【完結】白いるかの眼は赤い   作:扇架

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不死鳥の騎士団
二十三話


「……これで」

 一つ潰せた。

 ホグワーツ城――校長室。

 黒髪に灰色の眼の男は、冷ややかに「それ」を見下ろす。煙を上げる指輪――正確には、真っ二つに割れた闇色の石を。素材は判然としない。黒曜石とも黒真珠とも異なる輝きを帯びている。台座――指輪の価値はたいしたものではないだろう。謎めいた石こそが、指輪の本質であり価値あるものである。彼が片手に持った剣――蒼い輝きを帯びるそれ――に貫かれては、もはや価値などあってないようなものだが。

 仕事が終わったのを悟ったのか、青玉が嵌められた黄金の柄、輝く剣身には北斗七星が刻まれた『星屑の剣』は、指輪へと姿を変え、仮の主に寄り添った。

 レギュラスは膝を突き、胸の悪くなるような腐臭と、顔をしかめたくなるような刺激臭を放っている不格好な黄金の指輪を拾い上げる。守りの術もとい呪詛は慎重に解き、ブラック家に伝わる星の剣にて止めを刺した。よって触れても問題はない。

 手の中でがらくたを転がして、振り向く。壁際で静かに待機していた老賢人を見やった。

「――嵌めてみますか」

 ダンブルドア、と呼びかける。常はなにを考えているかわからないようなところがある大魔法使いは、ライトブルーの眼を細めていた。まるで、眩い輝きを眼に入れたくないと言わんばかりに。

 飢え、乾き、追いつめられたものが、目の前に一杯の水を差し出されたかのようだ。毒と知りつつも飲みたくてたまらず、しかし飢えと乾きの前に膝を折る寸前のような、欲求と理性のせめぎ合いがダンブルドアの両の眸に映っていた。

「よい……」

 その指輪は……蘇りの石は……。儂のものではない。どうか、見えぬところに……。

 今にも砕けてしまいそうな声であった。レギュラスは素直に指輪をローブのポケットに仕舞った。ダンブルドアがこれほどまでに動揺するとは、意外であった。誰か会いたい人でもいるのだろうか……毒を飲んでまで、と考えて顔をしかめた。

 記憶の奥底から浮かび上がる音がある。ぱしゃん、という水音。喉を駆け下りる、灼熱の痛みをも想起させた。思えば、随分と遠いところまできてしまった。

 レギュラスは勝手に椅子を出現させて腰かける。六月下旬に重傷――一時重体になってから、さほどの時は経っていない。現在は七月中旬。聖マンゴを退院したものの、体力は戻りきっていなかった。男で、体力があり、それなりに頑丈だったからこれくらいで済んだのである。娘のデルフィーニなんて、まだ聖マンゴにいる。

 娘のことを考えると、レギュラスの機嫌はたちまちのうちに悪くなる。父親の義務を果たせなかったのだから。

 闇の印が灼けたのを感じ、すぐさま親愛なる「我が君」の下へ。そしたら娘がいて……セクタムセンプラで切り裂かれたらしく……脱出しようにも、気まぐれで幼稚な男の、残虐性の発露、その矛先がレギュラスに向いてしまった。これで男の興奮が少しでも鎮まればよしと思い、やむなく拷問を受け入れた。死喰い人らしく、不忠を詫び、デルフィーニを娘と思ってしまったことを詫び、等々すべきであった。ヴォルデモートの機嫌をとり、隙をみて娘を連れて脱出するほうが賢かったのである。

 だが、そんな計算を心が裏切った。レギュラスは頑としてヴォルデモートに詫びず、頷きもせず、襤褸雑巾のようになって昏倒した。大失態である。

「ペベレルの指輪は、北米か……こちらか」

 ふさわしい者のところに帰すがよい。

 深い声が、レギュラスの物思いを破った。気がつけば、ダンブルドアがソファを出し、ゆったりと身を沈めていた。レギュラスのほうを見ないようにして。まるで亡霊を怖がる子どものようであった。

