TS転生憑依闇堕ち(無自覚)精霊姫様は原作を知らない 作:むーちゃん
名とは『支配』だ。
人間はとかく名を付けたがる。
例えば、足を動かし前に進むという行為を『歩く』。
そこから派生し、両の足が同時に地につかぬように『歩く』行為を『走る』。
あるいは、その運動に一定の規則を設けたものを『スキップする』など。
人間は名を以て世界を分節し、名を以て現象を理解する。
空気、重力、原子、目には見えぬ物理法則に至るまで、人間が現在理解している全てに名が付けられている。
人間、それそのものについても同様だ。
例えば、この個体は『アーサー』。あの個体は『カレン』。
名を以て個体を識別し、それに付随する記憶や嗜好を以てそれと相対する。
言い換えれば、己の『理解の支配下』にそれを置く、ということだ。
生まれた瞬間、子は名を付けられる。
何故か? 親は子を己の『理解の支配下』に置きたがるからだ。
子は『子』である。
しかし名のない子は『子』でしかなく、名を付けることにより、誰の『子』で、どういった『子』であり──つまり誰の支配下にある『子』であるかまで定義することができる。
しかし、しかしだ。
産まれながらにして王者たる者が、誰かの支配下に置かれるなどということがあってもいいのだろうか?
答えは否、否である。
王者とは誰にも支配されない者のことだ。
王者とは誰もを支配する者のことだ。
故に名は要らぬ。
故に名を知らねばならぬ。
あるいは名を付けるのは己自身でなければならぬ。
王者を支配できるのはまた王者自身でなければならぬ。
何故なら王者を支配できるものはなく、王者は全てを支配せねばならぬ。
名を知られた──誰かの『理解の支配下』に置かれた者は、真の王者たりえぬ。
故の名無し。
故の称号。
故の──『精霊姫』。
◇◇◇◇
天秤は傾いた。
「【赫炎砲射】」
「【
「【緋の粉】」
「ぐぬぬ、おまえ老け顔なのです──!」
「は?」
「【閃光】」
「グッ、オオオ!」
全員が全員実力者。契約する精霊の力を最大限引き出しているのがこの場にいる四人であり、国の中でもトップクラスの力を持っている。
個々人の力量と魔力に差はほぼ無い。つまり、どこで差がつくかというと。
「サラマンダー」
『御意に』
「むむむむむっ」
「フォス、もっと力を貸せ」
『ハアハアわかりました──』
「クソッ、これ以上かよ!」
単純に精霊の出力の差である。
グラッドとプリステラが契約しているのは中位精霊。
対して、アーサーは大精霊、カレンは一時的にだが大精霊相当の力を持つ精霊を契約している。
その明確な力の差は、戦いの趨勢を決するに十分なものだった。
「一旦失せろ、グラッド」
「うおっ──!」
カレンは自分の邪魔をしている訳では無い──少なくとも自分と同様にグラッドとプリステラを排除しようとしている──ことを幼馴染テレパシーで理解したアーサーは、その敵意を眼前のガチムチ男にのみ集中させる。
「幼女趣味のおばさんに言われたくないわ」
「おばっ──!?」
カレンはなんか悪口を言ってきた若作りババアを燃やそうと苛烈な攻撃をしている。
勇者とその幼馴染は互いに干渉しないよう、かつ己の持つ(人が死なない程度の)最大火力を操られた仲間にぶち込んだ。
「チクショウ……!」
「カレン! わたしのどこがおばさんなので──!」
「【閃千煌光】」
「【煉獄】」
「さて」
残るは。
「貴様だけだ、偽物」
ただ傍観していた黒い女のみ。
感情の揺れは見えない。まるで自分を守っていた二人のことなどどうでもいいと思っているかのよう。いや、事実そう思っているんだろう。
そしてまた同時に、二人がいなくとも勇者とその幼馴染程度なら対処できるとも。
「
女が口を開く。
襤褸切れのような布一枚だけを肩にかけ、大胆に胸から腹にかけてを露出している彼女が言葉を発するたびに、勇者の視線がある一点をガン見しているのを幼馴染は見逃していなかった。
「
「そうか、死ね」
全身に残っていた痛々しい傷跡は、先程のプリステラの治療によって消え失せている。
しかしその手は指先から肘にかけて、脚は膝まで漆黒の闇に染まっており、取り返しのつかない状態にあることを示していた。
「
「そうだな、死ね」
この言葉も、伏せた顔も、何もかもが嘘だ。
もはや憎んでいると言っても過言ではないカレンですら認めるほど、あのお人好しの権化である姫が、こんなにもわざとらしく同情を誘う仕草をするはずがない。
「わたくしを助けては、くださらないのですか」
「助けるさ、だからまず死ね」
もはや勇者は止まらない。殺意が溢れて収まらない。
どれほど敵の得体が知れなくとも、彼が立ち向かうのであればそれを支えるのが幼馴染の務め。勝てるまでやるし、負けるなら自分と勇者だけでも逃がしてみせる。
そしてもし勝てたら、隙を見て姫を殺してフィーバータイムだ。
カレンはそう考え、静かに杖を構えた。
「そうですか」
「カレン」
「ええ」
生まれてこの方離れたことがない二人は言葉がなくとも通じ合う。
次の瞬間、二人は同時に駆け出した。
勇者は前へ。
魔法使いは後ろへ。
残像が残るほどの速度で距離を詰める勇者をサポートすべく、魔法使いは敵の動きに目を凝らす。
──まだ動かない。
牽制として勇者の行動を阻害しない範囲で【緋の粉】を飛ばす。
命中。敵の左腕と右足の付け根を爆破した。勇者の攻撃への対処はより難しくなったはず。
──まだ動かない?
