アン×アンハッピーマリッジ   作:虫野律

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 ヤりたい盛りの男子高校生が、攻略済みおっぱい美少女(性欲お化け)と同じ屋根の下で夏休みを過ごす──こう述べると、昼も夜もなく求め合う爛れた生活まっしぐらかと思うかもしれない。学校の担任教師に知られたら、成績悪化を危惧して釘を刺してくる可能性さえある。

 だが、そうはならない。

 なぜなら、精神は三十四歳だから。欲望に流されたりはしないのだ。

 

 ──コンコンコン。

 

 ドアを叩く音がして、

 

「裕也さん、入っても大丈夫ですか」

 

 愛理の声が続いた。

 時刻は夜の十一時きっちり、約束どおりの時間だ。

 愛理を招き入れる。

 静かに入室した彼女は、透け感のある藍色のベビードールに身を包んでおり、ドアを閉めると、ベッドに座る俺の隣に腰を下ろした。

 

「裕也さん……」

 

 俺を見つめる愛理の頬は赤く染まり、瞳は潤んでいた。約束の時間まで期待を膨らませて高まっていたのだろう。その美しい唇は物欲しそうに薄く開き、熱っぽく湿った吐息が洩れる。

 その想いに応えて口づけをくれると、愛理は、んっ、と切なげに喉を震わせた。

 啄むような軽く緩いキスを何度か交わし、愛理がじれたところで口内に舌を挿入した。

 先ほどよりも高く甘い声が愛理の唇の端から零れ、柔らかな舌が、貪るような勢いで絡みついてきた。

 とろけるようなディープキス。

 そうして舌を交じらわらせつつ、俺の右手は愛理のすべらかな腿に触れ、ゆるゆると撫でさする。

 と、それに合わせて、喘ぐような吐息が聞こえる。

 愛理も負けじと俺の体、その最も敏感な部分を優しくも淫らな手つきで挑発する。

 俺はしかし、じらすように決定的な部分は避け、手のひらを這わして火照った体を愛撫しながら、時折唇を離して蜜語をささやく。

 そうやって愛理の情欲を弄んでいると、ふと、彼女の唇が逃げた。

 至近距離で見つめ合った彼女は、これ以上ないほどに雌の顔をしていた。

 

「意地悪しないでくださいよぅ……早く裕也さんでわたしを満たして……」

 

 俺は愛理の頭をポンポンすると、ベビードールを取り払った。あとは紐パンだけだ。

 俺も半裸になり、さらに下着をも脱ぎ捨てると、愛理の頬に手のひらを当てた。視線が絡み合い、その、愛欲に濡れた瞳に誘われるままに彼女をベッドに押し倒した。

 こうして、夏の夜は甘やかに更けてゆく……。

 ……え? 爛れた生活はしないんじゃなかったのかって?

 爛れてはいないさ。勉強なりバイトなり家事なり、やるべきことはきっちりやったうえで、空いた時間だけこうして戯れている。だから、メリハリが利いていて、むしろ健全! 圧倒的健全義兄妹! なのだ──絵面は真逆だが。

 

 

 

 

 

 

 かつてないほどに幸せそうな愛理との満ち足りた日々は瞬く間に過ぎゆき、夏休みも残すところあと数日。

 午後九時までのバイトを終えてコンビニを出た俺は、コンビニとその隣の雑居ビルの間の暗がりに、幽鬼のように音もなく佇む女を見つけ、

 

「うおっ」

 

 驚いて声を上げた。危うく心臓が止まるところだった。

 

「何やってんだよ、希。夏だからってホラー演出はしなくてもいいんだぞ?」

 

 幽鬼の正体は、死人のような顔色の十六夜であった。

 

「ゆうくん……」

 

 ふらりと足を踏み出した十六夜は、ひたひたと歩み寄ってきて、

 

「ゆうくんっ」

 

 ひしと抱きついてきた。

 

「おいおい」俺は困った。「どうしたんだよ?」

 

「ゆうくん、ごめんな、今夜はどうしても一緒にいてほしい」

 

 泣き出しそうな声でそう言った十六夜の腕が、ぎゅうと締まった。

 どうにもいつもと様子が違う。

 十六夜の細い腰に手を添えて俺は尋ねる。

 

「本当に何があったんだよ?」

 

「うん……うちでちゃんと話すから、お願いやから一人にしないで」

 