「おいおい考えますよ」

 端的に返す。北米のゴーントに押しつけようか。創設者の時代の後に「ペベレルの三兄弟」は姿を現した、とされている。どうやらゴーントとペベレル……の次男が交わり、トム・マールヴォロ・リドルに繋がったようだ。そして北米にゴーントの一人が渡ったのが、約百十数年前。

 おそらく、ペベレルの血は混じっているだろう。よって北米のゴーントにも継承権がある。強いて言えば、約三百年前に北米に渡った末裔――祖の姓はセイア――イルヴァモーニーの創設者の血筋――もいるだろうが、こちらの行方は杳として知れない。歴史の中に埋もれてしまった。

 あとは――ダンブルドアには話していないが、アスラン本家にも。こちら、とダンブルドアはぼかしたが、英国にも継承者がいる。確実な継承者が。トム・マールヴォロ・リドルとベラトリックス・ブラックから生まれた娘――デルフィーニが。

 現在残っているスリザリンの末裔――ゴーントの血筋とされる家筋は、北米に二つ。約百十数年前に渡ったゴーントの末裔、そしておぞましい交わりにより、意図せず血を交えてしまったアスラン。

 そして、英国に一つ。今はブラックを名乗っている。

 誰も、けして欲しがるまい。

 ヴォルデモートの「蘇りの石」に対する扱いもぞんざいであった。まさか荒屋に隠していると誰が思うか。

 レギュラスが『分霊箱』についてダンブルドアに開示し、情報料として「お咎めなし」を引き出したあと、心当たりがあると引っ張られた。それがかつてのゴーントの住居……の残骸であった。レギュラスもとい死喰い人たちはヴォルデモートを「スリザリンの末裔」と称えることはあれど、ゴーントの末裔と口にすることはなかった。彼らは、主が抱く、捻れ、絡み合ったなにかを、肌で感じ取っていたのである。純血とはいえど、狂い壊れ、落ちぶれたゴーント。ある意味、主にとっては汚点であり、僕がそのことに――ゴーントの末裔だということに――触れることは禁忌であった。

 よって、厭うべき、憎むべき場所に『分霊箱』を隠してはいないのではないか、とレギュラスは推測していた。あまり真面目に考えていなかったせいもある。日記とスリザリンのロケットを破壊しだだけで功績は十分であった。後は誰かが片づけろよと思っていたし――レギュラスは極めて怠惰な貴族であった――あまり逸って『分霊箱』を探し、壊し、気づかれては拙いと思ったのだ。これは相手にぎりぎりまで悟られてはいけない遊戯である。知っていることを隠さねばならず、密かに行わなければならない。

――面倒だな

 ポケットに手を突っ込み、指輪をもてあそぶ。ダンブルドアが焦がれる石。死を愚弄するもの。歪みそのもの。門の向こうに行った者を、呼び戻すとされる。

 まさか死者に執着し、死を歪めて狂った男の子孫が、トム・マールヴォロ・リドルもとい、ヴォルデモートだとは思わなかったが。

 ダンブルドアはせっせと調べていたらしい。トム・マールヴォロ・リドルの足跡を。出自を。なぜか死なない男、とヴォルデモートは囁かれていた。ハロウィンの夜、唐突に消え失せた。時は流れ『秘密の部屋』が開かれ……その鍵が日記――尋常ではない闇の品であった。

 人格を持ち、語り、惑わし……一人歩きする影の話をポッターから聞いて、ダンブルドアはもしやと思ったそうだ。ちなみにレギュラスの娘は「攫われた令嬢」として処理されていた。実はポッターではなくうちの娘が日記を壊したんですよとレギュラスが言えば、ダンブルドアは大層渋い顔をしていたものだ。ヴォルデモートとの決別が決定的になったあとに開示するに決まっているだろう。手札はここぞという時に切るものである。

