【完結】白いるかの眼は赤い   作:扇架

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十九話

 ひょうひょうと隙間風が吹き込む廊下を、デルフィーニは早足で歩く。あたたかく、けれども軽いローブを着て、ゆるくストールを巻いている。吸魂鬼のせいでほとんど冬であった昨年と違い、今年はまだあたたかい。それでも城が冷え込むのは変わらない。十二月に突入し、クリスマスの足音が近づいてきたとなれば、なおさらであった。

 デルフィーニは顔をしかめた。クリスマス。城が奇妙な熱気に包まれ、デルフィーニが足早に移動する原因。

「レディ・ブラック!」

 僕とパーティに行ってくださいませんか!

 背後から木霊が追いかけてくる。デルフィーニは嘆息した。今度は誰だ。ちらりと振り返り、鼻を鳴らした。図体ばかり大きなマクラーゲンではないか。

「私はふさわしい男と行くのよ」

 吐き捨てるように返し、ついでに追いかけられないように拘束し「くっそお高く止まりやがって」という暴言を無視した。馬鹿丁寧な態度のマクラーゲンなんて気持ちが悪すぎる。所詮純血名門ブラック家にすがりつきたい輩、デルフィーニを同伴して箔をつけたいだけの愚か者だ。構っている暇なんてない。

 あちらこちらから声をかけられては振り払い、時には優しく断り――親からデルフィーニを誘うように厳命されている、小さな子にまで厳しくすることはない――大広間に飛び込んだ。夕食が済めばもう用がないはずの場所に。

 中央に一つだけ長テーブルが置かれている。そうして、羊皮紙がのっていた。見てみれば、ずらずらと「やること」が書かれている。城を綺麗にする。甲冑を磨き、歌わせるように魔法をかける。クリスマスツリーの飾り付けと設置、階段の手すりを美しくする。氷柱をつける……校庭にベンチを設置し、彫刻を設置。噴水を設置。散歩道をつくる。薔薇を植え、ちょうどよい遮蔽物になるよう茂らせる。壁に蔓薔薇を這わせる。アーチに蔓薔薇を……等々。

 あちらこちらから吐息が聞こえた。集められた首席および監督生たちであった。各寮の監督生が五、六年でそれぞれ二人ずつ。四かける四の十六人。首席が七年生に二人ずつ。四かける二の八。よって哀れな手駒が計二十四人いることになる。先生方は監督生および首席になにをさせてもいいとお思いらしい。

「ホグワーツの威信がかかっています」

 猫のように静かに入室したマクゴナガルがよく通る声で言った。フリットウィックとスプラウトも一緒だ。スネイプはいない。寮監が抜けるならば、デルフィーニだって仕事を降りたいものだ……と思考を遊ばせた。スネイプは「城を飾り立てる」なんて「雑事」に関わらないと宣言したも同じであった。

 裏切り者め。相手が教師だろうが関係ない。スリザリンの寮監でありながら、なんにも監督するつもりがないと? デルフィーニがじわじわと調子を崩し、昨日に通達された「クリスマスダンスパーティ開催のお知らせ」によって、男子どもに追いかけ回されているのに? 挙げ句に夕食後に召集されているのに? なんでスネイプは教師なんてやっているのか。理事会が全会一致で彼を追放し、代わりに父が……いや、親が教師なのはちょっと……。

 怒り狂い、めまぐるしく考えを巡らせていたデルフィーニは、教師たちの指示も「なにせ今年はお客様たちがいますからね」というマクゴナガルの熱っぽい言葉も聞いてはいなかった。気づけばそっと腕を掴まれていた。微かな香りが鼻先をくすぐった。

「行こう」

 セドリックがデルフィーニを見下ろしていた。灰の双眸を細め「僕らはスプラウト先生についていく」とゆっくり言った。デルフィーニは物騒な考えを即座に引っ込め、いかにも聞いていましたよという顔をした。セドリックは疑わしそうにしている。が、諦めたようにため息を吐いた。デルフィーニの背に手を添えて、静かに促す。

