【完結】白いるかの眼は赤い   作:扇架

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二十二話

 ホグワーツに帰り、イースター休暇を終え、進路面談を三十秒で済まし――よその寮は知らないが、スリザリンの面談など簡潔きわまりない。なぜならば家業を継ぐ者が多いので――デルフィーニは気が付けば十六歳になっていた。あと一年もすれば成人かと思いはしたが、すぐさま意識を切り替えた。婚約者だの夫だの愛人だのはいいのだ。あまり考えたくない。

 幸い――と言っていいのか、セドリックとの付き合いは継続している。と、彼は大変行儀がよかった。第二の課題の後のような激しいあれこれは控えているようで、三月のホグズミード行きの日も『三本の箒』でバタービールを飲むという、穏和しく健全な「お付き合い」であった。今のところ、倦怠の影のようなものはなく、この関係が破綻する兆候もなく、よってデルフィーニは問題を後回しにした。将来セドリックとどうなりたいのかとか、明かすべきか隠し通すべきか、とか。明かされたところでセドリックも困るだろうとか。

 進展も後退もしないまま、ずるずると日は過ぎていった。五年生と七年生の間で神経症が多発し、怪しげな薬が出回り、五月の後半ともなると、デルフィーニは己の勉学に集中するより、ドクシーの糞を乾かしたなにかとか、明らかにおかしな調合の産物だとかを摘発するのに忙しくなった。様子のおかしい「患者」を医務室に連行することもしばしばであった。よそ事に気を向ける余裕などなく、セドリックから「第三の課題は迷路を抜けることなんだ」と聞いて、決闘に付き合うことしかできなかった。セドリックはなぜか戦慄していた。君が代表選手だったら問答無用で優勝だったよ、と言われた。そんな馬鹿な。第二の課題の時点で脱落していただろう。デルフィーニは虚弱な白いるかなのだから。

 普通魔法試験が冬に行われていなくて幸いであった。六月、過酷な試験を終え、学期末の「別れの宴」の準備のため走り回るはめになり――六年生は学期末試験で忙しいので、普通魔法試験と高等魔法試験を終えた、五年生と七年生の監督生および首席が主に動いた。今年はとにかく忙しい。

「……課題に集中しなきゃ」

「あまり根を詰めると却って駄目になる」

 言いながら、セドリックは杖を振る。うっすらと汚れた甲冑が輝きを取り戻した。

 現在、学期末試験の最終日および第三の課題の開催日――の数日前である。つまり、セドリックはこんな雑事をする必要がないのだ。代表選手が試験を免除されているのは、課題に集中しろということなのだから。

「余裕ね」

 夕暮れ時の廊下に、デルフィーニの可愛げのない声が響く。仕方がない。可愛げの出し方なんて本には載っていない。それに、セドリックは甘えた声ですり寄る馬鹿は嫌いなようだし。ああ……本当に……さっさと三校対抗試合が終わってほしい。そうすればセドリックに近づく馬鹿も減るだろう。

――道を違えるかどうか

 迷っているというのに、セドリックに近づく影について悩むのはどういうことか。矛盾している。

「まったく落ち着かないよ」

 セドリックの苦笑い。デルフィーニは、甲冑から視線を外した。隣を見れば、彼は厳しい顔をしていた。

「やれることはやった。だが……」

 なんだか妙で。

「ポッターと同点一位なのが?」

 デルフィーニはからかった。単なる戯れのはずが、セドリックは渋面になった。年下のポッターのことをそんなに意識していたとは……と口にすれば、彼は「負け惜しみじゃなくて」と強く否定した。

