 そんな十六夜を、へー、とおもしろそうに見ていた小鳥居は、ふと気づいたようにぽつりと言った。

 

「暑いわね」

 

 そして、躊躇もなくトップスを脱いでしまったではないか。小鳥居の控えめ、というより、控えた(?)乳房(ブラ)が露になる。

 

「つ、ついに第二形態に入ってもた!」十六夜がバトル漫画の解説役のように戦慄の声を上げた。「奈瑞菜ちゃんは酔いが深まってくると、所構わず全裸になるんや! 付いたあだ名は(ちゃく)なしアイドル! ドールズの飲む十八禁! 歩く十八禁と謳われるあたしと双璧を成す圧倒的変態や!!」

 

 十六夜が騒いでいるうちに小鳥居はホットパンツまで取り払っていた。下着は上下とも、見てくれの幼さとは対照的に大人っぽい黒のレース生地のものだった。

 

「何でそない気合いの入った下着着けとんねん?!」十六夜は律儀に突っ込んだ。「さては、ここに来る前に男と会うてたな?!」

 

「こらこら」小鳥居は靴下を脱ぎながら、余裕のある口調でたしなめる。「これからって時にほかの男のことを話すのはやめなさい。童貞郡は繊細なんだから、ご立派様が使い物にならなくなったらどう責任を取ってくれるの?」

 

「使い物って何やねん?! 奈瑞菜ちゃんちゃっかり楽しもうとしとるやろ?! あたしは禁止されとるのに自分だけ!! そんなんズルやん!!」

 

「ずるいことなんて何もないわ」小鳥居は悪びれる様子もなく答えると、ブラをぽいっと放り投げた。その尖りは鮮やかな桜色で、俺は、ほぅ、と感嘆の吐息を洩らして顎をさすった。「さんざんやらかしてきたあなたが悪いのよ。自業自得ね」

 

「乳まる出しで正論言われたないわっ!!」

 

 十六夜も負けじと正論カウンターをお見舞いし、ふんすっ! と鼻息荒く、苛立ちを紛らわすように缶チューハイを一息に飲み干した。

 

「あ」と俺は声を零した。「それ、小鳥居の」

 

 十六夜の度数の低いやつではなく、小鳥居のストロング系のやつと取り違えたのだ。

 

「ぅい~?」十六夜は手元の缶に目を落とし、あちゃー、というように頬の片方を歪ませた。「奈瑞菜ちゃんと間接チューしてもうた」

 

「チューハイだけに?」つい、合いの手を入れてしまった。

 

 いつもならキレのあるツッコミが返ってくるところだが、そうとう酔いが回っているのか、ふにゃふにゃした呂律で返ってきた。

 

「ゆうくんの打てば響くやかましい感じ好きー」

 

「希にだけは言われなくない」

 

 十六夜は軟体動物めいて俺に垂れてきて、腿に頭を乗せた。仰向けになると、「えへへ」と、しどけなく笑った。「ゆうくんの膝枕も大好きー」

 

 やはりかなりでき上がっているようだ。しかし、十六夜のアルコール許容量はまだ超えていないはずだが、今日は体調が優れなかったのだろうか。そうは見えなかったが。

 

「大丈夫か?」汗ばんだ額に張りついた髪を横に流してやりながら、俺は尋ねた。

 

「らーいじょーぶ。あたしどんらけ飲んでも寝れば治るからー」

 

 ずいぶんと便利な肝臓をしているな、と思いつつ、何とはなしに十六夜の頭を撫でつつ、小鳥居に顔を向けると、片足に重心を偏らせて立ち、顎に手を当ててインテリぶって思案する、しかし一糸まとわぬ姿の恐ろしく淫猥な少女(二十三)がそこにいた。グラビア撮影のためか、遊びやすいようにか、恥じらいの丘は無の境地である。

 

「妙ね……」全裸の変態は、真面目な顔で、ふと、名探偵みたいなことをつぶやいた。「希はこんなに弱くないわ」

 

「小鳥居もそう思うか?」相手は露出狂のアル中偽少女だが、シリアスな雰囲気に合わせてしかつめらしく俺は尋ねた。

 

「ええ」小鳥居はうなずくと、「何か心当たりはない? いつもと違ったこととか」と本当に探偵のようなことを言う。

 

 その象牙色の肌を眺めつつ記憶を確かめる。

 そうして思い当たったことを吟味もせずに口にする。

 

「いつもより抱きしめる力が強かったかな」

 

「ふむ」小鳥居はローテーブルに腰を下ろし、脚を組んだ。「普段より人恋しかったということかしら」

 