 スプラウトはもう行ってしまったようだ。二人並んで大広間から出る。小さな爪音を立て、狼が二人の後を追う。玄関ホールを抜けて、石段を降り、校庭へ向かった。

 スプラウトが足下にいくつもの木箱を置き、デルフィーニたちを待っていた。二人を見て、少し目元を和ませた。一秒後には優しさの欠片も見られなくなったが。

「あなたたちには薔薇園をつくってもらいます」

 もちろん、私も仕事をしますけどね。なんてことないようにスプラウトは言う。デルフィーニの脳裏に「やることリスト」が浮かんだ。よりにもよって一番作業量が多いではないか。

「薔薇を茂らせ、ベンチを設置、噴水も――これ、中庭あたりから移設できませんか? 彫刻を設置、散歩道をつくる、そもそも薔薇を植えるから花壇を……で、壁に蔓薔薇はいいとして、アーチの設置もあるから……」

 デルフィーニは「やること」を挙げていく。スプラウトが拍手した。

「さすが学年一位ですね」

 誉められてもまったくうれしくなかった。こんな記憶力はいらない。

 デルフィーニの内心など知らず、スプラウトは機嫌がよかった。少し違うか。優秀な生徒に、仕事をさせる気満々である。

 セドリックがあたりを見回した。スプラウトに「大まかな配置図はありますよね?」と確認し、羊皮紙を受け取った。じっと配置図を見て、積まれた木箱を確認し、スプラウトにお伺いを立てた。

「――助っ人を連れてくるのは」

 スプラウトはにやりとした。

「あなたたちは監督生だもの」

 加点という餌があるでしょうと暗に告げられた。デルフィーニはほっと息を吐いた。その夜は、立ち入り禁止のロープを張り、もし踏み入れば身体がしびれるようにする仕掛けを設け、終了した。

 翌日の夜。デルフィーニは絶句した。校庭で待ち合わせ、セドリックが連れてきた「助っ人」の顔をまじまじと見る。逃げ出したくなったが、どうにかこらえた。こちらはロジャーを引きずってきたのだ。レイブンクローへの加点を約束し、だめ押しで「この庭園は僕がつくったんだぜとか言いたくない?」と囁いて。浮ついた男だが、やるときはやるし、特に「恋人にいいところを見せたい」という動機を与えておけば、全力を尽くすだろうと見込んでいた。そして、ただのちゃらちゃらした男ではない。優れた感性を持つちゃらちゃらした男である。ここで使わずいつ使う。

「――よろしくね」

 セドが無理矢理連れてきたんじゃない? なるべく優しく、セドリックを責めるように言う。セドリックは眉を吊り上げた。丸顔の男の子は困ったような顔をした。

「そんなんじゃなくて」

 僕が学年で一番薬草学が得意だからって。ネビル・ロングボトムはそわそわと足を踏み替え、デルフィーニ、ロジャー、セドリックを順繰りに見た。四人で円を描くような形で立っていて、断じてロングボトムを取り囲む上級生の図ではないのだが……デルフィーニは怯えた子鹿かなにかを虐めているような気分になってしまった。

「無理矢理じゃなければいいのよ。手伝ってくれて助かる」

 にっこりと笑んでみせた。その気になれば魅力的に振る舞えるのがデルフィーニである。父の影響だろう。社交の場で貴婦人、淑女たち相手に如才なく振る舞っていた。何人かは引っかかって、父に結婚を申し込んだとかそうでないとか……。

 ロングボトムは硬直し、こくこくと頷く。ロジャーがロングボトムの肩を軽く叩き、彼を引きずるように去っていった。今日の予定は花壇をつくって、薔薇を植える工程だ。できるところまで、だが。クリスマスまで日がある。夜の数時間を使って、少しずつ進めていくしかない。

 デルフィーニは杖を振る。集めてきた材料――木の枝やら、岩やらを、程良い大きさの石に変える。薬草学の花壇キットだけではとても足りず、魔法族らしく変身術を使おうということで話はまとまっていた。

 ちなみに木の枝その他諸々の提供者はハグリッドである。岩は第一の課題の時に「ドラゴンの巣」をつくるに当たって使われたものだ。有効活用である。土はハグリッドが禁断の森から豪快に掬い、持ってきた。いくつもの麻袋に入れられ、積み上げてある。

