「あなた」
たっぷりお小遣いをもらっているでしょうに。
「他人のものをほしがるのはどうなのよ」
朝。ホグワーツ大広間。グリフィンドールの長テーブル付近。
デルフィーニ・ブラックは、差し込む朝陽に手を伸ばした。今日はぴかぴかの晴れだ。片手に握った玉がきらきらと輝いている。ただの硝子玉にしか見えない。それをまじまじと見た。
「ちょっと見てただけだ」
デルフィー、とドラコが怒ったように言う。白金の髪も、薄い色の眼もルシウスそっくりである。デルフィーニに恭しく接するルシウス。養女とはいえブラック本家の娘を立てている、だからこその態度なのだと思っていた。しかし、デルフィーニが闇の帝王とベラトリックスの娘だという情報を得た後では、ルシウスの態度は違う色合いを帯びる。敬意ではない。畏怖である。デルフィーニはただの女の子だというのに、バカバカしいこともあったものだ。闇の帝王は『名前を言ってはいけない例のあの人』である。名を呼ぶことすら恐ろしい存在……らしい。伝聞だけの、見も知らぬ他人のようなものだ。いくら恐ろしいと言われてもあまりぴんときていない。母――ベラトリックスも似たようなものだ。ただの情報でしかない。
デルフィーニのような子どもにすら畏怖を感じさせるということは、実の父母とやらは相当に「ワル」なのだろう、と理解するしかない。
「……貸してくださいと言えばいいでしょう」
「僕からかすめ取っておいて」
きゃんきゃんと吠えるドラコを無視した。うるさい小型犬である。蹴ればすぐ死にそうだ。ドラコはデルフィーニの出自を知らない。レギュラスの養女で、又いとこだと思っているのだ。本当は従姉なのだけど。君の父親の上司の娘なのだけども。
年の近いお友達があまりいないらしいドラコは、ホグワーツ特急でデルフィーニと同じコンパートメントになろうとした。彼にとって腰巾着二人は友達ではないらしい。同学年の二人の男の子は、あくまでも自分よりも下の存在なのだろう。
デルフィーニは同性同学年の子たちと親睦を深めてくれるように願い、ドラコの申し出を辞退した。お友達をつくるのは大事よ、ととドラコに言い、ドラコのことをお願いね二人とも、と腰巾着……はかわいそうなので、お付きにしよう――に告げた。ドラコはよく言えば素直、悪く言えばあまり考えず楽天的、坊ちゃん気質なのでデルフィーニの言うことを聞いた。そんなに僕のことを気にかけてくれるなんて、と感激していた。お付き二人は「いいなあドラコは」「こんなおねえさんがいるなんて」と大変羨ましそうに口にした。
おねえさんの本当の出自を知っても羨ましいと思えるかな? なんてことは腹の中で思うだけにして、デルフィーニはさっさとドラコ一行と別れた。巧くいった……と背を向け――ドラコのハリー・ポッターがどこかにいるはずだから探しに行く! という弾んだ声に絶句した。今なにを言ったドラコ? いや、ルシウスのせいだろう。なにを吹き込んだルシウス! と思っている間に、声は猛烈な勢いで遠ざかっていった。振り返ってみれば、落ち着きのない三人が通路を駆けていった。元気で結構。デルフィーニは箒にも乗れるし、木登りもできるし、ナイフ投げもできるが、あんまり丈夫ではないのだ。つまり体力がない。無理をすると咳が出る。体調も崩しやすい。たぶん、血が濃いせいだろう。ブラックは純血主義で純血婚らしかったし、ゴーントは「もっと拙い」らしかったので。
――この子は
そんなことを知る由もない。デルフィーニの濃すぎる血だとか、親のことだとか。無邪気で残酷な小型犬。人のものを盗る、悪い子だ。
デルフィーニは嘆息をこらえ、手の中の硝子玉をひょいと投げた。ドラコが叫ぶが知ったことではない。硝子玉は輝く弧を描きながら、ハリー・ポッターの元へと飛んでいった。緑の眼を丸くし、彼はすっと手を伸ばし、硝子玉を受け止めた。お見事。
「のこのこグリフィンドールのテーブルに出張しているんじゃない。恥ずかしいったら」
ドラコのローブを、正確には首あたりをひっつかみ、連行した。ひゅうっと口笛が聞こえてきても無視。燃えるような赤毛が見えてもそんなものはない幻覚だ。ウィーズリーの双子が「つれないんだからあ、俺たちと君の仲」と唇を動かしても無視。コンパートメントが一緒になっただけでしょう。
丸顔の子が、きらきらした眼でデルフィーニを見ている。反射的にドラコのローブを強く引っ張った。ぐえっという、苦しげな呻きが聞こえてきたが知ったことではない。
