三校対抗試合最終日から数えて約二ヶ月。八月下旬。英国はとある地方の、緑輝く丘――大樹の陰。木漏れ日を浴び、澄んだ翠に髪を染め、デルフィーニは赤い眼を細めた。敷物に仰向けになり、珊瑚色の唇を開く。
「ポッター家相手じゃあ」
言いがかりをつけてどこぞに入れるわけにもいかないものね。
「たとえば、聖マンゴの特別病棟とか」
「……ファッジが特別病棟に行ったほうが、世のため人のためなんじゃない」
「だいぶおかしいが、日常生活に支障がないからね、彼」
セドリックは控えめに言った。その眼は軽く伏せられ、声は沈んでいた。デルフィーニは彼も疲れているのね……とたいして気にも留めなかった。退院して一日。不在の間の出来事を聞く限り、セドリックは大いに忙しい日々を過ごしていた。まさか父――レギュラスの名代であちこちの社交に顔を出しているとは思わないではないか。しかも、二日前はルーファス・スクリムジョールに招待されたノグテイル狩りに行っていたようだし。スクリムジョールのご令嬢に絡んでいたマクラーゲンを撃退したようだし、疲れて当然である。セドリックだけでなく、スラグホーンの仕立て屋――デルフィーニより二つ下のスリザリン生も助太刀したようだけど、それはそれ、これはこれ。セドリックはお疲れなのだ。
デルフィーニの優秀……とされる頭脳は、婚約者の憂いを察せなかった。ああ、一瞬だけ神々しいなにかを見た気がしたのに……とセドリックが無念さを噛みしめていることなどわからなかった。彼女の思考はどこまでも現実に向いていたのだ。浪漫とか夢想とか、ある種の欲求ではなくて。
「無能な働き者」
ぴしゃりと言う。ファッジのことはただの傀儡くらいに思っていたのだが、操られるのにうんざりしたらしい。傀儡使いの糸を引きちぎり、勝手をし始めたようだ。
ダンブルドアの傀儡こと、稲妻形の傷持つハリー・ポッターを貶め、挙げ句に吸魂鬼まで送り込み……たかだが学生の裁判に、ウィゼンガモット大法廷を召集したとか。マグル生まれ同士の諍いにブラックやマルフォイが噛むようなもの、それか子どもの喧嘩に親が出張るようなもの、である。つまりやりすぎである。
そこまでしてファッジが得られたものはなにもない。マグル居住区で守護霊の呪文を行使した、目立ちたがり屋で情緒不安定、虚言癖があるハリー・ポッターにまんまと逃げられた。被告ことポッターの証言、ダンブルドアが召喚した証人の言に齟齬はなかった。尋問を担当した魔法法執行部の長、アメリア・ボーンズは問うべきを問い、己の職責を果たした。ファッジの「スクイブ」への態度、ダンブルドアへの噛みつき具合があまりにも見苦しいと思ったのか「大臣、あなたはいつから魔法法執行部の者になったのでしょうか」と無能な働き者、暴君への階を上りつつある者に掣肘を加えたらしい。まとめると、ファッジの面目は丸潰れ。彼に面目なんてものがあれば、だが。
「せめて飾りでいればいいものを」
椅子の置物であればよかったのである。
「……評判はよくないね」
セドリックはだいぶ抑えた言い方をした。デルフィーニは鼻を鳴らす。草地に伏せをしているアルをそっと撫でた。狼はゆるく尾を振る。
「次の大臣はルーファス・スクリムジョールかアメリア・ボーンズか……」
妥当なのはその線であろう。ファッジの足下は危うい。約二ヶ月の間に、着々と転げ落ちている。終わりへの坂を。勝手に転がり落ちているだけであるが。ヴォルデモートの復活を頑として認めないのはいいとしよう。誰だって信じたくないだろう。バーテミウス・クラウチ・ジュニアという生きた証拠も、真実薬による開示もなにもかも黙殺した。護衛の闇祓いたちがなにを言おうが無視。部下たちの報告を受けたルーファス・スクリムジョールの進言も無視である。もちろん、ダンブルドアのことも「耄碌した老いぼれ」と無視。彼が庇護するポッターのことも精神異常者だと決めつけた。