 杖を振り、石たちを指揮し、石垣風の花壇を組みながら、隣のセドリックを睨んだ。

「どういうつもり?」

「僕は助っ人を連れてきただけなのに」

 悲しいね。しれっと言う優等生の胸ぐらを掴みたくなった。わかっているくせに。

「ネビルはいい子だし、今回の仕事にはぴったりだ」

「あなたが見込んだのなら、そうなんでしょう」

 声が尖る。吐く息が白く凍った。着込んではいるが寒い。だというのに、腹の底がじりじりと炙られているかのようだった。

「君がブラックだからといって、ネビルは怖がらなかったろう?」

 沈黙する。セドリックの指揮で、花壇に土が入れられていく。デルフィーニは杖を振り、木箱を開けた。苗木たちが土に飛び込んでいく。

「……ハッフルパフのお友達よりはいいかも」

 渋々、そう返した。セドリックは悪くない。彼は適任者を連れてきただけだ。グリフィンドールのネビル・ロングボトムを。デルフィーニの母親が拷問し、壊してしまった夫妻の息子を。セドリックはデルフィーニの出自を知らないのだから責められない。それに、彼がハッフルパフ生を連れてこなかったのはデルフィーニへの配慮であろう。どうせまだ、セドリックと「レディ・ブラック」の交際は快く思われていないだろうから。

 デルフィーニはダンスパーティの申し込みをされては断っている。レイブンクローとスリザリンが多い。ドラコはいかにも嫌々申し込んできたので「鏡を見て笑顔の練習をしてからいらっしゃい」と追い返した。いつまでも子どもである。頼まれたってドラコとは行かない。断固拒否。グリフィンドールはどこかのマクラーゲン、あとは「余りものになったら拾ってくれなーい?」と、双子が冗談で申し込んできた。ハッフルパフはザカリアス・スミスという身の程知らずが偉そうにやってきた。ハッフルパフにあんな根性悪がいたとは……とデルフィーニは大いに驚いた、とだけ言っておこう。

「君が鼻持ちならない傲慢な差別主義者なら、僕は付き合っていない」

 たぶん気にもかけていない。

 セドリックの杖が優雅に弧を描く。薔薇の苗が少し伸び、わずかに芽が膨らんだ。ささやかな成長促進魔法だ。クリスマスにちょうど花を咲かせるだろう。

「親切なセドリックさん」

 デルフィーニも負けじと杖を振る。次の花壇を組み、さっさと土を入れ、苗を植えた。

「誰を誘うのかは決まっていて?」

「一緒に舞台に立ってくださいませんか」

 いるか座の君。

 躊躇いなく、滑らかに彼の舌は言の葉を紡ぐ。デルフィーニは一拍おいて頷いた。

「喜んで」

 その後は黙々と作業をして、きりのいいところで終わった。疲れた身体を引きずるようにして城に戻る。ロジャーとネビルの組は、もう少し残るそうだ。

 玄関ホールに戻る。監督生になってよかったことはいくつかあるけれど、専用のお風呂があるのは嬉しいわねとデルフィーニは呟いた。ただの雑談であった。もちろんデルフィーニは風呂という単語にセドリックが妙な想像力を発揮し、大慌てで封印していることなんてそれこそ想像もしていなかった。

 うん、とかああ、とか生返事をするセドリックを横目で見た。奇妙にぼうっとしているな……とデルフィーニはいささか心配になった。代表選手という重圧、加えてダンスパーティに向けての準備……と、セドリックを疲労させる原因なんていくらでもある。第二の課題で一位になれば、少しは楽になるのだろうかと考えて、訊いてみた。

「卵の謎って解けたの?」

「金属音が出るばかり。炙ったり落としたりしたけど無傷」

 デルフィーニは曖昧な返事を返した。ふうんと言いながら、イースターエッグのことを思い出していた。お風呂で遊べる玩具付きのものが売られていて、父が買って帰ってくれたことがあった。もっとも、玩具はすぐにどこかに消えてしまって……どうせクリーチャーがデルフィーニから獲ったのだろう。意地悪な妖精である。でも、デルフィーニにはウィンキーがいるからいいのだ。

