【完結】白いるかの眼は赤い   作:扇架

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賢者の石
二話


 闇の帝王が消え失せて、世界はひっくり返った。死喰い人たちは身を潜め、嫌疑をかけられた者は釈明し……。あるいは、ハリー・ポッターこそが次の闇の帝王なのではないか、と囁いていた。

 一九■■年、秋――正確には十一月以降のレギュラス・ブラックも忙しくしていた。ただし、死喰い人の嫌疑はかけられておらず、釈明の――服従の呪文にかけられていましたごめんなさい――は必要なかった。なぜならば、腕に蛇を飼うしもべたち――腹心たる死喰い人が誰なのか、その全容を知っているのは闇の帝王だけだった。彼は己のみがすべてを識っており、支配できるのだという全能感に酔いしれる癖があった。

 つまり、ご丁寧に死喰い人の名簿を作成し、周知回覧するような真似はしなかった。よって、死喰い人――印を授けられた腹心を指す――たちは、互いに腕に蛇を飼っていることを知らずに接触する……ということもありえた。闇の帝王は秘密主義なのである。

 そしてレギュラスは、死喰い人として籍を置いていただけで、たいして働いていなかった。疑いをかけられるほど目立っておらず、またレギュラスの名前を誰かが自白したところで司法取引の「得点」にはならない。レギュラスはけして大物の死喰い人ではなかったのだ。いわばベラトリックスのおまけであった。嫌な言い方をすれば一種のトロフィーのようなものだ。闇の帝王はブラック家の者を収集したがった。レギュラスは闇の帝王のお気に入りであった。『分霊箱』の秘密を打ち明けられるほど。父親への屈託を吐き出されるほど。

 若く、優等生で、闇の帝王に心酔しており、脅威にはなりえないと判断されたがゆえであった……。

「……ベラの動機?」

 知りませんね。

 魔法省のとある一室で、ブラック家の若き当主は投げやりに言った。髪に櫛を通し、黒を基調とし、銀糸で刺繍された衣服には皺ひとつなく――灰色の眼、その縁は軽く充血していた。高等魔法試験前の追い込みですら、彼の睡眠を奪うことはできなかった。だというのに……たかが子どもによって、レギュラス・ブラックの安眠は破られていた。

「お前とベラトリックスはいとこ同士だ」

「親は選べず」

 よって血縁も選べない。レギュラスはため息を吐いてみせる。灰――ブラック家のものによく現れる、星の色を向かいに座る男に向けた。

「あなたがムーディ家に生まれてしまったように」

 僕もブラック家に生まれてしまったわけですよ。

 マッド・アイ――アラスター・ムーディは顔をしかめた……ように見えた。なにせ彼の顔は傷だらけで、セクタムセンプラを何度も顔面に受けたかのような有様だった。傷だらけの英雄だ。

「あくまでも聴取だ」

「へえ」

 レギュラスは足を組んだ。思考には靄がかかったかのよう。頭脳明晰なんて誰が言ったか。今のレギュラスは正直寝たいのである。

「若い身空で子育てをしている身を聴取だと言って引っ張ってきて、犬小屋に放り込み、あげくに、お前、と」

 せっせとデルフィーニに朝食を食べさせていたら、招かれざる訪問者が現れた。闇祓いが現れたところでびっくり仰天はしない。が、いいから来いと言われて素直についていくほど模範的な良き人間ではない。朝食を食べさせてから――おむつも替えて――身支度を整えて――デルフィーニの偽装が機能しているか確認し……とのろのろ動いた。デルフィーニは七変化であるが、まだ幼いので銀髪紅眼はだめだよと言ってきかせることはできないのだ。よって、レギュラスが偽装してやる必要があった。

 抱っこをせがまれたのでデルフィーニを片手に抱きながら、ようやっと玄関ホールに現れたレギュラスを、マッド・アイは強烈な眼で睨んだ。怪物じみたその男を見て、デルフィーニが泣きはじめた。置いていけと言われたが、レギュラスは譲らなかった。家に世話できる人がいないのですよと押し通した。本当のことであった。デルフィーニを引き取って、両親がぐちゃぐちゃ言うので数日後には放り出したのである。いや、間違えた。療養に行っていただいたのだ。親孝行なレギュラス。

 マッド・アイは大変カリカリしていたが、レギュラスは無視した。キングズリー・シャックルボルトはデルフィーニを泣きやませようと妙な顔をしていた。レギュラスは見ないふりをした。