――意味があったのか、なかったのか

 レギュラスが昏倒している間に、兄がだいたいの話をつけていたらしい。人が意識不明の隙に、印を灼き潰したのも兄である。お陰で腕には火傷の痕が残っている。

 兄の尽力によって、レギュラスが手札を切る必要はほぼなかったとはいえ、『分霊箱』の情報はダンブルドアにとって重要だったようだ。お陰でレギュラスが死喰い人として糾弾される恐れはなくなった。ダンブルドアの庇護がなくとも、知りません間違いですで通すつもりだったが。

 レギュラスは、娘の安全が確保できればそれでよかった。『分霊箱』の手札は、駄目押し、念押しとして作用した。

 おおかたの問題は解消したといえる。ただ、最大の障壁が残っているのだが。

「ほかの『分霊箱』だが」

 ダンブルドアは物憂げに言う。レギュラスは蘇りの石をいじくり回しながら、眉間に皺を寄せた。理想は一日かそこらで一気に片づけ、本体もといヴォルデモートを倒すことだが――かなり無理がある。

 いや、そもそも……。

「どうせ予言とやらに踊らされているのだから」

 そうさせてやればいい。

 ぐっと蘇りの石を握った。悪しき魂の器、虚栄の証、過ぎ去りし栄光の名残を。

「ダンブルドア、あなたは真面目に考えすぎるんだ」

 まるで予言を信じ込む誰かのようではないか?

「君はレイブンクローに入るべきだったのでは」

 ダンブルドアがぼんやりと言う。要は、お前はなにを考えている、だ。

「相手は魂を裂くなんていう反則技を使ったんだ」

 いずこかにましますお方は、可能性の絶対値を用意した。それがハリー・ポッターという男の子だ。ヴォルデモートが「選び」「印した」者。

 だが、なにも彼にすべてを負わせる必要などないのだ。ましますお方は手札を用意しているのだ。歪んだ理を糺すものを。遙かな昔から。

「推測でしかありませんが……」

 レギュラスはさらりと言う。ダンブルドアは頭の痛そうな顔をした。否、歯が猛烈に痛むかのような顔をした。

「ありえるが」

「ひとまずやってしまえばよい。僕はあれを除ければそれでよいので」

 なにせあれは、僕の娘を傷つけたのだから。

 肩から腰のあたりまで、一息に斬ったような跡。

 その形は稲妻。

 いずこかにまします神の――不遜にも死の飛翔と自らを称する者への――怒りの証。

 神の(こえ)は告げる。

 そなたの罪は赦されぬ、と。

 

 磨かれた床には己の姿が映り、吊り下げられたシャンデリアは煌々と輝き、様々な装束が泳ぐ。

 誰かの見る夢のような、それか憧れを具現化したような空間。

 セドリックは見えざる誰かが差し出す盆から、杯を取る。大広間中央――男女の社交、踊りの場となったそこ――を避けるようにして、隅に隅にと向かう。談笑する者たちの間を縫い、どこからか向けられる熱い視線をかわし、やっとのことで避難した。植木鉢が置かれた一角に、身を潜めるようにする。

 澄んだ色の杯、淡い色の液でそっと喉を潤す。少しく顔をしかめ、けれども我慢して飲んだ。無害そうな顔をして、けっこう強い酒である。強い酒はたいして美味しいとはいえない。そして、夢のような空間は、遠くから眺めるからこそ美しい。セドリックが最近学んだのはこの二つである。

 なんでこんなことになっているんだ、とセドリックは何度目か思い返す。ディゴリー家は貴族といえど、たいした家格ではない。少なくとも大臣主催の宴や、その他「純血」の宴に招かれるほどの家ではない。一時、宴を催したことはあっただろう。だがそれは、ずっとずっと昔のことだ。エルドリッチ・ディゴリーの時代はとうに過ぎた。