勇者はもう敵の目前まで迫っている。剣を振るえば首を飛ばせる距離だ。
あまりの無防備さに勇者も戸惑いながら、まず腕を再び斬ろうと鋭く剣を振り下ろす。
あ、腕斬れた。
──まだ動かない……?
分からない。敵の考えが、動きが読めない。
このままなら殺せる。精霊姫とも闇の精霊王ともつかないこの化け物の首を獲れる。
だがプリステラとグラッドすら操るその手管、あの圧倒的な存在感が、簡単に勝てるという考えを打ち消していく。
何か、何かあるはずだ。
そして魔法使いが困惑しているその間に。
(殺さない……が、殺すッ)
勇者は覚悟を決め、首を刎ねる軌道に自らの剣を乗せた。
首を飛ばしてもプリステラなら延命、あるいは治療することが出来る。当の本人はぷすぷす煙を上げながら地面に伸びているが、叩き起こせばいい。
まずはこの不届者を切り刻まないと気が済まない。
(姫様を返せ、偽物──!)
魔法使いが自らの直感でそれを止めようとするも間に合わず。
勇者の振るう正義の剣は、敵の首筋に食い込んでいき──
「おいで」
ようやく動いた化け物は、ただ一言だけ言葉を紡いだ。
それだけで十分だった。
ぱり、ぱり、ぱきき。
何かが割れる音を聞いた。
世界が罅割れる音を聞いた。
「な、あ……?」
勇者は気づけば倒れていた。
身体が動かない。全身の骨が折れているようだった。一体いつ?
なんとか己の右手を見れば、剣身は粉々に砕け、柄だけとなった剣が見えた。
ばき、ばきき、ぎ。
腕が見えた。
血の色の腕だ。
脈動する腕だ。
命を弄ぶ腕だ。
この世に存在してはならないものだと、一目見て分かった。
「し、知らない……」
ばぎ、ぎぎぎ、びき。
姫の胴体の何倍も太い腕が身動ぎする度に、世界が割れていく。
境界を掻き分けて、空間をへし折って、この世界へ入り込もうとしている。
まるで世界そのものから拒否されているように。世界そのものを侵食するように。
「知らない知らない!! 何なのよそれ!?」
魔法使いは叫んだ。彼女の世界の知識にアレはなかった。
あんな、身の毛もよだつような、あんな、冒涜的な。
「──ごめんね、ありがとう」
鈴のような声が響いた。
瞬間、割れるような音はぴたっと止まる。
「もういいよ」
女は、びくりびくりと脈打つ巨腕に残った手を添えた。
慈しむように、優しく、子を撫でるように。
「姫……様?」
まるでかつての彼女が戻ってきたかのように。
「姫様……なのですか……?」
「──アーサー、カレン」
彼女は名を呼んだ。
他人行儀の様付けはやめてくださいと伝えて以来の呼び方で。
いつも通りの声音で、まるで何も無かったかのように。
「務めを──どうか、わたくしの分まで」
しかしその言葉には、明確に拒絶の意志が乗っていた。
「姫様! どうか、お待ちくださ──ゲホッ、グッ」
「なんで……」
呆然とする二人に、小さく微笑みだけ残した彼女は、寄り添う巨腕をぽんぽんと軽く叩く。
すると腕は再び動き出し、世界の罅割れが進んでいく。それはみるみる大きくなり、人一人通れる大きさまで。
「ごきげんよう、またどこかで」
彼女は去った。世界の穴を通って消えた。
後に残るは、何も出来なかった勇者たちだけ。
◇◇◇◇
これでいいの?
そう……貴方が満足なら、わたくしは大丈夫。
お互いの利のためでしょ?
貴方は世界の天秤を。わたくしは身分も、務めも、肉体すら捨てて──自由を手に入れた。
異物の記憶を読んでしまったことから始まった付き合いだけれど……記憶の精霊には、感謝しないと。
うん、もう行くね。
貴方はソレと、お好きなように。
わたくしは……まずは、闇の精霊王からかな。
心配しないで。すぐに終わらせるから。
わたくしを『支配』しようとした報いを受けさせるだけ。
そうでしょう? 『クロちゃん』。
ふふふ、可愛らしい名ね。
〇『精霊姫』
・彼女は生まれながらに王者であり、そしてそうあり続ける。