 かもな、と応じて俺は、もう一つの気になったことも提示する。

 

「あとは、トイレ」

 

「トイレ?」小鳥居はかすかに小首をかしげた。

 

「ああ。最初にトイレに行った時、少しだけ時間が掛かってなかったか?」

 

 帯に短し襷に長し、ならぬ、大に短し小に長し、である。そのおかげで小鳥居の犯行(酒泥棒)が成功したと言える。

 

「なるほど、そういうことね。謎はすべて解けたわ」

 

 小鳥居はおもむろに十六夜に歩み寄り、彼女のベルトに手を掛けた。

 十六夜は、いつの間にかスヤスヤと眠っていて、されるがままだ。

 小鳥居はベルトを緩め、何の逡巡もなくデニムをずり下ろした。

 

「えぇ……」とドン引きする俺の目に飛び込んできた光景──下着は、はきこみ丈が長く、つまり下腹部をカバーする範囲が広く、何よりデザインが比較的に地味。そこら辺に転がっている派手なショーツに鑑みるに、明らかに十六夜の趣味ではない。「これって……」

 

「ええ、生理用ショーツね」

 

 つまり、生理中のホルモンバランスの変動によりいつも以上に情緒不安定になり寂しさが増大していた、と。

 

 小鳥居は神妙な面持ちでうなずくと、解説する。

 

「トイレが微妙に長かったのは経血を出し切ろうとしていたことに加えてナプキンを換えていたからで、いつもより少ない量で酔い潰れてしまったのも血液の減少により血中アルコール濃度が増していたからだった」

 

 以上、全裸探偵のシモ推理の時間でした。

 小鳥居は、謎が解けて満足したからか、武士の情けか、十六夜のデニムを上げた。

 

「寝室に運んでやるか」

 

 俺は提案とも独り言とも取れる曖昧なニュアンスで言うと、十六夜をお姫様抱っこで持ち上げた。

 小鳥居にドアを開けてもらい、十六夜をベッドに寝かしてタオルケットを掛けてやると、二人してリビングに戻った。

 と、小鳥居が俺の背中に抱きついてきた。

 

「やっと二人きりになれた」小鳥居は甘く言う。「わたし、もう限界。裕也君ので早く鎮めて?」

 

「普通に嫌だけど」

 

「どうして」

 

「どうしても何も、ヤる理由がないじゃん」

 

「……」小鳥居は脱力したように手を下ろした。無言のまま俺の正面に回ってこれ見よがしに大きな溜め息をつき、「そこに座りなさい」と厳しい口調でローテーブル横のクッション座布団を指差した。

 

 何だ何だ、と訝りながらも言われたとおりに胡座をかくと、

 

「正座!」と鋭く飛んできた。

 

「はぁ、まぁいいけど」

 

 正座になると、小鳥居は俺と向かい合うようにローテーブルに腰掛けた。彼女がすっと脚を組むと、その足先が俺の腿の上に漂う。

 視界の肌色率がすごいことになっている。しかし、小鳥居の顔は不機嫌が張りついていて、艶っぽいニュアンスは読み取れない。

 説教でも始まりそうな雰囲気だな、と思っていたら、

 

「あなたねぇ、その気になっている女が誘っているのに、何なのその態度? 立派なのは股関のブツだけで、まるで腑抜けじゃない。男として恥ずかしいと思わないの?」

 

 本当に始まってしまった。そういえば、小鳥居の酒癖は七変化だったか。

 

「聞いてるの?!」小鳥居は、組んだ上の脚で俺のみぞおちを軽くどついた。

 

「聞いてるよ。据え膳食わぬは男の恥とかそういう話だろ?」

 

「そうよ」小鳥居は不貞腐れたように言った。

 

「悪いが、俺は毒の処理の甘い河豚汁(ふぐじる)は食わない主義なんだよ」

 

「わたしのどこに毒があるっていうのよ」やはり不貞腐れている。

 

 俺は小鳥居の裸体を上から下まで視線で舐め回し、満更でもなさそうにもじついた彼女に言った。

 

「肝臓とか」

 

 再び足先がみぞおちに突き刺さった。

 小鳥居はやれやれとばかりに溜め息をついた。

 

「そんなんだから高二にもなって童貞なのよ。あなた、そうやって二の足を踏んでいると、いつまで経っても女の子とできないわよ」

 

「はぁ、そうすか」

 