 彼が世を去ってから、野心を抱かず、権力に近づかず……ただ生き残ることを選んだのがディゴリー家である。大臣や高官を輩出しない代わりに、平穏を手に入れた。言ってしまえばウィーズリー家と似たような類である。ご近所でもあるし。だが、彼の赤毛一族は純血でありながら反純血主義、マグルの友であるのに対し、ディゴリー家はどっちつかずであった。

 祖が魔法大臣になり「まっとうな正義感」で以て大監獄アズカバンの廃止、代わりの監獄を建設、それができなければアズカバンから吸魂鬼を追放する――という施策を推進しようとした。それが命取りになった。エルドリッチ・ディゴリーは表向きは龍痘による病死――その実、暗殺されたという説が根強くあるが、真相は藪の中……。

 頂から転げ落ちたディゴリー家はその後じわじわと沈んでいった。エルドリッチ・ディゴリーの死後、息女は北米の獅子の騎士に攫われた。弱ったディゴリー家が不埒な「婚約者」の手を払うためには、そうするしかなかったのだという。ディゴリー家は息女の弟が引き継いだ。セドリックの祖に当たる。

 ディゴリー家は懲りたのである。高みへ至ったとしても、足下には闇が口を開けて待っていると身に染みている。正道を貫けるのは、力があってこそ。ディゴリー家にはその力がなかったのだ。だから、エルドリッチ・ディゴリーは排除された。上流の――純血貴族たちに。暗殺を実行した、あるいは指示した者として有力なのはマルフォイ家であるが、証拠はなにもない。狡猾さも力であるという証であろう。

 力なきディゴリー家。祖の栄光の、悲劇の残滓にて生き延びてきた一族。貴族ではあるが、それだけの家だ。そんなディゴリー家のセドリックが、夏の社交――催される宴の数々に、出席している理由は?

「――お楽しみなようで」

 するり、とセドリックの隣に滑り込み、壁に背を預けたのは少年だ。闇夜の黒髪、右眼は夕暮れ混じりの青――群青、左眼が鮮やかな赤――紅である。ブラック家の色濃い血を感じさせる顔立ち。シリウス・ブラックの若い頃はこうだったのだろうな……と思わせるほどの。

「女の子のお相手なら、好きなだけ譲ろう」

 若君、とセドリックは言う。北米の貴族は肩をすくめた。

「狩人たちに八つ裂きにされたくないね」

「お嫁さん探しに来たんだろうに」

「いや、俺が婿としてどこぞの令嬢に攫われる危険も大きいよ」

 北米――アスラン家の若君は、わざとらしくぶるりと震える。やあ貴族は大変だ、とセドリックは他人事のように思った。若君はまだ十五歳かそこらだ。お嫁さん探しだのよりも、遊んでいたい年頃だろう。若君はなにも本気でお嫁さん探しに来たわけではないのだけど。

「残念ながら、英国は」

 こう、なわけで。

 セドリックは腕を一閃させ、大広間、その全体を曖昧に示す。魔法大臣は機嫌よく杯を傾けている。ハリー・ポッターは嘘吐きだ。かわいそうに、ダンブルドアに操られている。健全な家庭で育っていないから、易々と騙されるのだ……等々、言っているのだろう。

「予想はしていたよ」

 若君は淡々と答える。セドリックが手に持つ杯を、ちらりと見た。セドリックは「十七歳になっていないだろう」と若君をたしなめた。若君は「ああ、遠い英国くんだりにまで出張している哀れな子羊への恵みの雨すらないとは」と大仰に嘆いた。若君は親愛なるお母上に北米から送り出されたのである。お嫁さん探し……ではなく、情報収集のために。