「第二の課題で、僕もフラーもクラムも、恐ろしいほどの水魔に妨害され、激流で流され……等々だったんだ」

「いくら鰓昆布があろうが、ああいう妨害を受ければ――」

「ハリーがあれほど早く到着できない」

 今や検証しようがないけれど、とセドリックは肩をすくめた。

「偶然かもしれない。考えすぎかもしれない……だが」

 視線を感じることがある、とセドリックは呟く。デルフィーニは「ファンの視線じゃないの」と茶化そうとしてやめた。彼の眼があまりに真剣だったので。

「――フラーも、クラムも」

 監視されている気がする、と。

「この試合は最初から妙だった」

 デルフィーニは返し、第三の試合の舞台が迷路だということに、一抹の不安を覚えた。外からは中の様子はわからない。なにが起ころうとも。

「ポッターを優勝させたい誰かがいるのかも……」

「なんのためにが分からないが」

 ありえるのかもな。

 デルフィーニは告げた。

「飛躍しているけれど……用心はしたほうがいい」

 背後からの攻撃とかね、と締めくくった。

 

 数日後、学期末試験終了、および第三の課題の開催日。

 デルフィーニは朝から機嫌がよろしくなかった。ドラコがまたぞろよけいなことをして、ポッターを貶めるインタビューに答えたからである。どうやってか記者――スキーターはポッターの「奇行」を嗅ぎ当て、それか捏造した。傷跡の痛みを訴えた、とか。情緒不安定な少年に仕立てるつもり満々である。そして、ドラコはそれに便乗し「ポッターは蛇語が話せる」と嬉々として漏らした。おまけに「蛇語使いは信用に値しない」 「なぜならば蛇は闇の魔術の中でも最悪の術に使われる」等々の自称専門家だかのご意見も書かれてあった。

 朝食の席でデルフィーニにできたことは、声高らかに記事を読み上げ、ポッターに嫌がらせをしている愚か者の顔面に、日刊予言者を叩きつけることくらいだった。愚か者こと又いとこは椅子から転げ落ちた。グリフィンドールの席から「ビーターになればいいのに」と双子の感想が聞こえてきた。確かに新聞で叩くより、棍棒で殴ったほうがよかったかもしれない。ただ、残念ながら又いとこの愚かさは治りそうにない。

 スネイプがデルフィーニの所業を見咎め、減点しようとしたが「単なる躾です」で押し切った。ついでに「どこの馬とも知れない記者へ、まったく検証もされていない憶測ばかり答えるのはどうかと思いません? スリザリンたる者、軽々しい行いは慎むべきですよね」と立て板に水で言い切り、スネイプは眉間に皺を刻み「もういい」と諦めた。

 鼻血を流すドラコがあまりにも情けない有様だったので、ハンカチを押しつけて朝食の席を離脱……しようとたら、セドリックに捕まって連行された。代表選手の家族が観戦に来ているのだとか。セドリックの父もいるのだろうなと憂鬱な気分でついていけば、レディ・ディゴリーの姿しかなかった。デルフィーニはレディ・ディゴリーにまごつきながら挨拶し――にこやかなレディ・ディゴリー曰く、夫は邪魔だから置いてきたそうだ――なし崩しに他の代表選手の家族とも……挨拶をすることに……。

「よく許可されたわね」

 シリウス、と言えば伯父はにやりとした。大広間の脇の小部屋、暖炉の前にはシリウスとレディ・アスラン、双子の母親とたぶん一番上の兄……とパーシー・ウィーズリーがいた。彼は審査員なのだからいて当然なのだけど。

「お前がセドリックの家族とは」

 デルフィーニは間髪入れず、シリウスの脛を蹴ろうとした。忌々しいことに伯父はひらりとかわした。

「セドに連れてこられただけよ」

「なるほど? 母親への挨拶と」

 黙ってほしい。レディ・アスランが「シリウス」と名を呼べば、伯父はたちまちのうちに穏和しくなった。

「姪をからかうんじゃないの」

 ぴしゃりと言い、レディ・アスランが経緯を説明する。といっても、シリウスが「ハリーはウィーズリー一家に世話になっているのだし」と言って、観戦が実現したらしい。パーシーはいささかやつれていた。病気のクラウチの代理をしていて、振り回されているようだ。 シリウスはともかく――彼は北米と英国を行ったりきたりの生活をしていた――レディ・アスランがやってきたのは「先視がホグワーツにいる私を視たから」だそうだ。なんとも嫌な予感がするではないか。