「だいたいねぇ、体のほうは盛んに盛ってるのに、どうしてそうも白けた顔でいられるの? 心身ねじれ国会なの? 睾丸の出席精子の三分の二以上で可決すればいいだけでしょ。こんなときのための下半身の優越なのに、何をためらってるのよ。ちゃんと女の子と政治に興味持ってる? あと三年もすれば投票権が与えられる、そこのところちゃんと理解してる? 歴代の内閣総理大臣全員言える?──別に言わなくてもいいからっ! そういうとこよ、まったく! 童貞はこれだから童貞なのよ。いい加減卒業しなさい。普通の人間は童貞を極めても魔法は使えないし、文豪にもなれないのよ? 童貞は何年経とうと童貞でしかないの。選挙といえば、この前ねぇ──」

 

 その後もジャンルを選ばない無差別級のマシンガン説教(?)がくどくどと続く。

 いくらクッション座布団があるとはいえ、慣れない正座は心地よいものではない。

 サイドボードの上の時計を横目に見れば、とっくに日を跨いでいた──そろそろ終わってくれないかな。

 

「──また聞いてない!」

 

 小鳥居は怒り心頭で声を荒らげると、背後で手を突いて体を支えながら両足で俺の顔をガッと挟んで固定した。最も隠すべきところがすっかり見えてしまっている。

 

「ちゃんとまっすぐにわたしを見てなさい!」

 

「……」

 

「返事は?!」

 

「はぁ」と、これは溜め息である。

 

「何よその態度っ!! 全然反省してないでしょっ!?」

 

 二十歳そこそこの小娘だと思って大目に見ていたが、流石に苛立ちを覚える。

 

「そんなに抱いてほしいか」

 

 突然、低い声をぶつけられたからだろう、小鳥居はおびえるようにびくっとした。

 

「な、何よ、急に、雄らしい声出して……」

 

「質問に答えろ」

 

 小鳥居の膝がゆるゆると閉じられた。

 

「駄目よ、そんな……わたしそういう怖い感じに弱いのよ……」

 

 もじもじしていて答えない。

 ちっ──思わず舌を打った。

 

「五秒以内にうなずいたら、おノゾミのものをぶち込んでやる」そして俺はカウントを開始した。「五、四、三、二──」

 

「……欲しいです」

 

「はっきり言え!」

 

「裕也様の逞しいおちんぽが欲しいですっ!! 強引にっ! 乱暴にっ! 自分勝手に犯してくださいっ!!」

 

 

 

 

 

 

 とは言ったものの、実際に抱くつもりはない。

 最初に提示された条件、〈俺が朝まで小鳥居の誘惑に耐えること〉を満たせなくなるのも困るし、万が一こんな訳わからん女に入れ込まれたら持て余してしまうだろう。

 では、どうするか。

 朝までセックスしてはならない。しかし、セックスしないと小鳥居の説教は続き、俺の膝は悲鳴を上げる。

 どうやってこの閉塞したシチュエーションを切り抜けるか。

 一見、無理難題、八方塞がりに思えるが、灯台下暗し、答えはすぐ近くにあった。ようやく俺はそれに気づいた。

 ──そう、彼にお願いすればいいのだ。

 

「え……」

 

 小鳥居は、俺がおもむろにロビン君(バイブ機能付き極太ディルド)を手に取るのを見て、唖然とした声を洩らした。話が違う、と言いたげであるが、知ったことか、である。未成年(三十四)に性交を強要しようとする悪い子(二十三)にはこれで十分だろう。気分はわからせおじさんだ。

 

「言っておくが」俺は、溜まりに溜まったフラストレーションを笑顔に変えて通告した。「イかせてもらえるなんて思うなよ。お前には朝まで生殺し(すんどめ)地獄を味わわせてやる──酒カスの分際で文句なんかねぇよなぁ?」

 

 小鳥居は、たまらなそうにぶるるっと身震いすると、全年齢版アイドルとは思えぬ淫らにとろけ切った顔で答えた。

 

「はいっ、もちろんでございますっ、裕也様っ……♡♡♡」

 

「……???」

 

 何か思ってた反応とだいぶん違うんだが?

 オラついた感じは怖くて苦手なんじゃないのか?

 

 

 

 

 

 

 そうして俺は夜を乗り切ったわけだが、朝になってのっそりと起きてきた十六夜に、ぐったりとした小鳥居とねっとりとしたロビン君を任せて、そそくさと登校した。

 すると、昼休みになったところで小鳥居からメールが来た。

 

『昨日はすっごく良かったよ♡ 今度は最初から二人きりで飲もうね♡(義妹さんにも希にも内緒でね♡)』

 

『絶対無理』

 

 俺はそれだけ返し、成績優秀な優等生らしく携帯の電源を落とした。

 大丈夫、小鳥居には実家も職場も学校も教えていないのだから、と自分に言い聞かせながら。

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