そこまではわからないでもない。だが、悪夢という狼に追い立てられた子羊は、どうもバーテミウス……長いなもう、ジュニアだジュニア……の妹を事と次第によれば監獄に放り込むつもりだったようだ。勅命書の叩き台作成の段階で、白紙に戻ったらしいが。ファッジは怪物や怪物の血族が怖いらしい。臆病な子羊。もっとも、電光石火の速さで北米貴族、獅子の騎士が動いて丸く収まった。
とはいえだ、ファッジの暴挙未遂は波紋を生んだ。正確には「純血」たちを震撼させた。死喰い人の血縁まで連座させようと? しかもなんの証拠もなく? あのバグノールド閣下の養女に手を伸ばすとは……等々。あの男、ナイフとフォークの使い方も知らないらしい、と評判だったようだ。作法も知らない愚か者、の意である。ファッジの命運は決定したようなものだ。一年以内には座を退くか、引きずり下ろされるかするだろう。
「スクリムジョールがいいと思うね」
なるべく早く交代してくれたら嬉しいな、とセドリックは言う。その手は傍らの狼――ミザールを撫でた。デルフィーニは姿勢を変えた。仰向けから横向き寝へと。すかさず、セドリックが杖を振る。柔らかなタオルケットがデルフィーニを包んだ。
「おやすみには早くない?」
まだ午後一時である。午前中は学用品の買い出しに行っていた。皆の分もまとめて。まさか、不死鳥の騎士団員がぞろぞろと買い物に行くわけにもいかず、デルフィーニとセドリックがダイアゴン横丁に出かけたのだ。白いるかとホグワーツの代表選手は目立つので変装した。買い物リストはそれほど長くなかった。せいぜい教科書くらいである。ローブの袖や裾が短くなった等の問題は、ブラック家お抱えの仕立て屋が鮮やかに解決した。それに、魔法薬の材料は、ブラック家の別邸――伯父所有の館、不死鳥の騎士団本部にあるもので間に合った。
買い物という大任を果たしたねぎらいにか、デルフィーニとセドリックはピクニックにでも行ってきなさいと送り出された。モリー・ウィーズリー、旧姓プルウェットがデルフィーニに思うところがないのは、単に公平な人物だからなのか、それとも自分の夏期休暇の課題を片づけるついでに、ウィーズリー家の末息子と末娘の勉強もみてやったからなのかはわからない。ちなみにデルフィーニの夏期休暇の課題はまだ終わっていない。全部ヴォルデモートのせいだ。例年ならばとっくの昔に終わっているのに。ポッターもウィーズリーきょうだいもなんで課題を八月後半まで溜めるのか。そう、デルフィーニはポッターの勉強もみたのである。なし崩しにデルフィーニも不死鳥の騎士団に入ったものだから。いや、気づけば入っていたし、選択権はないも同然なのだが。対ヴォルデモート、対闇の陣営を掲げる地下組織でデルフィーニにできることなど、年少者たちの勉強をみることくらいであった……。
退院し、父に引きずられるようにして不死鳥の騎士団本部に顔を出したところ、赤い眼の白いるかになってしまった――本当は戻ってしまった――デルフィーニに、棘のある態度をとる者はいなかった。ダンブルドアはデルフィーニの正体を言っていないらしい。デルフィーニは攫われた純血の令嬢で、父ことレギュラスは娘を救出しに行ったという体である。そして騎士団員たちの中に察した者がいたとして、それを口にしないだけの賢明さがあった。
デルフィーニは石を投げられても仕方がないし、捕らえられて引き回された挙げ句に生きながら焼かれても文句は言えない立場なのだ。そういった例は皆無ではない。近年だと『
――儲けた