 どうあってもマンションに連れ込みたいらしい。

 俺は逡巡する。

 が、結局、奇妙なほど弱々しい十六夜を突き放すことなど俺にはできなかった。

 いつぞやの酒盛りの時と同様に友人の陸人にアリバイ工作を依頼し、十六夜のマンションに向かった。

 

 

 

 

 

 

 マンションに着いて玄関の鍵を閉めると、二人きりになって安心したのだろうか、十六夜は少し元気になった。笑顔さえ見せて、

 

「お腹すいとるやろ? たいしたもん作れへんけど、待っとってな」

 

 とカウンターキッチンに立った。食材を並べはじめた十六夜は、

 

「──あ」と何かに思い当たったような声を洩らした。「シャワー浴びたいなら浴びてええで」

 

 ただ待っているのもタイパが悪いので、お言葉に甘えて浴室を拝借した。

 雑に髪を乾かしてリビングに戻ると、程なくしてダイニングテーブルに料理が並べられた。

 長方形のスパムを乗せて海苔を巻いた大きなおにぎりを二つと、ウインナーにコーン、バターを加えた袋麺らしき塩ラーメン、そして烏龍茶らしきお茶。

 たしかにたいしたものではないし、逆行前のおっさんボディーだったら夜食でこれは少し重かっただろうが、食べ盛りの胃袋にはこれくらいジャンキーなのも悪くない。

 味は想像どおりのしょっぱこってり、だがそれがいい。

 

「おいし?」

 

 向かい側の席で両手で頬杖を突いて微笑を漂わせている十六夜が、聞いてきた。

 

「ああ、うまいよ。ありがとな」

 

 えへへ、と十六夜は笑った。「結婚したくなった?」

 

「それはない」

 

 何でや?! アイドルを嫁にするのは全男子の夢やないんか?!

 とでも、いつもならキレ良く返ってくるところだが、

 

「うん、知っとる」

 

 十六夜は微笑のまま静かに答えた。

 調子狂うな、本当にどうしてしまったんだ。

 心配が募っていく。

 とはいえ、話すと言ったのだから急かさずともいずれ話してくれるだろう、俺はあえて核心には触れずにラーメンを啜った。

 そうして、くっついてテレビを観たりテレビゲームをしたりして過ごし、夜も深まって、そろそろ寝たいな、となったころ、

 

「あたしもシャワーしてくる。先にベッドで休んどってもええけど、寝落ちしたらあかんで」

 

 と言って十六夜は席を立った。

 少し迷ったが、寝室で待つことにした。学校の制服を脱いで、Tシャツとボクサーパンツといういつもの格好で、一人で眠るには広すぎるクイーンサイズのベッドに寝転がる。

 しばらくして戻ってきた十六夜は、赤のショーツにTシャツというリラックスした格好だった。薄く白いTシャツはうっすらと透けており、彼女がノーブラであることを教えてくれた。先端がつんと上向いた、芸術品のように形のいい乳房が、彼女が動くたびに揺れる。かと思えば、大きく実った臀部、そしてそこから伸びるしなやかな脚もひどく扇情的で、目のやり場に困る。

 十六夜は俺の左隣に、こちらに正面を向けるようにして横になった。ふへ、とその顔が緩む。

 

「ゆうくんと眠れる……今夜はあたしだけのもの……ふへへへへへへへへへへへ──」

 

 至近距離でこちらをガン見してふへふへ笑いつづける女……やはりホラーである。

 

「怖いって」

 

 俺は右手で十六夜の頬っぺをつついた。たったそれだけのことなのに、彼女の笑みがうれしそうに輝いた。

 魅入られそうな愛らしい笑み。

 本当にかわいい女だな、と思うが、今日はその可憐さに翳がある。

 十六夜の頭をゆるりと撫でていると、ふっと笑みが溶けて、憂いを帯びた伏せ目がちの瞳が──あるいは素顔の彼女が──現れた。

 十六夜はおもむろに口を開いた。

 

「今日な、映画の主演が決まったんや」

 

「へぇ、すごいじゃん」たぶん観には行かないが、「どんな映画なんだ?」

 

「少女漫画原作の恋愛もの。田舎から上京してきたふわふわした天然の女の子が、ひょんなことからロックバンドのボーカルに抜擢されて、ライブしてちやほやされたり同郷のイケメンと路チューしたりファンのイケメンとえっちしたりバンドメンバーのイケメンを友達と取り合ったり、みたいな感じ」

 