「バグノールド閣下なら、速やかに動いたろうに」

 若君は嘆く。セドリックは沈黙した。現大臣、コーネリウス・ファッジの前任者。ミリセント・バグノールド。魔法ビル管理部からの叩き上げ、成り上がりの女傑である。

「君の家と、バグノールド閣下が繋がったのはめでたいことだ」

 控えめに言って、セドリックは魔法大臣の近く――純血たちが群がる場所を見やる。その中に、輝く金の色を認めた。一人の魔法使いが大臣と談笑している。若君の家、アスラン家の男だ。その双眸は鋭く研ぎ澄まされていて、大臣を射すくめているように見えなくもない。セドリックは、大臣の豊かな頬がひきつっているように思えてならなかった。

「馬鹿馬鹿しい連座を回避するには」

 婚約するのが一番だったからな。

 若君はさらりと言う。セドリックは暗澹とした気分になった。

 バグノールド閣下には子が複数いる。いずれも血の繋がりのない養子で、今回アスラン家の魔法使いと婚約したのは、クラウチ家出身の魔女であった。そう、あのクラウチ家の。死喰い人を輩出したクラウチ家、もはや滅んだも同然の名門の。

『はりぼての強さをお望みらしい』

 セドリックを夏の社交に送り出した男は、小馬鹿にしたように言ったものだ。我らが魔法大臣は、どうも小物臭くていけない。溝に潜み、鼠と暮らすのがお似合いだ、と。

『アスラン家が動いていなければ、もしかして』

 連座で監獄に堕とされていたかもね、と彼は言った。

 なぜならばファッジにはなにかしらの成果が必要で、闇に対抗する強き者の看板が必要だったから、と。バーテミウス・クラウチ・ジュニアの妹なんてちょうどよかったろうよ、と。

 もしかしての話である。なにも起こらなかったのだから。元よりアスラン家の魔法使いとバグノールド家の息女は親交があったようだ。アスラン家は闇祓いを多数輩出している。英国と北米の闇祓い出向制度により、アスラン家の魔法使いは英国に何年か出向していた。当時ミリセント・バグノールド魔法大臣の息女であった魔女と、その護衛についたアスラン家の魔法使いはそこで縁を結んだそうだ。

 ファッジがなにを考えていたにせよ、アスラン家の金獅子は素早く動き、バグノールドの息女との婚約を公にした。電光石火の早業だったそうだ。表面上は何事もなく、ファッジは金獅子に祝意を告げている……。北米貴族アスラン家の「婚約者」となれば、将来の妻も同然である。ファッジにはなにもできないのだ。

「――死喰い人の妹だからって」

 馬鹿馬鹿しいことだ。

 セドリックは吐き捨てる。若君が「うちの叔父もあれだがね」と言ってはいけないことを言った。

「レギュラス・ブラックは娘を救出しに行って」

 巻き込まれただけだ。

 セドリックは言う。若君はにやりとした。

「そういえばそうだった」

 ブラック家の令嬢はあのクソに攫われたんだった。純血だから。

 そうとも、とセドリックは返す。「ヴォルデモート復活の夜」の詳細版が語られる時も、その設定で押し通すのだ。レギュラス・ブラックが死喰い人だったということも、ブラック家の令嬢の出自も省くのである。仮にレギュラスが死喰い人だと告発されたところで、白を切るであろうし

「ダンブルドアの間諜として働いていた」という筋書きも可能にしているそうだ。

『証拠なんてないんだからね』

 当然のように言った男――セドリックを社交の場に放り込んだ彼――の面を思い出し、セドリックは舌打ちを漏らしかけた。俊敏狡猾スリザリン。証拠は残さないし、白を切るし、いよいよとなっても保険をかける、と。彼がデルフィーニの父でよかった。誠実さだけでは誰も守れないのである……と、品行方正、優等生、とある時の枝にてバーテミウス・クラウチ・ジュニアに「誠実な人間は扱いやすい」と言わしめた「元よけいもの」は思った。