 卵、風呂、風呂で遊ぶ玩具という連想が、デルフィーニに予期せぬことを口走らせた。

「卵、お風呂に持って行ったら?」

 微妙な間。そしてわずかに固い声。

「お風呂に」

「卵を」

 セドリックの眼がデルフィーニをさっと見て、一秒の半分で逸らされた。

「それもいいかもね」

 生返事にもほどがある。なにがセドリックを悩ませているのか、デルフィーニにはさっぱりわからなかった。知らなくてよいことというものはある。特に、品行方正、優等生とはいえ年頃の男子の頭の中なんてものは。

 

 デルフィーニと玄関ホールで別れ、寮に戻り、かなりよろしくない想像を懸命に振り払いながら、セドリックは金の卵を抱えた。あえてネビルとデルフィーニを接触させたことが吉と出ますように……。年頃の男子から優等生へと切り替え、監督生用の風呂へ向かう。何回か接吻したい衝動に負けそうになった……風呂か……風呂ね……いや、ただの入浴だとごちゃごちゃと考えつつ、風呂場へ。なんだか無性に苛々し、金の卵を浴槽に放り込んだ。ぱしゃん、と飛沫。波紋が広がった。変化はない。

 八つ当たりなんてするもんじゃない。馬鹿かな自分は。セドリックは愚かで抑制の利かない自分にうんざりし、頭を冷やすために浴槽へ潜った。

 君は僕の幸運の女神だ、と星の名を冠する女に抱きつくのは、後のことである。

 

 

 鏡の中から見返してくる顔は、まるで他人のもののようであった。

 黒髪を結い上げ、真珠の髪飾りを挿している。柔らかな白を留めるのは銀で、小枝が広がり、雫が留まっているようにも、星々が連なり絵図を描いているようにも見える。耳にはグレイスピネルの耳飾り。首を飾るのは華奢な細鎖と、一粒の真珠。

 薄く粉をはたき、唇には淡く紅を入れ……少し大人びた風に見える。

 お綺麗ですよとウィンキーが言うのに頷いて、デルフィーニはそっと立ち上がる。姿見の前へ移動した。

 纏うドレスは夜闇の色。銀の星々が挿されていた。灯りを受け、静かに輝いている。そして裾に小さく挿された『双狼』が、時折存在を主張していた。

 化けたな、と小さく呟く。社交はご無沙汰で、毎日鏡の前で己の姿にうっとりする性格でもないので――なんだか妙な気分であった。

 父の見立てが完璧だから、巧く仕上がったのだろう。

 約一週間前、ウィンキーがやってきてデルフィーニを採寸した。一旦ブラック邸に戻り、衣装箱と装飾品一式を持ってやって来た。夏に「正装を用意しておけと書いてあるけど」と父に相談したら「しかるべき時に送る」とだけ言われていたのだ。ダンスパーティをするから用意しておけと書いておけばいいのに、と思う。ちなみに耳飾りはシリウスからの贈り物である。ダイヤモンドではなく、わざわざ「グレイ」スピネルを選択したところをみると……すべて筒抜けなのだろう。

 相手の髪や眼の色に合わせたなにかを身につけるという慣習は、伝統的あるいは古臭いものだ。シリウスはなにも言わず、聞かず、ただグレイスピネルの耳飾りを贈ってきた。父は「着てみて直したいところがあればすぐにウィンキーに言いなさい。元々冬の社交のために以前仕立てていたものを作り替えたものだ。あとダームストラングのカルカロフには近づくな。言い忘れていたがあれは――ウィンキーに諸々の支度を任せなさい。クラウチに仕えていただけあって、ものがよく分かっている」と極めて事務的な手紙を衣装箱の中に入れていた。デルフィーニは父やシリウスがパートナーについてなにも言ってこないので安堵した。

 姿見の前でくるりと回り、足に装着した短剣と杖が見えないか確認した。巾着(レティキュール)を持つのは面倒だったのだ。このドレスには隠しポケットがないし。父は心配性である。衣装箱の中に短剣を入れるなんて。指輪となってデルフィーニに寄り添っている『星屑の剣』では足りないと仰せだ。

 談話室に向かえば、皆がデルフィーニを見た。時が止まったようになっている。素知らぬ顔をして通り過ぎた。陰鬱な気分になる。デルフィーニの肉の父母は、美男美女であったとか。賞賛、あるいは驚愕の眼を向けられても嬉しくない。デルフィーニの出自など知らずとも、余人がデルフィーニを見る眼には一滴の畏れが含まれている。彼女は夜闇の血を色濃く引き継いでいた。家族写真を見る限り、肉の母――戦星の名を冠するベラトリックスよりも、アンドロメダやナルシッサに似ているようだが。