 やがて、陽が傾き、最後の課題――第三の課題、すなわち三校対抗試合の勝者を見届けようと、教師も生徒も移動を始めた。デルフィーニは、やっと終わるのかという安堵と、隙をみてセドリックに口づけしとくべきだったかという後悔と、あの男に火をつけたら拙いという思いを三分の一ずつ心に抱き、席を立った。呑気なものであった。仕方のないことでもあった。

 デルフィーニは、危ないのはハリー・ポッターだと思っていた。ひょっとしたら代表選手も巻き込まれるのではとも思っていた。

 ホグワーツで起こった不穏な出来事――バーテミウス・クラウチことバーテミウス・クラウチ・シニアが現れたこと。その様子は尋常でなかったこと。どこかに消えてしまったこと。ビクトール・クラムが失神させられたこと――は魔法省や教師たち、そして理事たちには通達されたが、生徒たちには伏せられていた。理事であるレギュラスはこの一件をわざわざ娘に伝えなかった。普通魔法試験などで忙殺されているというのに、雑事を耳に入れることはあるまい、と判断したのだ。クラウチが娘の前に現れたわけでもなし、と。

 奇妙なことが起こるのはハリー・ポッターの周辺ばかり。仮にデルフィーニがクラウチが行方不明になった一件を知ったところで、行動を変えることはなかっただろう。

 マッド・アイの姿をした、狡猾な悪魔に「重要な話がある」と呼ばれ、訝りながらも彼について行き――室に入ろうと一歩踏み出した先が、転移の陣などと思うはずもない。

 青い光に絡め取られ、とある供物を入れた筒とともに、為すすべもなく運ばれるしかなかった。

 とある、墓場へと。

 

「……これで一つ片づいた」

 所要時間約五分。しかし、身体は傷だらけ。マッド・アイに扮した悪魔――バーテミウス・クラウチ・ジュニア……否、父親を弑し、この世でただ一人の「バーテミウス・クラウチ」になった男は、深く息を吐いた。

 血にまみれた闇毛をひきずり、トランクの一つを開け、落とす。ぱたんと蓋を閉じ、たまらずにソファに身を沈めた。厄介な狼だ。デルフィーニに言いつけて、距離をとらせていたのだが……主がどこかへ飛ばされたと見て取るや、即座に牙を剥いた。なんとか制圧したものの、無傷とはいかなかった。死の呪文のみならず、たいていの呪文は対ヒトである。異種族との混血に失神呪文が効きにくいなどの例が挙げられる。よって、そこらの兎ならばともかくも、極めて優れた闇夜の狼が、死の呪文一度でしとめられるか疑問であった。一角獣が一度の死の呪文で息絶えないことを彼は知っていた。

 狼を生け捕りにして、皮を剥ぐなり、眼をくり抜くなりして、魔法薬の材料にしようかという腹積もりもあった。よって、生け捕りなどという手間をかけてしまったことを、彼は後悔した。殊に片腕がしびれたようになっている。狼の牙に貫かれたのだ。小さく毒を吐き、オレガノのエキスを振りかける。しかし、強烈な怒りを宿した牙と爪による傷は、治癒を拒んだ。仕方なしに包帯を巻き、彼は立ち上がる。ふらついて、かろうじて踏みとどまった。

――支障はあるまい

 ポッターの優勝への道筋は描かれた。あとは障害を排除するだけだ。傷を負っていようができる仕事である。

「ああ、我が君」

 彼はうっとりと呟いた。禍つ星の色彩持つ主。今宵復活なされるお方。文字通り、彼は我が身を差し出したのだ。

「……闇の時代がやってくる」

 くすくすと彼は笑い、義足の音を響かせて、クィディッチ競技場へ急いだ。

 後に、小さな気まぐれ――狼をわざわざ生け捕りにしようとした愚、傷を負った詰めの甘さを呪うことになるとは露知らず。

 