そう思っておこう。ヴォルデモートに拷問されたのは無駄ではなかった。離脱間際に悪霊の火がかすめたのも無駄ではなかった。稲妻を背負ったのも無駄ではなかった。死にかけたのも、なにもかも……免罪のためと思えばいい。
苦杯を飲んだからといって、すべてが赦されるわけではないだろうが。
タオルケットにくるまり、身を丸める。
「……夕食はなにかしらね」
モリーにウィンキーを貸してほしいと言われて了承したが、なにか手の込んだものでもつくるのだろうか。ノグテイル狩りのお土産にスクリムジョールがセドリックに肉を持たせたようだけれども。ノグテイル、実は食べられるらしい。そんなことはニュート・スキャマンダーの本には書いてなかった。
「ハリーが無罪を勝ち取ったのと、ロンたちが監督生になったお祝いをするらしいよ」
あんまりこってりした料理じゃなければいいな、とデルフィーニは思った。退院二日目である。病み上がりである。夕食をともにしたらお暇しよう……手洗いで嘔吐して、モリーを悲しませたくない。
「君、なにが好きだっけ」
あなたのことは好きよ、と危うく言い掛け――眠気が悪いのだ、それに虚弱なこの身体が悪いのだ――問いを咀嚼した。ぼうっとしたまま答えた。
「あっさりしたやつ……レモンチーズケーキか……」
病み上がりじゃなきゃアップルパイかな……と。フラーじゃないが、デルフィーニもこってりしたものは得意ではないのだ。入院中、フラーから手紙をもらったなと思い出す。素敵な殿方を見つけたので、ロジャーと別れたどうこう……ロジャーからの手紙は一言だけ、デルフィーニの安否を問うものが来た。チョウも似たようなものだ。長文が読める状態かわからない、とデルフィーニを気遣ったのだろう。
恵まれている。
夢の神に瞼を撫でられ、眠りに沈む間際、白いるかは強く思った。自分はとてもとても、恵まれている。怪物の血が流れているのに。不釣り合いなほどに……。
セドリックがなにかを囁く。杖先から銀色の影が飛び出して、駆けていく。あたたかな輝きに小さく笑んで、デルフィーニはそっと眼を閉じた。
「あら」
へえー、と楽しげな声に、ハリーは瞬いた。ショッキングピンクの髪をした魔女が、長く細い指で、レイブンクローを彷彿とさせる、青の空を示す。天を泳ぐ、銀色の影を。
「いるかだね」
ハリーは見たままを答えた。今は「おつかい」の最中である。といってもご近所の丘に伝言もとい、聞き取りに行くだけの簡単なものだ。モリー小母が気分転換を兼ねて館の外に出る用事を作ってくれたのだ。なにせ、ハリーは約一ヶ月もダーズリーたちのところに缶詰になっていたから。シリウスのお陰でハリーの扱いは随分とマシになったとはいえ、社会――魔法界から切り離された生活は堪えた。おまけに吸魂鬼に襲われて、と
「で、トンクス。守護霊なんて珍しくないでしょう」
「ある意味珍しいのよね」
大人の女の人はよくわからない。ハリーははいともいいえとも、それってどういうこと? とも言わず、黙々と丘を上った。行く先にいるのは二人だ。そのどちらかの守護霊だろう。ハリーは彼女が守護霊を出して、マルフォイをこてんぱんにするところを見たことがある。そして彼だって守護霊を出せるだろう。だって三校対抗試合の「本当の優勝者」だし。優勝しなくてよかったのだが。していたら死んでいた……。嫌な想像に、ハリーはぶるりと震えた。危うく、己の善意で人を殺すところだったのだ。三校対抗試合の結果は、ハリーが優勝者ということになった。悪魔に導かれた優勝である。賞金は四人で山分けした。結局、誰も彼もが消化不良の三校対抗試合の賞金を手に取る気にならず、ならばよいことに使おうと、双子の悪戯専門店の資金として寄付したのだけど。
誰も死ななくてよかった。