 思い当たるものがあった。俺が高校三年生の時に公開された映画で、そういうものがあった。希代の天才と謳われる監督がメガホンを取り、大成功を収めた。その年を代表するヒット作だ。

 しかし、主演は十六夜ではなかった。殺害されていたのだから当然だが、主演は同じ事務所の若手アイドルだった。彼女はこの映画を足掛かりにスターダムに駆け上がっていった。アイドルとしては引退していた令和の世でも生き残って芸能界に居座っていたくらいだから、その才能と努力は本物なのだろう──俺にはほかのアイドルとの違いはよくわらなかったが。

 

「おいしい仕事なんじゃないか」

 

 深く考えずに俺は言った。ヒット作の主演など当たり中の当たりだろう、と。

 

「うん……」しかし十六夜の顔は晴れない。「あのな、今日、社長の指示でその監督と会ってきたんや」

 

「うん」それが何だというのか。

 

「ほんでな、いっぱいえっちしてきた」

 

「……ん」

 

 なるほど、枕営業か。

 俺は、泣き出しそうな十六夜の背をさする。

 

「あたし程度は股開かんとやってけへんのやって。代わりなんていくらでもおるって。干されたなかったら一生懸命愛想よくして腰振れ、いうんや」

 

 十六夜の目尻に涙が溜まっていく。そっと掬ってやるが、止めどなく溢れてきて切りがない。声もぐずぐずに乱れていく。

 

「避妊なんかしてくれへん。当たり前みたいに中に出してくるんや」

 

「病院には行ったのか」

 

 低用量ピルは合わないらしく、飲んでいなかったはずだが。

 

「薬なら、ぐすんっ、社長から貰ったの飲んだ」

 

「……そうか」

 

「うん……」

 

 十六夜は、泣き顔のままぎこちなく笑った。

 

「その監督、ええ年したおっさんなんやけど、おかしいんやで。アホみたいに早漏のくせに、全然気持ち良くない、そんなんじゃ駄目だ、言うて何回もやらそうとするんや。ふにゃふにゃで上手く入らないと、お前がブスだから勃たねぇって言って中を爪で抉ってきてな、そんなんされたら痛くて上手に喘げるわけないやろ。血も出てくるし、ほしたら、ビッチのくせに処女みたいだなって笑ってちっこいちんちんギンギンにさせとるんや。キモすぎやろ。ほんで入れたら入れたですぐお漏らしするんや、ほんまカスやで。どや顔で希も気持ち良かっただろって。アホか。あそこまでいくと清々しいわ。清々しいゴミカスや。笑うのこらえんの大変やったわぁ」

 

 でもな、と十六夜は少し声を落ち着かす。

 

「あのおっさんはほんまもんの天才や。あいつが監督したら、みんなが満足するもんができるのは間違いあらへん。原作ファン、ドールズファン、邦画ファン──どの要望にも完璧に応えてくれるはずや」

 

 やからよかったんや、と十六夜は声に諦念をにじませた。自分に言い聞かせるようでもあった。

 

「……」

 

 こういうときに掛けるべき言葉を、残念ながら俺は知らない。頭を撫でて無言の間を誤魔化しつつ、慰めの言葉を探すが、どれも薄っぺらく感じてしまう。

 というより、ずいぶんと虫のいい思考回路をしているな、とあきれている自分が、安易な慰めをためらわせていた。

 女性アイドルとは、男の性欲につけ込んで搾取する職業だ。さんざん男の性欲を利用しておいて、いざ自分に不都合なことが起きたときだけ被害者面するというのはアンフェアがすぎる。好ましい態度ではない。利益を望むのならそれに伴う不利益をも飲み込んでしかるべきだ。それが自ら選択した者が負わなければならない責任だ。

 だが、と思う自分もいる。

 理屈ではないところで十六夜の涙に耐えがたい痛みを覚えてもいた。仲間(おっさん)には甘い俺だが、十六夜を泣かせた男には殺意さえ抱いている。

 この二律背反を疎ましく思いつつ、どこかで好ましくも感じている自分に少しだけ戸惑い、大いにあきれる。我ながら難儀なものだな、と。

 

「むぅ」十六夜は唐突に頬を膨らませた。非常にあざとい表情だ。「何で優しい言葉の一つもくれへんのや? 将来を固く誓い合った女がレイプ紛いのことされたんやで」

 

「隙あらば捏造したろ、の精神やめろ」

 