 恐ろしきブラック家。囁き、寮を出る。

 狂えるベラトリックス……どうか闇祓い夫妻を壊してのけた暴力性と狂気が、デルフィーニに引き継がれていませんように。

 祈ったところで意味はない。生まれは変えられないのだから。

――本当は

 スリザリンの無難な男をパートナーにすべきなのに。

 ため息を吐き、玄関ホールに向かう。既に人が集まっていた。デルフィーニの眼は、迷いなく一人の男を見つけた。彼もまた、デルフィーニを見つけた。

 踏み出す。人波が割れていく。ブラック家のデルフィーニに道を譲る。主の側に闇色の狼が寄り添う。闇色の正装を身に纏い、胸には銀の狼――眼は紫水晶のブローチ――を着け、セドリックは数秒デルフィーニを見つめた。わずかに俯き、一呼吸おいて顔を上げる。灰の眼を煌めかせ、デルフィーニに手を差し出してきた。

「じゃあ、行こうか」

 デルフィーニは手を伸ばしかけ、止める。躊躇いが、理性がその繊手を先へと進ませない。彼の灰色をじっと見る。さざ波が立った心が鎮まっていく。

 彼の双眸に喜びと緊張、ほんの少しの不安を見てしまったら、こう言うしかないではないか。

「ええ」

 ブラック家の女とディゴリー家の男の手が、重なった。

 

「……足を踏んだらどうしようかと思った」

 最初の踊りを終え、上座への挨拶も済まし、デルフィーニとセドリックはそそくさと薔薇の園に逃げ出した。抜け出したところで誰も気づかない。『妖女シスターズ』の演奏が場を盛り上げている。

 自分たちで作り上げた庭園になんの感動も覚えず――むしろ二度としたくない――ベンチに並んで腰を下ろす。狼は会場に置いてきた。

「上手だったわよ」

 デルフィーニは澄まして言う。多少ぎこちなかったが、セドリックは十分に巧かった。

「君に言われても」

「叩き込まれているもの」

 セドリックが沈黙する。眉間に皺が寄っている。デルフィーニは手を伸ばし、その皺を指で撫でた。ダンスパーティの準備に忙しく、体調を崩しがちで、デルフィーニは大変疲れていた。咳止めを飲み、前日に早く寝て、どうにかダンスパーティに参加したのである。つまり……まともな思考力の在庫が切れかけていた。普段ならしないようなことをするくらいには。

「気にしなくていいのよ」

 だから、軽く口づけてしまったのは事故のようなものだ。

 

 

 ロジャーに頼み込んで踊りの猛特訓をし、ある慣習を思い出し、大急ぎでグリーングラス本家、同年――セドリックより数日先に生まれた従姉、イルヴァモーニーに留学中のリディアに超特急ふくろう便を飛ばし、異性のお眼鏡にかなう、素敵なブローチを手配してもらった。持つべきものは頼りになる従姉。家出をおもしろがってくれる従姉。

 個人的な準備に奔走し、その一方で薔薇園を整え――と公私ともにダンスパーティに振り回されていたセドリックは、緊張と興奮と敗北感と甘いなにかに身の内をかきまわされ、極度に疲労していた。

 真夜中になりダンスパーティはお開きになった。セドリックは薔薇園の一幕からこっち、ほぼ記憶がなかった。大広間に戻り、『妖女シスターズ』に礼を言って――気づけば玄関ホールにいた。デルフィーニにおやすみなさいと言い、別れた。

 寮に戻る気にもならず、壁に背を預けて立っていた。身体の芯に力が入らない。くらげ足の呪いにかかったように。

 唇を撫でる。彼女に奪われたそれを。頬への接吻から唇へ。関係は進んだ。しかし深いところへは至っていない。まだまだお友達のそれ、触れるだけのそれである。

――気にしなくていいと言われるわ

 主導権を握られるわ。それでいいのかセドリック――と己を詰った。せめてグリーングラスの分家、それか本家に生まれていれば……と思っても仕方のないことを思った。ディゴリー家は純血の名門、貴族ではあるが、あくまでも端くれであった。エルドリッチ・ディゴリー以来ぱっとしない家である。とはいえ、グリーングラス本家の娘と結婚できるだけの家格らしいが。