ふう、と息を吐く。トンクスはすたすたと上っていく。体重なんてないみたいな動きで、狩人のようであった。それもそのはず。トンクスは闇祓いで、つまり狩人なのである。闇の魔法使いを狩る者なのだ。
たぶん、きっと、デルフィーニの正体を知れば、狩るのだろう。職務だから……。
絶対に口を割らないし、白を切るぞ、と決意を新たにする。仇の娘だ。それはわかっている。だけれども、それはデルフィーニが望んだことではない。それに、ハリーはあんなにも傷つけられた誰かを見て、一度心臓が止まってしまった誰かを見て、ざまをみろなんて思えない。
ああ、デルフィーニが朦朧としていて幸いだった……聞いてなくてよかった。娘を痛めつけ、夥しい血を流させて、明るい声で言っていたのだから。
こんな弱く脆い娘でも、ほしければくれてやる、と。
八つ裂きにしてもよいの意味なのか、それとも……きっと、ろくでもなく、おぞましいほうの意味合いだったのだろう。この世には獣が多くいる。忌まわしい、怪物が。
拳を握る。じんじんとした痛みが食い込む。
やっぱり、彼女を憎む気になれない。かわいそうで、強い彼女。実の父親によって殺されかけた彼女。くれてやると言われた彼女……。
幸せになればいいのにな、と思ってしまう。あんな惨い有様を見てしまえば、きっと誰だってそう思う。
「この色男」
丘のてっぺんにたどり着き、トンクスがぶんぶんと手を振る。
「なんのことかなトンクス? あと静かにしてほしい」
セドリックは唇に人差し指を当てる。トンクスがハリーを振り向いて、同じようにした。なんで僕が注意されているのか。
口を閉じたまま、セドリックを見やる。彼は膝を突き、誰かの――眠る彼女の背を軽く叩いていた。優しい手つきであった。
家族だな、と思う。孤児で、家族について――それがどういったものか、未だに手探りな少年は、そこに幸福の形を見た。
「モリーがね、デルフィーの好きなものをって……」
「訊かれると思ったから、さっき守護霊を送ったよ」
「いるかのね」
「そうですけど?」
「ねえねえ、色男」
君の守護霊ってさ、元からそうだったわけ?
大人のからかいに、セドリックはまったく動じなかった。にやりとして彼は言った。
「こうなる運命だったんだろう」
白いるかに出会ってしまったからね、と。
丘からの帰り道――ハリーの勝訴、ロンとハーマイオニーの監督生就任、デルフィーニの退院祝いまであと数時間――トンクスに教えてもらった。
守護霊は誰かへの愛で形を変えると言われているのよ、と。
ハリーは頬の火照りを極力無視し、トンクスに返した。
「トンクスもそういう愛を見つけられたらいいね」
彼女はにっこりした。
「あの二人を見ていると、そう思う」
ああいう幸せを守るために、私は闇祓いになったのよ。
私の愛は無限大よ、と。
レギュラスは羊皮紙を指で弾いた。
「……譲ってやったと思おうにも」
これは嫌だな。
見返す気にもならず、羊皮紙を放り出す。ひらりと舞ったそれは、紅に飲まれ、灰となって消え失せた。わざわざ残しておく価値もなく、内容は頭に入っている。
とある女に関しての調査書、しかも中身は羊皮紙一巻き分程度、覚えるのはたやすい。
ドローレス・ジェーン・アンブリッジ。女性。■■歳。ホグワーツ卒。スリザリン出身。魔法省入りし、魔法不正使用取締局の室長を務め、魔法大臣に目をかけられ「上」へと位階を進めた。どうも品行方正な能吏どころか、気に入らない者は蹴り落とし、都合の良い男には媚びを売り、となかなかの性格をしているようだ。顔が広いアーサー・ウィーズリー曰く「実は父親が魔法ビル管理部にいるという噂が」「母親はどうもマグルで、弟がスクイブ……らしい」等々を耳打ちしてくれた。レギュラスはアンブリッジ姓の馬の骨なんて存在すら知らなかったのだが、魔法省の古株の中ではある意味有名な女らしかった。