「どうせ、希はセックス依存のクソビッチなんだから別にいいだろ、とか思うとるんやろ? ゆうくんも割と鬼畜外道やからな、今夜はよく眠れるじゃん、よかったな、ぐらいに思っとって、あたしが寝たら愛おしい義妹ちゃんの待つ我が家に帰ろうとか企てとるんやろ?」

 

 十六夜は仰向けの俺に寄り、脚を被せて全身で抱きすくめてきた。

 

「そうはさせんからな! あたしやて、好きな人としかしたないんやで? ちゃんと傷ついとるんや。今夜ぐらいはほんまに好きな男と一緒にいさせてや」

 

 無意識にだろうが、十六夜の太腿が俺の陰部に押しつけられていて、劣情がうずいてしまう。

 向かい合うように寝返ってさりげなくその太腿から逃れ、

 

「わかってるよ」

 

 と抱きしめ返してやる。

 しかし、そうすると十六夜の体に触れる範囲が増えて、かえって心臓が高鳴ってしまう。

 あんな話を聞いたばかりだというのに、高校生の肉欲は暴れ馬のようで御しがたい。

 十六夜の柔らかそうな唇が開いた。

 

「ごめんな、こんなんやと興奮してもうて寝れへんよね」

 

「いや、普通に寝れるが」

 

 睡眠コントロール力は鍛えている。枕が変わろうが美女が誘惑してこようが勃起していようが一切関係ない。三分あれば余裕で夢の国である。

 が、十六夜は優しげにほほえんで、

 

「強がらんでええよ。ゆうくんなら大丈夫やから。ゆうくんなら何されても嫌やないから」

 

「……」

 

 ヤりたいかヤりたくないかでいえば、そりゃあヤりたいさ。

 十六夜は今度はからかいの笑みを見せた。

 

「どうせまだ童貞なんやろ? 義妹ちゃんのこと大切やもんな? ほんで慎重になっとるんやろ? お姉さんはぜーんぶわかっとるんやで?」

 

 たしかに逆行前の時は付き合ってから二箇月経つまで手を出さなかった。キスですら一箇月掛けた。

 が、逆行後は元サヤしたその日に最後までいった。

 ので、

 

「いや、普通にヤってるが」

 

 と反論した。

 

 しかし十六夜は、「見栄張らんでええから。そういうのはカッコ悪ないんやで」と大人の余裕めいて取り合わない。

 

「……」駄目だこいつ、自分の見たいものしか見えてねぇや、と俺は諦めた。

 

 駄目なこいつは、ふふ、と官能的な微笑を洩らすと、その艶かしい脚を絡めてきた。

 

「いざ義妹ちゃんとするって時にモタモタしとったらダサいやろ? あたしでリハーサルしたほうがええやん? したら、みんな幸せや」

 

「……」

 

「ゆうくんやて、ほんまはしたいんやろ? おちんちんカチカチになっとるもんな──えへ、ゆうくんのすっごくおっきいね。あのゴミカスとは大違いや」

 

「……」

 

 眉をひそめて答えない俺など目に入っていないかのように十六夜は、まくし立てる。

 

「何も気にせんと、あたしで気持ち良く童貞捨てたってや。えへへ、ほんまはあかんけど、ゆうくんだけ特別や、ドールズの十六夜希で童貞捨てたって友達に自慢してもええで」

 

「……いや」

 

「あ、わかった! 引っ掻かれて血出たって話を気にしとるやんな? ゆうくんのおっきいの入れてもたら傷が裂けてまうって心配しとんのやろ?」

 

「それもそうだが──」それよりも。

 

「えへへ、ゆうくん優しいな。大好き」十六夜は俺の首に頬を擦りつけてなつき、喉の近くに、ちゅっとかすかに触れるだけのキスをした。くすぐったい。「でも、大丈夫やで。むしろ裂けてもうたほうがええ。あんなゴミカスに付けられた傷、早く消したいんや。ゆうくんので裂いてくれたら、一瞬で上塗りされてなくなるやん? むしろゆうくんに付けてもらった傷はうれしいくらいや。やから心配はいらん」

 

「悪いけど、できない」

 

「何でや?」十六夜の声に悲痛な響きがまじる。「何でしてくれへんの? やっぱりあたしみたいのは汚い、思うてるん?」

 

 俺は十六夜を抱きしめた。

 

「希はきれいだよ。出会ったあの時からずっと、どんな時も、もちろん今だって」

 

「なら、えっちして。キモくないならできるはずやろ」

 

「でも、希のそれは自傷行為だろ?」

 