 しかし、ブラック家、それも本家とは釣り合わない。まったく足りない。踊りだって彼女のほうが上手であった。セドリックは本格的に踊りを習ったことがない。母に手ほどきを受けただけである。父は「自慢の息子」が貴族教育をさらりとしか受けていないのに、気づいているのかいないのか。もはや関係がないが。お陰でモテるためなら命でも懸けそう、よって踊りも完璧に仕上げたロジャーの手を借りるはめになった。

 彼の本当の好みは「空には星々、たき火が赤々と燃える周りを、花冠をつけた女の子とぐるぐる回って、素朴な踊り――以下割愛」らしいのだが、それはそれ、これはこれ。ロジャーは大笑いしながらセドリックに付き合ってくれた。ロジャー曰く、デイビース家はそこそこの家でしかなく、たぶんどこかの名家から枝分かれしたか、マグルの富裕層にルーツがあるのかもね、とのことだ。生粋の貴族より貴族らしい。特に、歯の浮くような台詞を言うところなんか。

 なんとか、人の手を借りながら切り抜けはした。人との関係は大事である。セドリックは一人ではなにもできないのだ。唇も奪われるし。ああ、そうとも。こっちから仕掛けるはずが先手を打たれた。年上としてどうなのか。

――気にしなくていいと言うべきなのは

 セドリックのほうなのに。君の出自に察しはついている。そんなのは関係がないと。君が君だから好きになったのだと……告げるべきなのに。

 彼女が逃げていってしまいそうで、言い出せないままである。直後、スネイプが薔薇の茂みを吹き飛ばすという蛮行に及んだせいで、どの道なにも言えなかったし、お友達の接吻から先に進めなかったのだが。スネイプ、ヒッポグリフに三回くらい蹴られてほしい。

 スネイプに対する敵意をたぎらせていたからか、なにかに呼ばれたようにハリーがやってきた。セドリックは片手を上げる。そういえば、と思い出した。スネイプはハリーに対して当たりがきついとかなんとか。いいや、そうじゃなく。

 彼には借りがあるのだ。教えてやるべきだろう。第二の課題がなんなのかを。

「ハリー」

 やってきた少年の、緑の眼を見る。セドリックよりも年下だというのに第一の課題を一位で通過した彼。望まずして三校対抗試合の舞台に押し上げられたのだろうと、今では思う。

――彼が落伍しようが

 物事が本来の形に戻るだけだ。三つの学校。三人の代表選手。歪みのない戦いに。

「なに?」

 疲れの滲む声。さっさと寮に戻って眠りたい、と切に思っているに違いない。そうさせてやろうかな、と一瞬思う。だが、セドリックは誘惑を――もしハリーが金の卵の秘密を解き明かしていないのなら、なにも教えない――という衝動を、どうにか封じ込めた。

 二つ三つ聞き取って、彼はまだなにもしていないのだと確認する。よって、セドリックは借りを返さなければならない。

「卵を持って、監督生用の風呂へ行け。お湯に浸かって、じっくり考えるんだ……」

 本当は「湖にもぐって大切なものを取り返しにいくんだ。制限時間は一時間だよ」と言うつもりだった。しかしセドリックの口が悪さをしたのである。

 品行方正、優等生と言われる彼だって、無性にむしゃくしゃする時はあるのだ。ヒントは与えたからいいだろう。セドリックだって鞄を破られたし。デルフィーニがクリスマスプレゼントに新しいのをくれたからいいが。

 ハリーと別れ、地下――寮へ向かう。まったくはかばかしくなかった今夜の出来事を封じ込め、やるべきことを考える。

 水中での呼吸は泡頭呪文で足りる。ただ、湖は深く、広い。人が泳いだところで、どれほどの速さが出るか……。

「……ハグリッドに訊くか」

 彼はセドリックの問いに答えるだけだ。だから手助けには当たらない。不正への荷担でもない。

 禁断の森に水魔(ケルピー)はいるのか、という問いは実に一般的なものだ。

 そう、魔法生物飼育学の高等魔法試験級の授業を受けている者にとっては。

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