各家との時候の挨拶に見せかけた「新任教師」についてのやりとりも、アンブリッジとかいう女が好ましからざる性質の女であることを明らかにした。
出自について――魔法ビル管理部にいるアンブリッジ姓の男、スクイブなのではと囁かれる……について――訊いた者は、もれなく災厄に見舞われていた。たとえば、横領等が発覚して職を失うなど。不思議なくらい「もれなく」酷い目に遭っていたのである。証拠はなく、ただの偶然という見方もできる。だが、いくらなんでも偶然が重なり過ぎやしないか、とアンブリッジという女は寄るな触るなで避けられていた……というのが各家、その縁者たちの証言である。
いわゆる純血にとって、アンブリッジは脅威ではない。出自の定かではない、怪しげな女である。好きなだけ純血ごっこをしたまえよ……どうせ混血だろう……である。気に入らない者は排除するといっても、狡猾なのか、根性がないのか、いわゆる「純血」には手を出していなかった。仮にレギュラスが魔法省入りして、たとえば魔法法執行部に所属し「そういえば、アンブリッジ姓の者が魔法ビル管理部にいたね」と振っても、彼女は「なんのことかしら」でさらりといなすだろう。それだけで、報復まではしないと断言しよう。一応、相手は選んでいるのだ。
上流の者たちにとっては、蠅が威勢良く飛んでいるな、くらいの認識であったのだ。ただし、セルウィン家の者たちはその蠅を叩き潰したくてうずうずしているようだった。アンブリッジとかいう泡沫以下は、よりにもよって純血の家名に連なる者だと吹聴している。騙りである。何代まで遡れば純血といえるのか、等の議論はおいておこう。聖二十八族という幻想についても保留である。その幻想を都合良く利用し、仲良しごっこをしているのが上流の者たちなのだが――端的に言えば、アンブリッジとかいう馬鹿女は、汚らしい身なりで宴の場にやってきた身の程知らずである。
セルウィン家の者たちの怒りは当然であった。どこの馬の骨に騙られるとは、彼らも気の毒なものである。その屈辱は察するに余りある。嘗められているのだから当然だ。馬鹿女は「この程度ならば騙ってもよし」と判断したのである。ブラックやマルフォイの縁者だと吹聴していないのがその証拠だ。下手に騙ろうものならばらばらにされて海に遺棄されると判断したのだろう。愚か者のくせに。なお、本当に吹聴しようものなら、レギュラスはその口をきゅっと縫いつけてやった後に、やさしく撫でてやって、そっと皮を剥がし、どこぞの大樹に吊り下げて干し、適当に切り刻んで自然の理に任せ、骨は砕いて海に棄てるであろう。名家を詐称するとはそういう危険を孕むものだ。
これがグリフィンドールやレイブンクロー、ハッフルパフ出身の者ならば、貴族の矜持も知らぬ愚か者よ……と多少は笑ってやることもできた、かもしれない。よりにもよってスリザリン出身、つまり貴族と接したことがあるに違いなく、ぼんやりとでも貴族がなんたるか――純血を名乗る者たちがどういった考えをもっているか――を理解しているはずの者がやらかしたのだから、救いようがない。
外からは意外と思われるだろうが、ドローレス・ジェーン・アンブリッジという女は、スリザリン出身者、つまり純血貴族から不興を買っている。レギュラスも不興もとい支持しない、いいや排除に一票である。スリザリン系にアンブリッジの味方はいないだろう。友人の顔をして、後ろ盾のふりをして、汚れ仕事を押しつけようとする者はいるかもしれないけれど。
ファッジも運が悪いというか、見る目がないというか、馬鹿というか、頭が空っぽというか……とレギュラスは好き放題に呟く。グリモールド・プレイス十二番地、ブラック本家の邸にはあらゆる守りが敷いてある。魔法大臣という座にあるだけの男と、そのお気に入りへのあれこれが盗聴される恐れはない。聞かれていたとしても、ただの独り言である。知ったことではない。
