私立
健全なる文化の発展を担う高い知性と淑女にふさわしい品格を育むことを理念に掲げて創立されたというこの女子高が、わたしの通う高校だ。
昼休みの教室。わたしは友人の要とお弁当を食べていた。彼女は主が不在の机をわたしの机と突き合わせて座っている。
「それでね、裕也さんったら、従兄弟の子が帰ったら、よっぽど寂しかったらしくて、抜け殻みたいになってベランダで黄昏てるの。ふふ、おかしいわよね」
わたしがほほえみまじりに言うと、退屈そうに聞いていた要は、スコッチエッグを飲み下して答えた。
「あんた、ほんとお義兄さんの話ばかりね」
軽やかなレイヤーカットで動きと立体感を出したベージュカラーのセミロングの彼女は、アンニュイとも取れるこなれた大人っぽさを帯びていて、あきれ顔さえドラマのワンシーンのように絵になっている。
「どんだけ大好きなのよ」と要は言う。
その口ぶりは答えを求めているようでもなく、単なる揶揄や文句の類いなのだろうけれど、
「ううん、そうねぇ……」
実際のところどの程度愛しているのだろうか、と考えてみる。
家庭を顧みない裕也さんとはやっていけない、そう思って別れを受け入れた。
けれどやっぱり、彼のぬくもりが忘れられなかった。ほかの人とは想像できない。どうしても彼でなければ駄目で、わたしの心は、体は、彼を求めてやまない。
共に暮らすようになって、その想いは日増しに強くなっていった。約束をすっぽかされても、喧嘩してしまっても、胸の甘やかなうずきは治まってはくれなかった。
──というようなことを、もちろん
「惚気すぎだろ。そこまでどっぷり堕ちちゃってんなら、もうお義兄さんと結婚するしかないじゃない」
途端にわたしの胸裏に重たい曇が広がった。
「でも、あの人、もう結婚するつもりはないみたいで」
要の眉間に怪訝のしわが寄る。「『もう』?」
「あ、ええと」わたしは慌てて言い繕う。「仕事とか勉強を優先したいから恋愛にはあんまり乗り気じゃないってことよ」
「ああ、そういう」要は、得心がいったように眉間を緩めた。「お義兄さん、星高だっけ? 友達が行ってるけど、勉強大変みたいね」
わたしは、そうじゃないの、とかぶりを振った。「裕也さん、すごく頭がいいから学校の勉強は全然余裕そうなんだけど、社会に出た時の準備を今からしているみたいで、それで忙しいのよ。彼、天才なだけじゃなてストイックな努力家でもあるから」
「はいはい」
惚気話はもうお腹一杯よ、と言わんばかりに、ひらひらと木の葉が舞うような重さのない口調で答えて要は、話を戻した。
「話を聞いてる、てか、聞かされてる分にはお義兄さんも愛理のこと意識してると思うけどねぇ」
「ううん……そうかな」
そう思いたいけど、あの人、ポーカーフェイスだから。
「そうでしょ。愛理みたいなエロい乳した美少女が身近にいたら普通の高二男子は欲情するって」
「だったらいいけど」
「巨乳美少女は否定しないんだね」
要はタコさんウインナーをムシャムシャする。嫉妬心をぶつけているかのようにも見える。
「否定したらしたで嫌みみたいになるでしょ」
「持てる者も大変だね──ちょっと揉ませなさいよ」
七瀬は細い手を伸ばしてくる。
わたしはぎょっとして、
「どうして?! 嫌よ!」
と胸を抱き隠す。
「いいでしょ、減るもんじゃなし」
「メンタルが摩り減るのよ!」
「抵抗感があるのは最初だけだから。慣れれば案外悪くないって。だからいいでしょ」
「嫌! 裕也さん以外絶対駄目なの!」
「そう言われると余計に、ね?」
「目、怖いって!」
などという、手押し相撲めいたじゃれ合いに疲れると要は、ようやく良識を取り戻した。
「あんたのことだから、どうせ受け身オンリーなんでしょ? いくら美人でも、そんなんじゃ上手くいくものもいかないんじゃない?」
「わかってはいるけど」
自分から行動して失敗したら、嫌われたら、傷つけたら、と思うと足がすくむ。
そんなふうに煮え切らないわたしにも業を煮やすでもなく要は、
「ま、お好きにどうぞ。わたしは所詮第三者だし、どっちでもって感じだし」
柳に風というような軽い物言い。
何となく場都合の悪さを感じながらお弁当をつまんでいると、要はおもむろにガラケーを開いた。箸を片手に操作している。
彼氏からのメールでも確認しているのだろうか、と思っていたら、
「最近、新しいSNSを始めたのよ」
だそうだ。
駅前のマックでビジュアル系バンドマンのようなイケメンがそのSNSをやっているのを見かけて、興味を、より明け透けに言えば下心を持って始めたらしい。
そこまで聞いてわたしは、記憶をたどりながら尋ねた。
「あなた、彼氏はどうしたの?」
人妻から略奪した大学生の彼がいたはずだけれど、別れたのだろうか。
要はわたしをちらと一瞥して、
「別れてないよ。会うたびにイチャイチャしてる。けど、よりいい物件探しはサボれない」
「……だよね」
要のこういう考え方を見聞きするたびに、わたしは悩ましい気持ちになる。恋って、愛って、そういうドライなものだったっけ、と。
「わたしはあんたほどかわいくないから、常にアンテナ張ってないと幸せの上限値には到達できないの」
要の言が正しいのか、彼女の倍は生きているのにわからない。けれど、要のほうが生きるのが上手そうだな、とは思うし、事実、未来の彼女はわたしよりずっと幸せそうだった。
そんな人生巧者の要は、ふと思いついたように──何やら口元を嫌らしく歪めて──言う。
「愛理も一緒にやろうよ」
友達リスト──令和で言うところのフォロワー──を増やしたいのだろう。
という、わたしの予想は軽々と超えられてしまった。要の先見の明と彼女一流の人生哲学を侮っていたのだ。
「この手の日記系SNSはね」と確信を込めて要は語る。「十年後二十年後には立派な黒歴史になってるものなのよ。その時に一緒に悶える人が多ければ多いほど笑えるに決まってる。わかる? 死なば諸共のロックな精神が、人生にビビッドな彩りを添えるのよ」
わたしは、あきれて開けた口がおかしみにくすぐられて笑みの形に変わる瞬間の心地よさを、そっと噛みしめた。