【完結】白いるかの眼は赤い   作:扇架

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二十九話

 アーサー・ウィーズリーが重傷を負った二日後。冬期休暇中のホグワーツは校長室。

「レディ・シメーレの言とも一致していますね」

 レギュラスは卓の上――魔法具から立ち上る煙を見つめていた。緑にゆらめく二匹の蛇である。

「――本質的に分離している」

「……魂の混線、融合――なにぶん魂の領分ゆえ……どれも適当ではあるまいが――そういった不具合は起きていないようじゃ」

 ダンブルドアは頭の痛そうな顔をした。レギュラスも似たような気持ちであった。

「魂を裂くなんて暴挙に出るから」

 あれこれとややこしくなった。紛い物の不死。『分霊箱』。それさえなければヴォルデモートが放った「死」は、守護によって跳ね返されておしまいだった。ヴォルデモートは倒されました、めでたしめでたし。それ以前に闇祓いたちに始末されていただろう。ヴォルデモートの人間離れした伝聞――傷を負っても痛みを感じていないようだった――等は『分霊箱』の影響だろうから。魂を欠けさせた対価なのか否か、ヴォルデモートは痛みに鈍く、さながら戦うために生まれてきた怪物のようである……とはよく言われていた。傷を付ければ多少なりとも動きが鈍る。そのはずなのにヴォルデモートは止まらない。そして闇祓いは返り討ちにあった……。

「閉心術を、ハリーに教えてくれんかの」

 話が飛躍した。レギュラスは唸った。すれ違いがあってはいけないので、確認する。

「憑依されないために?」

 本質的に分離している二つの魂。レディ・シメーレ曰くハリー・ポッターの魂が主で魂の欠片……変則的な『分霊箱』が従である、と。欠片ごときが憑依することなんて、と言い掛けた。そして思い出した。本体――ヴォルデモートがなにをしたか。赤の他人のクィレルに憑依してのけた。彼の人格まで食い尽くすことはなかったが、命をすすっていたはずだ。

 なんとなく、ハリー・ポッターとヴォルデモートに血の繋がりはないのだし、と軽視していた。よしんばポッター家にスリザリンの血が混じっていても、極めて薄いものだろう……と。レギュラスの基準はあくまでも「ヴォルデモートの娘」の一人であった。父子の繋がり。血の呪い。父性など欠片もない愚か者は、娘を乗っ取ろうとした。

――娘はあと二人いるのだが

 わざわざダンブルドアには言っていない。彼女たちは出自を明かすことをよしとしていないのだ。

「変則的な『分霊箱』、傷跡の繋がり……リリーの守護による繋がり……」

 ダンブルドアが呟く。ライトブルーの眼には憂いが深い。

「血肉の繋がりにも劣らぬじゃろう」

「寄生虫対策を私に振られても」

 片眉を上げたダンブルドアを無視した。

「冬期休暇中に突貫で仕込んでもいいですが――」

 ものになるかわからず、寝込むはめになりますよと言う。

「ヴォルデモートに好き放題させるわけにはいくまい」

「そうそう勝手はできないでしょう」

 距離の問題がある。それにホグワーツは魔法の牙城である。障害を飛び越えて、ポッターを直接乗っ取れるかは怪しいと返した。

「では、シリウス――」

「名付け子が熱を出すまで仕込むなんてことができるかどうか」

 ひらひらと手を振った。兄は優秀だし、他人にものを教えることもできるだろう。たとえそれが閉心術であっても。だが、兄は秘密を抱える身だ。妻と息子の出自を隠している。そして兄のことだから、心をこじ開けられそうになれば死ぬなんていう術を仕込んでいてもおかしくはない。つまり、兄が閉心術を教える案は却下しておいたほうがいい。