 第三の課題は迷路を踏破すること。優勝杯を掴んだものが勝者である。実に単純明快である。文言だけは、だが。

――アクロマンチュラに追いかけられるとか

「聞いてない!」

 セドリック・ディゴリー。ホグワーツ六年生、監督生兼クィディッチチームのキャプテン兼シーカーであり「本物の」ホグワーツ代表選手は叫んでいた。黙々と走るなんてやっていられない。叫ばないと足がすくみそうであった。ああ、箒があればと思ってもしょうがない。そこになければないのである。

 落とし穴、一歩踏み出せば沼……をかわし、まね妖怪が「デルフィーニに振られる己」の姿をとったので問答無用で始末し、心に傷を負いながら――いかにトネリコの杖もつ男、強靱な精神力を持つ者であろうとも、恋愛となれば硝子の心であった――迷路を進んだ。そろそろ優勝杯が近いかなと思えばアクロマンチュラである。セドリックは神を呪った。いくらなんでもやりすぎだろう、と。

 警戒しつつ、なるべく迅速にを合言葉に、セドリックは飛ぶように走っていた。そしたらアクロマンチュラが増えた。振り向けばハリーとアクロマンチュラ。悪夢である。無言の合意のもと、二人で力を合わせてアクロマンチュラを片づけた。失神呪文の重ねがけである。

 二人は、きらきらと輝く優勝杯を見た。「君が先に着いたんだから」「いや、力を合わせてこの結果だ」等々の言い合いをして、じゃあ二人同時に優勝杯を掴めばよい、と話がまとまった。

 拙い、と焦燥に駆られた男が、衝動のままに杖を向けていることなどハリーもセドリックも知らなかった。男の任務は「ハリー・ポッターを優勝杯に触れさせること」であり、セドリック・ディゴリーの存在は邪魔であった。まったくのよけいものであった。

 一、二の三で二人同時に優勝杯を掴む刹那――男は唱えた。

 息絶えよ、と。

 本来の歴史――否、無数に分かたれた時の枝の先で、セドリック・ディゴリーはハリー・ポッターの善意によって死に追いやられる。

 この時の枝において、彼の死は、父を弑した男によって実現するか――に思えた。

 しかし、セドリック・ディゴリーの胸内には警戒心が芽生えていた。ハリー・ポッターを優勝させたい誰かがいるのかも、という恋人の言を思い出した。その言葉が、逸るセドリックの心を鎮め、優勝杯に手を伸ばすのを刹那の半分ほど躊躇わせ、さまよわせた視線が――襲い来る緑を捉えさせた。

 シーカーの反射か、生物としての本能か。それとも、背後からの攻撃に言及していた幸運の女神のおかげか。彼は身をよじり、危うく死の呪文を回避した。ふと見てみれば、優勝杯もハリーもいなくなっていた。

「……優勝させたい誰か、か」

 本当にいたとは。ハリーはどこに攫われたのか。考えるのは後である。セドリックは杖を構え、光線が飛んできた方を見やる。姿なき敵。もしかして、生け垣の向こうから、と見当をつけたとき、紅蓮が生け垣の一角を焼き尽くした。たまらずに転がった何者かに、雨あられと光線が降る。

「ホグワーツの教師じゃないか」

「クラム。大事なのはそこじゃないわ」

 重々しい声と、麗しく――冷たい声。傷だらけ、泥だらけの代表選手たち、ビクトール・クラムとフラー・デラクールが駆けてきた。迷路の最奥、優勝杯が鎮座していた一画に、三人の代表選手が揃った。

 勝負事をひっかき回され、怒り心頭の獣たちは、おのおの杖を構え、約一年間暗躍していた影を睨んだ。

 男は笑った。たかが学生である、と彼らを過小評価していた。迷路での妨害――失神呪文が巧くいかなかったのは、彼らがあまりにも俊足であったからだ。ハリー・ポッターを我が君のところへ送り込んだ今、代表選手を片づけようが問題はない、と。

 まったくの誤算であった。

 第一に、彼は傷を負っていた。よりにもよって杖腕を牙に貫かれ、動きが鈍くなっていた。

 第二に、三人の代表選手はたかが学生ではなかった。選ばれし者たちであった。

「目的は達成された」

 拘束された彼は、喘ぐように笑う。偽りのにおいを嗅ぎ取ったヴィーラの末裔により、誤魔化しを――ポリジュース薬の効果を打ち消されて。薄茶色の髪、そばかすだらけの肌を露わにして。その片足には義足が――マッド・アイのそれがはまっている。真の姿を現したにもかかわらず。

「俺はやってやったのだ」

 我が君に肉を捧げたのだ!