保って一年だろう。囁いて、茶器を手に取った。居間にはレギュラスと、狼が二匹。寂しいものである。娘はホグワーツに行ってしまった。
「ブラック家には手を出さない」
そのあたりはアンブリッジもわきまえているはずだ。娘に害がなかろう、と踏んで闇の魔術に対する防衛術教授への就任に異を唱えなかった。そもそも、教師の任免は校長が司る。理事が口を出す問題ではないのだ。理事の仕事は校長に苦言を――平たく言えば文句を言いまくり、よりよい学校運営を目指すことである。一応、建前上ではそうなっている。ルシウスのように教師を標的に事を起こすのは希である。彼の場合は「元理事」であったが。ああ「たかが森番相手に裁判を起こそうとするなんて」「ご子息のほんのちょっぴりの切り傷で激昂なさって」等々の噂を流したこともあった。懐かしい。ハグリッドの一件をとっかかりにして、ダンブルドアを引きずり落としたいという目的があろうとも……あのやり方はみっともなさすぎた。
ルシウスは過去を懐かしむどころか、過去の清算に追われているに違いない。不忠者たちへのヴォルデモートの怒りは深いだろうから。そして、ルシウスは預けられた闇の品が破壊されたことを隠すだろう。トム・マールヴォロ・リドルの日記を。なにせ、預かりものを「お遊び」に使った挙げ句、使い物にならなくしたのだから。ルシウスとて預かりものが『分霊箱』と知っていれば、軽率な真似を控えた可能性は高い。ある意味、秘密主義のヴォルデモートの自業自得とも言える。が、親愛なるヴォルデモートは己の非を認めないであろう。もし、日記が破壊されたことを知ればルシウスを何時間も拷問する、あるいは妻子をいたぶる等々は火を見るより明らかだ。せいぜい、ルシウスには粘ってもらおう。『分霊箱』は損なわれておらず、従って己は完全無欠な不死の存在とヴォルデモートが驕っていたほうが都合がよいのだ。マグル育ちの卿は、つくづく神秘的、いいや怪しげなものがお好きだ。おとぎ話の『分霊箱』とか、予言とか。賢者の石とか。一周回って俗っぽく、幼稚だと思うレギュラスがおかしいのだろうか。
どいつもこいつも俗物なのかもしれないな、と紅茶をひとくち飲む。ファッジしかり、アンブリッジしかり、ルシウスしかり、ヴォルデモートしかり……もちろん、レギュラスも。
レギュラスにとって大事なのは娘の安全――平穏である。だから、スリザリンの馬鹿女の教師就任も反対しなかった。譲ってやった。無理矢理、レギュラスか誰かが滑り込むこともできたかもしれない。できなくはなかったのだが、暴走しがちな魔法大臣に目を付けられるのは得策ではなかった。ホグワーツは、ひいては校長は、魔法省に反意ありだなんて言いがかりをファッジが付けてこないとは限らなかった。なにせ、死喰い人の妹になにやら仕掛けようとしたらしいし。どうも、裏では馬鹿女ことアンブリッジが動いていたようだが。ろくでもない女である。純血への奇妙な憧憬と劣等感が同居して、屈折し憎悪になった類であろう。純血もマグル生まれもどいつもこいつも憎い、というやつだ。本人が気づいているかは知らない。場合によれば、階を駆け上がり、あらゆるものを屈服させて暴君となるであろう。面倒な女。
趣味も悪いのだったな、と思い出す。なんでもピンクの服と馬鹿馬鹿しいリボンがお好みだとか。かわいそうに、品のよい装いを学ぶ機会がなかったようだ。