「……」今度は十六夜が口をつぐんだ。

 

「ごめんな、希が大切だからそれはできない」

 

「……」「……」

 

 居たたまれない沈黙があって、突然、十六夜が鼻を啜った。

 

「すんっ、何やそれっ、カッコつけすぎやろっ」涙声だ。「ほんなふうにされたら、ひっく、もう無理やんっ、ああもうっ、ほんましんどいわぁ」

 

 十六夜は俺の胸元に顔をうずめてさめざめと泣き出した。声を上げずに泣く彼女は、初めてだった。

 俺は、十六夜を落ち着けるようにその背中を優しく撫でさする。

 啜り泣く痛ましい声を聞きながら、俺の意識は思案に沈んでいく。

 十六夜の事務所のことだ。おそらく今回のような枕営業は日常茶飯事。芸能界だけにとどまらずメディアや警察へも貢ぎ物としてタレントが贈られているのだろう。そう考えると、十六夜の事件をねじ曲げられるほどの異常な蜜月関係の説得力も増す。

 何とかしたいな、と思いはじめていた。

 方法を考えているのではない。何とかする方法ならある。だからこれは、俺の矜持の、より気取った言い方をすれば美学の問題だ。

 解決方法はシンプルだ。チートを解放すればいい。

 フェアプレイへのこだわりを諦め、未来知識と実務経験を駆使して投資──厳密には投機──で荒稼ぎし、十六夜の事務所を買収する。そして、俺の指示で枕をやめさせる。

 元手は、十六夜に頼めばいいだろう。俺が頼み込めば彼女なら断り切れないはずだ。そういう関係性は築いている。最悪、俺の学費用の貯金を使うことにして、十六夜には口座だけ貸してもらう形でもいい。

 強引なやり方で構造レベルで変えようとしたら、反発もあるだろうが、莫大な資金があればやりようはいくらでもある。上澄み中の上澄み、人類最高クラスの有能たちに、勝ち切れないまでも食らいついて生き残っていた俺にならできるという自負もある。

 かわいそうなのは枕営業の恩恵を必要とするタレントたちだが、悪いが俺は自分と自分の大切な人のためなら躊躇なく人を蹴落とせる人間だ、彼女たちには相応に落ちぶれてもらう。

 やろうと思えば、できる。

 十六夜が枕営業をやりたくないというのなら叶えてやりたいという想いもある。

 問題は優先順位だ。自分の美学つまりは自己満足を優先させるか、守りたい人を優先させるか。

 

 ──なんてな。

 

 こんなことを考えている時点で答えは決まっているようなものだろう。悩んでいるふりをして、その実、美学を曲げるもっともらしい言い訳を探している自分が滑稽でならない。

 プライド高すぎだろ、とあきれざるを得ない。完璧主義をこじらせているのだろうな、とも思う。我ながら何とも面倒な男だ。

 

 

 

 

 

 

 どれくらいの時間が経っただろうか、気がつけば十六夜の呼吸は穏やかになっていた。泣きやんだようだ。

 

「えへへ」

 

 十六夜が、ふとふやけた笑いを零した。かと思えば、

 

「ゆうくん、ゆうくん──」

 

 俺の名を噛みしめるように繰り返しつつ、俺を押し転がして仰向けにさせ、被さるように上に這い上がってきた。これが俗に言う(?)掛け布団化現象である。

 

「なぁ、ゆうくんもあたしの名前読んでや」

 

 十六夜は胸元に密着したままねだってきた。

 ゆるゆると彼女を頭を撫でつつ、

 

「希──」

 

「えへへへへ」

 

「──重いから下りろ」

 

「アホたれ! もっとかわいがれや!」

 

「致死クラスの出血大サービスだと思うが」

 

「おかしいやろ! こんなんなっとるくせにぃ!」

 

 俺の上で半身を起こした十六夜は、女の子座りの形で跨がったままの腰を──あるいはもっと官能的な部分を──ぐいぐいと押しつけてくる。

 

「素直になれや! ほんまは──んっ」

 

 威勢の良かった十六夜の声が、どうしたことか、不意に甘やかにほどけた。しかし彼女は、刺激から逃れようとするどころか、より強く波打ちはじめたではないか。

 

「ゆうくんもシたくて──んふぅ、たまらないんやろっ……」

 

 十六夜の吐息が淫猥な熱を帯びていく。

 肉感的なリズムを刻みつづける腰。

 十六夜の口は弛緩するように開かれ、俺を見つめる潤んだ瞳はひどく物欲しげ──その可憐なはずの顔には正統派アイドルの面影などどこにもなかった。

 