 現在、デルフィーニはシャックルボルトに預けている。闇祓いには女性もいるであろうから、なんとかしてくれるであろう……とまで思い返し、マッド・アイに意識を戻した。

「君はなにも知らないと?」

 お前は死喰い人では? とはっきり言ったらどうだ……とは返さず、レギュラスはマッド・アイを見返した。

「血縁だからといって疑われたらたまったものじゃない。その条件ならば、アンドロメダも引っ張ってくるべきでしょう」

 今や血を裏切る者、とレギュラスは節をつけて言う。

「彼女は一報を聞いて倒れた。マルフォイ邸――ナルシッサも似たようなものだ」

「そりゃそうだ」

 心から言った。いくらなんでもベラトリックスはやりすぎた。ただ殺すよりも惨い。同時に、さっさとデルフィーニを引き受けてマルフォイ邸を出たのは正解だった、とも思う。ベラトリックスの捕縛から各関係者への聞き取りまで、数日間――一週間以上――のずれがある。単純に、闇の帝王凋落からこっち、死喰い人狩りで忙しく、人が足りないからだった――が、その猶予がレギュラスとデルフィーニにとっては恵みの雨であった。

「ロングボトム夫妻と…ジェームズ・ポッターにはお悔やみを申し上げますよ」

 静かに言って、席を立つ。疑いの眼が――澄んだ青が注がれても、閉じた心に攻撃を仕掛けられても、レギュラスは小首を傾げるだけの余裕があった。闇の帝王の開心術に比べれば優しいものだ。

「おい」

「お疑いならば、ブラック家を――その血を引くものを全員引きずって、監獄に放り込んだらよろしい」

 英国魔法界は機能不全に陥るでしょうがね。レギュラスはせせら笑う。王族を自称するブラックの末裔を根こそぎにすれば、どれほどの人間が「連行」されることやら。血を裏切る者のウィーズリーしかり、被害者であるはずのロングボトム家しかり……ブラックの夜闇の血は、あらゆる家筋に潜んでいる。

「では」

 さようなら、マッド・アイ。

 背中が灼けつくようだ。しかし、レギュラスは涼しい顔で扉を勝手に開け、勝手に出て、勝手に閉めた。なにせレギュラスは善意の協力者である。長時間拘束されてやる義理はない。

 悠々と廊下を進み――闇祓い局へ。顔を出せば、視線が針のように突き刺さる。やあご苦労とばかりに笑みを浮かべ、柳に風と受け流す。幼少よりベラトリックスの猫かわいがりという横暴に耐えてきた身だ。闇祓いが怖くてあれの従弟をやっていられるか。

 彼らはブラック家の若き当主が闇側なのではないかと疑っていた。しかし、一応、念のため……くらいの薄っすらとした疑いである。

 なにせレギュラスは兄シリウスの影に甘んじてきた。いと高き天狼星の輝きの前では獅子の星など霞むのである。つまり、実力者だとは見なされていない。さらに言えば若い。そんな若造が腕に蛇を授けられるか。否であろう……というのが「常識的な」判断である。常識なんて知らないというのがマッド・アイであった。彼は大変疑り深い。そしてその疑いは当たっているのだ。

 腕に蛇を飼っていることなど匂わせもせず、レギュラスはデルフィーニを返してもらった。シャックルボルトはとても名残惜しそうにしていた。デルフィーニが「バイバイ」と手を振ると「またおいで」とシャックルボルトは返した。また、なんてないのだが。ない。二度と来るか。

 デルフィーニを抱っこしたまま、エントランスに向かう。訪問客用の通路に行こうとしたとき、誰かが走ってきた。レギュラスはその顔を素早く照合する。確か純血派の高官である。

「このたびは、」

 ぜ、と息を吐きながら、高官はレギュラスの目の前で急停止する。

「闇祓……が、ご無礼を、」

「深呼吸なさって」

 レギュラスは年上のその男――親くらいの年齢だ――に優しく声をかけた。何度も何度も息を吸って吐いて、男はようやく落ち着いた。

「最近、闇祓いどもは気が立ってまして……」

 まさかブラック家のご当主まで疑うとは、と男は大仰に言う。その眼はせわしなく揺れていた。泡を食って闇祓い局を牽制しようとしたが、先を越されたというところだろうか。

「彼らは職務に忠実なだけで――もちろん、僕のような若造にお気遣いくださるのはうれしいですが」

 穏やかに言って、男の肩をそっと叩く。ブラック家の主の眼に怒りがないことを読みとって、高官の某は頬をゆるめた。そうして、レギュラスに抱えられている赤ん坊――いいや、幼児――を見やった。