両親に愛されて育ち、素直。しかしあまりに無知で無神経……な又いとこをスリザリンのテーブルに連れ帰る。
「なんで君がしゃりしゃり出てくるんだ」
「よそのテーブルに意気揚々と出かけていったあげくに他人のものを「拝借」しようとした子が言うんじゃない」
一睨みして黙らせた。が、ドラコはめげなかった。
「ロングボトムなんかが……」
「ルシウスおじさまはいつ、あなたに泥棒のような卑しい真似を仕込んだのかしら」
「そういうつもりじゃ」
「ナルシッサおばさまは「貸してくださいお願いします」をあなたに教えなかったのかしら」
「うるさいな」
君は僕の姉でもないくせに。いいや、そもそも……とドラコがぶつぶつ言う。
「君をエスコートしなさいと言われてる」
「なんで新入生の君に、私がエスコートされないといけないのかしら」
努めて冷静に訊いた。ドラコは視線をさまよわせた。
「仲良くしなさいって言われた」
デルフィーニは無言になった。ひたすらにサラダを口に入れ、咀嚼した。ドラコは意味がわかっていないらしいから、これ以上追求しないようにしよう。なにせドラコは自分の立場をわかっていない。「父上」は立派な人だと信じているようだし、ハリー・ポッターと仲良くなろうとした。その試みは巧くいかなかったようだが。
ハリー・ポッターがなぜ孤児なのかにすら思い至らない子なのだ。想像力がないとも言える。伝え聞いたところによると、君の両親のようになりたくなければ……とかなんとか言ったようである。学力がどう、というよりも思いやりがない。良識がない。それを言ってはいけないという線を軽々と飛び越えたようだ。つまり、ハリー・ポッター……ポッター家の最後の生き残り、純血主義者に親を殺された子とドラコが仲良くできるわけがないのだ。
おまけに、ネビル・ロングボトムに絡みにいくなんて。自分の伯母がなにをしたか知らないからだろうけれど。ルシウスは徹底的に「この世の憂いと俗」からドラコを切り離して育てたのだろう。
ドラコは素直に言うことを聞くだけで――それはよい点ではあるのだが――深く考えないし、あまり疑わない。純血主義の両親のもとでぬくぬくと育ち、すくすくと純血主義の芽を伸ばしてきた。デルフィーニと仲良くしなさいと言われて充実に実行するような子に育った。
――マルフォイ家め
優雅に、けれど素早く朝食を片づけながら、養父ことレギュラスの従姉の嫁ぎ先、本当は叔母一家……を呪った。どうやらデルフィーニとドラコを夫婦にしたいらしい。いや、綺麗に言い過ぎた。デルフィーニの胎がほしいらしい。貴族の血のかけあわせ、すなわち馬の交配である。
デルフィーニは十二歳だけれども、生々しい話は知識としては知っている。ブラック家の書庫にはたんと本があるのだ。レギュラスからブラック家の系譜と歴史、各家のざっとした系譜、どことどこが仲がよいか……等々は教えてくれても、どうして子どもができるのかについてはぼかしていたので、本で知るしかなかった。ホグワーツへの入学準備を整えている時に言われたことは「君に危害を加えようとする男がいたら切り落としていい。僕がどうとでも処理してあげよう。なにか困ったことがあれば校医のマダム・ポンフリーに言いなさい。できれば女の子の友だちか上級生を味方に付けなさい。物陰に君を誘い込もうとする馬鹿野郎がいたら失神呪文をかけて湖にぶちこんでかまわん」だった。いつもは穏やかな顔をして、つかみどころがないくせに、その時は本当に怖い顔をしていた……。
うんざりしながらサラダを飲み込む。デルフィーニにいわゆる不埒な行いをしようとする愚か者は現れていないし、今のところ「切り落とす」予定もないが、別の厄介事が持ち上がっている気配がする。
――レギュラスに手紙を書かないと
ドラコ・マルフォイと結婚する可能性は、星が射落とされるくらいありえないと。どうにかしてくれと。とっくのとうにレギュラスはルシウスの頭を押さえつけている可能性はあるけれど、念のためだ。
頭痛をこらえながら立ち上がる。エスコートの意味をまったくわかっていない無垢なる者を置き去りにし、大広間を出た。こん、と何度が咳をして、ふくろう小屋へと足を伸ばす。ああ、ふくろうを買ってもらうんだった……と後悔するくらいには、目指す場所は遠い。