「ふふ」

 

 妖しげにほほえむと十六夜は、ベッドの上で立ち上がった。

 Tシャツを脱ぎ、するするとショーツを下ろした。

 カーテンの隙間から差し込む月光に浮かび上がったその裸体は、息を呑むほど美しく、非現実的なほど淫らだった。

 女の細い指が俺の下着に掛かった。

 止めなければ、と思っても、なぜか体が動かない。世の男たちを溺れさせてきた十六夜の魔性に、とうとう俺もやられてしまったのだろうか。

 それが露になると、十六夜は再び股を開いて俺の上を占有した。

 

「ゆうくんは楽にしててええよ。初めてやからあんまわからへんやろ? あたしが全部したげるから、気持ちいいのにだけ集中してて──」

 

 拒む言葉は、しかし十六夜の唇に塞がれて阻まれてしまった。

 十六夜の舌が深く入り込でくる。反射的に応じると、彼女の鼻から艶っぽい吐息が洩れた。

 唾液の絡み合う卑猥な水音に、熱く溶け合う感触に、脳が麻痺していくようだった。

 やがて俺の頭がすっかりやられてしまったころ、十六夜は唇を解放した。

 

「入れるね」

 

 と十六夜に見つめられ、俺はうなずいてしまった。

 十六夜の口元が、目元が、淫魔のように嫌らしく歪んだ。

 そうして情欲に燃える影がまじり合う。

 淫靡な息遣いが空間を満たした。

 やがて女がひときわ高く鳴いたその瞬間、俺も限界を迎えた。

 永遠とも一瞬ともつかない至福の官能が終わると、十六夜はくたっと倒れ込んできた。包み込むようにして受け止める。

 荒い息が落ち着くと、十六夜は俺の胸元になつくともなくなつきながら蜜語を紡いだ。

 

「好きやよ、大好き──ねぇ、ゆうくんは? あたしだけなん嫌や。ちゃんと言葉にしてくれへんと安心できへん」

 

「……俺も愛し──」

 

 

 

 

 

 

 ──ハッとして目を覚ました。

 夢だ。まさか十六夜とやらかす夢を見るとは、我ながら健全な男子高校生(三十四)している。

 

「お、は、よ♡」

 

 楽しげなその声のしたほう──隣に顔を向ければ、こちら向きに横になった十六夜が、にやにや顔で俺を見つめていた。

 何だ? と訝りつつ、

 

「ああ、おはよう」

 

「いっぱい出たな?♡ そない気持ち良かった?♡」

 

「は? ……え」俺は気づいた。「うっわぁ……マジかぁ……」

 

 ボクサーパンツのベタつきに。

 

「ひひゃひゃひゃひゃっ」十六夜は、どこの魔女だよ、と突っ込みたくなる奇っ怪な笑い声を上げた。「昨日あんだけカッコつけといて、ひゃひゃ、ただ隣でくっついとっただけやのに、ひひっ、お漏らしって、ゆうくん、どんだけ童貞なん? ひひっ、お笑いのセンスありすぎやろっ、ふひゃひゃひひひっ、なぁなぁ、どんな夢見とったん? ふふはひひっ、イく瞬間えらい気持ち良さそうな顔しとったで? へへっ、インテリ様の語彙力で詳細に語ってや」

 

 かぁっと顔が熱くなる。俺はたまらずふいと顔を背け、寝返って背中を向けた。

 

「あ、おこったん? ごめんてっ、ひひ、どろどろパンツ洗ったげるから許してや」

 

「お、おいやめろっ、脱がそうとするなっ」

 

「イカくさいまま帰るんか? ご婦人方から眉ひそめられるで? 嫌やろ? あたしも好きな男のそんな情けない姿見とうない」

 

「う、うぐっ、たしかにそうだが」

 

「な? せやろ? わかったら、ひひっ、おとなしくおちんちん見せるんや」

 

「アイドルがおちんちんとか言うなー!」

 

 俺の悲痛な叫びが、穏やかな朝に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 帰り際、玄関口まで見送りにきた十六夜は、コソコソ話のように口元に手を添え、悪戯っぽくほほえんで言った。

 

「義妹ちゃんに内緒でまた泊まりに来てな♡」

 

 アイドル失格とかいうレベルではない。恥の多い生涯を送らせようとするサキュバスである。

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