 男は吼える。我が君のためならば、我が片足、惜しくはなかったと。

「ああ、お褒めください我が君」

 あなたの息子は成し遂げました。ハリー・ポッターもデルフィーニ・ブラックもあなたの身許に……。

 狂いきった男が紡いだその名に、セドリックが凍り付いた時。

 

 各地に潜む死喰い人は、刻まれた隷属の証が燃え立つのを感じた。

 

 

 たとえば、デルフィーニがレギュラス・ブラックに引き取られていなくて。

 デルフィーニは厄介者として、あちこちをたらい回しにされて。

 父親も母親も知らなくて。愛情を与えられずに育てられ。

 ある日、自分の正体を知った世界があったとしたら。

 恋しくて恋しくて、愛をねだって、父母に会うためならなんだってしたのだろうか。

 喜んで、血を……もしかして肉を差し出したのだろうか。

 尽くして尽くして……幸せだと思ったのだろうか。

――まったくの無駄だというのに

 どことも知れぬ墓場の、湿った風に撫でられて、デルフィーニは苦く笑う。笑ったつもりになっただけで、呼気はひょう、と鳴るばかり。父親の骨、僕――マッド・アイに扮した何者かの片足、敵たるハリー・ポッターの血、娘たるデルフィーニ・ブラックの血によって『例のあの人』は復活を果たした。その顔は怖気が立つほどに整っていて、赤い眼を爛々と輝かせる様は怪物そのものであった。身に纏うのは死臭。

 僕たちを呼び寄せ、喜びとともに杖を振った。標的になったのは若い僕――レギュラスであった。

 なにが褒美だ、とデルフィーニは痛みに埋め尽くされた思惟で考える。考えたつもりになる。墓標に縛り付けられ、切り裂かれ、血を流し、磔刑の呪文を受け、気を失う寸前だというのに、考えることを止められない。

 十歩ほど離れた場所にいる父は、生きているのか死んでいるのか。『例のあの人』は「杖の試し」だと言っていた。しかし、わざわざ父を選んだのは――嫉妬ゆえだろう。

 我が娘を育てたのは誉めてやろう。だが、お前はあくまで仮の親でしかない。わきまえろ、レギュラス。

 歌うように言って『例のあの人』は何度も杖を振った。父は悲鳴の一つもこぼさず、頑として頷くこともせず、気を失った。

 『例のあの人』は、デルフィーニに問いかけた。お前の父は誰だ、と。正解などわかっている。求められる回答は百も承知であった。だが、デルフィーニは『例のあの人』を嘲笑した。お前なんて父ではないと言い放った。結果、こんな有様だ。

 尽くしても、慕っても。『例のあの人』がまっとうな愛情を示すことはない。デルフィーニはあくまでも『例のあの人』の駒であり、予備である。乗っ取るための。それが失敗すれば「器」の材料にするための……。人ではなく、ただの素材だ。

 光芒がいくつも生まれては消える。ハリー・ポッターと『例のあの人』が戦っている……黄金の鳥籠が生まれ、死者が呼び戻される……。

 死喰い人や『例のあの人』の注意はハリー・ポッターに向けられている。傷だらけの、虫けら同然の二人には、見向きもしていない。

 鳥籠が解けていく。死者たちが消えていく。ポッターが駆け出す――おそらく、ポート・キー……優勝杯のところへと。

 デルフィーニは震える吐息をこぼした。揺れる視界、砕けそうな世界のなか『星屑の剣』を顕現させ、戒めを斬れと命じた。澄んだ輝きが、見えざる手によって振るわれる。見事に、呪縛だけを断ち切った。