小屋に到着し、咳をこらえながら――忌々しいことだ――階段を登り、軽く口笛を吹く。舞い降りてきたふくろうに、走り書きした手紙を託した。去っていく小さな使者を見送っていると、軽やかな足音が響いた。壁にもたれかかりながら、ちらとそちらを見ると、セドリックがやってくるところだった。彼は少し瞬いて「やあ」と当たり障りのない挨拶をした。デルフィーニは「ごきげんよう」と返した。スリザリン式の無難な挨拶だった。
「こんな朝から手紙かい?」
「そっちこそ」
「月に一度は手紙を出すって約束でね」
他愛のないやりとり。デルフィーニはぼうっとセドリックを見る。黒髪に灰色の眼のハッフルパフ生。学年はひとつ上だ。ホグワーツ特急でまたもや一緒のコンパートメントになったのは記憶に新しい。今回はそこにウィーズリーの双子とその友だちのリー・ジョーダン、レイブンクローのチョウ・チャンが加わった。珍しいことに四寮がそろった形になる。なんでこんなことに、と思いながらデルフィーニは沈黙した。やがてチョウ・チャンが話しかけてきた。ねえねえ、あなたってスリザリンチームに入らないの? と。
デルフィーニはぽかんとしてしまった。なぜクィディッチの話なのか。眼で問えば「だってあなた、飛ぶの上手だもの」と歯切れのよい答えが返ってきた。チョウ・チャンは今年、クィディッチの選手選抜に挑戦するらしかった。狙うはシーカーだそうだ。
「見事なパスだったよ」
ふくろうに手紙を託し、セドリックはデルフィーニに向き直った。いつもよりももっとにこやかだ。いいや……これは、ぎらぎらしている。なにかへの情熱がほとばしっている。デルフィーニは戦慄した。グリフィンドールのオリバー・ウッドにつきまとわれたことを思い出した。「くっ、君が来年スリザリンチームに入ったら脅威かもしれない……!」と言われた。あれこそがクィディッチ狂である。近づきたくない。そのウッドを彷彿とさせる狂気が確かにセドリックにも宿っていた。チョウにも宿っていたかもしれない。
「硝子玉を投げただけよ」
「あれは思い出し玉というんだ」
「わあ、セドリックは物知りね」
「……君、シーカーかチェイサーなんて向いてそうだ」
「ご心配なく。スリザリンチームに入る予定はないから」
こん、と咳をする。煙にも弱いし、あまり走ると駄目だし、日常生活に支障はないが――失明するやら半身麻痺やら、どこかを欠損よりは随分と軽いだろう――クィディッチは無理だろう。激しい競技であるし。
とたんにセドリックは心配そうな顔をして、ハンカチを差し出してきた。片手を振って「ありがとう」とだけ返す。もう行くわ、と彼の横をすり抜けて、ゆっくりと階段を下りた。
手で口を押さえる。早く鎮まればいいのに。こんな鬱陶しい咳。
ぜ、と濁った吐息がこぼれる。
『白い子』
忌々しい子。どうしてレギュラス様は抱え込んだのか……。
咳がおさまらなくて、寝台に身を丸めて。冷たい眼に見下ろされた。
老いた妖精の丸い眼に。
『どうせすぐに死ぬ』
純血の中の純血なのだから……。
腐った臭いのする記憶を振り払う。靴で、草を踏みにじるようにして歩を進める。
「……私は死なない」
老いぼれのクリーチャー。お前が私の死を願っていたのは知っている。邪魔に思っていたのもわかっている。
だけれど、お前に言われるまでもなく悟っていた。
レギュラスが父親にしては若いことも。彼の人生をデルフィーニが食い潰してきたことも。
たぶん、本当は。
デルフィーニが生まれてこなかったほうが、レギュラス・ブラックは幸せであれたのだろうことも。
だけれど、だからといって素直に死んでなんかやらない。屈したりしない。
いるか座――デルフィーニは、海原を、あらゆる困難を乗り越える者。
レギュラスがそう名付けたのだ。
落ち着きなく談話室をうろついている又いとこをデルフィーニは眺めやる。今日は十月の末。ハロウィンであり、なぜかトロールが侵入するというおまけつきである。トロールが寮に入ってきたらどうしようとそわそわしている子犬は、とても星の眼の狼の血を引いているとは思えない。自称王族の血筋が泣いているであろう。レギュラス曰く、嘘でもなんでも言い続ければ真になる、王族を自称するのはどうかと思うが押し通してしまえ、堂々と振る舞っていればいい……らしいが。
ドラコは口だけだ。当初「トロールに遭遇したら呪いをかけてやる」と勇ましく言っていたがこのざまである。生意気な少年でそこが可愛いという者もいるだろうが。可愛いか?