「では……セブルスかの」

 ダンブルドアの声にはありありと懸念が滲んでいた。レギュラスは眼を逸らした。

「あまり期待しないほうがいいでしょう」

 会得できれば僥倖くらいに思っておいたほうがよろしい。レギュラスは気だるげに続けた。

「心を閉じさせたそのうえで、ポッターを神秘部に送り込むのもありでしょうが……」

 ダンブルドアの案だ。予言の詳細は伏せたまま、いっそのこと先手を打ってポッターを神秘部に入れてしまえば? である。別に詳細を明かしてもよいだろうよとレギュラスは思っている。ポッターはマグル育ちであるから、予言なんてものにぴんと来ないか、神秘を見い出して傾倒するか五分五分だけれど。一番よいのは、予言を受け入れた上で己が意志でヴォルデモートと戦うと決意する道だ。墓場から生き延びた点や、デルフィーニの出自をてこでも漏らさない点を鑑みるに、彼ならば予言に惑わされずに自らの道を選びそうだが。

「あちらはスタージスを送り込もうとして失敗、ブロデリック・ボードは……」

 親愛なるヴォルデモート卿は、そろそろ疑問に思っているはずだ。なぜ予言の奪取にこれほど手間取るのか。できる限り隠密に、素早く事を運びたいというのに。

「ボードは無言者であり、神秘部の深いところに踏み入れる権限もあったじゃろう。予言の間にも……」

 だが、彼には資格がなかった。神が使いの口を借りて謳った者ではなかったから。その御手にて示した者ではなかったから……。資格を持つのはただ二人。「闇の帝王と恐れられる誰か」「闇の帝王によって比肩しうると印された者」しか。

「守りが敷かれていた。予言に触れて壊れてしまった……」

 哀れ、とダンブルドアは眼を瞑る。ロングボトム夫妻のように致命的なものではあるまい、とレギュラスは言おうとしてやめた。悪趣味であるから。その代わり、こう言った。

「ヴォルデモートは他人を動かすのがお好みです。よって、自らが「神秘部なんぞ」に「こそ泥のように」忍び込むなんてことはしないでしょう」

 最短の解決策は、自ら侵入し、予言を奪取することなのだけど。彼は得体の知れないものを軽視する傾向がある。なにほどのものか、と。恐れ、畏怖の裏返しであろう。闇の帝王を打ち破る力を持った者が、と聞けばならば殺せばよいと思う。予言など破ってやると考え、実行し、結果として「比肩しうる者」に印を刻んでしまった。

 死の呪文が跳ね返ると思わないものな。赤子ごとき、その細い首をきゅっと絞めて始末すれば万事解決であったのに。レギュラスは娘と似たようなことを考え、苦く笑った。娘の首は絞めたくせに、三度抗がった者たちの子の首は絞めなかったわけだ。しかも、純血の子――ネビル・ロングボトムを選ばずに、混血のハリー・ポッターを選んだところがなんとも。

「ポッターをおびき寄せようとするでしょう」

 彼らには繋がりがある。今のところポッターの傷跡が痛み……いわば「受信」しているだけだ。だが、二人の繋がりにヴォルデモートは遠からず気づくであろう。彼はアーサー・ウィーズリーが迅速に発見されたことに違和感を覚えているはずだから。誰かが――ナギニと邪魔者以外の誰かが、現場を視ていない限り、あれほど早く騎士団の連中が動けまい、と。

「ナギニが『分霊箱』だと仮定して――」

「蛇の眼を通じて視ていたとして……」

 レギュラスとダンブルドアは、卓の上――銀の魔法具に眼をやった。本質的に分離している、とダンブルドアが呟く。

「傷跡を通じた繋がりだ、とヴォルデモートは思うでしょう。そうして、利用できないか考える」

「夢幻を送り込む……心をぴったりと閉じさせないほうが都合がよいと?」

「自分こそが主導権を握っている。流れはこちらにあり、すべては手のひらの上、と思わせたほうがよろしいでしょう」

 獲物に夢中で、自らが追いつめられていると気づきもしないほうが。

「憑依の可能性がなくもない」

 ダンブルドアは囁く。ライトブルーの双眸は、なおも銀の魔法具を見つめていた。

「ポート・キーでハリーたちを送り出す刹那、儂は彼の眼に蛇の影を見た」

 眼を合わせるのは一種の魔法ですからね、と軽く返した。

「ダンブルドア。よしんば憑依が可能だったとしても、完全に支配することは叶わないでしょう。リリー・ポッターの犠牲がそれを赦しはしない。彼女の血の守りを取り込んだからといっても……本質は変わらない」