個性的でしたね、と控えめに言った「未来の婿」に思いを馳せる。具体的にと返せば、眼を泳がせながら、ピンクの服で……リボンが……人の見た目に言及するのってどうなのでしょう……と困り果てていた。お上品なことである。人間としては正しい。が、レギュラスは婿に鼻を鳴らした。ファッジの耳元でこそこそ囁いているのはあの女であろう。つまり、バグノールドの養女に「死喰い人の妹」だからという理由で手を出そうとしたファッジの愚行にも噛んでいるだろうよ、と。
婿ことセドリック・ディゴリーは手のひらを返した。あれは趣味も性格も悪い女です、お父さんと言った。レギュラスは、己がセドリックに悪影響を与えているのではと危惧した。品行方正な優等生であったのに、多少の毒――味が出てきたような。ただのよい子にブラック家の婿は務まるまい、と強いて考えないようにした。
「……ディゴリーのこともつつかないだろう」
たぶん。
後日、ふくろうが手紙を運んできた。娘からであった。連ねられているのは「アンブリッジ先生はすばらしい」等々の美辞麗句。しかし、レギュラスが息を吹きかければ、ひしひしと怒りがにじむ文面が現れた。なにあの気持ち悪い女。理事権限でどうにかできないの。あれがスリザリン出身なんて嫌だ……等々であった。
レギュラスは眼を瞑った。それは理事ではなく校長の領域なのだが。教師の任免は校長の権限なのだ。
仮に理事たちが教師を気に入らなければ校長に疑義を唱え、改善されなければ決をとり、全会一致となれば校長を辞めさせるのが通例である。そして新たな校長を動かして教師を辞めさせるという段階を踏まねばならない。建前だが。理事が圧力をかけ、弱腰な校長が屈服するなんてこともあっただろう。誰もがダンブルドアのように確固たる信念を持っているわけではない。高祖父フィニアス・ナイジェラス・ブラックのように、なぜ教師になったんだよという輩もいることだし……等々の細かい話は省き、こう返事をしたためた。
そんなに気に入らないなら、階段から振り落とすなり、万が一校長になりたいと思っても校長室に入れないようにしてやりなさい。君ならできる、と。
アスラン家の甥情報である。たぶん、デルフィーニには末裔特権があるだろうよ。好きにすればいいさと書いて寄越してきた。ダンブルドアが、ひいてはホグワーツがきな臭いと北米に伝わっていたのだ。
甥はこうも書いていた。俺たちは英国を捨てたんだ。いいや、捨てられたんだ。もはや帰るべき場所は北米となった……。守るべきはホグワーツではなく、イルヴァモーニーだと。
燃やしてしまった手紙を思い返し、レギュラスは歌うように呟く。「去りし魔法騎士一族」と。
そう、彼らは英国に、魔法族に捨てられたのだ。かつてホグワーツを逐われたサラザール・スリザリンのように。
英国西部、古の大領地は見る影もない。ゴドリックの谷という名は残り、村も残っているものの、『谷』と一括りにされていた場所の大半は人の住める土地ではなくなっていた。点在していた城は破壊され、炎がちろちろと燃える、無人の荒野となっている。「去りし魔法騎士一族」の怒りが燃えているのだ。数百年経ってもなお。
英国は、魔法界は魔法騎士一族の存在に否を唱えた。もはや彼らに縋ることはできない。
捨てたものを惜しむまい。落花は枝に帰らず、破鏡再び照らさず、覆水は盆に返らないのだから。
「ヴォルデモートに終わりを与えるのは」
僕らなのだ。
小さく呟いた。どこか、祈るような響きを帯びて。
祈れども、レギュラスは天を――星を見なかった。天の絵図など関係がない。
必ずや、あの禍つ星を射落としてみせよう。
星とて終わりがある。すべてに終わりがある。
ヴォルデモートは、赤い眼を持つ禍つ星は、あちら側へ行き損ねた幽霊未満の存在から脱した。己を生の側へと戻してしまった。生死の境界から舞い戻ってしまったのだ。
この世には絶対の
死者は蘇らない。
そして、生きているということは。
死ぬということだ。