 デルフィーニはくずおれる。『星屑の剣』にすがり、足を引きずるようにして、一歩、二歩と進んだ。ぽた、と血が垂れる。ぽた、ぽた……。

 怒号が響いている。ポッターはまだ生きている。驚くほどの粘りを見せ『例のあの人』相手に隠れ、鬼ごっこを繰り広げている。

 黄金にも等しい、貴重な時間だ。この機を逃すわけにはいかない。

 デルフィーニは、渾身の力で父を抱き起こす。一緒に逃げるのだ。なぜならば、彼はデルフィーニの父であるから。いるか座の名をくれたから。迷った旅人を連れ帰るのは、いるか座の役目である。

 よろめき、倒れそうになる。どうにか片腕で抱え、くるり、と回転した。同時に空いた手で『星屑の剣』を振るった。ポッターがポート・キーまでたどり着けるように。

 蒼い蒼い炎が夜空をはしる。悲鳴がいくつも響き、デルフィーニはにぃっと笑った。

 ポッターが! と誰かが叫ぶ。景色が滲む。ぼやけた視界に、怒りに燃える眼を見た。禍つ星の色彩を。

「不出来な娘が!」

 獣の唸り。そうして――デルフィーニは灼熱に包まれ、付き添い姿くらましは不完全なものとなり、制御を失った力は術者を傷つけ――。

 

 ホグズミード『三本の箒』の前に。

 夥しい血を流した、父娘が現れた。

 

 

「……よくもまあ」

 あれだけ嘘八百を。

 ホグワーツ、医務室……ソファでぐったりとしていたシリウスは、隣に座る妻を見た。彼に負けず劣らず白い顔をしている。

「切れ者と言ってくれないかな」

「詐欺師」

「正直者は馬鹿を見る」

 くだらないやりとりをする。高尚な会話など望めなかった。なぜならば、アスラン夫妻はたっぷりと血を抜き取られていた。人命救助のためである。シリウスは弟に、レディ・アスランは姪――本当は異母妹に血を提供したのである。

「……詐欺でもなんでもいいだろう」

 シリウスは働いた。ホグワーツに運び込まれた弟の左腕の印を灼き潰した。ダンブルドアに「あなたの間諜ですよね」で話をつけた。弟がヴォルデモートに暴行されたのは明らかかつ、ダンブルドアはシリウスに負い目があるので了承した。ひとまず弟の安全を確保。姪に関しては「事故で髪や眼の色が変わることもありますよね」「ブラック家の血統にはスリザリンの血が」で強引に押し通した。ダンブルドアはこれも了承した。レギュラス・ブラックとデルフィーニ・ブラックに手を出さないと。

 シリウスがせっせと働かなくとも、ファッジは気も狂わんばかりで、現実を受け入れようとはしなかった。血塗れの父娘のことも、突如として迷路入口に帰還した、傷だらけのハリーのことも、負傷した三人の代表選手のことも……彼らが捕縛した「偽マッド・アイ」のことも、真実薬にて開示された証言も無視した。狂人の戯言だと。

「――張り切ってほじくり返されるよりはいいか」

 よくはないのだが。ヴォルデモート復活を魔法大臣が重く受け止め、迅速に行動すべきなのだ。本当は。だが、彼がさっさと逃げ帰ってくれて助かった。変な気を起こし、姪を連行されてはたまらない。不自然に攫われたブラック家の令嬢。その髪と眼の色が特異となればなおのこと危うかった。

 痛めつけられ、血を流し、無理矢理に付き添い姿くらましを行使――の間際、悪霊の火を食らったと思しき姪の心臓は一度止まった。ホグズミードの住人が凍結呪文をかけて仮死状態にし、マダム・ポンフリーが心臓を再び脈打たせ……姪は息を吹き返した。仮死になったことで、七変化は解けてしまっている。無残に断たれた髪は白銀の色。閉じた瞼の下には赤い眼……赤い眼の白いるかとなっていた。

「鬼畜め」

 シリウスは吐き捨てる。ハリーから話は聞いている。そのハリーもまた傷を負っていたが、腕を刺されたくらいだよ、とシリウスに言ってのけた。デルフィーニの正体について聞いただろうに、彼はシリウスに対して白を切り通した。デルフィーニ・ブラックが何者であろうと庇うつもりなのは明らかであった。

 ほんの少し驚いたシリウスの態度をどう取ったか、名付け子は眼を光らせた。僕は誰かが――誰かたちがあんな風に痛めつけられるのなんてみたくなかった。それに、彼女はブラック先生の娘だもの。そうでしょう?