 ヴォルデモートがリリー・ポッターを殺した。ハリー・ポッターの魂の奥底に、母親の犠牲が刻まれている。息子は、ヴォルデモートが知らぬものを持っている。哀れみの心。痛みを知る心。他者への思いやり。両親の犠牲の上に己は生きているという事実。どれも、ヴォルデモートならば鼻で笑うだろう。反吐が出ると言うだろう。なぜならば、ヴォルデモートは己が上に立つことに邁進し、すべてを侮蔑の眼で見る。痛みは自己愛に由来するものである。他者を思いやるのではなくたぶらかし、利用する。そして親の愛を知らない……彼は父親が母親を捨てたと思っているようだが。

 ダンブルドアの調査によると事実は丸きり逆で、メローピー・ゴーントがトム・リドル・シニアを弄んだようだ。ろくでもないことである。どいつもこいつも。あげくに一人は行きずりの関係でつくり――行きずり故に、ヴォルデモートは気づいていないが――一人は最悪の手段でつくり――忘却させられ――最後の最後は、娘ほどの年齢の女と快楽に身を任せ、つくったと。最低である。

 行きずりと支配と快楽の問題から意識を逸らす。「ヴォルデモートの殺し方」に思いを馳せた。

「レディ・シメーレが占ったところによると」

 本当は過去視らしいが、そこはぼかしておく。シメーレ家は癒し手一族として名高い。しかし、スリザリンの末裔だという噂はないのだ。北米においてスリザリンの末裔とされる家は一つだけ。ゴーントである。ヴォルデモートの祖父マールヴォロの弟が出奔し、北米に渡った血筋であった。

「『分霊箱』の最後の一つはハッフルパフのカップであろうと」

「あやつ、夜の闇横丁の店に勤めておったな」

 ありえるか。ダンブルドアが顔をしかめ、天井を睨んだ。

「不審死があったな……一九■■年。スミス家……婦人が死に、妖精の過ちによる事故となっていた」

 驚異的な記憶力を発揮するダンブルドアに舌を巻いた。大魔法使いの称号は飾りではないのだ。そしてレギュラスは貴族の家系図を思い描いた。

「スミス家はハッフルパフの末裔とされていた」

 三つの血筋を引くアスラン家――『去りし魔法騎士一族』は文字通り英国から去った。消去法で考えれば、スミス家がハッフルパフの遺物を継承している可能性が高い。スミス家は末裔であることを誇りに思っていた。よくいえば、だが。悪く言えばぺらぺらと言いふらし、自慢していた。

「スミス家にはお宝がごまんとあったとか」

「ブラック家とどちらが上かな」

「どうでしょうね。スミス家より趣味は……なにせ、宝を集めるドラゴンよろしく、貪婪だったとかそうでないとか」

 ブラック家の保管庫を思い浮かべながら呟く。古より伝わるものが数多眠っている。中には魔法省設立以前の覚え書きもあり、神秘部の記録もあり……星に愛され、星を見るブラック家の者の中には神秘部に勤めていた者もいたのである。

「メローピーはどうやって孤児院までたどり着いたか」

 食いつないだか。

「姿くらましでなんとでも」

「彼女はろくな教育を受けていなかった」

 だというのに、魔法薬はつくれたわけか、とレギュラスは低く笑う。本当にろくでもない。しかもゴーントが蔑む「穢れた血」相手に魔法の力を発揮したと。さすがはサラザール・スリザリンの末裔というべきか。心を――魂を掌に乗せ、自在に操るのがスリザリン得手であった、とはレディ・シメーレの言である。