「ごきょうだい、ですかな?」

「先日、遠縁の子を引き取りまして」

 美しいひとだった……と悲しげに言ってやる。たいていの人間は物語が好きであるし、悲劇だとなおよし、である。レギュラス・ブラックが遠縁の麗しの君、その子を引き取ったという噂は貴族階級を駆けめぐっている。若いのに……と評判であった。少なくとも貴婦人たちの心はがっちりと掴んだ自信がある。そして記録は完璧だ。実在した「病に臥した遠縁」に託されたことにしている。出生の届けが遅れた理由は、病につきそんな余裕はなく、である。多少の無理があろうが押し通せるものだ。デルフィーニは一九■■年五月二日生、一九■■年十一月某日にレギュラス・ブラックの養女となった……と記録された。闇の帝王が凋落したとはいえ、英国魔法界は混乱から立ち直っておらず、荒波に揉まれている最中である。特に不審な点もない申請は、精査されることもなく右から左で受理された。

「感心なことですな」

 お若いのに、と男は言う。レギュラスは眼を伏せた。

「『例のあの人』が消えた今、この子にとってよりよい時代が来たのだと信じたいものです。こんな可愛い子に、誰かが死んだだの行方不明だのは聞かせたくないですからね」

「まったくもって」

 はあ……と男はため息を吐く。彼は優しい眼でデルフィーニを見た。もっとも、デルフィーニはおねむで、レギュラスの身に顔をうずめているのだけど。

「恐ろしい時代でした」

 ぽつ、と男は呟く。レギュラスは曖昧にほほえんだ。では、と言ってその場を去る。

「……過去形になればいいんだが」

 ひっそりとした呟きを聞く者は誰もいない。

 闇の帝王はどこかで生きている。どういう状態かはわからない。それでも、存在はしている。きっと復活の時を待っている。

 戦は終わっていない。跳梁していた者たちは息を潜め、地下に潜る。それか堂々と陽の下を歩くであろう。どうか闇の帝王が再び現れませんように、と願いながら。

 ひとまずは、と腕のなかのぬくもりをしっかりと抱える。

「君を育てることが優先だ」

 闇の帝王の娘。僕の従姉の子。君はちいさく、ひ弱だから……今は僕が守ってやらねばならない。

 海原を渡り、どこへでも行けるように。鍛え、力を付けさせよう。

 いつか闇の帝王が復活したそのとき、実の親の手をとるか、育ての親の手をとるか、自ら選べるようにしてやろう。

 自由に、心の望むままに。

 

――この日

 レギュラス・ブラックは己に小さな嘘を吐いた。

 

 本当は、闇の帝王には戻ってきてほしくない。

 本当は、ちいさな白いるかを渡したくはない。

 本当は、実の親よりも育ての親の手をとってほしい。

 

 そんな思いを、封じ込めた。

 

 

 

「どうかね」

 うちのドラコと。

 風はかすかな甘みを帯び、庭園の緑は艶やかに輝き、空はどこまでも青い。夏の、爽やかな午後である。

 招かれたマルフォイ邸の一室――応接間、その窓から白孔雀を眺めていたレギュラスは、すっと眼を細め、つっと視線をやった。白金の髪に薄い色の眼、気品ただよう様は庭園を闊歩する白孔雀を思わせる――ルシウス・マルフォイへと。

「ドラコが決めることだろう」

 素っ気ない返答に、館の主は口端をひきつらせる。

「良縁を用意するのは親の義務だ」

「それを子どもが喜ぶかな」

 貴方は政略婚の相手が、幸運にも好いた人間だったわけだが。

 言葉を切り、紅茶を口にする。酒を飲む時間ではない。夕方にもなっておらず、レギュラスはさして酒を飲むほうではなかった。それなりに飲めはするものの、思考が鈍ることを彼は嫌った。

「うちがドラコを婿に迎えても」

 利益はないが。

 滑らかに言って、流し目をくれてやる。ルシウスは無表情だ。マルフォイ家よりもブラック家のほうが上である。つまりお前の可愛いドラコは婿入りすることになるぞ、と言われて面白いはずがない。内心ではレギュラスを若造と思っているのだろうし、侮ってもいるだろう。そんなことは承知の上で付き合っているのだが、時折思い出させる必要がある。

 ブラック家は自称王族である。返せば、王族を自称できるだけの家格であり、それを裏打ちするのは長い歴史と連綿と繋げてきた血筋である。対してマルフォイ家は、ブラック家に比べれば歴史が浅い。おまけにマグルの女王関連で失態を犯したこともある。当のマルフォイ家はそんな歴史は闇に葬り去り、知らぬふりをしているが。狡猾なくせに時たま馬鹿な真似をする悪しき竜に身の程を教えるのは、闇夜に輝く星の名を冠する者の務めであろう。東方ならばいざ知らず、竜などたかが大きな蜥蜴でしかない。その牙も、血も、鱗も革も、利用しつくされる存在である。竜を倒せる者はいるが、星を射落とせる者はいない。