 レギュラス・ブラックでさえ、デルフィーニを守り切れたとは言えないが。

 痛々しい姿の彼女を思い出し、セドリックは唇を引き結んだ。彼はなにもできなかった。血ならいくらでもあげるのに、それはできなかった。デルフィーニとは他人なので。彼女が聖マンゴに運ばれた後、付き添うことはできなかった。他人なので。容態が安定してからやっとのことで「友人枠」でお見舞いができたのである。恋人が危機に陥っていたというのに、なにもできなかったもどかしさよ。セドリックは自分の立場を恨んだ。恋人ってだたの他人なのである。

「……で?」

 あんたのお嫁さん探しはどうなの、と若君がクアッフルを投げてきた。セドリックは歯噛みした。

「ねえ若君?」

「うん」

「年上をからかって遊ぶなよ」

「あんたがあまりにも健気なもので」

 若君は、大変美しい笑みを浮かべた。ブラック家の邪悪なる笑みであった。シリウスにもレギュラスにもそっくりであった。シリウスはもう少し凄みがあるし、レギュラスは女をたぶらかす類のなにかが漂っているが。

「恋人の父親に顎で使われるなんて」

 健気じゃなくってなんて言う?

 若君は容赦しなかった。セドリックは俯いた。ええ、顎で使われていますとも。セドリックが夏の社交で精力的に飛び回っている理由。それが許される理由。ブラック家である。もとい、ブラック家当主レギュラスが背後にいるからだ。社交界におけるセドリックの身分は「ディゴリー家のセドリック」ではなく「ブラック家当主レギュラスが後見についている男」である。ディゴリー家では上流の社交に招かれないが……ブラック家の招待枠を使えば可能である。要するに、セドリックはレギュラスの駒であった。

『僕は怪我が尾を引いていて』

 だから名代(だいり)を頼むよ、とレギュラスは言った。セドリックは頷いた。都合よくセドリックのことを使うのならばそれもよしと思っていた。それに、レギュラスの兄シリウスにはよくしてもらっていた。家出したセドリックに住まいをあてがったのは彼である。相続した別邸の一つ、小さな館に寄宿させてくれたのだ。リーマス・ルーピンとしばらく同居生活を送っていたその場所は、現在不死鳥の騎士団の本部となっている。よって、ブラック家には頭が上がらないのだ。恋人の父と、恋人の伯父の家なわけだし。

「ねえ若君」

「なんだい」

「僕と君は従兄弟になるかもしれない」

 さすが若君、頭の回転が速かった。

「予約されちゃった? なるほどね。変なやつを近づけるくらいなら……と。社交に放り込んだのも、外堀を埋めるためか」

「いや、あの、まだ……婚約が確定したわけじゃあ……」

 デルフィーの意思確認がまだだし。だって彼女まだ十六歳だよ。いいのかそれは。

「従姉殿も嫌とは言わないだろう。それとも弱みにつけ込むみたいで気が咎める?」

 背中に大怪我を負ったらしいね。

 そんなことは構わない、とセドリックは呟いた。気を落ち着かせようと、踊る人々を眺める。少なくとも背中の開いた衣装を彼女が着ることはないだろう……とまで考えて、首を振った。品行方正な優等生がなんたる様か。妙な方向に思考が持って行かれる。

 あんな細くて、肩も薄くて、足も小さい――靴と靴下を脱がせたときセドリックはびっくりしたものだ――女に、なんていうことをしてくれたのだ。ヴォルデモートめ。絶対に許さない。

「弱みなんかじゃない」

 セドリックは唸った。大怪我は彼女が戦った証、生き延びた証だ。傷跡とやらがどんな具合かわからないが。だって見ていないし――よけいなことを考えて、いやらしい想像を必死に締め出した――彼女は傷物などではないのだ。