ねだりやでほしがり。生意気な口はずるいとか羨ましいとか、ずるいとか、あいつがなんでとか言うことに特化している。挙げ句に他人を引きずりおろすことに喜びを感じる類……の萌芽がある。ポッターと嘘の決闘の約束をして、真夜中におびき出したそうだし。ひっかかるほうも愚かであるが、仕掛けるほうも意地が悪い。
総合的に考えて、ドラコのほうが悪質だろうとデルフィーニは判断している。まず、ハリー・ポッターが一年生ながらシーカーの座を射止めたのはドラコが原因である。ドラコ曰く、孤児なんかが箒に乗れるわけがないので、ポッターをからかったらなぜか孤児なんかがシーカーになっていたと。ひどいと思わないかデルフィー。きゃんきゃん……くぅうん……。
元気よく不満をぶちまけていた愚かな子犬は、デルフィーニの「私は養女で、つまり孤児だけど?」という無言の主張を前にしてひれ伏した。一生尻尾を股に挟んでいればよいと思う。
デルフィーは違う、だってブラックの遠縁のどうこう、飛ぶのが巧いって聞いてる。血筋が違う。あのオンボロな流れ星でそこそこな速さを出したって言うし! とドラコは必死に弁解していた。
いくら「純血」で、血縁で、相手のほうが仲間意識を抱いていようが、デルフィーニがドラコに友情も絆も感じないことは確かであった。血縁だからこそ余計に始末が悪い。万が一ドラコと結婚なんてことになったら、首輪を付けて悪さができないようにするし、嘗めた態度をとれば放り出してやる……とデルフィーニは決めた。
いやその前に、そういった話が持ち上がり、ドラコが頭のねじを何本か飛ばして求婚してきたら、手袋を投げつけてやる。ドラコに決闘で負ける気がしない。まったくしない。
デルフィーニが「将来のもしも」を考えている間にも、料理やデザートが運び込まれ、談話室は甘い匂いに満ちていく。デルフィーニは顔をしかめ、鞄を肩にかけ、ソファから立ち上がった。
レディ・ブラック? と誰かが呼びかけるが、そっと首を振った。
「もう十分食べたから」
言えば、以降は誰にも引き留められなかった。デルフィーニは女子寮――個室に戻り、鞄を寝台に放り投げる。机に向かい、引き出しから便せんを取り出した。広げ、インク壷のふたを開ける。青みがかった黒、ブルーブラックのインクに羽根ペンを浸した。
デルフィーニは筆まめなほうではない。むしろ逆である。一年生の時は組分けの結果や、冬期休暇の帰省の有無を送るくらいであった。つまりかなり事務的な内容の手紙であった。レターセットならばたっぷり持っている。お小遣いを使って少しずつ買い集めたのだ。封蝋だってある。ブラック家はスリザリン系の家だから、色は黒か緑である。デルフィーニは深い赤や瑠璃色も捨てがたいなと思っているのだけれど、守るべき伝統というものがある。だからもっぱら黒の封蝋を使っていた。インクもたくさん持っている。便せんも封蝋もインクもそんなに使うことはないのだけど。
考え込みながら、花模様を散らした便せんを眺める。レギュラスに緊急で手紙を送り、その返事がきてしばらく経った。ざっと一ヶ月と少し間が空いた。ドラコとの結婚問題は無事に回避できる見込みである。レギュラスはさらさらとした字で「安心しなさい、ドラゴンごときが星を掴めやしない」と返してきた。どこかにひっかけたのか、便せんには穴が空いていた。今書こうとしているのは、その返事……と、近況報告である。
父様へ、と書こうとして消す。結局いつものようにレギュラスへ、で始めた。
朝にふくろうを飛ばしたとして、レギュラスが受け取る頃には耳に入っているだろうな……と思いながら羽根ペンを滑らせる。