「冗談だ」

 ルシウスはそう言って、白々しくも「お茶のお代わりはいかがかね」とすすめてきた。レギュラスは「僕のような若輩者に、このような極上の茶をいれていただけるとは」と笑顔で返した。あまり冗談に聞こえなかったのだが、そういうことにしておいてやろう。許されない冗談もあると、ルシウスに言ってやりたいところだが……我慢してやろうではないか。

 ルシウスが指を鳴らすまでもなく、新しい茶器が宙を滑ってやってくる。ふわり、と卓の上に着地した。ああ、ありがとうドビーと言い掛ける。そしてここはマルフォイ邸で、他人の家で、屋敷しもべと呼ばれる妖精に礼を言うことなど、普通の魔法族はしないのだと思い出した。

 他家の妖精の名を覚えることも――意識に留めることもしないのだ。卑しい奴隷。便利に使い潰す存在で、背景でしかない。

 レギュラスが湯気を立てる、新しい茶器を手にとったと同時に、空の茶器が消え失せる。眼をつぶり、ひとくち飲む。豊かな香りが喉を滑り降りていく。一抹のえぐみが、つんと鼻を突いた。

――他家の妖精を気にかけている場合か

 レギュラスとて、妖精を隷属させているのは同じだ。大事には思っている……が、それは縛り付け、脅威にはならないから安心して「大事に思って」「友情を感じている」だけでもある。趣味の悪いともだちごっこであると自覚している。するしかなくなった、ともいえる。

 きっかけは……と彼は振り返る。頭のなかをかき回すまでもなく明らかだ。デルフィーニである。小さな白いるか。彼の養女。闇の陣営にあっても厄介の種であった。ブラック家においてもそれは同じであった。散々純血を誇ってきたくせに、どいつもこいつも及び腰になった。両親も例外ではなく、ともだちの妖精もそれは同じであった。

 坊ちゃまがお育てする必要などありません、と彼の「ともだち」は頑固に言った。レギュラスは己の意志を通した。両親を療養地に送り出せば「なんてことを」と言い、子どもにとってあまり健全ではないな、と歴代の妖精たちの首、その剥製を埋葬したら失神された。そして泣かれた。坊ちゃまはあの白子のせいでおかしくなった、と呻いた。

 父が亡くなり、母が亡くなり、恨みと嘆きと失望その他諸々負の感情がたっぷりとこもった母の肖像画が送りつけられ、レギュラスは問答無用で焼いた。妖精は狂人を見る眼でレギュラスを見たものだ……。

 坊ちゃまのためを思って、という妖精の言をことごとく無視した。ブラック家の肖像画はずいぶんと減った。デルフィーニに不義の子だと言いかねない愚か者は全員火刑に処した。今では、高祖父のフィニアス・ナイジェラス・ブラックと他数枚しか肖像画はいない。

 レギュラスの蛮行に、妖精――クリーチャーがなにやら思っていることは知っている。だが、説き伏せようとは思わなかった。ともだちだ、大事だと言いながら、つまるところレギュラスは貴族で、ブラック家の男でしかなかった。己が上で、妖精は下であるとどこかで思っていた……。

――必要なことだった

 伝統という得体の知れない影に包まれた家に、風を通したかった。子どもを育てるのにふさわしい家にしたかったのだ。

 だが、レギュラスの何倍もクリーチャーは長生きだ。ブラック家の色に染まってしまっている。レギュラスが好き放題にしたとき「シリウス坊ちゃまのように悪い子に」と絶句していた。甘いなクリーチャー。兄ならばブラック家――邸を焼き払い、草の一本も残さずに更地にするだろう。

 ひとまず現状維持であるし、これからも現状維持である。ああだこうだ言っても、クリーチャーはきちんと家事をするし、一応デルフィーニにも従っている。なにやらぶつくさ言ったとしても、デルフィーニの権限で口を閉じさせることも可能だ。自分のともだちごっこがいかに薄っぺらだったかなんて羞恥は箱に放り込んで鍵をかけるに限る。