「食べ物は魔法で出せぬ。殊に彼女は気力を失っていた……手元にはスリザリンのロケットしかなかった、と思われる。孤児院の場所はロンドン……」

 レギュラスはダンブルドアの言を引き取った。

「ロンドンにはダイアゴン横丁があり、すなわち夜の闇横丁……ロケットを売っていくらか得た。宝に目がない穴熊が、ロケットを買い取ったとしたら? そして時が経ち、偶然か必然か闇の品を扱うその店に、ヴォルデモートが現れ……」

 スミス家に近づき、ロケットとカップを奪った。

「推論だらけだが、ありえるの。あれは他人のものを奪うのが習いであった。同じ孤児から物を奪っていた。支配の現れか。寂しさを埋めるためかは知らぬが……。そういった性であったよ」

 君から娘を奪おうとしたようにの。

「しゃりしゃり出てきて図々しい人ですよまったく」

 は、とレギュラスは笑う。虚弱な白いるかを手塩にかけて育てたのはレギュラスである。ヴォルデモートではなく。金も手間も愛情も捧げていないくせに。子どもを都合の良いぬいぐるみか人形としか思っていないのだろう。ふざけている。

 小さく唸り、レギュラスは眼を光らせた。自称父親は不要である。さっさと排除するに限る。だが……。

「カップはグリンゴッツ、レストレンジ家の金庫にあるようで」

「占いかの」

「すごいでしょう?」

 レギュラスは自慢げに……子どものように言った。正直言うと『分霊箱』のひとつふたつ、後でなんとでもなると思っていたし、勝手に「どうにか」なるだろうと予想もしていたが、所在がわかったのはうれしい。

「占いのお……確定しているものを視ているように思うが」

「レディ・シメーレの協力に感謝しましょうよ」

 先視というより過去視じゃあるまいか、とダンブルドアは疑っているようだが、それには触れない。

「金庫破り……は」

「正面突破でぶち破るなんてやめてくださいよ。気づかれる」

「と、なると」

「本人たちが監獄の中ですからね……ただ、ヴォルデモートならば」

 欠けた手足を取り戻そうとするでしょう。不忠者はあてにせず、真に忠実な者たちを。監獄に沈められた者たちを。

「脱獄はありえるか」

「吸魂鬼は闇の性。そして、あなたの警告を――吸魂鬼をアズカバンから退去させるべきというそれを――ファッジは聞かなかった」

 最短で数ヶ月、とダンブルドアは言葉を落とした。レギュラスは頷いた。ヴォルデモートの手足は足りない。神秘部から予言の奪取すらままならない。ハリー・ポッターをおびき寄せようにも、忌々しい小僧めの守りは厚い。忠実なる者を監獄から取り戻し、療養させ……仮に期間を数ヶ月から一年とする。そして神秘部に遣わせる。

「おびきよせ、待ち構えさせる。そして我慢できずに自ら出張るでしょう。あれは、あまり配下を信用していない」

 レギュラスはもつれた糸を解き、たぐり寄せる。たかが神秘部、されど神秘部。だかが予言、されど予言。その奪取という栄えある任に遣わされるとしたら、忠実なるベラトリックスとその夫は確定として……ベラトリックスの妹、シシーの夫であるルシウスも頭数に入りそうだ。現在死喰い人の筆頭はルシウスだ。加えて十三年分の負債を支払うためにも、積極的に働く必要がある。そうでないとマルフォイ家にヴォルデモートという名の災厄が降りかかるから。

「本人たちが出てくるとしたら――」

 賭けの要素が強い。運が向くかもわからない。それでも、カップの奪取はできなくもない。敵がハリー・ポッターをおびき寄せるその日、神秘部は立て込んでいて、忠実なる者たちもまた同じくであろうから。