 かわいそうだ、と名付け子は呟いた。シリウスは彼の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。ささやかな、礼の代わりに。

「大丈夫だとも」

 シリウスは、祈りを込めて囁いた。病室の奥、カーテンの隔ての向こう、寝台に臥せる姪を思って。

「お前が誰の娘であろうと……」

 その手をとってくれる人はいる。

 ヴォルデモートの娘と出会い、その手を掴んで離さなかった男は、眠りに沈んだ妻をそっと抱き寄せた。

 

 

 悲鳴を上げ、泣いて、痛いと呻いて。

 暴れ、嘆き……デルフィーニは眼を覚ました。

 夏の風が吹き込んで、カーテンを揺らす。見慣れない色のカーテンであった。医務室……ではないのか。

 誰か、と声を上げようとして、掠れた音しか漏れなかった。

 ぎし、と何かが軋む。横目でそっと見てみれば――デルフィーニはなぜかうつ伏せで寝かされていた――椅子に腰掛けた誰かが、眼を開けた。灰の色が見開かれ、デルフィーニを射抜く。

「……よかった」

 デルフィーニがぽかんとしているうちに、誰か――セドリックが、労るようにデルフィーニの髪に指を通す。落ちかかる髪が鬱陶しい。きらきらと輝いて……とデルフィーニは身を起こそうとして、できなかった。背中が灼けるように痛い。なにがどうなっているのか。なぜ周りが光っているのか……眼を細めても光はまとわりつく。まるで、まつげが輝いているかのように。

 その答えにたどり着き、デルフィーニは息を呑んだ。まさか……七変化が解けてしまった? では生来の姿に戻ってしまった? スリザリンの白銀の髪、赤い眼に。

 どうしよう。そればかりが思惟を埋める。おそるおそるセドリックを見る。彼は平然と「事故で眠っていた血が目覚めたんだよ」と宣った。息をするように嘘を吐く人種にセドリックがなってしまった。

「僕はこの髪が好きだけどね」

 綺麗だよ。しれっと言って、髪を一房掬いとり、軽く口づける始末である。なにかがセドリックの箍を外してしまったらしい。

 とどめに、

「僕は君が純血だからとか、ブラック家のお嬢さんだからとか……なんだか特別な血筋だから好いたんじゃないよ」

 と言った。嫌な予感がひしひしとした。まさか、と。

「知ってしまえば、」

 僕が尻尾を巻いて逃げ出すと思った? ねえデルフィー。

 デルフィーニは降参した。全部知られていると。その上でセドリックは選んだのだと。別れないことを。手を離さないことを。

 ありがとう、と言う代わりに、小さく小さく囁いた。

「好きよ、セドリック」

 二人のひとときは、癒者によって破られた。セドリックは追い出され、聖マンゴの一室は、デルフィーニと癒者だけになった。

 癒者は、デルフィーニに一枚の写真を見せた。それには、誰かのほっそりとした背が写っていた。

「……痛ましいことです」

 完全に綺麗になることはないでしょう。傷跡が残ります。

 デルフィーニは小さく笑った。癒者はたじろいだようであった。それでも構わなかった。

 傷跡がなんだというのだ。これは証だ。デルフィーニが戦ったことの、肉に父に対抗したことの。

「こんな傷くらいで」

 愛が失われることはない。

 赤い眼の白いるかは断言した。

 その背には――肉の父によって刻まれた傷がひとつ。

 形は稲妻。

 生き残りし者の証である。




ゴブレット編終了。
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