「俺は叔父貴の眼に狂いはないと思うね」

 ブラック家の――闇夜の血筋の娘、その身体を欲しがる者は多い。だがあんたは違うだろう。

「彼女はただの女の子だ」

 セドリックはぴしゃりと返した。なんだ身体目当てって。最低である。そりゃあ接吻はしたが……セドリックは好き勝手できるお人形がほしいわけではないのだ。

「婚約すれば」

 ただの他人じゃなくなるぞ。

 悪魔の囁きである。ついでに、黒髪の悪魔は顎をしゃくった。

 アスラン家の金獅子と、それに寄り添う魔女を。

 黒髪に星の眼――ブラック家の血統が濃く現れた――魔女の片腕は切り落とされ、代わりに美しい銀の腕がついている。その銀の腕から、レディ・シルヴァーと魔女は呼ばれていた。

 金の獅子と銀の魔女。実に幸せそうである。羨ましい。ものすごく羨ましい。

 セドリックの心は折れた。恋人の父から打診されていたのだ。婚約はどうか、と。わかっていた。躊躇っていたが……。

「彼女に訊いてみる」

 ぼそぼそと言った。

 悪魔は、

「そんな心配しなくても大丈夫だって」

 と実に軽く言った。大歓迎であった。

 少なくとも、悪魔が父方の又いとこ、母方の叔母と婚約するよりはよほどよい。いやだそんな泥沼……と考えていることなど、おくびにも出さなかった。





人物・設定

レギュラス・ブラック
ブラック家当主。星見、あるいは星読みと呼ばれる異能者。本来ならば湖底に沈んでいたはずだったIF。
デルフィーニ・ブラックの父。ホグワーツの理事。広義の呪い破り。
ヴォルデモートを裏切った。その左腕には火傷の痕のみがある。

デルフィーニ・ブラック
レギュラスの娘。ブラック家の遠縁の娘をレギュラスが引き取ったと記録されている。
ブラック家次期当主。宝剣『星屑の剣』の使い手。七変化。黒髪に紫眼。生来の姿は白銀髪に赤眼。本来より十数年早く生まれたIFである。
虚弱。いわゆる蒲柳の質。が、負けず嫌い。侮辱は許さない。暴言も許さない。
父ではない父によって傷を負わされる。
稲妻を背負いし、赤い眼の白いるか。勇敢なる者。セドリックの恋人。

シリウス・ブラック
レギュラスの兄。デルフィーニの伯父。家を棄てて出奔した。元アズカバンの囚人。冤罪が晴れ、自由の身に。
レディ・アスランの夫。彼女との間に一子を儲ける。
弟と姪のために影であれこれと動いていた。

アル
デルフィーニのともだち、相棒、護衛。闇毛に黄金の眼の狼。名前は北斗七星の破軍、アルカイドからとられた。略してアル。
とても賢い狼。偽マッド・アイが怪しいと勘付いていた。

セドリック・ディゴリー
よけいものでなくなった男。死線をくぐり抜けし者。デルフィーニの恋人。
デルフィーニのことを幸運の女神だと思っている。彼女に釣り合うような男となるために、鋭意努力中。

レディ・アスラン
アスラン家の本家当主。黒髪に群青の眼の佳人。闇祓い。シリウスの妻。北米はイルヴァモーニー卒。
虹彩シリーズ世界の、いわゆるIFの存在。
ヴォルデモートとアスラン家の魔女の間に生まれた。

アスラン家の若君
黒髪に群青の眼と、赤――紅の眼を持つ。シリウスとレディ・アスランの息子。虹彩シリーズ世界の、いわゆるIFの存在。ヴォルデモートの孫。

アスラン家の金獅子
IFの姿。ほぼやってることは変わらない。今回は事が起こる前にさっさと雛鳥を攫った。元々バグノールド閣下から打診があったらしい。

レディ・シルヴァー
IFの姿。金の獅子の手をとった。なお、こちらでも生家の家督を継ぐことはない。クラウチ家の邸や財は、某家ではなく巡り巡ってブラック家が手にする。しかし別の時の枝と違って、クラウチの名が残ることはなく、滅亡する。