「ナギニもカップも片づけられるかもしれません」

 絶対にできますとは言わない。『分霊箱』の破壊は必須ではない。ただ、事が成されたかを確かめる必要がある。壊れるかを。

 ヴォルデモートという大悪を除けば『分霊箱』も砕けるはずであった。

 彼はマグル育ちの孤児であった。古の血を継いではいても、その歴史を、記憶を持っていなかった。だから知らないのだ。

 魔法省の始まりは神秘部であることを。

 神秘部が元は処刑場であったことを。

 

 

「……ちょっと危なかったけど」

 一命は取り留めたよ。

 クリスマス前の某日。茶器を傾け、セドリックは告げた。

「それならよかったが」

 居間――卓を挟んで向かいに座る男が、セドリックを眺めやる。いささか、かなり他人行儀な言い方になった。実の父親――エイモス・ディゴリーは、息子の格好がお気に召さないらしい。どちらかといえば陽気なほうで、声が大きい方で、あまり細かいことを気にしない性質だというのに。息子が纏う黒衣も、胸に付けた銀色の狼のブローチも、狼の眼が灰色なことも気に入らないと、彼の眼は雄弁に語っていた。

 昔なら、カッコいいぞセド、さすが私の息子なんて言ったろうに……とセドリックは思考を遊ばせる。結局のところ「よくできた」「自分の息子」が誇らしかっただけなのだろう、とひねくれた物の見方をしてしまう。よき息子らしく振る舞っていた時分ならば、さすがに穿ちすぎでは、父親なんだし育ててくれたんたぞ、と思っていただろう。素直に、疑いもせず。

 変わってしまったのだ。セドリックは家を出て、シリウス・ブラックの助けを借りた。着替えやらグリンゴッツの鍵やらは、後で母が送ってくれたけれど。とにかく、ディゴリー家に、生まれた家に背を向けたのである。離れてしまえば父の粗が目に付いた。以前のように、無意識のうちに眼を瞑ることができなかった。

「アーサーもなんでまた……」

 あいつはダンブルドアの信奉者だからな、と父はぶつぶつ言う。セドリックは聞き流した。あいつというほど親しい間柄でもないだろうに、とかすかな苛立ちを覚える。夕方から某家で社交があるので、と外出した。いい加減顔を出すかと実家に立ち寄ったらこれだ。三校対抗試合第三の課題の日以来会っていなかった父は機嫌を損ねている。部屋に残した荷物の整理は棚上げか、とセドリックは諦めた。ひとまず困っていないが。セドリック名義の金庫はあるし、母からも金庫の鍵を受け取っている。彼女はグリーグラス家の出で、何本かグリンゴッツの鍵を持っていた……。

「お見舞いに行ったけれど元気そうだった」

「殺しても死……」

 父は言い掛け、隣の母に一睨みされて黙った。セドリックはため息をこらえた。そうだった、そうだった。エイモス・ディゴリーのがさつ、無神経なところに堪忍袋の緒が切れたのだった。一年数ヶ月前――クィディッチワールドカップの夜に。

「あそこは子沢山だから」

 アーサーが助かってよかったわ。母は穏やかに言い、会話の主導権を夫から奪い取った。

「それで? あなたは一人で来たの?」

「ミザールも一緒だよ」

 そうよ、と言わんばかりにセドリックの足下に伏せた狼が尾を振った。すっと立ち上がり、母の元へ向かう。細い手が黒い毛並みを撫でた。

「この子はよい子だけれども」

 あなたの良い人は?