ホグワーツにトロールが侵入したこと。寮に籠もっているので無事であること。禁断の森にトロールが住んでいたとして、ホグワーツ――城に入るのは無理があるのでは、とも書いた。誰かが入れたのではないか、とは書かなかった。レギュラスならば事の不自然さに気づくであろうし。なにせ保護者で大人で、全科目優の男である。
誰がなんの目的でトロールを入れたのか。これはデルフィーニが考える問題ではない。なんだかとても素っ気ない手紙になりそうだったので、頭をひねって文を足そうとする。
発見者は闇の魔術に対する防衛術教授のクィレルだったことを書くかどうかを考えて、書かないことにした。無駄な情報だろう。たまに妙な眼でデルフィーニを見ている気がするが、あの男はいつも変だそうだから、これも書く必要はない。昨年は「旅行」とやらで不在で、元々はマグル学を教えていたようだ。そして旅行から帰ったら吃音という厄介事を抱えていたし、落ち着きもなくなった……らしい。なにせデルフィーニはおかしくなる前のクィレルを知らない。闇の魔術に対する防衛術で、デルフィーニはなるべく彼から距離をとるようにしている。得体のしれないつんとした臭いがしていて、どうしても咳が出るのだ。刺激臭のなかになんともいえない甘い匂いが混じっていて、それも彼を避ける理由だった。どうしてだかわからないが熟れて落ちる寸前の実を彷彿とさせた。
あれこれ考えて、当たり障りのないこと……かつ、多少は興味をもってくれそうなことを書き足していった。
生き残った男の子は見た限りではふつうの子であること。けれど、一年生でシーカーになるくらいには飛行の才能があること。
――もちろん
接触していない、と書いた。書きながら、苦いものが口のなかに満ちた。生き残った男の子に同情しているわけではない。強いて言えば、同じ孤児だというのに、デルフィーニとハリー・ポッターの、まるで違う立場を思えば……胸がむかついた。片や闇の帝王の娘、片や生き残った男の子。片やブラック家の養女、片やマグルのもとで育てられた居候。けして相容れないだろう。デルフィーニは世界の敵で、怪物の娘なのだ。たとえデルフィーニが私は人間です、無害ですと言ったところで、どれほどの人間がそれを信じてくれるだろうか。だからデルフィーニは、ブラック家という闇の衣に隠され、匿われ、そっと息を殺すしかない。
ポッターをはじめとした闇の帝王の被害者たちに謝るつもりは欠片もない。それは本当だ。デルフィーニに器を与えた、肉の親たちのためになぜそんなことをしなければならない? デルフィーニは肉の親たちに捨てられたも同然なのだ。つまり、もし彼らがデルフィーニを少しでも気にかけたいたならば、配下であるルシウスに厳命してデルフィーニを育てさせただろう。デルフィーニの実の母はベラトリックスで、ルシウスの妻ナルシッサの姉なのだから。それが一番順当で、筋が通っているだろう。
しかし、ルシウスとナルシッサはデルフィーニを育てなかった。育てられなかったではない。育てなかったのだ。消え失せた主の娘など、ブラック家の血を引く姪などどうでもよかったのであろう。手を下す気はないが、うまいこと死んでくれれば万歳くらいは思ったに違いない。
誰にも望まれなかった赤ん坊を、レギュラスだけが引き取ろうとしたのだ。彼だけが。名前を与え、育てた。もしかしたら、闇の帝王が復活した時のことを見越した点数稼ぎかもしれないけれど。
結果がすべてだ。実の親も、ナルシッサたちもデルフィーニの養育を放棄した。レギュラスは放棄しなかった。それだけで十分だ。