『ブラック家』
紋は『双狼』。貴色は黒と銀。星の眼を持つ、双子の狼。
狼たちを引き連れて、どこからともなく現れた双子の狼と呼ばれる者たちを祖とする。
初代当主たちではなく「初代当主」と呼ばれる。二人で一人。二つで一つ。
純血よ、永遠に染まらず濁らず色褪せずを掲げる家系の祖は、あまりに濃い交わりをしたとされる。
その子孫は死をも喰らう死神犬と恐れられた。

『家系図』
映画版では樹だが、原作準拠で名前+金の糸を採用。
星々を結ぶ物語。
星図を描くのはブラック家当主、あるいは当主夫人の権限であった。当主夫妻がいなければその子が描く。

『星屑の剣』
アストライア。ブラック家の保管庫に眠っていた剣。天より降りたる星屑(つまり隕鉄)を鍛え、蒼い炎を込めたもの。ブラック家に伝わる宝。
柄は黄金。サファイアがはめられている。剣身には北斗七星が刻まれている。
デルフィーニが受け継ぎ、左手中指に指輪となっておさまっている。

『高貴なるもの』
ブラック・ブラッド。グレニアン黒変種をかけあわせ、固定化したもの。ブラック家のための馬。

『月夜の騎士』
ムーン・ナイト。レギュラスが森番のハグリッドから「お礼」に譲り受けた狼たち。満月の夜、人狼どうしの交わりから生まれた狼。深い闇毛と月を思わせる黄金や銀の眼を持つことから、レギュラスが名付けた。
一匹はデルフィーニが、残り三匹はレギュラスが所有している。

収入源などの話
父祖から受け継いだ財があり、働かなくても食べていける。馬の育成をしており、ブラック家産の駒は間違いなくよい馬と言われる。貴族の間ではブラック家の馬を持つことが一種のステータスとなっている。 犬、狼犬、大狼も飼育している。レギュラスがホグワーツの禁断の森生まれの狼を譲り受け、ここに加えた。

余談
虹彩シリーズ子世代編の三章、四章に出てくる「闇毛の天馬」はおそらくブラック家の産駒とリアイス家の産駒を掛け合わせたもの。後付けである。
スリザリンの系統はブラック家の馬をもとめ、グリフィンドールの系統はリアイスの馬を求め……だったのだろうきっと。
どのみち両家が合体してしまったので後付けである。
家系図も『星屑の剣』も虹彩シリーズ世界に存在しているが、ブラック家当主は放置していると思われる。

『アスラン家』
数百年前――約六百年前に英国を捨てて出て行った一族。流浪の果てに北米にたどり着く。スカウラーの狩り手であり、闇の魔法使いたちと敵対する。MACUSA設立に貢献、はじまりの闇祓いを輩出した名門。
獅子の騎士と呼ばれる。

『去りし魔法騎士一族』
おとぎ話の存在。数百年前にあった「名前のない戦」あるいは「封じられた戦」と呼ばれる戦いにより疲弊し、滅亡。すさまじい戦を起こしたと疎まれ、追われ、一族は英国を出た。
元の名は誰も知らない。
この戦により滅亡せずに生き残るか、滅亡するかが分岐点である。
生き残れば魔法騎士一族は英国の覇者となり、グリフィンドール系の大貴族、筆頭名門として在る。
なお、滅亡しようがしまいがこの一族から分かれ、アスラン家は誕生する。

『忘れられた幻獣』
去りし魔法騎士一族に戦を仕掛けた一族。去りし魔法騎士一族が切り落とした影であり、ゴーントとも同根である。戦を仕掛けたはいいものの、長引いた戦により疲弊、滅亡した。

『ゴーント家』
かつて、忘れられた幻獣と正統なるスリザリンの末裔の座を争い、敗れた。しかし落ちぶれながらも生き残った。
北米に複数の末裔が存在する。
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