「……いいんだ?」

 連れてきても、と返す。母は肩をすくめた。

「婚約しましたと手紙を送ってきたのは誰かしら」

「おい、私は……」

「だって未来の父に言われたし」

「聞け」

「婚約指輪くらい贈りなさい」

「まだ、彼女は学生だしね……」

「あら、エイモスなんてお花で指輪を作ってくれたわ」

「やあ意外と器用だね、父さん」

「私は認めてないからな。手紙一つで婚約しましたってふざけているのか」

 めんどくさいな。グレトナ・グリーンに行って「結う者」立ち会いの下に結婚すれば黙るのだろうか。いわゆる駆け落ち婚である。それか、いわゆる婚約証明書でもつくれと? 未来の父レギュラス曰く……。

「認めようが認めまいが」

 社交界に噂は広まっているよ、とセドリックは返した。

「僕がレギュラス・ブラックの後見を受けている、と」

 既成事実というやつだね、と続ける。父は呻いた。

「セドや、ほかにも相手はいるだろう」

 病弱だというじゃないか。望めるかどうかもわからんぞ。父の言わんとすることを察し、セドリックは口端をひきつらせた。なんとまあ、かなり繊細な話題に踏み込んできたものだ。まさか女親から言われるのではなく、男親から言われるとは。そんなに孫が見たいのか? 無神経である。そして、セドリックは積み重なった無神経という爆薬に、デルフィーニを侮辱されたことで点火して家を出たのだと思い出した。

「僕らの問題なので。それに、彼女が邪悪なブラック家の女なんてことも言わせない」

 ぴしゃりと返す。

「あの日、彼女が死にかけたことは……」

 声が詰まる。脳裏にあの日が過ぎる。医務室。止まった心臓を動かそうとマダム・ポンフリーが死力を尽くしていた。セドリックはフラーやクラムとともに室の隅にいるしかなかった。血を提供することもできなかった。なにもできずに、役立たずだった。

 どれほど、己の血をあげたいと思ったことか。マダム・ポンフリーの叫びがこびりついている。死ぬんじゃない、帰ってきなさい、と彼女はデルフィーニに呼びかけ、深い深い闇に滑り落ちようとしていた命を引きずり戻そうとしていた。

「……父さんだって知っているはずだ」

 セドリックはホグワーツの代表選手だった。両親――母は、第三の課題を観るためにやってきていた。父は邪魔だから置いていかれたらしく、後から来たようだけれど。偽マッド・アイを捕縛する際にセドリックたちが怪我を負ったことを知っているし、医務室の混乱もちらとだが見ていた。ハリーが連れられてきて、ブラック家の父娘が運び込まれてきたのを目撃したのだ。処置の邪魔になるといけない、と父を促して医務室を出たのは母だった……。

「それとこれとは別だ。仮に彼女が善良なる家の出だったとしても、私は反対だ」

「ああそう」

 冷たい声が出た。容姿端麗、家柄は……「邪悪」だが良い、性格も良い、胆力ある。十分だろうに。それに、ブラック家すなわち邪悪というのは当てはまらない。親愛なる「伯父」のシリウス・ブラックは闇側には付かなかった。どころか、戦って罪を被せられた。

 親愛なる「父上」は元死喰い人らしかったが、婚約者の実の父親、いやろくでもない自称父の話し相手(コンパニオン)のようなものだったらしい。殺人その他の罪は犯していないと聞いていた。ヴォルデモートによって文字通りに襤褸切れのようにされたのだから……もういいのではないかと思う。闇側に身を投じた罪はあっても、(そそ)がれただろうと。潔癖な者からしたら、レギュラスなど死んで当然なのかもしれない。罪は罪であると。けれどそういった潔癖さは「闇の帝王の娘」の存在を赦さないだろう。地上に在ることを拒み、消し去ろうとするだろう。

 思うに父は潔癖なほうだ。それに足るを知らない。貪欲とも、邪悪とも言うまい。父はごく普通の魔法族だ。屋敷しもべ――妖精に対する態度が答えだ。自らが下等とみなしたものには冷たく振る舞う。普通の男。だから病弱な娘「なんぞ」と思うわけだ。この上か弱い娘の出自を知ればどんな態度をとるやら。

「わざわざお前が蒲柳の質の娘と……苦労することはないとか?」

「お前は頼られて依存しているだけだ」

 セドリックは鼻を鳴らした。か弱い女の子を可愛がる自己満足野郎と仰せだ。ころりと死にそうな娘なんて選ぶことはないとでも思っているのだろう。子どもも産めなさそうだろう、と。