手紙を書き終え、封筒に入れ、黒の封蝋を捺した。いるかと星――デルフィーニの紋章であった。将来、君がブラック家の当主になった暁には、家紋も変えていいと言われている。君のものなのだから好きにしなさいと。星と双狼にいるかを加えればいい、と。天に輝くもの、地を駆けるもの、海原をゆくもの。天と地と海、三つの世界を支配するものだ。そう言ってレギュラスはおかしそうに笑っていた。なんと傲慢なブラック家かと。
デルフィーニは問いかけた。その傲慢なブラック家を継ぐべきなのは、レギュラスの実子であるべきじゃないかと。レギュラスは眼を冷たく光らせた。
子どもならもういるから、妙な心配はやめなさいと。ブラック家のものは塵芥に至るまで、君のものになるのだ。君が闇に輝く星の一族、その長になるのだと。
たかだか遠縁の娘なのに、なんでそこまでするの、とデルフィーニは返した。本当の、隠された出自を知る前のことだ。又いとこどころかもっと遠い縁だと聞いていた。レギュラスが遠縁の娘を引き取る理由なんてないはずだった。彼が老齢だったならばわかる。後を託せるものが急遽必要になって……ならば。だが、レギュラスは焦る必要なんてなかった。誰かを妻にして、子どもをつくっても十分に時間の余裕はあった。
そう、いくら「愛したひとの忘れ形見」であっても、レギュラスが引き取って育てる義務などこれっぽっちもなかったのだ。
こういった「なんで引き取ったのか」に対する回答はいつも似たようなものだった。君があんまりにも可愛らしかったからね、とにっこり笑って答えるのである。しかしながら、その日――デルフィーニの誕生日だった――は少しだけ違う答えが返ってきた。
『これも縁だと思ったんだよ』
僕が名前を付けてしまった。デルフィーニという名をね。もしかしたらもっとすてきな名前を付けてもらえたかもしれないのに。親でもない僕が……。
『いわば縛ったようなものだ』
だから引き取ろうと思った、とレギュラスは締めくくった。
「嘘つき」
呟いて、デルフィーニは手紙を机に仕舞った。明日の朝一番に出しに行こう。
嘘つきなレギュラス。彼はデルフィーニのことを、名前で縛ったのではない。
彼は
十一月に入り、レギュラスは手紙を受け取った。ホグワーツに行っている養い子、娘ではない娘からであった。
手紙を開き、さっと読み、沈黙する。眉間を中指で叩きながら、ぶつぶつと呟いた。
「トロールなんて入れてどうするんだ?」
騒ぎを起こして陽動したとして、なにを狙っていたのか。ダンブルドアの首? それにしてはお粗末だ。
考え込みながら朝刊を手にとる。一面は「グリンゴッツへの侵入者、いまだ不明」。夏に起きた侵入事件は、なんの進展もないままだ。このまま真相がわからず終わるのだろう。グリンゴッツは小鬼の領域。魔法族があれこれと考えても仕方がない。
朝刊を放り出し、返事を書こうとする。羽根ペンを握り、五分ほど考え、結局こう書いた。
これから寒くなるから、あたたかい格好をしなさい。トロールのみならず、たいていの魔法生物に有効なのは眼潰しだ。結膜炎の呪いなんてどうだろう。トロールの場合、棍棒を持っているから、武装解除もいいかもしれないね。
なんにせよ、無理に戦うよりも逃げることをすすめよう。蛮勇は寿命を縮めるものだ。
黒の封蝋を捺し、ブラック家の黒ふくろうに持たせ、レギュラスはほっと息を吐いた。そして大事なことを思い出した。
「……冬期休暇」
帰省するかどうか訊くのを忘れた。が、養い子はとても気が利いていた。返事の返事の……とにかく、返ってきた手紙に「そのうち訊かれると思うから書いておくけれど、冬期休暇はホグワーツに残ります」と書いてあった。そして「死の呪文はだめなの?」とも書いてあった。レギュラスは頭痛をこらえて返事の返事の……とにかく手紙を返した。
「冬期休暇の件はわかった。あと」
死の呪文はやめなさい。