「ドラコの学用品を買いに行ったのだが」

 声に、茶器に落とした視線を上げる。ルシウスはゆったりと言った。

「ハリー・ポッターがダイアゴン横丁にいたのだとか」

 漏れ鍋はその話でもちきりだった、と彼は続ける。レギュラスはふんふんと頷いた。闇の帝王を退けたとされる「生き残った男の子」は今年で十一歳。ホグワーツ入学の年で、ドラコと同年であり、デルフィーニの一つ下である。

「その口振りからすると、会えなかったと?」

「できればどのようなものか見ておきたかった」

 まるで珍獣扱いだな。思いはしたものの、レギュラスは水を差さなかった。むしろ水を向けた。

「……次の帝王だと?」

「かもしれないだろう」

「否定はしない」

 闇の帝王が凋落した後、とある噂が囁かれたのだ。ハリー・ポッターは次の大悪である。だからこそ闇の帝王は敗れたのだ、と。それが真実か否か、闇の陣営も――おそらく魔法省も、見極めたかったはずだ。だけれどもダンブルドアという大魔法使いの手によって、生き残った男の子は秘密の紗の向こうへとやられた。

――正直なところ

 生き残った男の子、ハリー・ポッターに注目が集まってくれたほうがレギュラスとしては助かるのだが。いいや、かなり助かっている。この十年というもの「闇の帝王に子がいるのでは」という噂は立っていない。それに「闇の帝王が戻ってくるのでは」もない。魔法界は綺麗さっぱり闇の帝王――『名前を言ってはいけない例のあの人』の存在を忘れたかのような顔をしている。思い出したくないのである。見ないふりをしたいのである。もし、なんて不安を口にもしたくないのである。

 言葉にしてしまえば、現実になるような気がして。ただ、生き残った男の子万歳と言って、闇の帝王は消えたのだと言い聞かせる……。

 闇の帝王は不要、消え去ってしまえ、もはや過去の存在だ。多くの者のそんな願いが通じればどれほどよいだろうか。

 現実はそう甘くない。今年は何かが起こる。なにせ、赤い星は未だに輝いている。ブラック家は星の名を付けられる者が多い。そのせいか、占術――殊に星見に長けた者を輩出することがある。星見を出したから星の名を授けることが伝統になったのか、星の名を授けたから星見を輩出したのか。不死鳥が先か、炎が先か。もはやわからない。歴史の中に埋もれてしまった。事実は一つだ。ブラック家には星の恩寵がある。そしてレギュラスは恩寵を受けし者だ。といっても「本物」の予言者や預言者には及ばない。ささやかなものであった。

 赤い星は陰れども天にある。いるか座は不規則に輝いている。英雄の星の輝きはいまだ仄かなものである……。

 天狼星も墜ちてはおらず、戦星もまた同じ。天の絵図は告げている。戦は終わっておらず、ただ停滞していただけだと。

――赤い星

 くすみきっていた禍つ星、その輝きがわずかに戻っている。レギュラスの眼は、赤い星が動く様を見通した。北――北極星の方角へと……。

 北の導。解釈の仕方によっては、とある城を当てはめることができる。ホグワーツ。禍つ星が己が住まいだと感じ、執着した場所。なにやらしようとしているとも考えられる。今年入学する英雄の星――その可能性を秘めた者――を狙ってのことか、そうではないのか。なんにせよ不穏だ。

「……じたばたしても仕方ない。静観するしかないだろう」

 レギュラスはそっと吐き出した。闇の帝王の肉体は滅びたはずだ。であるならば、実体のない存在となっている……と考えられる。赤い禍星の、弱々しい輝きがその証。なにをしようとしているにせよ、ただちに脅威にはなりえない……が、警戒する必要はある。だからこそデルフィーニにせっせと閉心術やら、その他諸々をたたき込もうとしているのだ。たとえば、闇の帝王が娘の存在をふっと思い出して――思い出さなくていい本当に――ちょうどいいから娘を乗っ取ろうとか考えそうであるし。やりかねない。最悪。親失格。人としても終わっている。

 ルシウスが囁く。親に隠れて内緒話でもするように。

「もしハリー・ポッターが「次」であったらどうする?」

「まだ子どもだし、我が君よりもお優しいのではないかな」

 レギュラスは実に適当に答えた。抗議するように、左腕にじんわりとした痛みがはしる。印のあるあたりを、片手で強く握りしめた。

 そして、印に気をとられていたせいで聞き逃した。

 ルシウスが「クィレルのやつ、旅行に行ったら挙動不審になっていて、正直教師としてどうかと思うので理事権限で馘首にしたいが」と言ったことを。

 あの男、アルバニアに行ったとか言っているが、まさか噂の森には行っていないだろうな。そんな気骨などあるまい……と言ったことを。

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