「世間一般、外から見たら」

 僕はブラック家の娘に取り入って、まんまと婚約者の座を手にした策士らしいけれどね。

 レギュラスに冬の社交に放り込まれ、あちこちで見聞きしたところ、そういう評価に落ち着いたようだ。レギュラス・ブラックとセドリック・ディゴリーが手を組んだと。ディゴリーめ誠実そうな顔をしてなかなかやるとのことだ。なぜか評価が上がる不思議よ。利害の一致があったことは認めよう。セドリックはデルフィーニと他人のままでは嫌だった。レギュラスは娘を「変な男」にとられるくらいなら、セドリックでよいと思った。虫除けである。ブラック家の次期当主の夫の座を狙う者は多かった……。

「頼られるどころか、僕は彼女のお陰で生き延びたんだ」

 ため息を吐いて立ち上がる。父は勝手にぐちゃぐちゃ言っていればよい。もはやセドリック・ディゴリーとデルフィーニ・ブラックの婚約は既成事実となっている。婚約の披露目などしていなくとも、そういうことになっている。年頃の娘がいる父親がよその男の後見を務める。しかも娘とよその男は恋人同士である。それだけで十分なのだ。セドリックは事実上の「未来の婿」であった。

 居間を出る、廊下を抜け、玄関に至る。軽い足音が追いかけてきた。

「セド」

 呼びかけられ、振り向いた。そうするまでもなく追いかけてきたのが母だとわかっていた。

「ここに顔を出せとは言わないから」

 一度、連れてきなさいな。

「父さん抜きで。外でならいいよ」

 それでいい、と母は頷く。彼女は小さく息を吐いた。その様が、自分と重なった。しょうがないなと言わんばかりのため息。思えば容姿も母方寄りだし、些細な仕草が似てしまった……。黒髪は父譲りだけれども。

「心配しないで。嘴は挟ませないし――」

 どうせひっくり返せないもの。

 そりゃあ既成事実と化しているものね、と返しかけ、セドリックは母の眼を覗き込むようにする。

「まるで予言者のように確信に満ちているけれど」

「ロングボトムの大奥様がね」

 母は、くすくすと笑う。お茶会でね、と内緒話をするように言った。

「ブラック家のお嬢さんはとてもいい子だって」

 うちの孫にも、嫁にもよくしてくれたのだからと。息子のことも気の毒がっていたのだからと。

 痛みを知る子が悪い子なものか、と。

「大奥様には頭が上がらないな」

 大奥様ことオーガスタ・ロングボトムは誰よりも闇の陣営を憎んでいるはずだ。よって、父が断じたようにブラック家を邪悪と思っていてもおかしくはない。デルフィーニのことも「邪悪な家の娘」と決めつけていても不思議はなかったのだ。

 クリスマスダンスパーティの準備の折、彼女の孫とデルフィーニを接触させたのはセドリックだが。植物の扱いに長けていて、気質が穏やかなネビルならばとセドリックは思ったのである。レディ・ブラックではなく「デルフィーニ・ブラック」を知る者が増えてほしかった。デルフィーニに、君のことをブラック家の者だからと畏れ、嫌う者ばかりではないと知ってほしかったのだ。頭の隅で、もしデルフィーニの出自が露見しても擁護者が現れればいいな、と思っていただけかもしれない。いらぬ心配でお節介であった。デルフィーニはブラック家の遠縁の娘、レギュラスの養女である。ヴォルデモートが「我が娘よ」と宣ったところで無視である。狂人の戯言として処理すればよい……とは、レギュラスの言である。

 セドリックが空回りしただけだが、瓢箪から駒である。まさかロングボトムの大奥様がデルフィーニを擁護するとは思わなかった。

「……夏にでも会えたらと思っているよ」

 確約はしない。母を軽く抱きしめ、踵を返す。玄関を出て庭へ。待たせてあった闇毛の天馬に飛び乗った。

 冬の冷たい風に頬を打たれる。ああ、やっぱりブラック家の馬車を借りるべきだったか……と少し後悔する。霰が降り、かすかな音を立てた。ふっと思い出したのは銀色の小さな紙だ。

『ロングボトムの奥様が』

 これをくださったのよ、とデルフィーニは言った。夏――聖マンゴでのことだ。白く細い手にガムの包み紙を乗せていた。彼女の震えが伝播し、銀色のそれがかさかさ、ちりちりと鳴っていた。彼女の、言葉にできない叫びを伝えるように。

『私には』

 これを受け取る資格はないのに。奥様は私に優しくしてくださったの……。

 壊されてしまったのに。あの人によって……。

 セドリックは耳を傾け、割り切れる問題ではないだろう……と慰めにもならないことを言った。そして――。

「頼られたことなんて」

 あれくらいだよなあ。セドリックは独りごちる。デルフィーニに荷物を一緒に背負ってくれないかと言われただけだ。依存なんかではないし、好いた女にあんなことを言われたら、である。誰にも頼るまいと思っていただろうに、セドリックには心を許したのだから。舞い上がりもする。婚約しようと言ってしまうだろう。誰だって。

「気の毒だけどね」

 父さん。セドリックは囁く。

「僕はとっくのとうに溺れているし」

 それを不健全だの依存だの言われる筋合いはないんだよ。

 

 セドリック・ディゴリーが空の上で父のことを切って捨てている頃。とある空の下、とある邸の一室で黒髪の少年は呻いていた。

「……なんて無法な能力なんだよ」

 過去視、と少年ことアスラン家の若君は呟く。伯母――公的には母の友人――からの手紙を放り投げた。ひらひらと舞うそれを従者が掴み取る。

「カップですか」

「グリンゴッツの金庫にあるんだと。んで伯母上は無茶を言ってきた」

 過去視ねえ……と若君は唸る。サラザール・スリザリン伝来の異能らしい。若君は蛇語は聞けるし話せるが、過去視の能力は持っていない。別にいらないけれど。伯母の言を疑ってもよいのだが――本当なのだろう。過去は確定している。未来のように揺らがない、過去視は真実を映すのだと若君はなぜか確信している……。

「一応うちでも資料を当たるが」

 ないだろう。ハッフルパフのカップの詳細は不明だ。なにせ、若君の一族は故郷――点在する城を吹き飛ばし、あちこち焼いて英国を去ったのである。そりゃあ、戦を一方的に仕掛けられた挙げ句に追い出されたようなものだ。怒りもする。なんの因果か宿敵の一族が己の伯母というのが笑えるけれど。だいたい全部ヴォルデモートのせいである。あのクソ野郎。

「レディ・シメーレはよく描けていますが」

 確かここに……と従者が羊皮紙に書き加える。ハッフルパフのカップのスケッチがより詳細になった。何者だよこの従者と思えども、若君はなにも言わないことにした。すべてを知ることなど誰にもできないのだ。

「創設者の品で遊んでいる貧乏人相手だから、そこまで精度は高くなくていいか」

 さっさと作らせよう。錬金術師にかくかくしかじかと手紙をしたためている若君は眼を細めた。こん、と咳をする。やっぱり冬は駄目だな。調子を崩す……。片腕も痛くなるし。蒲柳の質とまで言わずとも、弱くなったものだ――という思考はすぐさま掻き消えた。凍り付いた草地と、吸魂鬼の渦もまた泡沫のように儚く失せていく。寒くて寒くて。だけれども灼けるような、その記憶ごと。

 

 アスラン家の若君――かつての■■■■こと黒の大君とデルフィーニ・ブラックことオーグリーは過去視の異能を持っていた。身体も丈夫であった。

 そのことを彼らは知らない。

 祈りを、願いを叶える対価に気まぐれな神が持ち去ってしまったのだと。

 知らないし、知らなくてよいことだ。

 忘れてもよいことだ。

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